彼女がどれだけ戦闘でカロリーを消費するのかは知らないが、サーシャは完全に動けないようだった。これだけ食事が大事なら、さっきあれだけ怒ったのにも頷ける。
 戦いが決着したと判断して、クロエが案内所の入り口からフォンに駆け寄ってきた。

「フォン、大丈夫?」
「僕は大丈夫、怪我もないしね。けど……」

 うつぶせのまま、僅かにも動かない、サーシャのくぐもった声が聞こえた。

「サーシャ、負けた。お前、勝った。殺せ」

 戦いの決着は、死を以って。いかにも戦闘民族の考えだが、フォンは違う。掟や忍者の在り方の意識が変わっても、フォンにとって何より大事なのは、他者の命だ。

「……さっきも言ったけど、僕は貴女に攻撃しない。決闘を受けたのも、力をこんなことに使ってほしくないって思って、つい割り込んだだけなんだ」
「負けたサーシャ、どうなる。生き恥、晒す」
「生きるか死ぬかなんて、依頼か忍者の生きざまだけで十分だ。トレイルさん、だっけ、お腹がすいて動けないんだよね?」

 少しだけサーシャの頭が動き、頷いたものと見て、フォンは話を続けた。

「だったら、こうしよう。貴女は負けたんじゃない、お腹が空いて一時休戦しただけだ」

 要するに、戦いを終わらせていないと言うのだ。
 確かにこれなら、サーシャは戦いに負けていない。フォンは勝ってもいない。戦いは継続中で、いついかなる時でも再開すればいい。サーシャは偶然生き残っただけである。
 フォンの意図に気付いたサーシャの声は、震えていた。

「……サーシャ、情け、受けた。掟だと、斬首の刑」
「僕だってそうだよ、掟に背いたら油の入った釜で茹でられた。ほら、立てる?」
「いやいや、釜って冗談よね」

 釜茹でに突っ込むクロエと、ゆっくりと肩にサーシャの体重を乗せ、彼女を起こしたフォンだったが、明後日の方向から鋭い声がかけられた。

「――ちょっと待った。フォン、そいつは置いて行けよ」

 未だに傷だらけのクラーク達が、案内所の入り口から、彼らを睨んでいた。
 中には鼻の辺りに血のこびりついたサラや、歯ぎしりするジャスミンもいる。パトリスはまだ椅子に座っているのか、顔を出していない。フォンはため息をついて、言った。

「クラーク、まだ医療所に行ってなかったの? そのくらいの怪我なら、明日の朝には治してくれるよ。早めに仕事を再開できるように……」
「テメェはもう俺達のパーティじゃねえ、説教なんかすんじゃねえよ!」

 クラークは周囲が退くくらいの怒声を、フォンに浴びせる。

「それより、俺の言ったこと、聞こえたよな? そいつはサラをぶん殴ったんだ、俺達のところでけじめを付けさせてもらうぜ」

 どかどかとサーシャに向かって歩いてくるクラークを見て、明らかな殺意を感じ取ったクロエは、瞬時に弓を出し、矢を番えた。そこまでしてようやく、クラーク達は止まったが、隙を見せれば襲いかかってくるだろうと、フォンも、クロエも察していた。

「動かないで。けじめって、あんた達が暴れたからでしょ、事の発端は」
「うっさい! さっさとその女を渡せ!」

 喚くサラの後ろで、マリィだけが、フォンに不安な目を向ける。

「フォン……」

 だが、彼女以外は怒りを解き放っている。戦闘するにしても、リスクは大きそうだ。

「どうする? あいつら全員、そこの子を生かして帰す気はなさそうだけど」

 フォンはクロエの問いに、躊躇わずに答えた。

「うん、逃げる。忍者流のやり方で」
「逃げるだとぉ!? ナメてんじゃねえぞ、無理矢理にでも――」

 クラーク達の反応を一切待たず、フォンが手首を捻らせると、パーカーの袖から今度は灰色の球が出てきた。どれだけ詰め込んでいるのかと、クロエが聞くよりも先に。

「――忍法・『煙玉』!」

 フォンが勢いよく球を地面に叩きつけ、そこから灰色の煙が辺り一面に解き放たれた。
 その煙の勢いは相当なもので、クラーク達はあっという間に視界を奪われた。サーシャを手に入れるどころではなく、彼らはただ、慌てふためくばかり。

「どわっ!? なんだ、なんだこの煙は!?」
「何にも見えない、見えないよぉ!」
「クソ、フォンは、あいつらはどこに……」

 散々あたふたした末に、煙が晴れた時、フォン達はどこにもいなかった。
 三人も、メイスも、鎖鎌もない。煙で逃げるだけの時間を稼がれたと気づき、クラークはこんな簡単な手段で、フォンに逃げるだけの時間を作らせた自分自身に腹が立った。

「ちぃ……!」

 歯ぎしりをするクラークを宥めるように、マリィが彼に寄り添い、言った。

「クラーク、もういいよ、放っておこう。明日も依頼が受けられるように、診療所に行った方が良いと思うよ」

 疲労困憊の仲間達も、同意見のようだった。今魔法による治癒を受ければ、明日も戦える。フォンとどちらを優先するべきか、明白だった。

「……このままで済むと思うなよ、フォン……!」