周囲の声すら聞こえなくなるほど、二人は絶句した。
「……嘘、でしょ。いくらあいつらでも、人質なんて……」
下劣とはいえそこまでやらないと考えていたクロエだったが、フォンはほぼ確定した物事として捉えていた。作戦を実行していると言い切れる証拠を、彼は見ているからだ。
「いいや、二人がすれ違った時、彼女が何かを話した様子だった。その後すぐに、司会席の方角の斜め上辺りにカレンが目をやっていたんだ。仮説だけど、そこから見える場所に、カレンにしか見えないように人質を置いて、彼女がジャスミンに抵抗すれば殺すつもりだ」
ジャスミンとカレンの一瞬のやり取りを、あの時フォンは見逃していなかった。カレンの体が死角となって読唇まではできなかったが、その後すぐに弟子が明後日の方向に目をやり、そこから反撃ができなくなっているとも気づいていた。
だが、そうなると別の疑問が浮かぶ。仮にマリィが人質を取っているとして、その光景をカレンが見られる範囲で彼女がいるとして、誰を拘束しているのだろうか。
「人質って、あたし達の関係者なんてどこにもいないでしょ? サーシャは診療所だし、あたしもフォンも、カレンもここにいるよ!?」
「攫ったのは関係のない人間だ。無関係の親子の死がより良心を咎めると知ってるんだ!」
答えは簡単で、果たして、人質など誰でも良かった。カレンの手を止められるなら、命という名の最悪の盾を得られるのであれば、勇者パーティは誰を人質に取ろうと良いのだ。
恐るべき、且つ悍ましい事実を前にして、クロエはもう黙っていられなかった。
「あいつら……だったら、あたし達が止めないと!」
人混みを掻き分けて広場の外に出ようとしたクロエだったが、フォンでも、勇者パーティでもない大声が、彼女を制した。
『こら、君達! どこへ行くつもりだ!』
ウォンディ組合長だ。
一方的なジャスミンの暴力を無視した彼は、フォン達の自由を許さないとばかりにスモモから拡声器をひったくり、彼らを指差して怒鳴りつけた。
正直な話、フォンはまずいと思った。正直に話せば危機を感じ取ったマリィが逃げ出し、仲間達に酷い汚名を着せてしまう。かといって、彼女を放っておくわけにはいかない。
だから、フォンは努めてオブラートに包んで、ウォンディへの交渉を試みた。
「組合長、緊急事態だ! 直ぐに戻るから、広場から離れるのを許可して欲しい!」
『駄目だ、何をしでかすか分からないからな! 公平な試合を進行するべく、ここを離れるのは許さないと最初に言ったはずだぞ! 反抗したら即座に失格にするからな!』
「あいつらの薬物は無視しといて、こっちの動きは封じるの!?」
頑としてフォン達の意見を受け付けないウォンディは、拡声器をスモモに渡した。
そして、スモモに小さく耳打ちすると、椅子にふんぞり返った。受付嬢はばつが悪そうにどもりながらも、言われた通りに言うのが仕事なので、責務を果たすことにした。
『……えー、組合長はこれ以上対話に応じない、とのことです……』
スモモに必要事項を言わせたウォンディの目はクラークを見ていて、双方が小さく頷き合ったのを、フォンは見逃さなかった。まるでこうなるのを最初から知っていたかのように、尚且つクラーク達に物事が有利に動くように。
「……あの目……知ってるんだ、クラーク達が人質を取っていると……!」
