それからの数日間、忍者の里の跡地は何年かぶりに騒がしくなった。
 忌避剤の効果が薄れたのか、或いは人間という新しい森にとっての餌が入って来たからか、野生動物や魔物が活発に動き始めたのが大きな理由だ。
 特に、里から少し離れた『修練の森』においては、その活動が顕著だった。
 今この瞬間も、魔物達が大暴れし、あてのない突撃を続けていた。

「グルオオォォ!」
「ガルアアァッ!」

 中でも最も脅威となるのは、この『マッドホーン』の群れだろう。
 人の倍ほどもある体躯と派手な赤色の肌、体と同じくらい巨大な尖った一対の角を有する鹿のような魔物は、恐るべきことに肉食で、しかも一度興奮状態に至ると、群れを成して際限なく暴れ続ける。十頭以上の群れが到来し、村落が滅びた記録もある。
 そんな危険な魔物が涎を撒き散らし、血走った目で突進する理由は分からない。ただ一つ、確定的に言えるのは、奇怪な怒鳴り声をけたたましく鳴らしながら、森の全てを踏み潰そうとしていることだけだ。
 辺り一面が震動するほどの蹄の音を響かせるそれは、忍者の里の方角へと向かおうとしていた。このまま突き進めば、里の跡地を平らに均してしまうだろう。
 ――進撃するマッドホーン達を阻むように立つ、彼女がいなければ。

「……ふー……」

 邪悪な魔物の猛進を目の当たりにしても、背の高いその女性は逃げようとしなかった。
 両手に携えた鈍色の、竜の胴体と顔を形取ったようなメイスを握り締め、彼女は仁王立ちしている。表情を微塵も変えない、武器と同じくらい武骨な少女は、やがてゆっくりと顔を上げ、眼前まで迫ってきた猛獣の群れに対し、前進という道を選んだ。

「――はあぁッ!」

 しかも、振り上げたメイスで最前線のマッドホーンの顔面を殴りつけた。

「ガギャウ!?」

 強靭な魔物の頭蓋骨が砕け、脳が潰れる音が聞こえた。どう、と斃れた魔物の亡骸を見た同胞達は、暴走の切っ先をたちまち障害物に近しい女性へと変えた。
 しかし、彼女は未だ動じない。左右の屈強な腕に構えたメイスは、中央部分に黄色く光る宝石が埋め込まれており、魔物を殴る度に鈍く輝く。

「でりゃあッ! ふんッ! おおらあぁッ!」

 勿論、これはただの宝石や飾りではない。
 高く跳び上がった彼女が、角を振り回すマッドホーン達の居座る地面目掛けてメイスを叩きつけると、黄色い宝石から凄まじい衝撃波が放たれた。屈強な体を持つ魔物が耐え切れずに転び、木々が薙ぎ倒されるその衝撃は、臼砲の着弾十発分に等しい。

「「グオアアアァッ!」」

 尤も、これで全てを倒し切ったわけではない。当然ながら、耐えた魔物も存在する。
 仲間の屍を盾にして生き残ったマッドホーンは、二つのメイスを一つに連結し直した彼女を轢き殺さんとばかりに突進してくる。

「むっ……!」

 今度こそ頭を叩き潰してやろうと構えたが、その必要はなかった。

「――よっと、『雷槍矢』(ボルトスピア・アロー)!」
「忍法・火遁『神猫(しんびょう)の術』!」

 どこからともなく放たれた金色の矢と赤い炎が、魔物の残党を焼き払ったのだ。

「ギュウッ……」

 黄金に光る矢は突き刺さった場所から雷撃を迸らせ、炎は巨大な猫――獅子の形を模して魔物達を蹂躙した。魔法にも似た途轍もない力を浴びせられたマッドホーン達だったが、中央に陣取るメイスを握る女性にだけは攻撃が当たらなかった。
 咆哮を漏らす余裕すら与えられず、五頭ほど残っていた魔物達は悉く焼き払われた。
 屈強な女性はさほど驚いた様子を見せず、メイスを革製の紐に括りつけて背負うと、木々の間から此方に向かってやってくる二人組に声をかけた。

「……クロエ、お前、『魔法の矢』を会得した?」

 彼女―――サーシャの前に現れたのは、クロエとカレンだった。衣服は全体的に暗い基調の変化が加えられているが、間違いなく彼女達だ。
 見慣れた金髪と青髪を含めた、合わせて三人の少女達は、忍者の里で修行を続けていた。そうして十日ほど鍛錬を積み、ようやく忍者の力を手に入れたのである。
 当然、十日ぽっちの短期間で、しかも自分達だけで力を獲得したわけではない。ここにいないとある忍者と、地下に隠されていた巻物のおかげで、早期の強化が可能となった。そんな三人は魔物の亡骸と変形した土地の真ん中で、互いの新たな能力を見せあった。

「その筒、『魔宝玉』、入ってる。自然のエネルギーを取り込む、不思議な宝玉。トレイル一族、村の宝にしてた。魔法の力、使えなくても、それがあれば使える」

 サーシャが指差したのは、クロエの背負った矢筒。地下の祭殿に納められていたもので、黒い矢筒には虎の文様が施され、微かに青く光っている。かっと見開いたその目には、恐ろしくも神々しい宝玉が埋め込まれていた。
 背負った筒を見せびらかすようにくるりと回り、クロエが言った。

「だね。矢に魔力を注ぎ込む為に、筒にエネルギーを溜めておく必要はあるけど、雷と炎、風の属性魔法の付与は上手くできるようになったよ。サーシャも、それを使いこなせてるみたいだね」

 筒に入れた矢を魔法で強化する。忍術とは縁遠いが、これらもマスター・ニンジャの修行の場で学んだ力だ。やはり、忍者は魔法と決して遠くない位置づけにあったのだ。
 サーシャが手に入れた一振りにして一対のメイスも、祭殿から手に入れた。これにもやはり、魔法が使えない人間にすら魔力を伴った打撃を叩き出させる仕掛けがある。二人とも、当初はまるで使いこなせなかったが、今では手足の如く振り回せるようになった。

「サーシャ、二刀流、初めて。でも、慣れた。サーシャ、強いからな」
「叩きつける瞬間に武器に内蔵された『魔宝玉』に大気中の魔力を溜め込み、打撃と同時に解き放つ。しかも武器は分割できて、どちらも同じ破壊力を維持できる。こんな武器、ギルディアじゃ金貨何枚あっても買えないよ」

 彼女がサーシャの武器を褒めていると、自分も、自分もと言わんばかりにぴょんぴょんと跳ねるカレンの姿が目に映り込んできた。

「クロエ、サーシャ! 拙者の、拙者の忍術も凄かったでござろう!?」
「うん、炎が猫の形を取って魔物を襲うなんて初めて見たよ。あのマリィでも、きっと同じことはできないね」
「それだけにござらん! 魔法のノウハウを取り込んだ拙者オリジナルの忍術に加えて、新たな力を手に入れたでござる! それが……これでござる!」

 跳びはねるのをやめたカレンは、目を軽く瞑ると、かっと見開いた。
 猫の魔物である彼女の瞳は、元より黒点が細く、不可思議な様子だった。だが、今の彼女の目はそれよりもずっと妙で、ある意味では綺麗だった。

「……どうしたの、その目?」

 彼女の紺色に光る目には、星型の文様が刻まれていた。