「ハンゾーって、確かフォンが倒した忍者の長、だっけ?」
「……そうだよ。僕が里を滅ぼした時に、死んだはずだ」
「だったら、おかしい。死人、一度死んだら、それまで。サーシャ、知ってる」
「そのはずだ。僕は確かに殺した、けど……」
貴方も何かを知っているようね、フォン。
というよりは、勘付いていると言ったほうがいいかしら。
「ああ、あまり考えたくない事象だけど、現実としてあり得るなら……」
その話にはすごく興味があるけど、後ろの三人が間抜けな顔をしてるから……まずは説明してあげて。瞳のように彫り込まれた傷痕、『蛇の目』が何であるかを。
「……『蛇の目』。アンジーがどこでそれを知ったのかは知らないけど、忍者の里でハンゾーに直属していた忍者が、拷問の対象として選んだ相手に彫り込んだ一つの証だ」
「証? 何の?」
「どんな形を以てしても死に至らしめるという証さ。蛇の目の形に肉を彫ってから拷問を始めるのは、ハンゾーが訓えた忍者の習わしなんだ」
私は独自調査の末に、『蛇の目』の情報を手に入れたわ。さっきも言った通り、忍者が使うメッセージ性のある刻印だとは知っていたけど、そんな意味があったなんてね。
確かにこんな傷は、他では見たことがないのよ。忍者独自の習慣ってわけ。
「えっと、つまり……それ自体が危険とか、そういう意味?」
「そんなところかな。だけど、一番問題なのは、『蛇の目』が存在することだよ」
そこについては、私も聞いておきたいわね、フォン。
「アンジーにも言っておくと、ハンゾーというのは、僕が所属していた忍者の里の長だ。即ち僕が滅ぼした里の長であり……リヴォルの上司でもある」
じゃあ、私の仇が、事件に絡んでいるのね?
「恐らくはね。ただ、彼女がこれを彫り込んだとは考えにくい」
「なぜでござるか、師匠? あやつはハンゾーのしもべ、『蛇の目』を知っていてもおかしくはないでござる。きっと、アンジェラや師匠を挑発する為に……」
「いいや、僕を呼び出すのだけが目的なら、この刻印である必要がない。もっと大規模な殺人や破壊を繰り返したほうが、もっとシンプルに僕を引きずり出せるだろうしね」
「確かにそうかも。もしもフォンを狙うなら、ネリオスに行く必要もないよ」
「相手は騎士を殺すだけの実力を持つ者を従え、アンジェラと僕の関連性について調べるほどの諜報力と、大胆な殺戮をしておきながら虎視眈々と状況を静観する落ち着きを併せ持っている。そんな人物は、一人しか思い当たらない――」
――結論を言ってちょうだい、フォン。
貴方の目から見て、この現状が伝える真実がなんであるかを。
おそらく、私も貴方も、結論は同じだと思うけど――。
「――ハンゾーは生きている」
……やっぱりね。
「ハンゾーが!?」
「おかしいよ、それって! フォンから昔話を聞いたけど、里が滅んだ時にハンゾーも殺したって! じゃないと、つじつまが合わないよ!」
「師匠の話通りなら、ハンゾーは相当狡猾でござる。きっと、師匠を逃がさなかったはずでござるが……ハンゾーから教わらず、他の書物から忍者の情報を手に入れた誰かが……」
「ありえない。刻印を知っているのはハンゾーと、選ばれた一部の忍者だ」
フォンの仮説の通り、彼が生きている証拠は残っているわ。
元忍者の首領とやらは、どうやら死んでいないようね。
「……そう、考えるほかないかもしれない。リヴォルが僕を混乱させる目的があるとも考えたけど、やるにしては回りくどすぎるから……」
私も同じ意見よ。もっと確実に動揺させる手段はあるわ、間違いなく。
ついでに言わせてもらうなら、貴方が殺したと言っておきながら、生きている事実にさほど驚いているようにも見えないわ。どこかで彼が生きているんじゃないかって、おかしな話だけど確信があったんじゃないの?
「そうなの、フォン?」
ここにきて、誤魔化しはなしよ。
「……僕達は暫くの間、忍者の里の跡地に行っていた。僕の記憶の手掛かりを探す為だったけど……結果として、そこで忍者の秘密の訓練場を見つけた。修行を積んで、強くなれたのは師匠が僕を導いてくれたんだと思っていたんだ。けど、違うのかもしれない」
「どういう意味でござるか?」
「誰かに導かれているのは間違いなかった……けど、あの時と同じ目線を時折感じたんだ。僕を突き刺すような蛇の目を……里にいた頃にも感じた、鋭い視線を」
「もしかして、ハンゾーの視線を?」
「気のせいだと思いたかった。殺したのにも確信は持っていた。けど、あいつは僕よりも一歩上手だった……本当に生きているとすれば、そう思わざるを得ないね」
そのあたりは、流石、忍者の長ってところかしら。
「……一つ確かめさせてくれ。この傷が彫られている部位は、どこだった?」
ええと、右膝だったわ。それがどうかしたの?
「おかしい。『蛇の目』を傷としてつけるのなら、もっとわかりやすい場所や、対象に恐怖を与える箇所につけるはずだ。僕なら心臓の辺りに彫り込むし、だいたいの忍者はそうする。そうしないのは、まだ半人前の忍者か、そこまで物事を教え込まれていない忍者だ」
半人前の忍者、というのは矛盾していないかしら。
この世界に存在する忍者は、貴方とそこの猫ちゃん、私の仇とハンゾーだけ。他に忍者がいるなら、絶対に私がその情報を集めているはずよ。
忍者が勝手に増えるはずもないし――。
「勝手に増えていないとしたら?」
……まさか。
「大方、僕と君の予測は当たっていると思うよ。もしそうなら、恐ろしい事態だけど」
ええ。ここで悠長にしている余裕は、少なくともゼロになるわね。
「まさかって、アンジェラもフォンも、どうしたの?」
「凄い顔。お前ら、お腹壊した?」
お腹を壊してこんな顔になれるなら、そっちのほうが幾分ありがたいわね。けど、お馬鹿さん達に教えてあげると、私が神妙な顔をしてるのは、まずい事実に気づいたからよ。
「まずい事実とは何でござるか、師匠?」
「……育てているんだ」
やっぱり。
「育ててるって、何を?」
忍者の長が育てるものなんて、一つに決まっているでしょう。
「ハンゾーは……忍者を育てている。新たな『忍者兵団』として、里として……!」
――忍者はもう、フォンやあの女だけではない、ということよ。
「どういう意味なの? 忍者が育ってるって、ハンゾーが育ててるの?」
「……あくまで僕の仮説だけど、今回の襲撃はハンゾーが指揮しただけだ。決して、彼自身が直接手を下したわけじゃない」
「指揮したって、ハンゾーが育てた忍者を?」
そうね、まさしくフォンの言う通りかもしれないわ。
貴方の予想通り、殺された現場はさほどスマートではなかったのよ。
拷問の間にも抵抗した様子が見受けられたし、飛び散り方からして騎士ではない者の血液もこびりついていたわ。足跡もいくつか残っていたし、私がここまで調査をできたのも、彼らの詰めがどうにも完璧ではなかったからよ。
そのあたりの後処理もしないのは、忍者としては甘いんじゃあないの?
「確かに甘いね。リヴォルにしても、ハンゾーにしてもそんなミスは犯さない」
あの二人ではない他の誰かの犯行、というわけね。
「どうかな、忍者のなりそこないや偽者の犯行って可能性もあるけど?」
偽物なら、数日も王都騎士団から逃げおおせていないわ。確実に捕えているわね。
「最初からおかしいと思っていたんだ。ハンゾーがもしも自ら手を下せるようなら、というより彼がネリオスに入ってこられるくらいにまで潜伏できているのなら、既に都は陥落してる。そうでないのなら、彼は準備を他の者に任せてるんだ」
ハンゾーとかいうのは、それくらい強いのね。
「僕が油断した彼を斬り伏せられなかったら、おそらく敗れていた。それくらいには強い」
だったら、他の忍者がいると思っていいわね?
