ずっと続く階段は、外の光が差し込んでいる間には足元が見えた。
 とはいえ、やはり暗いものは暗い。闇夜に目が慣れているフォンとカレンは問題なさそうだが、クロエとサーシャは目を半分に細めているようだ。

「分かっちゃいたけど、流石に暗いや」
「見えなくもない。サーシャ、目はいい」

 サーシャの強がりを察したカレンが、枯草を鞄の中から取り出した。

「ここは拙者にお任せあれ! 忍法・火遁『爪灯』(つめともしび)!」

 彼女が爪で焦げ茶色の草を擦ると、カレンの長い爪に炎が点った。普通の人間であれば、いかに爪の先とはいえ火が点けば半ばパニックにでもなりそうなものだが、彼女は修行の賜物か、けろりとしている。

「うわっ、火が点いた! カレン、熱くないの!?」
「長い爪の先だから熱くないでござる! 師匠の松明にも火を貸すでござるよ!」

 カレンが三人に指先を突き出すと、フォンが松明を取り出し、火をつけた。
 普段ならこういった気遣いはフォンの役割だが、今の彼は自分の事柄に集中しているところがある為か、暗さをさほど感じていないようだった。
 だから、爪から火を受け取った彼は、ようやく弟子に微笑みかけた。

「火種は節約したいからね、凄く助かる。ありがとう、カレン」

 師匠に褒められた彼女は、尻尾をこれでもかと振って、頬を赤く染めた。

「ど、どういたしましてでござる! うぇへへ……」

 どこか朗らかな雰囲気を纏いながら、一行は階段を下りてゆく。
 てっきり階段が崩れ落ちたり、天井が崩落したりといった危険が待ち構えているかと思っていたが、特に何かが襲い掛かってくる様子はなかった。
 また、灯りをともすと、さほど階段は長くないようだった。闇が深いばかりで、実際には暫く歩いていれば階段は終わり、平坦な石造りの道が現れた。

「階段が終わったね。ここから先は……やっぱり、真っ直ぐ進むしかないみたいだね」

 これまた暗黒の続く、四方八方に何もない道だが、もうカレンは怖れない。

「奥に扉が見えるでござるな。そう遠くないでござる、行くでござるよ!」

 だっと駆け出したカレンだったが、残念ながら、こういう状況では蛮勇よりも慎重すぎる方が長生きできる。というより、忍者を名乗るならばそうあるべきなのだ。
 だから、フォンが彼女を制止するのは当然だった。

「駄目だ、カレン! 待て!」

 尤も、手遅れでもあったのだが。
 師匠に呼ばれてようやく足を止めたカレンのサンダルの底にあったのは、隆起しているのかどうか、はっきり見ないと確認できないほど小さな石の膨らみ。
 しかし、それは彼女の重みを一身に受け止め、確かにかちり、と音を鳴らした。

「……へ?」

 ようやく彼女が危険性を認識した時には、何もかもが遅かった。カレンを含めた四人が硬直していると、地鳴りのような音が響いた後、何かが闇の奥から迫ってきた。
 回転する物体――それは、通路を埋め尽くす、巨大な球だった。

「な、なな、なんでござるかああぁぁ!?」

 しかも、ただ大きな球ではない。てかてかと鈍く光る材質と、通路の床を削る重量からして、鉄でできているに違いない。あんなものが命中すればと思うと、カレンが悲鳴を上げ、毛を逆立てるのも無理はない。

「鉄球の罠だ! 一旦退いて……」

 咄嗟にフォンが踵を返そうとするが、通路が彼らの動きを読んでいるかのように、階段への道を塞いでしまった。これまた真上から落ちてきた厚い石の壁が、後方を遮ったのだ。

「閉じ込められた!? やばい、地上に戻れないよ!」
「こうなったら、鉄球を避けるしかない! 鉤爪で天井に捕まるから、皆、固まって――」

 高速で接近してくる鉄球を前に、一か八かの回避法を試そうとするフォン。
 ところが、彼にくっつくよりも先に、剛体を以って躍り出る者がいた。

「――必要ない。サーシャ、ぶち壊す」

 背負っていたメイスを両手に構えた、サーシャだ。

「サーシャ!」

 首を鳴らす彼女はメイスをぐるぐると振り回し、鉄の剛速球に向ける。
 『覚醒蝕薬』を飲んだサラに破壊されたメイスを新調した彼女は、どうやらこれの破壊力を試す機会を求めていたようだ。ならば、これは絶好のチャンスでもある。

