そんな彼女をよそに、マリィは心底面倒そうにため息をついた。

「……勘違いしているようだけど、私はやりたくて、こんな手段を取ったわけじゃないわ」

 自分の手を汚したくない彼女の理由は、罪悪感だとか、自らに危機が及ぶからだとかではない。そこまで優しい性格ではないとアンジェラも知っている。

「もっとクラークが勇者として強ければ、犯罪に手を染めなかったわ。もっとフォンが従順なら、そもそも決闘だって起きていない。分かるかしら? 周りが全部悪いのよ」

 マリィは、自分には何の非もないと信じていた。ただ周囲の愚かさだけを嘆いていた。
 クラークがフォンをクビにしなければ。自分を抱いておきながら、もっと有能ならば。フォンが出しゃばらず、分相応の生き方を選んでいれば。クロエ達に流されず、戻ってくるように話した時点で自分達の奴隷になっていれば。
 思い通りにいかない世の中が悪く、自分は悪くない。仮にここで母子が焼き殺されてしまったとしても、そうするに至った理由であるフォン達が、全て悪いのだ。

「おかげで私がここまで出張る羽目になったの。まったく、もっと周囲が有能なら……」

 真顔でそこまで言ってのけるマリィに対し、とうとうアンジェラが口を開いた。

「――そうね。有能なら、貴女の無能が露呈することもなかったわね」

 彼女の目に映る魔法使いは、勇者パーティの誰よりも無能だった。瞳が告げているのを察したマリィは、ぎろりと彼女を睨みつけ、歯ぎしりと共に言い返す。

「……誰が、無能ですって?」
「マリィ、貴女に決まってるでしょ。貴女は一見すると、或いは自分で思っている範囲だといかにも策士で、周りの人間を駒のように動かしているつもりでしょうけど、現実はその真逆。貴女には、誰を動かす力もないのよ」

 アンジェラの言葉は、的を射ている。
 自分が有能だと思っているのは、マリィ本人だけなのだ。
 選ぶ相手を間違え、棄てる相手を間違え、取り戻す為の手段も間違えた。何もかも間違え尽くした人生の中で、ただひたすらに自分の正当性だけを信じ続けた愚かさの集合体が、マリィの本質なのだ。気づいていないのは、彼女だけだ。
 瞳を血走らせ、さっきまでの平静さをかなぐり捨てた彼女は、訂正を求める。

「取り消しなさい。私は現に、フォンも、クラークも、二人の仲間も操っているわ」

 しかし、アンジェラの言葉の刃は止まらない。マリィの心を抉り切るまで終わらない。

「出しゃばるから、そう見えているだけよ。現実には貴女は何の才能もなく、人を篭絡する魅力もない、本当の意味での無能だわ。人をバックアップするのが主な役目の魔法使いの癖に、肥大化したプライドがそんな現実を直視するのを許さなかったのね」
「やめなさい、やめろ!」
「人を止める胆力もないから、流されるしか取り柄がない。そうして行き着いた先で人のせいにしているだけでいいんだから、随分と楽な人生を送ってきたわね、心底羨ましいわ!」

 マリィの内臓を潰し切るかの如く放たれた言葉の槍は、遂に彼女の怒りを爆発させた。

「――人質を片方殺してやれば、黙るかしらああぁぁッ!」

 杖を思い切り振り上げ、作戦の内容すら忘れて、マリィは母親を殺そうとした。
 人質は二人もいるし、片方を殺してやっても問題ない。それどころか、一人を殺してしまえば自分の行いを顧みて、しっかりと黙ってくれるだろうとも思った。
 調子に乗って、くだらない妄言を履き散らかしたことを後悔するといい。
 渾身の力を腕に込め、杖の先端に魔力を溜め込むべく力を注ごうとしたマリィだったが、不意に、自分の杖を持った腕――右腕に力が入らないのに気付いた。
 どうしてだろうか、これから魔法を解き放つはずの掌どころか、腕そのものに力が入らないのはおかしいと考えるマリィが、ゆっくりと自分の腕を見る。そこには、彼女の稚拙な思考でも分かるようにしっかりと答えが残されていた。
 杖を握り締める手に、深々とナイフが突き刺さっていた。
 流れる血。痙攣する筋肉。意識とは裏腹に開く掌。落ちる杖。