「あのさ、あまりにも突拍子がなさすぎない? クラーク達が脱走して間もない間に騎士が殺されて、しかも忍者の仕業っていうのは脈絡がなさすぎる気がするよ」
「拙者も同感でござる。それに忍者兵団がもう一度誕生するなど、いくら師匠の仮説だとしても信じがたいと言うか……荒唐無稽に思えるでござる」
「……僕もそう思うよ。はっきり言って、無理なこじつけだとも思ってる。だけど、ハンゾーが生きているのは間違いない。僕の忍者としての直感が告げてるんだ。やつの蛇のような目が僕を見ていると、喉笛に喰らい付こうとしていると」
「フォン……」
……いずれにしても、放っておく選択肢はないんじゃないかしら。
王都に忍者が潜伏していて、しかもそれにクラークや女忍者が関連している可能性が高いのよ。ここまで危険因子が揃っていて、何も起きない可能性はまずないと思うわ。
クロエやサーシャ、カレンにとっては、騎士団と王族の事情だと言われればそこまでだけど、フォンにだけはそうはいかないわね。もしも本当に、貴方が忍者の里にいた頃に死んだはずの長が関与しているなら、危険な事態に発展するでしょうし。
「どうして?」
貴方の顔に書いてあるわ。
彼らを放っておけば、恐ろしい事態に発展すると。そう、知っていると。
「……それが、僕達に会いに来た理由かい?」
半分は当たりよ。事実をあるがままに伝えて、意見を聞きに来たのが半分。
「もう半分は?」
……もう半分は、貴方達冒険者への依頼よ。
今、ネリオスの警備は一層厳重になったように見えて、『王の剣』の損失で屋台骨が砕けたも同然の状態になっているの。幸いにも力を一層増してくれたらしい貴方達に、祭りの間だけでも王族の護衛の補助をしてほしいのよ。
勿論、報酬は弾むわ。私が王族や大臣に口利きして、欲しい額の報酬を払わせる。それこそ金銀銅貨だけじゃない、家や馬、称号、土地でも欲しいのなら支払わせる。
それくらい、貴方達の力を借りたいのよ。
どうかしら、悪い話じゃあないと思うけど?
「……とてもじゃないけど、冒険者に頼み込む内容じゃないよね」
「お前、冒険者、勘違いしてる。サーシャ達、傭兵じゃない」
そうね、傭兵じゃないわ。冒険者への依頼としては規格外だとも知ってる。
けど、フォン以外に――貴方達以外に、頼める相手がいないのよ。逆に言うと、貴方達以上の実力者を私は今のところ知らないし、こんな事態に対応できる騎士もほぼいないわ。
私も騎士の端くれよ。本来私達が為すべきことに民間人を巻き込むことがどれほど恥ずかしいことか、情けないことかはわかっているつもり。
だとしても、助けてほしいの。
国を脅かす相手に、挑んで欲しいのよ。
「……どうする、フォン?」
「どうするか、か。君達はどうしたい?」
「答えは決まってるつもり。けど、一応フォンにも聞いておこっかなって、それだけだよ」
「サーシャ、お前に任せる。お前の選んだ道、ついていく」
「拙者も同じく。師匠と共に行くでござるよ」
…………。
「――分かった。ハンゾーが生きているにしても、死んでいるにしても、忍者の介入なら危険な事態に発展する可能性が高い。それこそ王都だけでなく、国に広がるだろう」
ということは。
「君の依頼を受けるよ、アンジー。忍者の暗躍は、僕達が止める。いいよね、皆?」
「オッケー。ま、あたし達で王都をちゃちゃっと救ってあげますか!」
……ありがとうね、フォン。皆も。
「気にすることじゃないよ。僕達だって、アンジーには助けられてるし」
とてもありがたいわ、本当に。
でも、ひとつだけ気になるわね。
フォンがもしも行かないって言ってたら、貴女達はどうしていたのかしら?
「どうって、どうもしないよ。フォンが、行かないって言うはずないからね」
えっ?
「サーシャ達、こいつのこと知ってる。こいつ、困ってる人を放っておかない」
「拙者の師匠は、苦しんでいる人を放っておくほど薄情ではないでござる。もしも臆病風に吹かれるようなことがあれば、拙者がお尻を蹴り上げるでござるよ!」
「ふふっ、カレンが僕の背中を取れるようになるほど強くなるのは、楽しみだね」
「うっ……ま、まだまだ精進中でござる……」
それじゃあ、貴女達の準備ができ次第、王都ネリオスに向かうわね。
いつでも声をかけて頂戴、私は近くの宿を取っておくから。
「……いや、宿を取るまでもないよ」
どういうこと?
「今日の午後には出発しよう」
「うん、善は急げ、だね」
……本当に、ありがとう、フォン。
「拙者達に礼はないでござるか」
「サーシャ、不満」
冗談よ。貴女達にも、心から感謝しているわ。
◇◇◇◇◇◇
ここまでが、フォンを含めた忍者パーティが王都に来ることになった経緯である。
あらゆる事柄が仮定であっても、己の直感と正義感を信じ、フォンはネリオスへと向かった。クロエ達パーティメンバーも同様に、彼と彼の信念を信じた。
そうしてアンジェラを含めた五人は、真実を確かめるべく赴いた。
閉鎖的でありながら国の中心となる都市。
富裕層のみが暮らし、五年に一度だけ公になる都。
王族の居住地――王都ネリオスへ。
王都ネリオス。
周囲の都市と、高い壁によって完全に隔離された都市。ここに入るまでには三つのチェックをパスしなければならず、更に滞在票に記載された日数でのみ自由を許される。
フォンやクロエ達は、正直なところ、鬱屈した閉鎖的な世界だと思っていた。金持ち達がいつ来るかもわからない襲撃者に怯えるような、空気の死んだ廃滅都市であると。
――だが、実態はその全てが真逆であった。
「へい、らっしゃいらっしゃい! そこのご婦人、立ち寄ってって!」
「旦那様、どうぞ! 新作の燕尾服でございます!」
高貴な活気。正しくそうとしか表現できない世界が、五人の前に広がっていた。
ギルディアよりずっと広い通りを埋め尽くす人々。露店などは一つもなく、代わりに冒険者の街では一等級に近い店がいくつも立ち並んでいる。それなりの衣服を纏う者は一人もおらず、呉服屋の店主ですら高級そうなシャツとズボンに身を包んでいる。
そんな街なのだから、道行く人はもっと豪華だ。馬車の中から降りてくる貴婦人は華美すぎるほどのドレスを着て、両手が隠れるほどの指輪を全ての指に嵌めこんでいる。少し人を見下すような態度で話しているのは、家柄と立場の為せる技か。
「あら、いい柄のドレスね。後で使用人に買わせるわ」
「そこのイエローエメラルドを箱いっぱい、もらえるかしら」
「畏まりました」
金貨百枚でも変えなさそうな大粒のエメラルドを、指さした木箱いっぱいに詰めさせる。その隣では、とんでもない数のドレスを使用人に運ばせている。
少し離れた居住区の屋根が、ネリオスと都市を隔てる壁の大きな門からも見えてくる。一階建てのちんけな小屋など、きっとここには存在しない。
総じて、およそ、ギルディアでは見受けられない光景だ。
そんな景色が飛び込んできたのだから、忍者パーティが硬直するのも無理はなかった。
「……凄いね」
「ああ、凄い。今まで見たどんな都市よりも豪奢だ」
フォンですら呆然とするのを楽しそうに見つめながら、アンジェラは微笑んだ。
「ようこそ、王都ネリオスへ。王都騎士アンジェラが、貴方達を歓迎するわ」
老若男女問わず、全てが高級な世界観に呑まれながらも、フォンが言った。
「人の多さもそうだけど、質もかなり違うね。普段からこれだけの往来が?」
「いいえ、この数日間だけよ。普段はこの半分にも満たない富裕層や王族、有権者達がのどかに生活する都市って感じね。日常とのギャップが好きって変わり者がたまに直前になって移住してくるけど、だいたいはお高く留まった金持ちばかりね」
「それはいい意味で? 悪い意味で?」
彼が問うと、歩き出しながらアンジェラが頷いた。
「どっちもよ。私は騎士の名家である人達と話すのは好きだし、だからと言って宝石を箱買いするような成金を好いているわけでもないしね」