一体、どれだけの額の金銭と物資を貰っていれば、ここまでの贔屓ができるというのか。
「薬物も人質も目を瞑るって、正気の沙汰じゃないでしょ!?」
「サーシャが勝ったから、薬だけでは勝てないと判断して使ったんだ! カレンが負けてからも同じ手段で脅迫して、僕達全員を負かすつもりか!」
最初から、決闘自体がクラークに有利になるように仕組まれていた。
薬物の許可、人質の承認、しかも同じ手段を何度も許す悪辣さ。その効果は絶大で、二人が動けないのをいいことに、ジャスミンはカレンを徹底的にいたぶっていた。
「うあああぁぁッ!」
「きゃははは! 立て、さっさと立ちなさいよ! もっと私を楽しませてよね!」
手を、足を、サラのように潰しはしないが痛めつける。一方的に攻撃される様を観衆が楽しみ、ジャスミンの青白い肌と浮き出た血管を有する筋肉が蹂躙する。
今はまだ耐えられているが、いつ倒れ、動かなくなるか分からない。
「クソッ! このままじゃ、カレンが!」
歯ぎしりしながら焦るクロエの隣で、フォンが額に指を当て、考える。
「……僕達の動きをウォンディは見てる……クラーク達が妙な動作に気付いて口外されてもいけない……なら、賭けにはなるけど……!」
ウォンディやクラークに悟られず、しかし条件を知っている者だけが把握できる伝達手段。自分達から見て右手の奥、司会席の左奥に座り、ジョッキを煽る女性にだけ伝える手法。
自分の目論見がばれないように心から祈りながら、フォンはクロエに相談すらせずに勢いよく立ち上がり、彼らしくないくらいの大声で叫んだ。
「――カレン、がんばれえぇーっ!」
しかも、唇に手を当てて、歓声を怒声すら掻き消す甲高い口笛まで奏でてみせたのだ。
「フォン!?」
驚くクロエだが、周囲の観客達は、フォンがカレンを鼓舞している程度にしか思っていない。クラークやウォンディも、くだらない応援程度で対抗しかできないと思い込んでいるのか、半ば呆れてすらいるようだ。
広場にいるほぼ全員が、同意見。ならば、試合をする二人も同じだ。
「何、あいつ? 口笛吹いて、大声張り上げて応援するしかできないなんて、だっさーい!」
「師匠、どうして今、そんなことを……!?」
フォンの真意を理解できていないカレンは、右目の青痣を擦る暇もないまま、ジャスミンに蹴り飛ばされた。暴力に次ぐ暴力は、皆からフォンの口笛など忘れさせた。
――それこそが、フォンの狙いだった。口笛が彼に、彼女に届けばいいのだから。
(よし、ミハエルを呼んだのに誰も気づいていない――アンジー以外は!)
フォンの視線が向いた先、詰り広場の上空を音もなく旋回しているのは、人間ほどの大きさがある巨大な鷹の魔物、バトルホーク。白い羽を身に纏う彼はミハイルといい、忍者であるフォンが飼い慣らしている、忍具の一種だ。
彼を呼ぶ為の条件は、フォンの口笛。応援のふりをしてミハエルを呼んだのに気付いた者は、ジョッキの中身を空にしたのと同時に空を見上げた、アンジェラだけだった。これこそが彼の目的で、鷹とアンジェラに、自分達の代わりにトラブルを解決してもらうのだ。
思わずジョッキを置いた彼女と、フォンの目が合った。
(頼む、アンジー、どうして僕がミハエルを呼んだかを悟ってくれ! 彼はもう人質を見つけたと言っている、後は彼女が異変を察知してくれていれば……!)
