観客席は未だに静かなままで、本来ならば試合の進行において最も発言権があるはずのウォンディも、スモモも何も言わなかった。

『あー……この場合、試合の結果はどうするんでしょうね……?』
「わ、私に聞くんじゃないよ!」

 少なくとも、組合長がこんな調子では、試合の進行など望めないだろう。
 このままパトリスが泣き止むまで待つべきか、などの考えがスモモの脳裏を過った時、静寂を引き裂くようにクラークの怒鳴り声が響いた。

「何やってやがる、パトリス! さっさとそいつの頭を叩き割れ!」

 目を血走らせて仲間に命令する彼の形相は、必死そのものだった。

「あいつ、この期に及んで……!」

 パトリスを抱き寄せるクロエが睨んでも、彼は一向に意に介さない。
 それどころか、自分達にとっての唯一の希望への徹底的な支配欲が一層勝ってしまうのか、最早勇者としての外面も忘れて、唾を撒き散らすほどに喚く始末である。

「もう俺以外はてめぇしか残ってねえんだぞ! そこで邪魔者をブチ殺すのがお前の仕事だろうが、行く当てのねえお前をわざわざ勇者が雇ってやった恩を忘れたのか!?」

 フォンと入れ替わりに加入したパトリス。クラークの言う通り、彼が誘っていなければ荒くれ者達の多いギルディアでは生きていけなかっただろうし、折角飛び出した田舎に戻る羽目にもなっていただろう(その方が幸せでもあったはずだが)。

「……確かに、私は貴方に雇ってもらいました。才能を見出され、高名な勇者パーティに誘い入れてもらえた恩は、忘れません」
「だったら……」

 ならば命令を聞け、とクラークは言おうとしたが、それよりも先にパトリスが言った。

「――だけど、貴方達の、いえ、私を含めた勇者パーティのやり方は許せません!」

 涙を拭った彼女は、クロエの腕の中で、自らを含めた勇者パーティの罪を許さないと言わんばかりに、大声を張り上げた。クラークは流石にまずいと思ったようで、剣の柄を乱暴に鳴らし、目を金魚の如く飛び出させる。

「なん、だ、とおぉ!?」
「私や他の仲間は『覚醒蝕薬』という違法薬物を使って戦っていました! フォンさん達に勝つために、闇市場から仕入れた薬です! 証人はいません、売ってくれた人は既に殺されて、この世にはいないからです!」

 まずパトリスが露呈させた第一の罪は、『覚醒蝕薬』の使用。
 この時点で、観客達の静寂が騒めきに変わった。別にいいだろう、と楽観する者は一人もおらず、誰もが顔を見合わせたのち、クラークに犯罪者を見るような目を向ける。

「おいおい、『覚醒蝕薬』って直に見たことはねえけど、持ってたら捕まるって聞いたぜ?」
「まさかこんな効果があるなんて、つーか勇者が闇市場に行ってたのかよ……」

 どうやら、『覚醒蝕薬』とは効能こそ知られていないものの、相当危険な薬であるという認識だったようだ。効果を知れば冒険者がこぞって欲しがる可能性もあるし、王国側が何かしらの言論統制を強いていたのかもしれない。
 しかし、共通している認識は、勇者が持っていては決していけない代物だという点。しかも、売ってくれた商人を始末したとあれば、既に勇者パーティの評価は地に落ちている。

「それでも勝てない時の為に、ここにいないマリィが無関係な人を人質に取って脅す作戦を使いました! ウォンディ組合長は長年パーティと金銭譲渡を約束に癒着して贔屓を繰り返し、今回の一件ではこれら全ての行為を黙認しています!」

 だというのに、パトリスはまだ、己と仲間の罪を暴露し続けた。
 しかも、今回はウォンディ組合長の関連性までばらしてしまったのだ。さっきまで死んだような目をしていた組合長が司会席から身を乗り出して叫ぶのも無理はない。

「ば、馬鹿、言っちゃ駄目でしょそんなことを!?」
「て、て、てめええぇぇ! 分かってんのか、てめぇも同罪なんだぞおぉぉ!?」

 最早全てが手遅れなのだが、クラークはどうにかパトリスを黙らせようとする。自分も悪党で、どう考えても投獄されるのだと脅してやっても、彼女の覚悟は決まっている。

「分かっています、私も罰を受けます! だけど……だけどもう、私達の悪事を見逃すわけにはいかないんです! もう誰にも、辛い目に遭って欲しくないから!」
「パトリス……」

 予想外と言えるほど強い心を持ったパトリスに驚くクロエ。
 だが、彼女はまず、パトリスをどうにかしてフォンのもとに引き寄せるか、せめて守れるようにしておく必要があっただろう。

「フォンさん達のパーティに対する嫌がらせも続けていました! 同じ依頼の中で生き埋めにしようとしたり、暗殺者を嗾けようともしたり――」

 決闘関連だけでなく、以前からの罪を白状しようとした時、遂にクラークが切れた。

「――いい加減にしろ、このクソがああぁぁ――ッ!」

 なんと、クラークが鞘から剣を引き抜き、物凄い速さで斬りかかってきたのだ。

『ちょ、いきなりの乱入はルール違反ですよ!?』

 スモモは恐慌状態のウォンディを押しのけて拡声器伝いに警告するが、ぎらぎらと目を光らせたクラークに通用するはずがない。彼の目的はただ一つ、自分達の罪を、隠しておくはずだった悪行を吐露した裏切り者の処刑だ。
 予想こそしていたが、クロエは咄嗟に動けなかった。パトリスのようにクラークに恐れ慄いたのではなく、彼女との戦いでの疲弊がようやく出始めたのだ。

(やばい、体が動かない! パトリスも逃げきれない、このままじゃ……!)

 観客席が一層騒めき、スモモの制止はやはり意味がない。
 クラークは止まらない。剣を構え、凄まじい勢いで跳び上がり、彼は邪魔なクロエと裏切り者のパトリスを諸共始末しようと斬りかかった。

「俺を裏切ったことを後悔して、死にやがれえぇッ!」

 邪魔者はいない。抵抗できる者もいない。
 始末してからどうするか、何をすればいいのかなど考えてもない。
 それでも今は、とにかく自分を不快にする相手を殺すことしか頭にない。
 殺せば終わる。自分の力を見せつければ黙る。これまでがそうだった。だから今回も同じだと思い込んでいたクラークは、剣を振り下ろすのに何の躊躇もなかった。

 ――だが、今日ばかりは違った。

「……な、に……!?」

 白銀の刃を振り下ろしたクラークの眼前で攻撃を受け止めたのは、パトリスでも、クロエでもない。ましてや有象無象の観客達ではない。
 黒い刃を携えた忍者の武器、苦無で勇者の剣を受け止めていたのは、フォンだった。

「フォン……!」

 バンダナで口元を隠した彼は瞬時に割って入り、クラークと視線をぶつけ合う。

「悪いけど、僕の仲間を、勇気ある告発者を傷つけることは許さないよ」
「ぐ、フォン、この野郎……!」

 もう、この戦いは止められない。
 長く続く因縁。光と闇、しかして闇と光の戦いは、今ここで終わる。

「――決着をつけようか、クラーク」

 冷たい感情とは裏腹に、フォンも、クラークも口元に笑みを浮かべていた。
 決戦の火蓋は、今、切って落とされたのだ。