「うん、だいたい分かったよ。ネリオスがどういう場所なのかっていうのはね」
てくてくと、四人も彼女のあとについて行く。
きっと、ここからでも正面に見える、とてつもなく広大な広場と、その奥にあるこれまたとんでもなく大きな宮殿へと向かっているのだろう。それこそ、あそこに王族が住まっていなければおかしいと思えるほど巨大な宮殿だ。
歩道はがやがやざわざわと、籠に詰め込まれた鳥のように騒がしい。
「うー……サーシャ、頭、痛い……人、多すぎる……」
サーシャはこんな環境には慣れていないのか、少し頭がくらくらしている様子だ。カレンもまた、慣れないながらにすれ違う人々を見つめている。
「ギルディアとは比べ物にならない人混みでござるな。右も左も商人か金持ちだらけ、こんな中に忍者が紛れていると、いくら拙者の五感でも見抜けないでござるよ」
どうやら先ほどからずっと、忍者と思しき相手を見つけようとしているようだ。猫の目をかっと見開いて凝視している姿は、冒険者らしい格好も相まってかなり目立つ。
どこぞの貴婦人が白い目で見つめているのも構わずに、ぎょろぎょろと目を動かすカレンの頭をわしゃわしゃと撫でながら、フォンは彼女を諫めた。
「僕が見たところ、忍者らしい相手はいないね。カレン、こういう状況なら変装した忍者を無理に探そうとするより、この場に無理矢理合わせようとしている人を探すんだ」
「合わせようとしている人、でござるか?」
彼の暗い目は、誰を凝視しているわけでもなかったが、全ての人を見抜いているようだ。
「うん、これだけ特殊な環境に同化しようとすれば、どれほどの忍者でもぼろが出る。特にばれないように努めるような素人忍者なら猶更だ。ハンゾーが即座に打って出なかったのも、人が集まりすぎている環境では不利だと判断したからだろう」
「う、ううむ……師匠が言うなら、そういう風にやってみるでござる!」
ぐぬぬ、と唸るカレンを楽しそうに見つめるフォンだったが、彼もまた、警戒しているのは事実だった。
クロエやサーシャから見ても、彼の目は潜んだ敵意を孕んでいるようだった。もしも今のフォンに近づいて奇襲をかけようものなら、きっと彼の両手足を縛って目隠しをしても、たちまち首を刎ねられてしまうくらいには、彼には隙が無かった。
「だけど、裏を返せば、ハンゾーが本当にこのネリオスを狙っているのなら、少しずつ侵食しているはずだ。騎士の大胆な殺害と拷問に隠れて、何かを潜ませているかもしれない」
忍者の長の生存と邪悪な計画を信じるフォンだが、クロエは未だに猜疑的なようだ。
「ハンゾーが本当に生きていて、計画を練っているのならね」
彼女とて、フォンを疑っているわけではない。ただ、アンジェラの持ってきた情報が偶然の産物でないか、誤ったものではないかと思っているのだ。
アンジェラもそんな彼女の視線に気づかないほど、間抜けではない。
見つめ返す女騎士の目は冷たくなかったが、代わりに挑戦的でもあるようだった。少なくとも、フォンに対する顔とは明確に違っていた。
「あら、フォンを疑うのかしら?」
「フォンを疑っているわけじゃないよ。クラークの脱走とかも含めて、いろんな事態が起きてて混乱してるってだけ」
じろりとにらみ合う二人は、どうやら長い共闘を経てもまだ、あまり仲が良くないらしい。
そんな双方の関係性を知ってか否か、フォンはやや諦めた調子で、口だけ割って入った。
「とにかく、護衛する相手とも色々と話さないといけないね」
「そうね。それじゃあ、王宮に案内するわ」
肩をすくめるアンジェラは、再び四人を先導して歩き出した。
絢爛たる都市の果てに聳え立つ宮殿までの道のりは、もう少しありそうだった。
王都ネリオスは豪奢だった。
だが、王族達が政を行い、時として住まう王宮は、その何倍も豪華だった。
一つの小さな村ほども大きい庭、盾を幾重にも重ねたような門、果てしなく続く柵。そこをくぐると、今度は最高級の材質で作られた宮殿と深紅の廊下が待っていた。
四方八方に絵画が飾られ、彫刻が鎮座する。芸術点と見紛う空間にフォンですら圧倒される四人を引き連れるように、アンジェラはとてつもなく広い階段を上り始めた。
階段自体はさほど長くなかったが、その先の廊下は別だ。一つ一つが異様なほど巨大な窓から射す日の光を背に受けるのは、甲冑に身を包み、長槍を携えた護衛兵だ。兜のスリットからこちらを見つめる視線を感じるが、アンジェラと一緒なので敵意はないようである。
そんな輩が殆ど感覚を空けず、しかも微動だにせず並んでいるのだから、クロエ達がおかしなところだと思わないのには無理があった。
「しっかしまあ、とんでもなく長い廊下ね」
「それに護衛も多い。王様、臆病か?」
住まう者達の弱さを鼻で笑うサーシャに、顔を向けずにアンジェラが答える。
「王宮なんてのはどこもこんなものよ。国王陛下はもともと政以外で民の前に出ないし、今は騎士の死で更に怯え切ってる。面には出さないだろうけど、内心じゃ暗殺者がいつ来るかって思うと夜も眠れないらしいわよ」
確かに、これだけ防御を固めているのには、四騎士の死と未曽有の敵が背後にあるのだろう。常日頃から異様な警備をしているのだとすれば、精神科医を勧めたくなる。
とはいえ、小さく頷いたフォンには、堅牢な防御もハリボテに見えてしまう。
「成程。この護衛の数なら納得できるね。尤も、ハンゾーが本腰を入れれば無意味だ」
「まだ攻め入られていないだけ、ということ?」
「彼が行動に移すとするなら、確実に事を成せる時だけだ。その瞬間まで潜伏し、虎視眈々と最良の時期を待ち構える。彼は蛇のような男だからね」
「そんな忍者が怖くて、王様と王妃様、揃って宮殿に引きこもりってわけ?」
「外にのこのこ出て行って殺されるよりはずっとましだし、私としてはありがたいわね」
そんな話をしているうちに、廊下の中央に大きな扉が見えた。
ようやく振り返ったアンジェラは少し神妙な顔で、四人に警告するように言った。
「着いたわ。ここが『謁見の間』よ、王族と大臣を通じて彼らに会える唯一の場所。一生に一度だって国民が入る機会がないような貴重な空間よ」
「王……というより、神様のような扱いでござるな」
「何を言ってもいいけど、首を刎ねられたくないなら言葉は選ぶようにしなさい」
口が軽く、どこか乱暴な調子のカレンを窘めたアンジェラが一対の警護兵に合図すると、二人は頷いて扉を押し開けた。
何かを引きずるような音とともに開いた扉は、凡人の目には映らない世界を見せた。
そこは、まるで信じられないほど広大なダイニングのようであった。
一つの長く広いテーブルを囲むように、髭の生えた老人や傲慢そうな禿げ頭、少しヒステリックに見えなくもない中年女性など、合わせて二十人近い人物が座っている。恐らく、国王の政治を支える重役、大臣達の殆どが揃っているのだろう。
だとすれば、自分達から見て向かい側――最も遠いところに肩を並べて座っている初老の男女一組が国王、そして女王だとフォンは思った。
贅沢極まりない宮殿や都市の在り方から、夫婦はきっと贅を極めたような身なりをしているのだと予想していたが、意外にも二人は大臣達とさほど変わらない、燕尾服に近いような恰好をしていた。常にマントを羽織るわけにもいかないのかもしれない。
ただ、服装はともかく、顎にひげを蓄えた瘦せぎすの国王の、指を組んで肘をテーブルについてこちらを見つめる目つきは、間違いなく一国の主に相応しい威厳を孕んでいた。白銀の短髪もまた、彼の威厳に拍車をかけているようだった。
「国王陛下、アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサが戻りました」
アンジェラが声高らかに宣言すると、大臣達が一斉に彼女を睨みつけた。
彼らがぎゃあぎゃあと怒鳴り散らすよりも先に、王は静かに口を開いた。
「……考えを、改めてくれたか?」
重い口調に対し、アンジェラは努めて平静に返した。
