勢いよく落下してくる天井に埋め込まれた刃物は、びっしりとは設置されていなかった。
 それだけが唯一の幸いで、それ以外は最悪の極みだ。いくら不揃いな刃だとしても、天井から高速で落ちて来れば串刺しは免れないし、仮に刃を避けきっても圧死する。
 何より、今回の障害物は鉄球とは違う。簡単に破壊できないのは明白だ。

「逃げ道がないでござる! あんなのをメイスでも壊せないし、どうしたら……」

 出口のない四方の壁をおたおたと見回すカレンを落ち着かせるように、フォンが言った。

「慌てないで! ここがもしも修業の場なら、侵入者を排除するのではなく、解除する為の策があるはずだ! 松明を持ってくれ、カレン!」
「しょ、承知!」

 松明をカレンに投げ捨てた彼は、サーシャと共に部屋の真ん中に立ち、手を掲げる。

「クロエはそこにいて! サーシャ、天井を支えるぞ!」
「分かった! ふん、ぐうおおぉっ!」

 そうして、刃の間をすり抜けるようにして、四人を叩き潰そうとする天井を受け止めた。
 この二人はパーティの中でも特に筋力が強いが、だとしても相当堪えるようで、筋肉が悲鳴を上げる音が聞こえた。少しでも油断すれば腕の肉が千切れてしまいそうな二人を、クロエとカレンはただ見つめるばかりだ。

「フォン、サーシャ!」

 まっすぐ伸ばしていた腕が少しずつ曲がる。背も同様だが、サーシャは強がって唸る。

「サーシャ、力持ち……これくらい、軽い……!」

 一方で、忍者は現実が見えているようだ。忍者の強靭な腕力で以ってしても、とてつもない重量の天井を支え続けることなど到底できないと。

「まずい、このままじゃ僕達全員が圧し潰される……吊り天井の罠の解除に必要な要素は、必ず同じ部屋の中にある……なら!」

 だからこそ、彼は記憶を手掛かりに、罠を解除する道を選んだ。
 血管が浮き出るほど力を込めて、僅かに天井を押し上げたフォンは、カレンに吼えた。

「カレン、松明と爪灯で部屋の四隅を照らしてくれ! どこかに少しだけ他の壁と違う色の場所がある! それをスイッチのように押し込めば扉が出てくるはずだ!」
「こ、これまた承知でござる! 壁、壁の四隅……!」

 師匠の命令を受け、どたばたと慌てた調子で壁を照らしてゆく。
 ここの壁はいずれも鈍色で、どこまでも続くそれは全く変わらない。フォンの言い分が正しければどこかに特徴があるはずだが、それらしいものはまるで見当たらない。仲間の命がかかっている分、彼女の猫の目が細くなり、僅かな傷、汚れすら見逃すまいと凝視する。
 右の壁、左、背後。必死に、且つ的確に目を凝らしたカレンは、とうとうそれを見つけた。

「あったでござる! しかし師匠、窪みが小さくて狭くて、拙者の爪では……」

 しかし、彼女の言う通り、そこはスイッチとは呼べなかった。
 カレンの爪も届かない、指の太さほどもない奥まった窪み。解除スイッチであるとすればこれ以外には考えられないのだが、こんなものを押し込むなど到底出来そうにない。
 そうこうしているうちに、フォン達は重量に圧し負ける。カレンがどうしようかとおたおたしていると、背後から凛とした声が聞こえてきた。

「――だったら、あたしの出番だね。カレン、そこをどいて」

 クロエだ。弓矢を構え、窪みに鏃を向けている。

「弓矢で押し込めば、きっとスイッチも起動するはずッ!」

 猫娘がばっとその場を退いたのとほぼ同時に、クロエは矢を放った。
 やや鈍い音と共に、矢は窪みへと突き刺さる。人間の指や爪よりもずっと奥深くを貫かれたそれは、複数の何かが噛み合ったような音を出した。