「あいつに壊されて、造り直したメイス……サーシャ、試すッ!」

 鉄球がもうじき彼女達を圧し潰すといった瞬間、サーシャは全力でメイスを叩きつけた。
 金属同士がぶつかり合う凄絶な音が耳を劈いたかと思うと、鉄球が止まった。
 じんじんと体を奔る衝撃にサーシャが動じないままでいると、鉄球の方がミシミシと音を立てて、メイスとぶつかった箇所から砕けて落ちた。激しい音こそ立てなかったが、内側から破裂したかのように、鉄の球は欠片へと成り果てた。

「……凄い、鉄球を砕いた……!」

 驚くクロエやカレンをよそに、サーシャはさも当然の如く鼻を鳴らす。

「これくらい、サーシャ、朝飯前。サーシャ、鉄の球より強い。行くぞ」

 メイスを背負い直して歩き出す彼女に、三人はついていくことにした。松明の灯りに寄ってきたカレンが(既に爪灯は消えていた)、フォンに申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ないでござる、師匠、サーシャ……拙者、罠を踏み抜いてしまったようで……」
「気にしないでいいよ。カレンが発動させなくても、きっと他の条件で発動していたはずだ。忍者が『気を付ければ通り抜けられる罠』なんて、設置するはずがないからね」

 歩きながら弟子を許すフォンに、後ろから顔を覗かせたクロエが問う。

「ということは、フォン、罠は一つだけじゃないと思っていいのかな?」
「その可能性は高いね。僕の勘だけど、この扉を抜けた先にも、また罠があるはずだ」

 彼らが歩いた先には、さっきまでは見えなかった重厚な扉が鎮座していた。
 先程までは鉄球に隠れていたのだろうか、或いは謎の少女が言っていた通り、『見ようとすると見えない』空間なのだろうか。どちらにせよ、開けない理由はない。
 ドアノブはついていなかったので、フォンは静かに扉を押した。
 闇の先にあったのは、これまた何の光もない、地上の家屋よりやや広い空間だった。

「……廊下じゃない? 天井の高い、部屋?」

 罠がないかを確かめるフォンを筆頭に、残りの三人が入ってくる。天井だけがやけに高い部屋は、部屋と呼ぶよりはそういった空間と呼ぶべきだろうか。
 ただ、やはり、フォンは自分が未だ心が真にここにはないのだと痛感した。

「扉がない……高い天井……まさか!?」

 ここは部屋ではない。ただ一つの仕掛けに人を迷い込ませる為だけの装置の一環だ。

「サーシャ、入ってきた扉を開けたままにしてくれ! ここを出ないと危険だッ!」

 上に広い空間に響き渡るほどの大声を発したフォンだったが、これまた手遅れだった。
 呼ばれたサーシャが振り返るよりも早く、扉がひとりでに閉まってしまったのだ。

「むっ、扉、勝手に閉まった!」

 先程と同様に閉じ込められたのだと悟った途端、今度は紐か何かが切れる音がした。仲間達は何が起きたのかと周囲を見回しているが、フォンだけは天井を見つめた。

「しまった……この部屋は『吊り天井』だ!」

 彼の眼前には――つられて上を見た一同の目に映ったのは、刃物を備え付けた天井。
 ただし、迫ってくる重厚な一枚の壁。

「て、天井が落ちてきたでござるーッ!?」

 今まさに、四人を今度こそ圧殺しようと目論む、逃げ道のない罠だった。