「いえ、私の考えは変わりません。生誕祭を取りやめるべきでございます」
彼女の一声で、いよいよ大臣達はどよめき立った。彼らの目は、まるでアンジェラやフォン達を、国賊だと思っているかのようだった。
一方で、国王はまるで動じなかった。彼女の返事を最初から知っていたように見えた。
「そうはいかん。知っておるだろう、この祭の取りやめ、それが齎す意味を? 四騎士を失い、ネリオスの守護が弱まったことが噂だとしても広まれば、今は危険だと」
「それでは国益を喜び、生誕を祝う祭ではありません。呪いの類です」
「バルバロッサ、貴様、国王に何たる口を!」
とうとう、大臣の一人が立ち上がってアンジェラを指さした。しかし、国王が軽くテーブルを指で叩くと、熱くなったのに気付いてしまったのか、禿げ頭の大臣は半ば納得いかない態度で鷹の装飾が施された椅子にもたれかかった。
「……呪いだとしても、続けることに意義があるのだ。理解してくれ」
国王がどうあっても折れないと察したアンジェラは、彼の説得を諦めた。
「……分かりました。ならば代わりに、私が推薦した者を護衛につけさせてください」
「少し前に話していたな。その者達が、果たして失われた四騎士の代わりになると?」
彼女の代案は、再び大臣達を怒らせた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい! たかだか冒険者如きに陛下の護衛など務まるはずがなかろう!」
「かの『王の剣』が、同僚が死んでとち狂ったか!」
ところが、今度は国王が声を上げるよりも先に、隣に座る女性が口を開いた。
「おやめなさい、カリマ大臣、ベンデン護衛隊長」
カリマ、ベンデンと呼ばれた二人の重役を冷静にさせたのは、同じく銀髪で、紺色のドレスに身を包んだ女性だった。少ししわが目立つ年齢なのだろうか、銀髪の中には白髪も混じっている。だが、ほの暗い覇気だけは若者にも負けていない。
これだけの人物が死と闇を恐れるだろうか、あるいは強がりの一環だろうかとクロエ達が首を傾げていると、王妃が言った。
「……アンジー、彼らを護衛につけるということは、目に狂いのない貴女が認めるだけの実力を持っているのだと信じるわ。冒険者達の参加を、私は認めます」
どうやら彼女は、アンジェラに対して信頼を抱いているようだ。
国王もまた、同様だ。大臣達はどうしても一介の女騎士が国政に介入してくるのはどうにも気に食わないようだが、反論しない様子を見るあたり、国王夫妻の発言力は絶対であり、逆らえないものでもあるらしい。
とにもかくにも、アンジェラからすれば好都合だ。
「ありがとうございます」
深く一礼するアンジェラの後ろで、クロエとフォンがひそひそと話す。
「褒められてるって認識でいいんだよね、これ」
「だと思うよ。少し事情は複雑だけど、ひとまずアンジェラの提案は――」
しかし、何事もうまくいかず、必ずトラブルが絡むのが政だ。
「――俺は反対します、母上」
一度は閉じられたはずの扉が開き、凛とした声が聞こえてきた。
フォン達が振り向いた先に立っているのは、多数の護衛兵士と、彼らを率いるようにして毅然と立つ、白金の鎧を纏った若い男性だ。
アンジェラは彼に見覚えがあるようで、彼の名を呟いた。
「アルフレッド王子……」
王子。
彼がどのような立場にあるかを知ったフォンの前で、彼は――アルフレッドは告げた。
「いち冒険者の手助けなど必要ない。四騎士がいなくとも、俺と護衛達がいれば十分だ」
他のどの大臣より、若きアルフレッド王子は冒険者風情を信用していないようだった。
彼は肩あたりまで伸ばした両親譲りの銀髪と、いかにも名家の出身といった雰囲気と、世の女性が容易く口説き落とされそうな整った顔立ちと共に、一歩前に進み出た。
「父上、母上。いくらアンジェラの提言といえども、俺は納得いきません」
じろりと冒険者を睨む目に対し、クロエとサーシャ、カレンは睨み返した。
フォンとアンジェラはというと、彼の発言がいたって当然だと言いたげな態度で体と顔を彼に向けた。アルフレッドは高い鼻を鳴らし、忍者の態度にどうにも我慢ならないようだ。
「四騎士がいない今こそ王都守護の義務があるというのに、長くネリオスを空け、挙句の果てには冒険者をあの四人の代わりに守護の任に就かせると?」
軽くアンジェラが頷くと、後ろに立ち並ぶ兵士達を含め、王子は酷く落胆したようだった。
「君にはがっかりしたぞ、アンジェラ。同胞が討たれたのがショックだと言うのなら、生誕祭の間はどこか遠くの海辺で休養でも取るがいい」
「よくぞ言ってくださいました、アルフレッド王子!」
「私どもも、まったく同感でございます!」
どうやら、アルフレッドは四騎士の死すらも大きく受け止めてはいないらしい。
大臣達はそんな彼の言いぶりに感銘を受けたかの如く、席を立って拍手した。まるで魔法学校の生徒が簡単な毒薬の作り方を言い当ててちやほやされるかのようなさまは、クロエからすると、それこそ滑稽にしか見えない。
だが、いつもは相手が誰であろうと自分の発言を貫き通すアンジェラが無言を貫いている様子から、相手がただのお馬鹿さんではなく、相応の立場を持っていて――もしくは考えなしの間抜けではない可能性も、無きにしも非ずだ。
「……言いたい放題言われてるけど、あんたが反論しないなんて珍しいわね」
「アルフレッド王子の言い分は真っ当よ。私たち四騎士に比肩する魔法剣術の使い手であり、しかも第一王子ともあろうお方にこんな提案をすれば断られるのは当然ってところよ」
「それほどの実力者でござるか、あやつは」
アンジェラの話が正しいなら、アルフレッドの場合は後者である。つまり、まぎれもない実力者であり、尚且つ現実主義である。失ったものを嘆くよりも、今あるものを守る男だ。
立派な考えには違いないが、忍者の存在を無視する理由にはならないだろう。
「ですが、王子。四騎士がいない今、間違いなくやってきます。強力で、影のような敵が」
警告するように言ったアンジェラだが、王子はまたか、といった調子で答えた。
「『忍者』、だったか。君がいつまでも追いかけている妄言の話だろう」
「実在します。ここにいるフォンこそが、その忍者の最後の生き残りです」
「なんだと?」
ようやく、アルフレッドは顔つきを変えた。
「アンジェラ、そんな人をここに連れてきたというの?」
王妃も流石に危険因子を連れてきたと思ったのか、アンジェラに問いかけた。
「王妃、彼は忍者ですが、正しい心の持ち主であり、ギルディアにおける勇者の暴動を止めた張本人です。彼は、フォンは正義の意志のもとに忍術を用います。そしてその力は――私など到底及びません」
彼女がそう説明すると、大臣達や護衛兵の間にもざわめきが伝播した。
「なんと……!?」
「四騎士を倒したのは、牢獄を破壊した連中とばかり……!?」
一同が戸惑うのも当然だ。彼女と肩を並べる冒険者など、いるはずがないからだ。
橙色の髪を靡かせて蛇腹剣を振るう、恐らく国内最強の女騎士。そんな彼女をして、自分よりも強い男性だと言わしめたのが、まさか、どこかとぼけた表情にも見えるくらい落ち着いた年頃の少年だとは思うはずがない。
そして、やっとアンジェラの真面目極まりない表情に彼らも気づいたようだ。彼女としては、いたって真剣に事情を話していたのだが、ようやくと言うべきか。
悍ましき敵の存在に、国王と王妃の顔にも陰りが見える。
「……そのような敵が狙っていると言うのか、私と妻を」
「ご安心ください。だからこそ、彼らを連れてきたのです。相手が忍者であるのなら、こちらも忍者を用いるべきです。幸いにも彼と、隣の青毛は忍者の師弟です。しかもフォンは、忍者の里を単身で滅ぼしたほどの……」
「ちょっと、アンジェラ」
クロエが金色の髪を撫でつけながら、褒めつつもけなす彼女の発言を遮ろうとした。
だが、彼女よりも先に、我慢できない顔つきで声を張り上げた者がいた。