数秒ほど、二人は目で語り合った。
真剣で、しかも焦っている様子のフォンを見たアンジェラは頷き、すっと人混みの中に姿を消した。主を一瞥したミハエルもまた、目的地を見つけたようで、すいと飛んでいった。
「……やった!」
全てを伝えられはしなかったが、異常な事態であるとは理解してもらえた。ミハエルがマリィを見つけ、アンジェラがどうにかしてくれると信じながら、フォンは必死の形相でカレンの無事を願うクロエに言った。
「クロエ、アンジーに有事であることは伝えたよ。ミハエルも同伴させてる」
「どうやって!? いや、今はそれよりも……」
苦境を打破する展開への驚きよりも、クロエは現状への不安が勝っていた。
「ぐああぁ――ッ!」
柄で手足の関節を壊すように殴られるカレンは、ほぼ限界に至っていた。
「……カレンが、保つかどうか……!」
尚も立ち上がるカレンだが、足は震え、背が丸くなり、意識の断絶が近づく。
「アンジー、頼む……!」
フォンは初めて――生まれて初めて、自分ではない誰かに対して祈った。
「……嘘、でしょ。いくらあいつらでも、人質なんて……」
下劣とはいえそこまでやらないと考えていたクロエだったが、フォンはほぼ確定した物事として捉えていた。作戦を実行していると言い切れる証拠を、彼は見ているからだ。
「いいや、二人がすれ違った時、彼女が何かを話した様子だった。その後すぐに、司会席の方角の斜め上辺りにカレンが目をやっていたんだ。仮説だけど、そこから見える場所に、カレンにしか見えないように人質を置いて、彼女がジャスミンに抵抗すれば殺すつもりだ」
ジャスミンとカレンの一瞬のやり取りを、あの時フォンは見逃していなかった。カレンの体が死角となって読唇まではできなかったが、その後すぐに弟子が明後日の方向に目をやり、そこから反撃ができなくなっているとも気づいていた。
だが、そうなると別の疑問が浮かぶ。仮にマリィが人質を取っているとして、その光景をカレンが見られる範囲で彼女がいるとして、誰を拘束しているのだろうか。
「人質って、あたし達の関係者なんてどこにもいないでしょ? サーシャは診療所だし、あたしもフォンも、カレンもここにいるよ!?」
「攫ったのは関係のない人間だ。無関係の親子の死がより良心を咎めると知ってるんだ!」
答えは簡単で、果たして、人質など誰でも良かった。カレンの手を止められるなら、命という名の最悪の盾を得られるのであれば、勇者パーティは誰を人質に取ろうと良いのだ。
恐るべき、且つ悍ましい事実を前にして、クロエはもう黙っていられなかった。
「あいつら……だったら、あたし達が止めないと!」
人混みを掻き分けて広場の外に出ようとしたクロエだったが、フォンでも、勇者パーティでもない大声が、彼女を制した。
『こら、君達! どこへ行くつもりだ!』
ウォンディ組合長だ。
一方的なジャスミンの暴力を無視した彼は、フォン達の自由を許さないとばかりにスモモから拡声器をひったくり、彼らを指差して怒鳴りつけた。
正直な話、フォンはまずいと思った。正直に話せば危機を感じ取ったマリィが逃げ出し、仲間達に酷い汚名を着せてしまう。かといって、彼女を放っておくわけにはいかない。
だから、フォンは努めてオブラートに包んで、ウォンディへの交渉を試みた。
「組合長、緊急事態だ! 直ぐに戻るから、広場から離れるのを許可して欲しい!」
『駄目だ、何をしでかすか分からないからな! 公平な試合を進行するべく、ここを離れるのは許さないと最初に言ったはずだぞ! 反抗したら即座に失格にするからな!』
「あいつらの薬物は無視しといて、こっちの動きは封じるの!?」
頑としてフォン達の意見を受け付けないウォンディは、拡声器をスモモに渡した。
そして、スモモに小さく耳打ちすると、椅子にふんぞり返った。受付嬢はばつが悪そうにどもりながらも、言われた通りに言うのが仕事なので、責務を果たすことにした。
『……えー、組合長はこれ以上対話に応じない、とのことです……』
スモモに必要事項を言わせたウォンディの目はクラークを見ていて、双方が小さく頷き合ったのを、フォンは見逃さなかった。まるでこうなるのを最初から知っていたかのように、尚且つクラーク達に物事が有利に動くように。
「……あの目……知ってるんだ、クラーク達が人質を取っていると……!」
