王都ネリオスは豪奢だった。
 だが、王族達が政を行い、時として住まう王宮は、その何倍も豪華だった。
 一つの小さな村ほども大きい庭、盾を幾重にも重ねたような門、果てしなく続く柵。そこをくぐると、今度は最高級の材質で作られた宮殿と深紅の廊下が待っていた。
 四方八方に絵画が飾られ、彫刻が鎮座する。芸術点と見紛う空間にフォンですら圧倒される四人を引き連れるように、アンジェラはとてつもなく広い階段を上り始めた。
 階段自体はさほど長くなかったが、その先の廊下は別だ。一つ一つが異様なほど巨大な窓から射す日の光を背に受けるのは、甲冑に身を包み、長槍を携えた護衛兵だ。兜のスリットからこちらを見つめる視線を感じるが、アンジェラと一緒なので敵意はないようである。
 そんな輩が殆ど感覚を空けず、しかも微動だにせず並んでいるのだから、クロエ達がおかしなところだと思わないのには無理があった。

「しっかしまあ、とんでもなく長い廊下ね」
「それに護衛も多い。王様、臆病か?」

 住まう者達の弱さを鼻で笑うサーシャに、顔を向けずにアンジェラが答える。

「王宮なんてのはどこもこんなものよ。国王陛下はもともと政以外で民の前に出ないし、今は騎士の死で更に怯え切ってる。面には出さないだろうけど、内心じゃ暗殺者がいつ来るかって思うと夜も眠れないらしいわよ」

 確かに、これだけ防御を固めているのには、四騎士の死と未曽有の敵が背後にあるのだろう。常日頃から異様な警備をしているのだとすれば、精神科医を勧めたくなる。
 とはいえ、小さく頷いたフォンには、堅牢な防御もハリボテに見えてしまう。

「成程。この護衛の数なら納得できるね。尤も、ハンゾーが本腰を入れれば無意味だ」
「まだ攻め入られていないだけ、ということ?」
「彼が行動に移すとするなら、確実に事を成せる時だけだ。その瞬間まで潜伏し、虎視眈々と最良の時期を待ち構える。彼は蛇のような男だからね」
「そんな忍者が怖くて、王様と王妃様、揃って宮殿に引きこもりってわけ?」
「外にのこのこ出て行って殺されるよりはずっとましだし、私としてはありがたいわね」

 そんな話をしているうちに、廊下の中央に大きな扉が見えた。
 ようやく振り返ったアンジェラは少し神妙な顔で、四人に警告するように言った。

「着いたわ。ここが『謁見の間』よ、王族と大臣を通じて彼らに会える唯一の場所。一生に一度だって国民が入る機会がないような貴重な空間よ」
「王……というより、神様のような扱いでござるな」
「何を言ってもいいけど、首を刎ねられたくないなら言葉は選ぶようにしなさい」

 口が軽く、どこか乱暴な調子のカレンを窘めたアンジェラが一対の警護兵に合図すると、二人は頷いて扉を押し開けた。
 何かを引きずるような音とともに開いた扉は、凡人の目には映らない世界を見せた。
 そこは、まるで信じられないほど広大なダイニングのようであった。
 一つの長く広いテーブルを囲むように、髭の生えた老人や傲慢そうな禿げ頭、少しヒステリックに見えなくもない中年女性など、合わせて二十人近い人物が座っている。恐らく、国王の政治を支える重役、大臣達の殆どが揃っているのだろう。
 だとすれば、自分達から見て向かい側――最も遠いところに肩を並べて座っている初老の男女一組が国王、そして女王だとフォンは思った。
 贅沢極まりない宮殿や都市の在り方から、夫婦はきっと贅を極めたような身なりをしているのだと予想していたが、意外にも二人は大臣達とさほど変わらない、燕尾服に近いような恰好をしていた。常にマントを羽織るわけにもいかないのかもしれない。
 ただ、服装はともかく、顎にひげを蓄えた瘦せぎすの国王の、指を組んで肘をテーブルについてこちらを見つめる目つきは、間違いなく一国の主に相応しい威厳を孕んでいた。白銀の短髪もまた、彼の威厳に拍車をかけているようだった。