「忍者、忍者と! いつまで居もしない敵を見据えているつもりだ!」
アルフレッドだ。
両親がくだらない妄想紛いの話に踊らされているのが我慢ならないのか、それとも国に迫りくる危機をふざけた話に昇華しようとしているアンジェラの態度が許せなかったのか、今や彼の青い目は爛々と輝いていた。
彼が叫ぶと、疑いの目を向けていた大臣達はたちまち委縮し、国王と王妃は静かにアルフレッドを見つめた。彼は彼なりに、真剣に国の危機に立ち向かおうとしていると知っているからだろうか、それとも親では止められないからだろうか。
「今回の敵はただの悪賊だ、騎士達は残念だが油断の末に死んだ! 百歩譲って勇者の脱走を手引きした者が企んでいるのだとしても、君の復讐にかこつけて物事を大げさにするんじゃあない!」
王子の考えでは、敵は悪党に過ぎない。
そんな相手なら履いて捨てるほどいる。四騎士が拷問されたのも、蛇の目が残されていたのも、勇者パーティが脱走したのも、等しく偶然であるとしか考えていない。
現実的思考もここまでくるのかと、アンジェラはいよいよ呆れつつあった。いくらアルフレッドが、外見と口調通りの正義感の持ち主であったとしても、迫りつつあるかもしれない問題に少しは関心を持ってほしいのだ。
「……敵は実在します。王子、未知の脅威に立ち向かわなければならないのです」
仮に全てがアンジェラの妄執の思い込みと作りこみだとしても、彼女ははっきりと言った。苛立ちにも似た声が広間に響き、沈黙だけが返ってきた。
誰も、何も言わない中、アルフレッドだけが呟いた。
「…………なら、証明してみろ。今ここで」
彼は何を告げるでもなく、ゆっくりと腰に提げていた鈍色の剣を抜いた。
「俺を伏せてみろ、忍者。できなければ、嘯いた代償はその命だ」
そして、その切っ先をフォンに突き付けた。
本当に忍者であり、四騎士を殺すだけの実力――アンジェラが認めるだけの力があるかを、彼は真剣での殺し合いを以って確かめるつもりだ。
クロエ達が目を細める中、フォンは彼の意図を悟り、アンジェラより前に出た。
「分かった。それで、アンジーの話に納得してくれるなら、いくらでも」
フォンはおかしなくらい平静で、感情の揺らぎなど微塵もないようだった。
「アルフレッド、広間でそんな乱暴を……」
「必要なことです、母上。彼らが詐欺師の集まりでないと証明するには、ええ」
王妃の制止も、アルフレッドには通じなかった。大臣達はというと、彼を止めるどころか、むしろ邪魔者をこの場で始末してくれるのを待ち望んでいるようだった。
明確な敵意を目の当たりにし、フォンは彼に少しだけ歩み寄った。
突きつけられた刃が伊達や酔狂ではなく、真摯な正義感の元にあるのだと知ったからだ。純粋に何かを守りたいが故に振るう、宝石の散りばめられた王子専用の剣が示す意志が分からないほど、フォンは間抜けではなかった。
そしてそれはまた、アルフレッドにとっても同様だった。
「フォンと言ったな。念の為に聞いておくが、忍者とはなんだ?」
「意味、か」
眼前の少年がくだらない道化でないと理解した王子に、フォンは言った。
「どのような存在かと言われれば様々な意味があるけど、僕は『人の世と闇の狭間に生き、正しき力を以って悪を滅する者』を指すと思ってるよ」
「ほう、それだけの力が己にあると?」
「世界を守るほどの力はないよ。僕にあるのは、大切なものを守る力だけだ」
おかしな奴だ、とアルフレッドは思った。
慢心はない。力強さも感じられない。その反対の感情も見受けられない。
空っぽの器のようであり、揺れるバンダナのように一体的ではなく、掴みどころがない。アンジェラの話す忍者がどれほどの存在かは、言葉だけでは、やはり察せない。
「矮小さを誤魔化すか、それともただ間抜けな謙虚さか……確かめさせてもらうぞ!」
ならば、平静を揺らがせる一撃を繰り出すだけだ。
誰が止める間も与えず、アルフレッドは強烈な突きの一撃を繰り出した。
(速い……アルフレッド王子の剣さばき、私達に匹敵する斬撃を避けるのは至難よ!)
アンジェラや国王、王妃が目を見開いた通り、彼の斬撃は確かな速度と威力を有していた。それこそ、並の騎士や冒険者であればかわす――防ぐ暇もなく貫かれて絶命するだけのスペックに足りている。
アルフレッドとしても、そのつもりだった。遮られないなら、それまでの相手だと。
だから彼は、できれば一撃で倒れ伏してほしくないと思った。
「むっ!」
そういう意味合いであれば、彼の願いは叶った。
フォンはアルフレッドが突き放った剣を、容易く避けてみせた。
回避すると言っても、華麗な動きでひらりと跳んだり、跳ねたりしたわけではない。まるで剣がどのような動きで向かってくるのかがスローモーションで見えているかのように、頬が触れるか触れないかの寸前で動いただけだ。
「おお、王子の攻撃を避けたとは!」
「ふん、偶然だろう!」
あっさりとやってのけた芸当がどれほど難しいかは、おお、と間抜けな声を上げただけの大臣達では理解しかねるだろう。難易度を悟れるのは、フォンの仲間達とアンジェラ、そして攻撃を放った当の本人であるアルフレッドくらいだ。
そしてまた、王子は斬撃をかわされたくらいで屈するほど貧弱ではない。
「偶然ではないな……それでこそ、力を試す価値がある!」
剣を引き戻したアルフレッドは、銀に煌めく刃を振るい、フォンに猛攻を叩き込む。
「王子の剣術、いつ見ても見事ですなあ!」
「あのペテン師連中が斬られるのも時間の問題だな、ははは」
大臣達が自分達の事柄でもないのに自信を持てるのも納得できるくらい、王子の剣技は確かな実力を兼ね備えている。
アンジェラほどの騎士から見ても、フォンが防戦一方になっているのは明らかだった。
自分では回避するのに、攻撃を忘れて一旦集中しなければならないほどの速度と鋭さを有する斬撃が間髪入れずに襲い掛かってくるのだ。フォンだから避けられるのであって、クロエ達ではきっとみじん切りになっていただろうとも確信できる。
「ふんっ! はぁっ!」
王子もまた、繰り出す連撃がフォンに命中するのは時間の問題だと思っていた。
左からの薙ぎ払いか。正面からの刺突か。右からの振り上げか。
バックステップで余裕綽綽らしく回避するのは、きっと強がりに過ぎない。楽々な態度で動く足もじきに縺れ、動かなくなるだろう。そうなった瞬間が、王国の警護に茶々を入れ、狂言で人を惑わした愚か者への代償だ。
己の技量に絶対の自信を持つアルフレッドの思惑通り、その瞬間はやってきた。
乱暴にも似た斬り払いを避けたフォンが、わずかに体勢を崩したように見えたのだ。
「今だッ!」
大げさに近い隙を逃さず、アルフレッドは剣を振り下ろした。
「フォン!」
思わず、アンジェラが叫んだ。
待ちうるのが、肉体が真っ二つに裂けた死であると、彼女にも分かってしまったのだ。
「貰ったぞ、詐欺師め――」
アルフレッドもまた、確信した。
「――甘い」
だからこそ、フォンの呟きを聞き逃さなかった。
だが、くるり、と視界が揺れ動いたのも、両手足の力が抜けたのにも気づかなかった。
「――え?」
彼は倒れていた。
何をされたか。どうしてこうなったか、理解できなかった。
自分が大理石の床に仰向けになって、剣を既に奪われていた。代わりにそれはフォンの手に握られていて、彼が左手に持つ黒い刃の小刀――苦無と共に、アルフレッドの喉元に突き付けられていた。
たった今まで優勢だった王子が、ほんの一瞬で倒れ、フォンに生殺与奪を握られる。
今起きているあらゆる事象が、アルフレッドのみならず、ほぼ全員に理解できなかった。
「俺が、転んで? いつの間に? どうやって?」
呆然と問う彼に、フォンは口元を少しだけ吊り上げて答えた。
「どうやったかは、忍者の秘密だよ」
アルフレッドは冷や汗を垂らして困惑したが、それはアンジェラも同様だった。
(見えなかった……私の目をして、フォンの動きのかけらも……!)
