(……カレンが? 僕の記憶の中では、名前を知っているだけのはずだ。そこまで深い関係性にあったのか?)

 猫の魔物に人の姿を与え、忍術を教えた忍者。
 忍者であるだけでなく、十二代目と聞いた際に自分が反応を示していた以上、フォンも何かしらの認識があると思ってはいたが、まさか先代の計画に協力していたとは。有り得なくはないとしても、やはり驚愕は隠せない。

「カレンですか。彼女は近頃見かけませんが」
「……死んだよ。多分な」

 しかも、先代の口から、淡々と彼女の死が告げられた。死に関していうならば結論を知っていたが、自分が死の要因を記憶に残していながら今のカレンに伝えられなかったのは、フォンの後悔にすら繋がってしまう。

「暫く前から、彼女には禁術を記した巻物の処分を頼んでいた。ハンゾーの手札を減らす為に方々で焼却させていたんだが、あいつも勘付いたみたいだ。少し前に追手を出して、それっきりカレンとの連絡が途絶えた……つまり、そういうことだろうな」
「処分は出来たと?」
「忍者の在り方に悩み、使命を全うするのがカレンだ。きっと、禁術は処分できたさ」

 しかし、彼女は責務を全うしていた。
 先代カレンは禁術の巻物を処分し、忍者の恐るべき術を後世に残さなかった。ハンゾーの追手に始末された時点では、巻物の殆どを焼き払っていたに違いない。

(……正義の為に使命を果たす……その遺志を、今のカレンが継いだというわけか)

 フォンが感傷に浸っていると、先代が話を続ける。

「それに加えて、俺はハンゾーが侵攻を企てている国に忍者の情報をリークした。あいつの目論見を全て話した……軍の上層部は、極秘裏に対策を練ってくれている」

 忍者の情報を里の外に漏らしてはならない。掟の中でも最も早く学ぶ項目だ。影に忍ぶ者達を世間が知ってはいけないのは当然だが、まさかマスター・ニンジャともあろう人物が、よりによって国の上層部に情報をリークするとは。
 感情など一切無いかのようにふるまっていた記憶の中のフォンだが、ようやく僅かに眉を細めた。これまでの会話もそうだが、掟を破ったどころでは済まない愚行を犯していたからだ。それこそ、如何なる役職の忍者であろうとも死罪に処されるほどだ。

「……忍者について、話したのですか? 掟が決して許しません」

 一方、先代は何を今更と言いたげな顔をしていた。

「分かっている。けど、掟はもう関係ないんだ。このまま放っておけば、ハンゾーは……いや、忍者はいずれ世界を掌握する。レヴォルを含めた危険な種は芽吹きつつある……忍者を滅ぼしてでも、俺達が止めるしかないんだ」

 ここまで来て、フォンはようやく察した。
 先代フォンはハンゾーを殺すだけでなく、忍者の野望を止めるだけでなく――忍者の里そのものを完全に滅ぼしてしまおうと考えているのだ。
 というより、そうする他なかったのだろう。ハンゾーに他者を洗脳する能力があるとして、彼に逆らえる人間がいないとして、レジェンダリー・ニンジャ一人を始末したところで何も変わらない。ならば、全員を殺すほかない。
 忍者の歴史と繁栄より、先代は世界の安寧を選んだのだ。
 ここまで聞けば、フォンの断片的な記憶にも整合性が生まれてくる。

(そうか……先代は、ハンゾーの企みを止めるべく動いているんだ。つまり、僕が忍者を皆殺しにした記憶は、先代と共に忍者の野望を止めた時の記憶なのか……)

 焼け野原に立つ自分は、きっと先代と共にハンゾーやその他の忍者を殺し、国家侵略の野望を止めた後の姿だったのだ。狂気の果ての姿でないと保証されたような気がして、フォンは正直、ほっとしていた。
 師匠が正義を成したのも、フォンにとっては嬉しかった。数少ない記憶と過去の残滓にのみによって構築された男が正しい道を歩んでいるというのは、勇気を分け与えられる。

「……もう一度聞くぞ、俺の命に従い、忍者を滅ぼしてくれるか?」
「師匠の命令に従います。それが俺の存在理由です」
「……ありがとうな、三代目。お前がここに来てからずっとの仲だ、信じてるぜ」

