先程までとは比べ物にならない力を前に、フォンもアンジェラも弾き飛ばされた。
 運が良かったのは、二人とも即座に体勢を整え、アンジェラの方が飛んできた長老を上手い調子に抱き留められたことだ。それでも、観客席まで二人を押しのける力は凄まじい。

「な……この力は!?」

 化物に変貌して剣を振り回し、辺り一面を砕くクラークに驚くアンジェラ。
 フォンもまた、未知の領域へと踏み込んだ勇者に目を細めるが、即座に指示を下した。

「アンジー、長老さんを安全なところへ! 僕と、警備を担当してる自警団と一緒に、観客をここから避難させてくれ! 診療所の方は、その後僕が何とかする!」

 一先ず何よりも優先しなければいけないのは、観客の無事だ。自分達はどうにか立ち回れるが、煙が立ち上る中で逃げ惑い、慄く一般人の安全はこのままだと保証できない。自警団も既に動いているが、彼らだけでは限界もあるだろう。
 フォンもまた、クラークを倒すよりも先に、できるだけ早い住民の撤退を優先するつもりだ。彼の意図を読んだアンジェラは頷き、長老を抱え上げた。

「分かったわ! 避難を終えたら援護しに来るから、それまで耐えてちょうだい!」
「ありがとう、でも無理はしないで!」

 そして二人は同時に、且つ別々の方向へと駆け出した。
 瓦礫に足を挟まれた人、転んで動けなくなった人を自警団が助け出し、怪我をした人をフォンが担ぐ。アンジェラが長老を広場の外に連れて行く緊急事態の最中、肝心の組合長であるウォンディは、破壊の衝撃でクラークの足元に転がり込んでいた。

「アア、ウウア……ドウシテ……コンナ、コトニ……?」

 ぶつぶつと呟く怪物の真下で、腰を抜かしたウォンディが逃げようと必死にもがく。スモモはとっくに一人で逃亡したようで、彼を助けようとする者は一人もいない。

「あひ、ひい、クラーク、待て、待ってくれ、私が足元に……」

 それでもどうにか、クラークに助けを請う組合長だが、何分相手が悪すぎた。

「ドウシテ、コンナハズジャナイダロオガアァァッ!」
「ぐびゅえッ!?」

 クラークは躊躇いなく、ウォンディを蹴り飛ばした。突風にあてられたかのように宙を舞ったウォンディの体は何度も回転し、辺りの家屋の壁に激突して、血反吐を吐いて斃れた。
 周囲の悲鳴が、一層大きくなる。クラークが刺激されて剣を振り回すかと思われたが、彼の視線は既にウォンディや有象無象ではなく、まだ避難できていない診療所に向いた。

「アウゥ、ゼンブ、アイツラノ……セイ……ウゥ?」

 そこにいるのは、仲間を逃がそうとするクロエと、フォンの仲間達だ。

「まずい、あいつ、こっちを見てる!」

 ぎらぎらと輝く瞳は、明らかに彼女達に向けられている。まだサラやジャスミン、怯えるパトリスもいるのに、クラークは躊躇うそぶりすら見せなかった。
 かつての仲間諸共、復讐を果たす。その考えしか、もう彼の頭にはない。

「ナカマ……フォンノ、ナカマアアアァッ!」

 小さな剣を片手に駆け出したクラークを見て、パトリスは腰を抜かす。診療所の職員もまた、逃げきれないと悟りながらも、せめて怪我人だけは助けようとする。
 クロエも近くに落ちていたジャスミンの剣を拾い、応戦しようとしたが、二組の間に黒影が割って入った。クラークは危機を察知したからか、影の正体を見て足を止めた。

「――そこまでだ、クラーク!」
「ウガアァアゥ!?」

 殺意と憎しみに瞳を燃やすクラークの前に立ちはだかったのは、やはりフォンだった。
 苦無を構えなおした彼の目的は、クラークを倒すことでもあるが、診療所の面々を全員逃がす方を優先している。だから、会話に付き合ってくれればありがたかった。