アンジェラが知っているフォンは、少なくともこれほど速くはなかった。というよりは、ここまで殺意を隠し切り、尚且つ的確に人を死に至らしめる術を見せはしなかった。
いかにフォンが強いと言っても――負けるはずがないとしても、王子との戦いは半ば熾烈を極めるとすら予想していたのだ。それが、刹那の速度と技術により、女騎士の想像を絶する手法で彼は勝利した。
忍者の里での修業は、紛れもなく彼を人外の域へと昇華させていた。
誰もが絶句する中、さもそれらが当然のように接するのは、クロエ達だけだ。
「流石でござるな、師匠。以前よりずっと速いでござる」
「ま、フォンなら朝飯前だね」
最初から勝利を確信していた三人の前で、フォンは剣を喉から離して言った。
「……剣の切れ味はいい。的確な刃の振るい方、躊躇いのなさ。うん、アンジーの言う通り、貴方は彼女に比肩するか、それ以上の実力者だ」
あまりに平然と、冷静に、しかし冷たい刃のような目を離さず、彼は告げた。
「だけど、これだけでは忍者に勝てない。そしてアルフレッド王子、国王陛下達を狙う忍者の一団の長は、僕よりもずっと強い」
立ち上がるのも忘れて、汗を拭うのも忘れて、アルフレッドは聞いた。
「……知っているのか、今度の襲撃者と、正体を……!」
「知っているよ。どれだけ強いか――どれほど邪悪かもね」
フォンの静かな言葉を聞いて、大臣達にも再びどよめきが到来した。
「まさか……」
「あの忍者とやらより、強いだと……!?」
広間を支配する圧倒さを見せつけられても、自分の喉を狙う恐るべき忍者の同類を見ても、国王は眉一つ動かさなかった。ただ、静かに息子とフォンに忠告した。
「実力を知れて満足だろう、アルフレッド。冒険者フォン、其方も武器を収めるのだ」
「分かりました、国王陛下」
苦無を仕舞ったフォンは、静かにアルフレッドに手を差し伸べた。
「どうぞ、王子。無礼をお許しください」
「……いや、詫びる必要はない。俺こそ、少し血が上ったようだ」
王子は特に撥ね退ける様子もなく、素直に彼の手を掴み、起き上がった。剣を手渡しても、やはり王子はフォンの実力に関してだけは認めたようで、抵抗を示さなかった。
それはまた、大臣達や護衛にとっても同様だった。今ここで迂闊に感情を逆なですれば、自分にも危機が及ぶかと思うと、ひとまず黙っていようという気持ちが勝ったのだ――どうせまた、直ぐに傲慢さが勝るだろうが。
アルフレッドは鎧についた汚れを軽く取り払いながら、少し頷いた。
「……確かに、アンジェラの言う通りの実力者ではあるようだな。他の三人も試したいところだが、リーダーだけで十分だろう」
「サーシャ達に負けるの、怖いだけ」
「しっ。思ってても言っちゃダメでござる」
カレン達のひそひそ話が聞こえていないのか、それとも気に留める必要すらないのか、アルフレッドは彼女達の失礼な発言には言及しなかった。
代わりに、剣を鞘にしまった彼は、アンジェラを見つめた。
「俺達の指示通りに動けるのであれば、君達が護衛任務に就くことは許そう。だが、生誕祭は予定通り執り行う。アンジェラ、君の意見について、そこだけは却下する」
彼もやはり、生誕祭には積極的な姿勢を示していた。
着席した大臣達と同じ意見を聞いて、アンジェラはいよいよ憤慨しそうになっていた。それさえ耐えれば、我慢すれば命は助かるはずなのにと思うと、政治が分からない彼女には命知らずにしか見えなかった。
「……それさけなければ危機は及びません。王子、どうして……」
アルフレッドは、半ば諦めてくれと言わんばかりに首を横に振った。
「俺の意見も、父上と同じだ。他国に父上と母上の権威を示し、周辺国の亜人連中に、そう簡単に人の国に踏み入らせないよう警戒させる。必要なことだ」
そして彼女に、ほんの少しだけ根深い他国との繋がりを再確認させた。
「……亜人……?」
亜人。エルフ。ケンタウロス。獣人。人と似た姿でありながら、人に非ざる存在。
この世界において、さほど珍しい連中ではない。
知ってはいるが、フォンですらあまり見たことのない相手がどうして会話に出てきたのか、四人には――少なくとも、目を背けたアンジェラ以外には分からなかった。
「アルフレッド、その話は……」
「いいえ、母上。今は話さなくてはなりません」
どうにも世の外に出したくない話を制そうとする王妃、無言の国王、事情も知らないのかと呆れる大臣達のそばで、アルフレッドが言った。
「この国はもともと、亜人達の生活区域だった。そこを俺達の先祖が開拓し、人の住む国として成り立たせたのだ。亜人達は今や国の外に追いやられ、人間に報復する時を虎視眈々と待っている……そうさせない為には、王の存在を知らしめるのが最適だ」
「怒れる亜人達、ってとこかしら? あたし達は何度か依頼で国の外に出てるけど、そんな連中、一度だって見たことないわよ?」
「今は人の世だ、奴らは表立って姿を見せない。ただ一つ言えるのは、国に攻勢を仕掛けようとした亜人の集まりを俺や騎士団は何度か亡ぼしている。それだけだ」
「集まり?」
「かつて国を追われたエルフが恨みを募らせ、他の亜人どもを纏めて反逆しようとしたのだ。様々な武器を集め、エルフ一族にしか使えない特殊な魔法を共有し、国家を転覆しようとした。極秘裏に塵滅したから、事実を知る者は少ないがな」
「偶然、そこに暮らしていただけではないのでござるか?」
「十はくだらない亜人が、ありったけの武器を抱え、計画書まで見つかった。これでのんびり隠遁生活を送っていたと言う方が難しいだろう」
「ふうん。要は他国っていうよりは、そいつらが怖くて引き籠ってるのね」
「口の利き方には気をつけろ、冒険者」
アルフレッドはクロエを睨んだが、生誕祭の動機や全く否定しない国王の様子からして、そう思われてもおかしくない。
国の成り立ちまで話が遡るとは思わなかったが、事情はだいたい把握できた。
まさか国から相当離れたところに亜人がまだ存在していて、しかも国に何かしらの危害を及ぼそうと策謀しているとは、ギルディアにいた頃は考えてもみなかった。実際、今こうして話を聞いても、唐突すぎて現実味がない。
まるで、いつ来るかも分からない大災害を延々と恐れているようだ。備えを大事だと考えているのならば、今度は生誕祭という名の呪いを引きずっているのだから、矛盾のオンパレードと言っても過言ではない。
こんな状況だからこそ、アルフレッドはある意味、できる範囲で守護を望むのだろう。
「彼らがそうだとして、反逆を窺っている証拠が?」
「そう思っていた方が、国を守るには良いのだ」
フォンの問いに、アルフレッドはそれ以上、何も答えなかった。
「とにかく、生誕祭は二日後に執り行う。お前達は宮殿とその周辺の立地を頭に叩き込み、アンジェラに護衛の基礎を教えてもらえ。俺から話すことは以上だ」
彼は言い切るだけ言い切って、広間を後にした。
残されたフォン達は、ただ彼の後ろ姿を見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