「…………あ、え、手がああああぁ!?」

 全てを理解した瞬間、マリィは自分でも想像できないほどの絶叫を轟かせた。
 だが、炎が消えた杖と風穴の開いた腕に意識の全てを集中させたのは、彼女のミスだ。少なくとも自由になった人質と、自分目掛けて迫ってくる者だけは防がねばならなかった。
 即ち、跳び蹴りを叩き込もうとするアンジェラだ。

「そういうところが、本当に無能なの……よッ!」
「ぐぶえっ!」

 彼女の一撃は腹に見事に命中し、マリィは後方へと転がった。アンジェラは人質を庇うように前に立つと、足元に落ちたナイフを拾い、指先で回しながら言った。

「私の武器が『ギミックブレイド』だけだと思い込んでいる辺りなんて、間抜けすぎて笑えるわ。騎士はいつでも武器を仕込んでいるのよ、覚えておきなさい」

 彼女は最初から、蛇腹剣以外の武器も準備していた。
 というより、騎士はいざという時に使う武器をいつでも用意している。アンジェラの場合は薄いドレスのような鎧の内側に隠したナイフがそれで、武装解除したと思い込んでいたマリィの虚をつくのは容易だった。
 つまるところ、マリィが彼女の言う通り無能でなければ成し得ない不意打ちだったが、幸運にも彼女は正しくその通りであった。敵から欠片も目を逸らさないまま、アンジェラは身を寄せ合う親子に語り掛けた。

「ボク、お母さんを連れて後ろに下がってて。私がいいというまで、動いちゃ駄目よ」
「う、うん! ありがとう、ぐす、おねーさん!」
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 力が抜けて足を動かせない母の代わりに、唯一動ける子供に彼女が言うと、涙を流しながらも後ろへ下がっていく。直ぐに逃げられはしないだろうが、距離が取れれば十分だ。
 顔も見ないが、アンジェラは何故か、静かな郷愁の気持ちに駆られてしまった。

「お姉さん、ね。悪い気はしないかも……おっと!」

 しかし、今はいない家族、両親やベンに想いを馳せるのは後だ。今は、胃液で衣服を汚しながらも、掌に轟轟と鳴る雷の玉を携えるマリィを仕留めるのが先だ。

「はぁ、はぁ……杖がないからって、魔法が放てないと思った!? 私は魔法使いよ、杖はあくまで補助にしか過ぎない! ナイフしかないお前に、何ができるっていうの!?」

 焦りと怒りで化けの皮が剥がれたマリィは、荒い息を隠そうともせずに攻撃を始めた。

「こうなったらお前も仕留めて、人質にしてやるわ! 『豪雷球』(サンダーボール)!」

 乱暴に投げつけられるのは、雷の集合体。自然発生したものには威力も速度も遠く及ばないが、触れれば火傷、感電、下手をすれば死亡も免れない、魔法使いの必殺技だ。
 尤も、彼女の常識は一般人に限る。アンジェラは、その限りではない。
 彼女は何事もないように、ナイフで雷の球を弾いてしまった。投げられたボールを手で撥ね退けるよりも簡単に、マリィ渾身の一撃は無効化された。

「……そんな……!?」

 流石のマリィも息を呑むが、やはりアンジェラは平然としたまま。

「そっちこそ、ナイフ一本じゃ騎士が何もできないと思った? 履いて捨てるほどいる犯罪者が魔法を使えるのに、何の対策もしてないと? ナイフに対魔法用のコーティングを施し、私が魔法を使った攻撃を防ぐ訓練をしていないと?」
「あ、ああ……!」

 理屈は理解できずとも、結論はマリィにも理解できた。
 自分とアンジェラの間には、決して超えられない力の壁がある。しかも、人質という手段も失い、挙句の果てにはそれが彼女をいからせているとも、ようやく分かった。
 といっても、分かったところでどうしようもないのだが。

「さて――時間もないから、さっさとぶちのめすわよ」

 へたり込んだ彼女を見下すアンジェラの目は、静かな憤怒に満ちていた。