ぎらぎらと鍔迫り合う剣と苦無が弾かれ、双方が距離を取った。

「上等だ、フォン! お前は特別だからな、俺が直々に殺してやる!」

 彼が離れるのを待っていたかの如く、クラークも『覚醒蝕薬』を取り出す。ジャスミン達のように一粒ではなく、しっかりと効果を得るべく、やはり三粒握り締めている。

「俺だって『覚醒蝕薬』を持ってるんだぜ……使わない手はねえよなぁ!」

 彼が勢いよくそれを口に流し込み、噛み砕くと、即座に変化が起きた。
 小さな呻き声と共に項垂れたクラークの銀髪が異様なほどに伸び、普段着こんでいる鎧が弾けとんだ。筋肉が膨張したのではなく、彼が戦いの時にしか発さない勇者の力――金色の波動が全身を覆ったからだ。
 鎧どころか衣服すらも剥がした彼の上半身には血管が浮き出ただけでなく、右腕にある傷らしい紋章、『勇者の証』までもが露出している。漏れる吐息すらも金色に染まりつつある姿を目の当たりにして、クロエ達は息を呑む。

「あいつ、三粒一気に呑むなんて! 副作用なんて考えてないの!?」
「クロエ、パトリスを連れて後ろに下がっていてくれ。クラークほどの相手が薬を使えば、相当な力を手に入れるはずだ。なるべく被害が及ばないように、できれば広場の外に……」

 フォンはクロエのみならず、観客にも警告するつもりだった。
 彼が動くよりも先に、観客達は既にまずいと思っていたようで、最も決闘場に近い者達は食べ物や飲み物を置いて逃げ出そうとしていた。
 だが、この場に於ける支配者は、そんな軟弱さを許さなかった。

「――うおらあああぁぁぁッ!」

 顔を上げて、かっと目を見開いたクラークは、握っていた剣を勢いよく振り上げた。
 次の瞬間、金色に輝く刃から凄まじい勢いで波動が解き放たれ、広場に破壊を齎した。地震のような揺れと衝撃は、なんと地面を軋ませ、観客席まで続くひび割れを造り上げた。

「ぎゃああ!?」
「うわあああぁッ!?」

 これが偶然ではないのは、百も承知である。剣を観客達に向け、彼は命令する。

「……お前ら、誰も広場から出るんじゃねえぞ。俺がフォンを殺す瞬間の証人になるんだ。いいか、一人でもここを離れてみろ、皆殺しにしてやるからな」

 今や彼の目的は、勝利でも、ましてや権力の復活でもない。ただ一つ、自分をここまで貶めたフォンへの復讐に他なからなかった。それはたとえ、自分の今後をまだ懸念しているウォンディが黙っていられず、喚き散らしても変わらなかった。

「く、クラーク! いい加減にしないか、これでは私の沽券に……おんぎょおぉ!?」

 彼一人が騒いだところで何も変わらないだろうが、クラークは念入りに剣を薙ぎ、司会席を玉砕した。ウォンディとスモモが煙に呑み込まれ、辺りが悲鳴に包まれる。

「黙ってろ! いいか、俺の邪魔をするとこうなるぞ、分かったら動くなよ!」

 こんな彼の暴虐を、これ以上見過ごしていいはずがない。辛うじて動けるパトリスがクロエを連れて行くのを横目に見たフォンは、クラークの眼前に躍り出た。

「クラーク、関係のない人に手を出すな。僕が相手になる」
「ハッ、そんなの当たり前だろうが! てめぇが俺に殺されるのは大前提なんだよ!」

 『覚醒蝕薬』を服用した際の共通的な作用だろうか、クラークの目は人間とは思えないほど見開いている。外見的な変化が起きていない代わりに、彼の有する金色の波動は、もう彼の周囲を完全に埋め尽くすほど溢れ出していた。