「……では、お主らに問おう」
影の、闇の中で、彼は並び立つ面々に声をかける。
いずれも人間ではない。被り物をしているが、体躯、肌の色、どれも人間ではない。
白と黒の面の奥に見えるのは、悍ましいまでの怒りと、何かに駆られた感傷。まるで、己の意志とは裏腹に物事を成そうとしているかのような目をしている。
そんな、百は下らない大小様々な二足歩行の集団に、黒いローブを羽織った男が言った。
「お主ら、誰に忠誠を誓う?」
高いような、低いような、捉えどころのない声に、全員が口を揃えて答えた。
「レジェンダリー・ニンジャ、ハンゾーです」
「お主ら、何を成す?」
「我らの祖先から土地を奪った王族への復讐を」
「……誰の為に?」
「新たに世と国を統べる、忍者の為に」
三つの質問を終え、男は満足げに頷いた。
「よしよし、心も頭も、完全に儂の道具となっておるのう」
彼の後ろにいる真っ白な少女と、この場には不釣り合いな四人組の方を振り返った鉤鼻の男は、蛇のような目をぎらつかせて笑った。
「『忍者兵団』、ここに完成じゃ――あとは、フォンと「やつ」を連れ行くのみよ」
彼の目に映る景色は、現在ではない。
二日後に迫り、最もネリオスが警備を固める日。
――つまり、忍者にとって最も警備の緩い日となる、生誕祭。
またの名を、王都が終わる日である。
フォン達がネリオスに到着し、宮殿に来てからあっという間に二日が経った。
結論から言うと、驚くほど何もないまま、生誕祭の当日はやってきた。
忍者の襲撃もなく、誰かが死ぬような事態もない。警備中のトラブルはせいぜい泥酔した者同士の喧嘩や軽い窃盗だけで、忍者らしい目撃情報どころか、騎士が一人だって欠ける問題もなかった。
大臣達や騎士、衛兵の中にも安堵のムードが流れ出すほどの安寧の中、遂にもっとも人が王宮前の大広場に集まる、国王が人々の前に現れる日を迎えたのだ。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 今日は生誕祭当日だ、お安くしとくよ!」
「もうじき国王様がお見えになられる、特等席の場所を売るよ!」
露店や商店の商人は、今日が最も売り時だとばかりに声をあげ、客を引き寄せる。
「双眼鏡をよこしなさい、セバスチャン。日傘も忘れないで」
貴族や他国からの来賓者は大きな椅子にふんぞり返り、宮殿のバルコニーを見つめる。
多種多様、沢山の人々が騒めき、広場が一つの国のような人口密度になってきた時、とある一人の男の声で周囲が静まり返った。
「おお、あれは!」
男が指さした先は、宮殿のバルコニーだ。
大きな、大きな通用廊下の中から姿を現したのは、ミルドレリア国王と妃だった。
「国王陛下! 王妃も一緒だぞ!」
「ということは、催し物が始まるわけだな!」
どこかの誰かが言った通り、静寂から一転、歓声に沸きあがる広場の方に向かっておかしな集団がぞろぞろとやってきた。
どれだけ少なく見積もっても二百人は下らない、複数の異なる衣装に身を包んだ集団は、兵士によって人がどかされ、誰もいなくなった広場の中心に整列する。その中で最初に動きを見せたのは、きわどいひらひらした服を纏った美しい少女達だ。
彼女達が艶めかしい踊りを始めると、民衆――特に男性から、歓喜の声が上がった。
「ほうほう、今回は美人の踊り子から始まるのか!」
口笛や少し下品な声が飛び交う中、後ろに控えている、真っ黒なマントを纏って白いのっぺりとした仮面を被った面々と、同じ格好をしておきながら白い木製の人形を携えた者達にも視線が集まる。
何をするのかはさっぱりだが、今日は生誕祭だ。きっと、面白い出し物が拝めるだろう。
「後ろにいるのはお面をつけた踊り子、人形使いの奇術師か? 何だか知らんが、場を盛り上げる連中を国中からかき集めたみたいじゃあないか!」
「ミルドレリア王国の栄光の体現だ……一から国を創り上げた、偉大なる血は健在だぞ!」
「国王陛下、ばんざーい!」
「万歳、万歳!」
踊りが激しくなってゆくのに併せて、誰もが手を振る国王を賛美した。
そんな国王と王妃を、少し離れた廊下から見つめているのは、フォン一行だ。
一見すると華やかさしかない空間だが、人目に付かない宮殿の内部や、バルコニーのすぐ後ろは厳重に警備されている。少し間を空けて衛兵が立ち、常に騎士が歩き回り、鼠一匹どころか蠅一匹、立ち入る隙は無いように見える。
ネリオスと宮殿の警護を一任された騎士や兵士、衛兵を率いるアルフレッド王子もまた、白銀の鎧を着て、フォン達と一緒にいた。
生誕祭当日ではあるが、フォンやクロエ、仲間達はいつもと同じ格好だった。鎧を着ないのかとアルフレッドに窘められたが、彼らは騎士ではなく冒険者であるとだけ答えた。
「まさに圧巻、って感じね。今日だけの為に、あれだけの人を招いたの?」
割れんばかりの大歓声を受ける国王を、どこか冷めた目で見つめるクロエ。
「今日だからこそだ。民衆や他国の来賓にこそ、見せつける価値がある」
「王国にこれだけの芸術と美術があると示すのは、国の価値をしらしめるのと同等の意味があるわ」
彼女を睨むアルフレッドとアンジェラの隣で、カレンとサーシャが顔を顰めている。
「ううむ……あれだけどんちゃか騒がれては、不審者が紛れ込んでも分からんでござるよ」
「香水の匂い、こっちまで届く。サーシャ、あれ、嫌い」
踊り子達がこれでもかと振りまいた香水の生で、魔物特有の嗅覚と野生児の鼻の良さが仇となっている二人が鼻をつまむ。
彼女達の情けないさまを見たアルフレッドは、やはり心配そうに肩をすくめた。
「それをどうにかするのが、俺達と王国騎士団の役割だ。そして、お前達の務めでもある。アンジェラの見込み違いでないなら、相応の活躍を期待するぞ」
わざとらしい溜息を彼がつくと、甲冑を纏った騎士が彼を呼びに来た。
「アルフレッド王子、巡回の時間です!」
「分かった、直ぐ行く。アンジェラ、彼らのお守りは任せたぞ」
「承知しました」
アンジェラにそう言ったアルフレッドは、すたすたと長い階段を下りて行った。
フォンとしては、アルフレッドの考えが当然だと思っていた。いきなり信頼していた騎士が訳の分からない冒険者を連れてきて、しかも自分より強く、おまけに勝手に護衛の一員にされるとなると、はいそうですかと納得はできないだろう。
だとしても、クロエはどうにも王子の反応が気になるようだ。
「お守りって何さ、フォンに勝てなかったくせに」
「よしなさい。王子を信頼する衛兵の耳に入ったら、投獄じゃすまないわよ」
愛用の蛇腹剣、ギミックブレイドを揺らしながら、アンジェラがフォンに聞いた。
「私達は私達の仕事を果たすだけ。フォン、侵入者の気配はするかしら?」
彼は少しだけ目を閉じた。クロエよりも鋭い目とサーシャよりも響く耳、カレンよりも利く鼻をフル稼働したフォンは、少ししてから目を開けて、言った。
