陽もすっかり暮れて、街の酒場に明かりが灯る。
 総合案内所からすっかり離れたとある酒場にも、人がたむろしていた。その中に、煙玉でクラーク一行から逃れたフォンとクロエ、サーシャはいた。
 三人で円形のテーブルを囲み、ジョッキを一人一つずつ。ありふれた光景だ。

「がふっ、がふがふ! もぐ、はふはふっ!」

 山のように積まれた肉料理を、片端からサーシャが平らげていく姿を除いて。
 凄まじい量を、凄まじい速度で食べ進んでいく。比較的細身な彼女のどこに、それほどの量が入っていくのか考えにくいほど食事に没頭するサーシャの隣には、空になった皿が大小合わせて、少なくとも十枚は積まれている。

「よく食べるなあ、トレイルさん」
「……あたしの奢りってこと、忘れてないでしょうね」

 微笑ましく見守るフォンと、げんなりした様子のクロエに、サーシャが言った。

「はぐ、もぐ……サーシャ、助かった。お前らのおかげ、ありがとう」
「はいはい、どういたしまして。あんた、トレイルだっけ? ここらで見ない顔だけど、どこから来たの?」

 手にした骨付きチキンを骨ごと噛み砕き、サーシャは答えた。

「サーシャでいい。サーシャ、北のトレイル一族の最後の生き残り。魔物を狩る一族。この辺り、強い魔物、多いから来た」
「つまり、冒険者の中でも、魔物を狩る専門ってわけね」

 魔物の討伐が専門である冒険者は、そう珍しくない。何かしらを探すよりも、敵を見つけて殺す方が得意だと言うだけならば。
 彼女が特殊なのは、人間に対しても、過剰なまでに攻撃的な面だ。

「魔物の専門家が、どうして人間と戦うのに、あれだけの暴力を?」

 フォンが問うが、サーシャの返事は、さも当然であるかのようだった。

「トレイル一族、敵意を向けた奴、許さない。一度戦った相手、どちらかが死ぬまで戦う。サーシャ、一族の最後の一人。掟を守る、サーシャの誇り」

 戦いに、正義も悪も、弱者も強者もない。ただ戦い、負けたものが死ぬ。そして死ぬまで続けるのが、サーシャの誇り、トレイル一族の掟なのだ。

「お前も、サーシャの敵。今日は助けてくれた、感謝する。けど、決着はつける」

 じろりと睨んだサーシャに対して、フォンはどうしても自分に彼女を重ねてしまった。
 誇りというよりは、掟に縛られ、己の幸せを捨てかけていた自分に。

「……誇りとか、掟よりも大事なものも、あるんじゃないかな」
「ない。生まれた地の誇り、生き死により大事」
「僕もそうだった、忍者の誇りだけを糧に生きようと、影に徹した。けど、クロエと一緒にいて、それだけが全てじゃないって気づけたんだ。だから……」

 それでも変わろうとするフォンに、サーシャがぴしゃりと言った。

「お前、強い。あの男達より強い」
「え?」
「その力、どうして使わない?」

 サーシャは、彼をクラークより強いと判断した。しかし、その目に浮かんでいるのは尊敬ではなく、ある種の侮蔑だった。どうして藻掻くのかと、選ばれた道を進まないのかと、サーシャは本気で問いかけていた。

「力、戦う為にある。お前、誇りと力、生まれ持った掟、全部揃ってる。お前、サーシャより気高く生きられる。けど、お前、そうしない。サーシャ、お前が分からない」
「……僕も、まだ分からない。でも一つだけ分かってる――道は、一つじゃない」

 フォンは、こう言い返すので精一杯だった。
 今の方が満たされているのは確かだ。けど、忍者としてずっと生きてきて、さっきみたいな忍術の使い方が正しいのか。己の為の使い方が正しいのか、彼はまだ迷っていた。
 そんな彼を見て、サーシャは関心を少し失ったようだった。

「お前、変な奴。サーシャ、満腹、帰る」

 手元にあったステーキを乱暴に齧り、テーブルにもたれかからせていたメイスを背負い、彼女は酒場を出て行った。

「あ、ちょっと……行っちゃった」
「…………」

 残されたフォンに、クロエはジョッキの中身――レッドビールを飲みながら言った。

「フォン、生き方は誰にも強制されない。あんたが忍者の里でどんな生き方を強要されたのか知らないけど、そっちを選ぶのも、別の道を選ぶのも、あんたの自由」

 クロエは、妙な出自はない。奇妙な掟も、風習もない。

「何ができるかじゃない、何をしたいかだよ」

 だからこそ、彼に微笑みかけ、勇気づけることができた。

「……ありがとう、クロエ」
「どういたしまして。さあ、夜は長いし、祝賀ってことで、まだまだ飲むわよーっ!」

 自らが生きる道。選んだ道は、本当に正しいのか。
 そんな悩みは、クロエとの酒の席で、頭の隅に押しやられていった。