彼はどこからか、身の丈と同じくらいの大きな黒塗りの平たい棒を取り出した。フォンがそれを、しなりをきかせて開くと、一つの扉ほども巨大な扇となった。

「力技でねじ伏せる、皆は下がって! 忍法・風遁『轟々嵐(ごうごうらん)』ッ!」

 忍者が叫び声と同時に奥義を思い切り振るうと、鋼色に可視化された、台風と見紛うほどのとんでもない突風が部屋中を覆いつくした。勿論、ただの風ではなく、仲間を除いた周囲一帯を切り刻むほどの破壊力を秘めた風だ。
 凪いだ先は前方だが、油断すれば肌を斬られるほどの風圧を、フォンの後ろにいたクロエですら感じ取った。そんなものを正面から受ければ、どうなるか。

「ぐおああぁッ!?」

 合わせて六つの体が宙に浮き、巨人に蹴られたかの如く吹っ飛んだ。

「忍具・『大扇』。風遁忍術の技術と魔力を組み合わせた、マスター・ニンジャ秘伝の忍具だよ。君ですら見たことがないだろう、リヴォル」

 勇者パーティとリヴォル、レヴォルが崩された壁の方まで叩きつけられたのを見たフォンは、自分の持つ忍具を翳しながら、かつての同胞すら知らない力の正体を告げた。
 サーシャやクロエだけでなく、フォンもまた、忍術と魔法が融合した禁忌の武器を持ち合わせていたのだ。しかも、身の丈ほどもある武器をどうやって隠し持っていたのか、床に置けば地面にめり込むほどの重さの武器を軽々と振ってみせたのか。
 何も分からぬまま瓦礫の中から起き上がり、忍者も、勇者も驚愕する。

「勇者だけじゃなくて、私やレヴォル、他の奴らまで弾き飛ばした!? 見たことのない忍具まで……お兄ちゃん、どれだけ強くなってるっていうの……!?」
「この野郎、舐めやがって……!」

 クラーク達は強がってはいたが、マリィだけは察していた。

「僕達の方が優勢なのは明白だろう――観念しろ、クラーク、リヴォル」

 自分達だけでどうにかできるほど、フォンは甘くないと。
 そして、弱くないとも悟った。
 無論、よろよろと起きあがった侵入者達の前に立ちはだかるのは、フォンだけではない。

「一転攻勢、ってやつだね」
「さあて、誰から燃やしてやろうか、でござるな!」
「さあて、誰から潰すか、サーシャ、悩む」

 フォンの仲間達とアンジェラ、彼女に肩を貸してもらったアルフレッドが、敵を見据えていた。今や誰も、敵を一人たりとも逃がすつもりはないようだった。
 最も相手に温情を賭けるフォンですら冷酷に徹しているのだから、他のメンツがリヴォルやクラーク達を逃してやるはずがない。寧ろ、この場で仮にフォンが制止しようとも、後の憂いを絶つべく殺しておくだろう。
 ぜいぜいと肩で息をする勇者パーティのうち、最初に口を開いたのはマリィだった。

「……リヴォル、退いた方がいいわ。ハンゾー様がアルフレッド王子を攫えと言ったのは、可能であるならよ。フォンも同じよ、無理に追えば必ず……ぐっ!」

 だが、返ってきたのは手の甲の強烈なビンタだった。

「洗脳する価値もない頭でっかちが命令しないで。命令は私とハンゾーが下すから」

 顔を殴られて鼻血を流すマリィが蹲るのも無視して、リヴォルはレヴォルを引き寄せた。彼女の怒りはフォンやアンジェラに向いているようだったが、何よりも自分に指図したただの魔法使いの発言が、気に障ったようだ。
 とはいえ、激憤に駆られて継戦するほど、彼女も頭に血は昇っていない。

「一旦退くよ。お兄ちゃんと王子を奪えないのは惜しいけど、目的は別にある。きっと、ハンゾーが作戦の『第二段階』の発動を告げるからね」

 じり、と足を一歩後ろに下げるのと、フォンが彼女を睨むのは同時だった。

「『第二段階』? リヴォル、詳しく教えてもらおうか」
「じきに分かるよ、身を以てね――レヴォル!」

 謎の計画についてフォンは問い質そうとしたが、リヴォルが動く方が早かった。彼女がレヴォルを操作すると、人形の服の袖から小さな球体が転がり落ちてきたのだ。
 それが何かを確かめるよりも先に、球は勢いよく破裂した。中から飛び出してきたのは、刃物や火薬ではなく、辺り一帯の視界を完全に遮るほど濃い灰色の煙だ。フォンですら何も見えなくなるくらいの煙は、たちまち『王来の間』を埋め尽くした。

「わぶっ!? これ、煙玉!?」
「香草も混じってる……僕とカレンの嗅覚対策か……!」

 こうなると、いくらフォンやカレンでも敵を追えない。煙に紛れてこちらを襲ってくるのならやりようはあるが、相手は入ってきた穴から早々に逃げるつもりなのだ。

「そういうわけだから、さっさと逃げさせてもらうね。ほら、行くよ、無能集団」
「ちぃ……次こそは、フォンを殺してやる……!」

 事実、リヴォルは既にクラーク達を引き連れて、部屋を出ようとしている。

「あいつ、まだあんなこと言ってる。懲りないね」

 クロエやサーシャはまだ武器を構えているが、これ以上追撃する気はない。アンジェラだけがリヴォルを追いかけたそうにしていたものの、アルフレッドの護衛をしなければならない立場上、不用意には動けない。
 だから、敵が逃げるのを、ただ待つばかりだった。

「クラーク――」

 ただ一人、そうはいられない男がいた。

「――それでも君は、勇者に選ばれた男か!」

 フォンだ。
 目を見開き、感情に任せて叫ぶフォンに、誰もが驚いた。

「……!?」
「フォン!?」

 クロエが止める間もなく、逃げようとした足を止めるクラークに、彼は吼えた。

「君を付き人に選んだ勇者の想いを考えたことはあるのか、何の為に君を選んだのか! 勇者になったのはちやほやされたいからか、力を得たいからだけなのか!」

 忍者は決して、勇者に同情するわけでも、ましてや許すわけでもなかった。
 しかし、同じく師を失った者として、今の彼の在り方は耐えられなかった。フォン自身が、ではなく、クラークに全てを託して死んでいった勇者の無念がだ。

「どれほどの邪悪に操られているかも知らず、国を傾けるほどの闇に手を貸しているかも気づかずにッ! 復讐心に全てを費やして何も見ようとしない付き人がッ! 勇者にとってどれほど惨めだと思うんだ!?」

 だからこそ、フォンは叫んだ。
 叫ばずには、いられなかった。