王都ネリオス。
 周囲の都市と、高い壁によって完全に隔離された都市。ここに入るまでには三つのチェックをパスしなければならず、更に滞在票に記載された日数でのみ自由を許される。
 フォンやクロエ達は、正直なところ、鬱屈した閉鎖的な世界だと思っていた。金持ち達がいつ来るかもわからない襲撃者に怯えるような、空気の死んだ廃滅都市であると。
 ――だが、実態はその全てが真逆であった。

「へい、らっしゃいらっしゃい! そこのご婦人、立ち寄ってって!」
「旦那様、どうぞ! 新作の燕尾服でございます!」

 高貴な活気。正しくそうとしか表現できない世界が、五人の前に広がっていた。
 ギルディアよりずっと広い通りを埋め尽くす人々。露店などは一つもなく、代わりに冒険者の街では一等級に近い店がいくつも立ち並んでいる。それなりの衣服を纏う者は一人もおらず、呉服屋の店主ですら高級そうなシャツとズボンに身を包んでいる。
 そんな街なのだから、道行く人はもっと豪華だ。馬車の中から降りてくる貴婦人は華美すぎるほどのドレスを着て、両手が隠れるほどの指輪を全ての指に嵌めこんでいる。少し人を見下すような態度で話しているのは、家柄と立場の為せる技か。

「あら、いい柄のドレスね。後で使用人に買わせるわ」
「そこのイエローエメラルドを箱いっぱい、もらえるかしら」
「畏まりました」

 金貨百枚でも変えなさそうな大粒のエメラルドを、指さした木箱いっぱいに詰めさせる。その隣では、とんでもない数のドレスを使用人に運ばせている。
 少し離れた居住区の屋根が、ネリオスと都市を隔てる壁の大きな門からも見えてくる。一階建てのちんけな小屋など、きっとここには存在しない。
 総じて、およそ、ギルディアでは見受けられない光景だ。
 そんな景色が飛び込んできたのだから、忍者パーティが硬直するのも無理はなかった。

「……凄いね」
「ああ、凄い。今まで見たどんな都市よりも豪奢だ」

 フォンですら呆然とするのを楽しそうに見つめながら、アンジェラは微笑んだ。

「ようこそ、王都ネリオスへ。王都騎士アンジェラが、貴方達を歓迎するわ」

 老若男女問わず、全てが高級な世界観に呑まれながらも、フォンが言った。

「人の多さもそうだけど、質もかなり違うね。普段からこれだけの往来が?」
「いいえ、この数日間だけよ。普段はこの半分にも満たない富裕層や王族、有権者達がのどかに生活する都市って感じね。日常とのギャップが好きって変わり者がたまに直前になって移住してくるけど、だいたいはお高く留まった金持ちばかりね」
「それはいい意味で? 悪い意味で?」

 彼が問うと、歩き出しながらアンジェラが頷いた。

「どっちもよ。私は騎士の名家である人達と話すのは好きだし、だからと言って宝石を箱買いするような成金を好いているわけでもないしね」
「うん、だいたい分かったよ。ネリオスがどういう場所なのかっていうのはね」

 てくてくと、四人も彼女のあとについて行く。
 きっと、ここからでも正面に見える、とてつもなく広大な広場と、その奥にあるこれまたとんでもなく大きな宮殿へと向かっているのだろう。それこそ、あそこに王族が住まっていなければおかしいと思えるほど巨大な宮殿だ。
 歩道はがやがやざわざわと、籠に詰め込まれた鳥のように騒がしい。

「うー……サーシャ、頭、痛い……人、多すぎる……」

 サーシャはこんな環境には慣れていないのか、少し頭がくらくらしている様子だ。カレンもまた、慣れないながらにすれ違う人々を見つめている。

「ギルディアとは比べ物にならない人混みでござるな。右も左も商人か金持ちだらけ、こんな中に忍者が紛れていると、いくら拙者の五感でも見抜けないでござるよ」

 どうやら先ほどからずっと、忍者と思しき相手を見つけようとしているようだ。猫の目をかっと見開いて凝視している姿は、冒険者らしい格好も相まってかなり目立つ。
 どこぞの貴婦人が白い目で見つめているのも構わずに、ぎょろぎょろと目を動かすカレンの頭をわしゃわしゃと撫でながら、フォンは彼女を諫めた。

「僕が見たところ、忍者らしい相手はいないね。カレン、こういう状況なら変装した忍者を無理に探そうとするより、この場に無理矢理合わせようとしている人を探すんだ」
「合わせようとしている人、でござるか?」

 彼の暗い目は、誰を凝視しているわけでもなかったが、全ての人を見抜いているようだ。

「うん、これだけ特殊な環境に同化しようとすれば、どれほどの忍者でもぼろが出る。特にばれないように努めるような素人忍者なら猶更だ。ハンゾーが即座に打って出なかったのも、人が集まりすぎている環境では不利だと判断したからだろう」
「う、ううむ……師匠が言うなら、そういう風にやってみるでござる!」

 ぐぬぬ、と唸るカレンを楽しそうに見つめるフォンだったが、彼もまた、警戒しているのは事実だった。
クロエやサーシャから見ても、彼の目は潜んだ敵意を孕んでいるようだった。もしも今のフォンに近づいて奇襲をかけようものなら、きっと彼の両手足を縛って目隠しをしても、たちまち首を刎ねられてしまうくらいには、彼には隙が無かった。

「だけど、裏を返せば、ハンゾーが本当にこのネリオスを狙っているのなら、少しずつ侵食しているはずだ。騎士の大胆な殺害と拷問に隠れて、何かを潜ませているかもしれない」

 忍者の長の生存と邪悪な計画を信じるフォンだが、クロエは未だに猜疑的なようだ。

「ハンゾーが本当に生きていて、計画を練っているのならね」

 彼女とて、フォンを疑っているわけではない。ただ、アンジェラの持ってきた情報が偶然の産物でないか、誤ったものではないかと思っているのだ。
 アンジェラもそんな彼女の視線に気づかないほど、間抜けではない。
 見つめ返す女騎士の目は冷たくなかったが、代わりに挑戦的でもあるようだった。少なくとも、フォンに対する顔とは明確に違っていた。

「あら、フォンを疑うのかしら?」
「フォンを疑っているわけじゃないよ。クラークの脱走とかも含めて、いろんな事態が起きてて混乱してるってだけ」

 じろりとにらみ合う二人は、どうやら長い共闘を経てもまだ、あまり仲が良くないらしい。
 そんな双方の関係性を知ってか否か、フォンはやや諦めた調子で、口だけ割って入った。

「とにかく、護衛する相手とも色々と話さないといけないね」
「そうね。それじゃあ、王宮に案内するわ」

 肩をすくめるアンジェラは、再び四人を先導して歩き出した。
 絢爛たる都市の果てに聳え立つ宮殿までの道のりは、もう少しありそうだった。