一体、どれだけの額の金銭と物資を貰っていれば、ここまでの贔屓ができるというのか。
「薬物も人質も目を瞑るって、正気の沙汰じゃないでしょ!?」
「サーシャが勝ったから、薬だけでは勝てないと判断して使ったんだ! カレンが負けてからも同じ手段で脅迫して、僕達全員を負かすつもりか!」
最初から、決闘自体がクラークに有利になるように仕組まれていた。
薬物の許可、人質の承認、しかも同じ手段を何度も許す悪辣さ。その効果は絶大で、二人が動けないのをいいことに、ジャスミンはカレンを徹底的にいたぶっていた。
「うあああぁぁッ!」
「きゃははは! 立て、さっさと立ちなさいよ! もっと私を楽しませてよね!」
手を、足を、サラのように潰しはしないが痛めつける。一方的に攻撃される様を観衆が楽しみ、ジャスミンの青白い肌と浮き出た血管を有する筋肉が蹂躙する。
今はまだ耐えられているが、いつ倒れ、動かなくなるか分からない。
「クソッ! このままじゃ、カレンが!」
歯ぎしりしながら焦るクロエの隣で、フォンが額に指を当て、考える。
「……僕達の動きをウォンディは見てる……クラーク達が妙な動作に気付いて口外されてもいけない……なら、賭けにはなるけど……!」
ウォンディやクラークに悟られず、しかし条件を知っている者だけが把握できる伝達手段。自分達から見て右手の奥、司会席の左奥に座り、ジョッキを煽る女性にだけ伝える手法。
自分の目論見がばれないように心から祈りながら、フォンはクロエに相談すらせずに勢いよく立ち上がり、彼らしくないくらいの大声で叫んだ。
「――カレン、がんばれえぇーっ!」
しかも、唇に手を当てて、歓声を怒声すら掻き消す甲高い口笛まで奏でてみせたのだ。
「フォン!?」
驚くクロエだが、周囲の観客達は、フォンがカレンを鼓舞している程度にしか思っていない。クラークやウォンディも、くだらない応援程度で対抗しかできないと思い込んでいるのか、半ば呆れてすらいるようだ。
広場にいるほぼ全員が、同意見。ならば、試合をする二人も同じだ。
「何、あいつ? 口笛吹いて、大声張り上げて応援するしかできないなんて、だっさーい!」
「師匠、どうして今、そんなことを……!?」
フォンの真意を理解できていないカレンは、右目の青痣を擦る暇もないまま、ジャスミンに蹴り飛ばされた。暴力に次ぐ暴力は、皆からフォンの口笛など忘れさせた。
――それこそが、フォンの狙いだった。口笛が彼に、彼女に届けばいいのだから。
(よし、ミハエルを呼んだのに誰も気づいていない――アンジー以外は!)
フォンの視線が向いた先、詰り広場の上空を音もなく旋回しているのは、人間ほどの大きさがある巨大な鷹の魔物、バトルホーク。白い羽を身に纏う彼はミハイルといい、忍者であるフォンが飼い慣らしている、忍具の一種だ。
彼を呼ぶ為の条件は、フォンの口笛。応援のふりをしてミハエルを呼んだのに気付いた者は、ジョッキの中身を空にしたのと同時に空を見上げた、アンジェラだけだった。これこそが彼の目的で、鷹とアンジェラに、自分達の代わりにトラブルを解決してもらうのだ。
思わずジョッキを置いた彼女と、フォンの目が合った。
(頼む、アンジー、どうして僕がミハエルを呼んだかを悟ってくれ! 彼はもう人質を見つけたと言っている、後は彼女が異変を察知してくれていれば……!)
数秒ほど、二人は目で語り合った。
真剣で、しかも焦っている様子のフォンを見たアンジェラは頷き、すっと人混みの中に姿を消した。主を一瞥したミハエルもまた、目的地を見つけたようで、すいと飛んでいった。
「……やった!」
全てを伝えられはしなかったが、異常な事態であるとは理解してもらえた。ミハエルがマリィを見つけ、アンジェラがどうにかしてくれると信じながら、フォンは必死の形相でカレンの無事を願うクロエに言った。
「クロエ、アンジーに有事であることは伝えたよ。ミハエルも同伴させてる」
「どうやって!? いや、今はそれよりも……」
苦境を打破する展開への驚きよりも、クロエは現状への不安が勝っていた。
「ぐああぁ――ッ!」
柄で手足の関節を壊すように殴られるカレンは、ほぼ限界に至っていた。
「……カレンが、保つかどうか……!」
尚も立ち上がるカレンだが、足は震え、背が丸くなり、意識の断絶が近づく。
「アンジー、頼む……!」
フォンは初めて――生まれて初めて、自分ではない誰かに対して祈った。