早急に目的を果たすべく、リヴォルは人形に彼を持ち上げさせようとした。
 だが、人形を動かすよりも先に聞こえてきた、外からの足音で手を止めた。

「……?」

 一人、二人、いや、もっと。
 彼女が動きを制したのは、単なる足音だからではない。
単純な足音ではなく、騎士や兵士以上に整然としていて、尚且つ聞こえないように仕組まれた音だったからだ。リヴォルが忍者でなければ、急いでいるらしい微妙な音の変化に気付けず、奇襲を許していたかもしれない。

「部屋の外から!? だが、誰が――」

 足音が大きくなり、どたどたとした調子になり、封鎖された扉の前で止まった。
 ほんの数秒、何も起きない沈黙だけが続き――

「――サーシャ、ぶっ壊す!」

 凄まじい怒鳴り声と共に、入り口を封じていた扉と、瓦礫の全てが弾け飛んだ。

「なッ……!?」

 アルフレッドはもとより、リヴォルすらも驚愕した。まさか、かなりの量の瓦礫で完全に閉ざしていた扉が、たった一撃で破壊されるとは思っていなかったからだ。
 雷が迸るかのようなエネルギー波がこびりついた瓦礫を崩し、現れたのはフォン達だった。尤も、その先頭に立っているのは二つに分かれた竜頭の槌『ドラゴンメイス』を携え、鬼気迫る表情でリヴォルを睨みつけるサーシャだ。
 運よく、一番早く状況を呑みこみ、命令を下せたのはフォンだった。

「――カレン、王子を!」

 バンダナで口元を隠した彼の指示に従って飛び出したのは、青い髪を靡かせ、耳と尻尾を隠そうともしない猫忍者、カレンだ。

「承知! 忍法・火遁『火猫爪(かびょうそう)の術』ッ!」

 彼女が尖らせた爪で、アルフレッドとレヴォルを繋ぐ糸をひっかくと、それは簡単に青い炎によって燃やされてしまった。リヴォルがどうにかして王子をひったくるよりも早く、カレンは持ち前の身のこなしを活かして、男の体を持ち上げた。
 こうまですると、深追いは危険だと思ったのか、リヴォルは追撃してこなかった。安全な距離を取った一同の足元まで運ばれたアルフレッドは、ようやく燃え尽きた糸から解放され、苦しそうに大きく息を吐いた。

「ぐう……!」

 目立った外傷はないが、相当強く縛られていたのか、上手く立ち上がれないようだ。それでも顔だけは上げられたのか、睨むようにしてアンジェラとフォンを見つめた。

「貴様ら、冒険者! それにアンジェラまで、どうして!?」
「すみません、王子。敵の接近を感じ、独断ですが彼らの自由行動を許可しました」
「護衛はどうしたんだ!」
「ごめんね、王子様。あたしのこれで、全員痺れさせちゃった」

 アルフレッドの問いに答えたのは、黄色く光る矢筒を携えたクロエだ。

「『『忍魔法矢』(シノビショット)――『電気纏』(イエローストリングス)』。矢筒に入れたままの矢に雷の属性魔法を纏わせて、痺れる程度に放出したんだ。ま、半日もすれば起き上がると思うから、安心して」

 クロエが手に入れた魔法の矢は様々な効果を付与するが、とりわけ彼女が気に入っているのは電撃の効果を有する矢だ。
 そんな魔法でアンジェラと共に、兵士達を痺れさせたというのだから、アルフレッドが黙っているはずがない。彼はどうにか起き上がろうとしたが、力が入らないようだ。

「な、なんだと……!」
「反逆行為については後でお詫びします。しかし、今は……」

 悪戯っぽく笑うクロエの代わりに詫びたフォンは、リヴォルの前に躍り出た。
 静かな対面ではあったが、双方が複雑な感情を抱いているのは明白だった。

「……まさかこんなに早く、私達の動きに気付くなんてね。お兄ちゃん」
「リヴォル、君だったか」
「君だったって、誰だと思ったのかな?」
「私達、と自分で言っただろう。僕の知る最後の忍者は、あと一人しかいないよ」

 含みのあるフォンの台詞に、リヴォルは目を細めた。脳筋揃いの馬鹿連中に、一人だけ聡い男が混じっているのがこれほど厄介なことだと思っているようだったが、直ぐにいつもの残虐な笑顔を取り戻した。

「……ま、いいや。本当はお兄ちゃんとも遊びたいけど、面倒くさそうなのも多いし、何より今日はちょっとだけ忙しいんだ。その王子様を渡してくれないかな?」

 口を吊り上げたリヴォルのさす指を遮るように、今度はクロエ達がアルフレッドの前に立った。いずれも忍者の力を携えた面々だと知っているようで、リヴォルも警戒している。

「面倒くさそうな、ってのは聞き捨てならないね」
「じゃあ、言い方を変えよっか。本当ならブチ殺してやりたいんだ」

 いや、警戒しているというよりは、怒りに満ちているようだ。

「お前達が忍者の里で修行を受けたのも知ってるよ。忍具の矢、竜の雄叫びを模した武器、猫の瞳を手に入れて……忍者でもないのに、そんな力を手に入れたのは許せないよね。今からでも武器と眼球を置いて、死んでくれないかな?」

 リヴォルの怒りの理由は、忍者の力を濫用している点にあった。
 フォンが簡単な忍術をクロエに教えただけで、自分と彼にだけ許された関係性を阻害されたと理不尽な理由で激怒するくらいだ。きっと、自分も手に入れていない魔法と忍術の力を得た三人を前にして、今、リヴォルは任務を忘れるくらいの憤激に駆られているのだろう。
 それこそ、冷静さの皮が剥がれ、醜悪な形相に顔が塗れるほどに。

「急いでいる割には、煽りに乗っかってくるのでござるな。お間抜けでござる」

 しかし、カレンが煽るのと同時に、もう一人の怒りの代弁者が動いた。

「――もう、いいかしら」

 アンジェラだ。
 すでにギミックブレイドの制御を外し、蛇腹剣をいつでも振るえるようにした彼女が、フォンの隣に立った。両親と弟を惨たらしく殺された彼女にとって、リヴォルが生きている事実は、一瞬一秒たりとも許せないようだった。

「この忍者を前にして、いつまでごちゃごちゃと話しているつもり? 相手だって急いでいるらしいし、お願いを聞いてあげようじゃない」
「アンジー……分かった。でも、殺さないでくれ。尋問が必要だ」
「それは無理な相談ね。忍者お得意の、死体へのお話で情報を集めて頂戴」

 アンジェラはリヴォルを殺す。フォンはリヴォルを捕らえる。
 双方の目的は違うが、敵は同じ。ならばと並び立つ二人を、リヴォルは挑発する。

「あれれ、仲たがい? じゃあ、仲直りするまで待ってあげるけど?」

 平静さをまたも取り戻し、女騎士の激情を煽るリヴォル。彼女の作戦は、幸か不幸か、あまりにも簡単に達成されてしまった。

「必要ないわ――両親とベンの仇を地獄に送るのを、待つつもりなんてないからッ!」

 誰よりも早く、目を血走らせたアンジェラが仇敵に斬りかかった。