「よし、刺さった!」

 すると、フォン達を圧し潰そうとしていた天井が急に軽くなった。正確に言うと、何かに巻き上げられるかのように、天井そのものがゆっくりと元あった場所へと戻っていくのだ。刃物も併せて上がっていくのを見て、柱の代役はようやく力を抜けた。

「天井が、引いていくでござる……助かったでござるか……?」

 カレンは安堵した様子だが、今度はクロエの額を冷や汗が伝う。

「……ううん、二重の罠が仕掛けられてるみたいだよ」

 何故なら、部屋の外でからくりが噛み合う音は、天井が上がり切っても収まらなかったからだ。つまり、もう一つ別の罠が待ち構えているのだ。
 何が起きるのかと一同が問いかけ合うよりも早く、第三の罠は姿を現した。
 即ち――正面の壁に開いた二つの穴から放たれる炎である。しかも勢いが凄まじく、あっという間に部屋中を埋め尽くしてしまうほどの轟炎なのだ。

「火だと!? サーシャ、火、嫌い!」
「解除と同時に別の罠が発動するのか! 間違いない、これは試練だ! 僕達に一つ一つの罠を解かせて先に進ませる為の試練なんだ!」

 罠の作成者の意図が分かったところで、部屋を舐め回す炎の対策ができないと意味はない。幸いにも今回は、フォンの仲間に炎のスペシャリストがいた。

「ふむ、試練でしかも火が相手なら、拙者の出番でござるな!」

 今度こそ自信満々に、火から逃げるクロエを庇うように立ったのはカレンである。
 彼女はまたもポーチから枯草を――しかも今度は青と黒色の混ざり合ったこれまでと違う草だ。カレンの火遁忍術は、燃やす薬草の種類で効果を変える。
 今回用いるのは、炎に対抗するべく編み出した、特殊な忍術だ。

「忍法・火遁『枯草炎壁』(かそうえんへき)!」

 襲い掛かる火に激突した薬草はたちまち燃え盛り、何と青い炎と化した。
 かつてジャスミンを燃やし尽くした炎に類似したそれは、吐き出され続ける火を呑み込んだどころか、放射装置となっている二つの穴にまで届き、燃やし返したのだ。
 めらめらとうねるカレンの忍術は、恐ろしい罠を弾き返すだけに留まらず、穴の中まで攻撃を押し込んだ。そして炎が完全に部屋からなくなると、カレンが放った青い炎もまた、すっかり消え去ってしまった。
 すっかり焦げて黒く染まった、鈍色の壁を背にして、彼女は自慢げに言った。

「拙者の炎は火すら超えるでござる! どうやら時間が経てば消える仕組みのようだが、その程度の罠が師匠仕込みの忍術を超えられるわけがなかろう!」

 どや、と胸を張るカレンに対し、三人は今回ばかりは褒めてやらなければと思った。

「流石は忍者だね、カレン。ところでフォン、あれ……」

 クロエが彼女の頭を撫でていると、真っ黒になった壁に異変が起きた。
 地鳴りのような揺れと共に、壁が天井と同じように上がっていった。鼓膜に響く音と一緒に、四人の目の前に現れたのは、これまた漆黒の通路だった。

「壁がせり上がって、廊下が……?」

 ただし、先程までと違うのは、四人が横に並んで歩いても有り余るほど幅が広く、松明の微かな明かりに照らされて、端に人間の姿を模した巨像がずっと奥まで鎮座しているところだ。石造りの装飾が、果て無く続いて見えるのだ。
 三つの罠を超えた先に待つ、一つの終着点と思って良いのだろうか。
 だとすれば、生涯としては随分と簡単すぎる気もする。

「……どうやら、僕達はひとまず認められたみたいだ。行こう」

 とはいえ、進まない理由もないのだ。
 彼らは頷き合い、狭苦しい空間から、広い廊下へと足を踏み出した。