「国王陛下、アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサが戻りました」

 アンジェラが声高らかに宣言すると、大臣達が一斉に彼女を睨みつけた。
 彼らがぎゃあぎゃあと怒鳴り散らすよりも先に、王は静かに口を開いた。

「……考えを、改めてくれたか?」

 重い口調に対し、アンジェラは努めて平静に返した。

「いえ、私の考えは変わりません。生誕祭を取りやめるべきでございます」

 彼女の一声で、いよいよ大臣達はどよめき立った。彼らの目は、まるでアンジェラやフォン達を、国賊だと思っているかのようだった。
 一方で、国王はまるで動じなかった。彼女の返事を最初から知っていたように見えた。

「そうはいかん。知っておるだろう、この祭の取りやめ、それが齎す意味を? 四騎士を失い、ネリオスの守護が弱まったことが噂だとしても広まれば、今は危険だと」
「それでは国益を喜び、生誕を祝う祭ではありません。呪いの類です」
「バルバロッサ、貴様、国王に何たる口を!」

 とうとう、大臣の一人が立ち上がってアンジェラを指さした。しかし、国王が軽くテーブルを指で叩くと、熱くなったのに気付いてしまったのか、禿げ頭の大臣は半ば納得いかない態度で鷹の装飾が施された椅子にもたれかかった。

「……呪いだとしても、続けることに意義があるのだ。理解してくれ」

 国王がどうあっても折れないと察したアンジェラは、彼の説得を諦めた。

「……分かりました。ならば代わりに、私が推薦した者を護衛につけさせてください」
「少し前に話していたな。その者達が、果たして失われた四騎士の代わりになると?」

 彼女の代案は、再び大臣達を怒らせた。

「ふん、馬鹿馬鹿しい! たかだか冒険者如きに陛下の護衛など務まるはずがなかろう!」
「かの『王の剣』が、同僚が死んでとち狂ったか!」

 ところが、今度は国王が声を上げるよりも先に、隣に座る女性が口を開いた。

「おやめなさい、カリマ大臣、ベンデン護衛隊長」

 カリマ、ベンデンと呼ばれた二人の重役を冷静にさせたのは、同じく銀髪で、紺色のドレスに身を包んだ女性だった。少ししわが目立つ年齢なのだろうか、銀髪の中には白髪も混じっている。だが、ほの暗い覇気だけは若者にも負けていない。
 これだけの人物が死と闇を恐れるだろうか、あるいは強がりの一環だろうかとクロエ達が首を傾げていると、王妃が言った。

「……アンジー、彼らを護衛につけるということは、目に狂いのない貴女が認めるだけの実力を持っているのだと信じるわ。冒険者達の参加を、私は認めます」

 どうやら彼女は、アンジェラに対して信頼を抱いているようだ。
 国王もまた、同様だ。大臣達はどうしても一介の女騎士が国政に介入してくるのはどうにも気に食わないようだが、反論しない様子を見るあたり、国王夫妻の発言力は絶対であり、逆らえないものでもあるらしい。
 とにもかくにも、アンジェラからすれば好都合だ。

「ありがとうございます」

 深く一礼するアンジェラの後ろで、クロエとフォンがひそひそと話す。

「褒められてるって認識でいいんだよね、これ」
「だと思うよ。少し事情は複雑だけど、ひとまずアンジェラの提案は――」

 しかし、何事もうまくいかず、必ずトラブルが絡むのが政だ。

「――俺は反対します、母上」

 一度は閉じられたはずの扉が開き、凛とした声が聞こえてきた。
 フォン達が振り向いた先に立っているのは、多数の護衛兵士と、彼らを率いるようにして毅然と立つ、白金の鎧を纏った若い男性だ。
 アンジェラは彼に見覚えがあるようで、彼の名を呟いた。

「アルフレッド王子……」

 王子。
 彼がどのような立場にあるかを知ったフォンの前で、彼は――アルフレッドは告げた。

「いち冒険者の手助けなど必要ない。四騎士がいなくとも、俺と護衛達がいれば十分だ」

 他のどの大臣より、若きアルフレッド王子は冒険者風情を信用していないようだった。