「これが見えるか? 『覚醒蝕薬』は肉体だけじゃなく魔力も鍛え上げるんだぜ。俺が持つ勇者の証、この金色の波動も強化されるんだよ……こんな風に、なァ!」

 そして彼が、そんな力を黙って有しているだけのはずがない。
 クラークが間髪入れずに振るった剣から、爆発的に波動が解き放たれた。とてつもない波動はフォンをたちまち呑み込み、衝撃が観客席どころか診療所にまで届いた。

「フォン!」

 仮設テントが揺れるほど、眠っていたサーシャが目を覚ますほどの破壊力を目の当たりにして、クロエは叫んだ。幾らフォンといえど、これほどの威力を有する攻撃には耐えられないのではないかと思ってしまったからだ。
 クラークはというと、フォンが滅されたのを確信して笑いが収まらない様子だった。たった一撃で死んでしまうのは想定外だし、退屈にも程がある。

「おいおい、こんな程度で死んでくれるなよ? まだ見せたい技があるんだからよ――」

 だが、内心では彼の死を心底喜んでもいた。
 他の技ならフォンの仲間で試せばいいと、邪魔者を始末した嬉しさに満たされていた。

「――いいや、見る必要はない」

 そんな彼の泡沫の夢は、一瞬で掻き消された。

「あっ?」

 背後から聞こえた声に振り向くと、そこにいたのはフォン。
 しかも無傷で、埃を軽く払うばかり。まるで、クラークが放った勇者の一撃など微塵も警戒する意味がないと言っているかのような態度だ。

「君の技を見る価値はない、どれほど強くなったのかなんて興味もない」
「だったら、興味が持てるようにしてやるよ! てめぇの腕の一本でももぎ取ってな!」

 淡々と話すフォンに対して、クラークは狂ったように剣を薙ごうとしたが、敵の苦無によって阻まれた。金色の光が炸裂するが、フォンか軽々と避けてしまう。
 クラークの攻撃は異常な速さと威力を伴っており、命中すればフォンであっても死に至らしめるだろうが、彼は全ての斬撃を悉く苦無で防ぎ、いなすのだ。
 彼が回避ではなく防御に徹するのは、波動が観客や無関係な人、仲間の方に届いてしまうのを防ぐ為だ。そうでなければ避けるのも容易いのだが、クラークはそれにも気づかず、息が切れるほどの勢いで無駄に剣を振り回し続ける。

「確かに魔力の強さには目を見張るものはある。けど、当たらなければ無意味だ」
「うる、せえ! 当たれば、当たれば死ぬんだよ! 避けてんじゃねえ!」
「どうして僕が君の攻撃を避けているのかも分からずに、ただ剣を振るうだけの勇者には負けないよ。少なくとも、永劫僕には攻撃が届かない」

 煽れば煽るほど、攻撃に精密性が欠け、勢いばかりが無駄に増す。薬のせいでまともな思考が難しくなっているらしいクラークは、彼の単調な挑発にも乗ってしまう。

「黙れ、黙れ黙れ黙れえぇ――ッ!」

 銀髪を振りかざし、激昂したクラークが剣を掲げた時、フォンは瞬きの間に消えた。

「分からないなら、教えてやる」

 どこに行ったのかと探す間もなく、彼はクラークの真横に現れ、右腕を掴んでいた。筋力が爆発的に強化されているはずの勇者の腕が、忍者の細い腕によって欠片も動けなくなってしまっているのを、勇者本人は受け入れられなかった。

「……あ、あれ? 俺の腕が、なんで? 強くなってるのに?」

 しかし、直ぐに現実を呑み込む羽目となった。

「薬を用いた君の戦力を見定めていただけだ。けど、もう心配しないでいいみたいだ――」

 フォンは静かに、且つはっきりとした怒りを込めて、思い切り腕に力を注いだ。

「――はっきり言う、君は僕より弱い。今から折られる腕が、その証拠……だッ!」

 忍者の握力、容赦をしない渾身の握撃で腕を握り締めればどうなるか、クラークが想像するよりもずっと早く現実として去来した。
 ばき、という音。じわじわと響く痛み。落ちた剣。溶ける波動。

「っぎゃあああぁぁああああ――ッ!」

 クラークの右腕は、簡単にへし折られた。