「悪いけど、ここから先には行かせない。僕に恨みがあってそんな姿になったのなら……」

 だが、最早クラークに会話するだけの思考は残されていない。

「ガルアアァ!」

 とんでもない勢いで跳び上がったクラークは、金色の波動を伴った剣でフォンに斬りかかった。苦無一本でどうにか直撃だけは防いだが、破壊の力は診療所のタープを吹き飛ばし、担架を転がす。石畳など、もう殆ど残っていない。

「くっ! もう、言葉も通じないのか!」

 体に重石の如く圧し掛かる重圧に耐えながら、フォンはクラークの攻撃の切っ先をずらす。地面に剣が突き刺さるが、怪物はすかさず刃を抜き、またも彼に斬りかかる。
 斬撃の一つ一つが、臼砲並みの威力を持つ。ひびを地面に作る範囲はそれよりもずっと広く、苦無で刃を受け止める度に腕の骨が痛む。しかも、速度は臼砲の発射速度よりも段違いに速い。そんな連撃を叩き込まれれば、流石のフォンも防戦に徹してしまう。

(剣を振るのが速い、攻撃範囲も広い! まずは動きを止めるべきだ!)

 そうはさせないと言わんばかりに、彼はカーゴパンツのポケットから、鎖の付いた手鎌を取り出し、振り上げたクラークの腕に巻き付けた。分銅を備えた鎖で動きを止め、乱暴に地面に叩きつけるのは、フォンの常套手段だ。

「忍具・鎖鎌! これなら……」

 だが、人間を捨てていながら勇者の特徴を持つクラークには通用しない。
 何と眼前の怪物は、鎖を握り締めたかと思うと、逆にフォンを投げ飛ばしてしまったのだ。

「な、う、うわああぁぁッ!?」

 宙に弧を描いて飛んだフォンは、地面に激突する。
 背中から地面にぶつかり、僅かだが呼吸が止まる。どうにかして体制を整えようとした時には、既にクラークが思い切り剣を掲げ、金色の光で彼を圧し潰そうとしていた。
 刹那の間、困惑で思考が止まった。鎖鎌も引き抜けてしまい、防御手段がない。

(僕が力負けした!? まずい、攻撃をもろに受けてしまう!)

 このまま空間を揺るがすほどの衝撃でフォンを滅ぼそうとしたクラークだったが、今度は彼の左右から仕掛けられた奇襲によって、否応なく攻撃を中断させられた。

「そうは、させるかっての!」

 致命傷どころか掠り傷にもなっていないようだが、攻撃の矛先は変えられた。再度距離を取ったフォンの前で地面を叩き潰したのを見て、忍者ながらに彼もまた冷や汗をかく。助けがなければ、潰れていたのは足元ではなく自分だったのだから。
 苦無を握る手に力を込めたフォンの隣に、彼を助けた二人が着地した。一人は蛇腹剣を既に連結から外したアンジェラで、もう一人はジャスミンの剣を構えるクロエだ。

「クロエ!? それに、アンジーも! 観客の避難は……」
「見ての通り完了したわよ、フォン一人じゃこいつの相手は骨が折れるでしょ! ま、私からすれば、弓使いが人の剣を持って加勢してるのも不安だけど!」
「一通り武器は使えるようにしてるんだよ、あたしも。ジャスミンの剣は質がいいし、あれだけぶくぶく太った体にも突き刺さるでしょ!」

 唐突な援軍は助かるが、同時にクラークを煽る要因にもなってしまったようだ。

「だといいけど……皆、離れて!」

 恐るべきクラークの力は、まだ本領に至っていないのだとフォンは直感で理解した。だからこそ、クロエとアンジェラに警告したのだが、やはり遅かった。

「え、何が……」

 体の内側に溜め込まれていく波動。迸る雷の如きオーラ。
 全てが敵意に満ちていて、何もかもを滅しようとしているのだと気づいたが、手遅れ。

「――アガアアァァァアアアァッ!」

 クラークの絶叫と共に、彼を中心として円形に、波動が放たれた。

「きゃああああぁぁッ!?」

 クロエが、アンジェラが弾かれた。
 診療所が倒れ、医者達も吹き飛ばされる。
 地震と見紛うほどの衝撃波は、広場のみならず、既に避難を終えていた住民達の家屋をも倒壊させるほどの威力で、建築物と呼べる一切合切、全てを無に帰した。
 フォンの姿は、どこにもなかった。