「……今はない、かな」
「本当に?」
「絶対の確信という意味合いなら、そうとは言い切れない」
間違いない、とフォンが言い切らなかったのは、相手が忍者と知っているからだ。
忍者相手に絶対を想定していれば、必ず裏を取られる。敵の行動から目的、正体、何から何まで全てを疑って初めて、忍者の作戦を阻めるのだ。ましてや敵はレジェンダリー・ニンジャなのだから、一層警戒しないといけない。
「確かに人が多くて読み取れないところもあるけど、明確な敵意は感じない。それよりもアンジー、僕にも、アルフレッド王子の人望について聞かせてくれないかな」
ただ、それよりも彼が優先したのは、意外にもアルフレッドに対する話だった。
流石に今度ばかりは、アンジェラも呆れたようだった。
「貴方まで……確かに、アルフレッド王子は多くの人に敬愛されているわ」
しかし、フォンの頼みならばと、彼女は渋々ながら教えてくれた。
「彼の剣の腕と、政治でのカリスマ性は確かよ。国王陛下の権威も健在だけど、将来王位を譲ったならば国は更に栄えるとまで言われているわ……事実、騎士や兵士、大臣からの人気は『王の剣』よりもずっと高いわね。ほら、あんな感じで」
アンジェラが指さした先には、大臣がアルフレッドにゴマをするさまがあった。
でっぷりと肥えた大臣達は国王のそばにいるよりも、王子がどれほど国防に努めているかを褒めるのに余念がないようだ。バルコニーにいる面々よりも王子を囲む者達の方が多いが、当のアルフレッドは面倒くさそうにしている。
「若さと強さを兼ね備えた王子、でござるか。そりゃあちやほやされるわけでござる」
「で、それがどうかしたの、フォン?」
彼女が事情を伝えたのは、クロエ達のように反感で聞いたのではなく、何かしらの事情と考えがあるからだと確信していたからだ。
そして、フォンには確かに、意図があった。
「……国王陛下を仕留めるつもりなら、忍者であればもう実行に移してる。なのに、まだ何の挙動も起きていない。もしかしたら、敵の目当ては別のところにあるのかもしれない」
「別のところ?」
「そう。例えば、次期国王と噂され、手駒にすれば臣下を王や王妃よりも簡単に操れる人材がいるなら……しかも自分が狙われていないと思っているなら?」
ここまで言って、アンジェラが目を見開いた。
バルコニーで弓の暗殺も考慮せず、のんきに手を振る国王。あれだけ心配しておきながら、数日何事もないと同じく呑気になる王妃。いずれも、殺そうと思えば造作ない。
そうしないのは、機会を図るか、別の目的があるか。
フォンが予想する忍者の目的、それが誰も予想とは違うところにあると気づいたのだ。
「まさか……忍者の狙いが国王陛下ではなく、王子だと?」
アンジェラが絞り出すように言葉を紡ぐと、フォンが頷いた。
あくまで彼の想像に過ぎないし、話を聞いているクロエ達も、アンジェラも信じられないと言いたげな顔をしている。他の騎士達が聞いても、同じ顔をするだろう。
だが、フォンは忍者だ。忍者の作戦や行動を把握しているし、彼らがどんなタイミングで動くのか、何を狙いとしているのかを見定める力はある。そんな彼が結論として導き出したのは、かどわかされるのは、警護されている者ではなく、油断した者だ。
保証なし、仮定のみ、しかしもしも全てが的中していれば敵の思うつぼだ。
「可能性はある。いずれにせよ、王子がここにいるのは危険だ」
「フォン、ちょっと待って!」
いうが早いか、何かに突き動かされたかのように、フォンはアルフレッドに駆け寄った。
四人が慌てて彼を引き留める間もなく、フォンは騎士達と宮殿内の巡回に向かおうとするアルフレッドの肩に手をかけ、名を呼んだ。
「王子、アルフレッド王子!」
振り向いた彼は露骨に不快そうな顔をしていた。
「なんだ? 俺は忙しいんだ、それにお前にも、お前のやるべきことがあるはずだが?」
「ふん、まさか持ち場を忘れたとは言うまいな?」
「ぼさっと間抜け面をしおって……王子の貴重な時間を奪うとは!」
大臣達も彼に便乗するように文句を垂れていたが、フォンの目には入ってこない。
心配そうな顔の四人を引き連れたフォンが無言なのを見て、彼は一層苛立ちを募らせる。
「……いつまで黙っているつもりだ。話ならさっさとしろ」
剣の柄をとうとう鳴らし始めたアルフレッドと目を合わせたフォンは、彼の機嫌をどれほど悪くするとしても、自分の意見を伝えるべきだと思った。
「単刀直入に言います。忍者の狙いは国王陛下ではなく、貴方かもしれません」
「……なんだと?」
即座に実行した通り、アルフレッドの顔が歪んだ。
「失礼は承知ですが、もしも忍者が今の二人を狙っているのであれば、既に殺されています。仮に誘拐を狙っているとしても同じです。敵は四人の騎士を殺し、彼らが仕える相手を狙っていると思わせておいて、本来の目的を果たすかもしれないのです」
「それが、俺だと?」
「王子である保証はありません。ですが、そこの大臣や騎士、兵士、国民からの人望を考えれば、狙われないと考えない方が難しいかと」
「で、狙われているとして、俺にどうしろというんだ?」
「生誕祭の間、貴方を警護します」
フォンがこう言った瞬間、彼の頬を銀色の刃が掠めた。
アルフレッドが抜いた剣が、フォンの顔の直ぐ真横に突き付けられたのだ。
「王子!」
思わずアンジェラが叫び、仲間達が武器に手をかけた。そんな様子すら一切目に入れないほど、アルフレッドは侮辱に対する怒りに満ちていた。
「……フォンとやら、随分な自信家だな。俺からすれば見当違いも甚だしいがな」
「お主、師匠に向かって無礼な!」
カレンが爪を擦らせて吠えるが、王子は意に介さない。
「無礼はお前達の方だろう。俺を誰と心得ている?」
「誰であろうと、貴方に注がれる信頼は確かです。欠ければ、大きな損失となるほどに」
「俺をアルフレッド第一王子と知っておきながらなおもその言いぶりとはな。本来なら処罰してやりたいところだが、そこまで言い切るのであれば、理由位は教えておいてやる」
剣を静かにフォンから離すと、クロエ達も警戒を解いた。
周囲の騎士が武器を構えようとするのを制しながら、アルフレッドは口を開いた。
「どうして俺が、他の王子達のように王族しか知らない隠れ家に潜まず、宮殿で父上と母上を守っているか? 俺には責務があるからだ、第一王子として国を守る義務がな。王位継承に最も近い地位も、兵士や騎士からの信頼も、関係ない」
誠実にして、自己犠牲を厭わない勇敢な人だと、フォンは思った。
同時に、彼ほど忍者の策に嵌めやすい人間はいないとも察した。頭がよく、実直であればあるほど、忍者は簡単な策を使って相手を騙す。
「それに、忍者が父上でなく、俺を狙うだと? そちらの方がありがたい……連中を纏めて斬り払うには、都合がいいだろう!」
加えて、自信家であれば猶更だ。
(……)
フォンには、彼が葱を背負った鴨にしか見えなかった。
少なくとも、忍者の視線で見れば、そうでしかなかった。