 フォンの胸中に、はにかむ師匠との思い出が蘇る。
 里にやって来た彼の面倒を見続けたのは、先代だった。彼の中にある類稀なる才能ではなく、人形のような生き様を見て不安に思ったのか、何かと彼の世話を焼き、時には共に任務に臨み、時には同じ釜の飯を食べた。
 思い出として残るそれらは、一瞬で頭を過っていったが、確かにフォンの記憶の中にあった。多くの邪悪さを伴う忍者の里において、唯一と言っていいほど彼は人間らしさを残した人物であり、感情と抑揚のない当時の彼にとっての拠り所だったように覚えている。
 だが、決意を固める師弟の話を聞くフォンの中に、新たな疑問が芽生えた。

(……だったら、どうして先代はいないんだ? 何故――)

 仮にフォン師弟がハンゾーの野望を食い止めたとして、どうして先代はいないのか。
 責務を果たす際に散ったのか、或いは別の要素で死んでしまったのか。フォンが心の中で疑問を口にするよりも先に、目の前の風景が大きく歪み始めた。
 人も、家屋も、外の景色も何もかもが歪んでゆく。フォンの意識も少しずつ歪んでゆき、まるであらゆる方向から精神を引っ張られ、千切られるかのような感覚だ。

(な、なんだ!? 視界が渦巻いて、どこかに、飛ばされる……ッ!?)

 本の次のページをめくるかのように、あらゆる光景が途切れてしまう。
 最初からそんなものはなかったかのように、全てが黒く塗り潰されてゆく。
 溢れる自然が、忍者達の声が、一切合切が漆黒に呑まれてしまった空間で、フォンは思わず目を瞑った。そうしてもう一度目を開いた時、彼の魂が立っているのは――彼が借りたかつてのフォンが立っているのは、小さな小屋などではなかった。

(…………なんだ、ここは……)

 忍者の里。しかも、最も忍者達が集まる広場だ。
 ただし、様子は異様極まっていた。最初にフォン達が調査に来た跡地がそのまま残っているが、辺りは赤く染まっている。星が見えるほどの夜空が広がっているのに、視界がおかしくなったのかと思えてしまうくらい、周囲が明るく、熱いのだ。

(熱い、それに人の濃い匂いだ……血の匂いも混じっている、何が起きているんだ――)

 相変わらず自分の意志で動けない状態にやきもきしていると、後ろから声が聞こえた。

「よもや里に火を放つとはのう、愚か者め」

 ぞくり、と背筋を蛇が這うような感触が伝った。
 彼が決して望んだわけではないが、声がした方に振り向くと、そこにいたのは黒い着物を纏い、木製の杖を携えた、全身包帯塗れの老人。
 フォンは、彼に見覚えがある。先代以上に、忘れるはずがない。

(この声、姿……レジェンダリー・ニンジャ、マスター・ハンゾー!?)

 忍者の里の長にして唯一のレジェンダリー・ニンジャ、ハンゾーだ。
 だが、フォンの視界に飛び込んできたのは彼だけではない。燃え盛る里の建物、木々、何もかもを背にして老人の傍に着いているのは、里に属する忍者のほぼ全てだ。
 位の高いマスター・ニンジャをはじめとして、フォンの同期の忍者や先輩にあたる者、そして白い髪と肌を有するレヴォルもいる。リヴォルはきっとまだ隠れているのだろうが、誰もが同じ黒装束に身を包み、彼と向かい合っている。

(ハンゾーだけじゃない、他のマスター・ニンジャに忍者、レヴォルもいる……どうしてだ、先代はどこにいるんだ!?)

 振り向こうにも振り向けない彼の前で、ハンゾーが包帯の奥から嗤った。
 蛇がしゅうしゅうと鳴くような声と共に、フォンはようやく先代がどこにいるかを知った。ハンゾーが見つめる先へと視点を許されたことで、やっと師匠の姿に気づけた。

「儂を出し抜こうとする度胸は認めるが、間抜けにもほどがあろうて。せめて冥土の土産に、我が捨て往く里の残骸を墓としてくれてやろう――」

 フォンは、心の底から、この目が見据える風景が幻覚であればと願った。
 理由は簡単だ。

「――では、始めるぞ。反逆者、二代目フォンの処刑をな」

 死に瀕した先代フォンの姿が、炎に照らされて浮かび上がったのだから。