「お、ごぁ……ッ!?」
みしみしと、体の内側で何かが砕ける音がした。
骨か、臓器か、はたまたそのどちらもか。激痛と鈍痛を織り交ぜたサラの強打は、サーシャの腹に深々とめり込み、体を容易く宙に浮かせた。
恐るべきカウンターと早すぎる試合展開を前に、誰もが目を見張る。クラーク達はさもこの事態を展開していたかのようにほくそ笑み、フォン達は無意識に汗を流す。
しかし、サラの反撃はこれだけでは終わらなかった。
「オラオラァ! この程度じゃ済ませねえぞ、っとォ!」
彼女はメイスをサーシャから引き剥がすと、足元に叩きつけ、無防備となった彼女目掛けて空いた方の手で再び殴りつけた。
今度は体が浮くほど重い一撃ではなかったが、代わりにすかさず、素手にサーシャの腹から離れた握り拳を胸に叩き込む。右腕のパンチが命中すると、即座に左腕の殴打が直撃し、防御する猶予も与えないラッシュ攻撃へと変貌する。
十発、二十発、もっと多くの打撃がサーシャに吸い込まれる。衣服が早々にぼろぼろになり、口から体液と血を吐き出した彼女を見て口元を吊り上げるサラは、最後に強烈な回し蹴りを脇腹に打ち込み、噴水の方へと吹っ飛ばした。
「がああぁぁッ!?」
石造りの噴水を粉々に砕き、ずぶ濡れのサーシャが呻く。
「サーシャ!」
仲間の身を案じるカレンの声は、観客の大歓声で簡単に掻き消されてしまった。一方でクロエは、サーシャを心配する気持ちは同じだが、サラに起きている異常に注目していた。
「嘘でしょ、あいつ、あんなに強かったの!? サーシャのメイスを片手で止めるなんて!」
「違う、強かったんじゃない!」
観客の声に消えないように叫びながら、サラの変貌を目の当たりにするフォンが言った。
「強くなったんだ、今この瞬間から……!」
彼の目に飛び込んできたサラは、もういつもの彼女ではなかった。
もとより比較的筋肉質ではあったが、今のサラは筋肉が膨張し、肌の色もやや赤黒く変色している。しかも血管がぶくぶくと浮き出て、瞳は猛禽類の如くぎらついている。漏れ出る息は白く、短い髪は命を吹き込まれたかのように、踊るかのように揺れている。
少し足に力を入れただけで広場の床にひびが入るほど力が増しているその様は、明らかに異形と呼べる変貌ではあるが、当の本人のサラは奇怪な進化に歓喜している。
「はああぁ……サイコーだ、サイコーだよ、この力! 体の内側からエネルギーが湧きだしてくる、体力も、魔力も満ち満ちてくる! 『覚醒蝕薬』、効果は確かみたいだなァ!」
げらげらと笑いながらサーシャに近寄る彼女を指差し、カレンがフォンの裾を引っ張る。
「師匠、なんでござるか、あいつの姿は! どう見ても異常でござるよ!」
「分かってる。恐らくドーピングだろうけど、そんな域の話じゃない。瞳孔が開き、筋肉膨張、血管の肥大化……少なくとも十種類以上の薬物反応が出てる!」
ただの増強剤であれほどの効果が出ないのは、毒物や薬に精通したフォンは知っていた。そんな代物をいつ服用したのかも分かる――試合が始まった瞬間の、黒い丸薬だ。
「成程、さっきの丸薬か! しかも違法薬物でもなければ、あれだけの効果は出ないはず!」
「違法薬物ねぇ、ものによっては所持だけで投獄もあり得るわよ?」
興味深そうなアンジェラの呟きを聞くよりも早く、フォンは大声を張り上げた。
「ウォンディ組合長、サラがたった今呑んだ丸薬には違法薬物の可能性がある! 今直ぐ決闘を中止して、彼女達の身体検査を行って欲しい!」
フォンは真剣に、特設会場に向けて珍しいほど大声を出したが、肝心のウォンディはちらりとも彼を見なかった。声が聞こえてはいるようで、放送担当のスモモに何かをぼそぼそと耳打ちすると、代弁者のスモモが結論をアナウンスした。
『……えー、組合長は明確な証拠がないとしていますので、提案は却下されました!』
残酷な贔屓が言い渡されるのを待っていたように、サラがサーシャを蹴飛ばした。
最初から乗り気ですらない態度の組合長を見て、クロエもカレンも憤慨する。 ウォンディは最早、冒険者の味方ではない。クラーク達の味方だ。
「何だって!?」
「組合長、舐めたクチを!」
身を乗り出して怒りを叫ぶ二人と静かに組合長を見たサラは、メイスを持ったままわざとらしくサーシャの頭を掴み、三人の関心を力の入らない仲間に向けさせる。
「おいおいおいおい、フォン! あたしとこいつの決闘を邪魔すんじゃねえよ! ほら、立ちやがれ、このメイスみたいにブチ壊してやるからよォ!」
言うが早いか、サラは何と素手で、手にしたメイスを握り砕いた。
長年苦楽を共にした武器の破壊に目を見開くサーシャだが、次に自分の身を案じる必要があった。抵抗する気力を一時的に失った彼女に、サラが暴力を加え始めたからだ。
拳打、殴打と称しなかったのは、膨れた筋肉から放たれる打撃に武闘家としてのセンスがなく、繊細さをかなぐり捨てた純粋な――文字通り、暴力でしかなかったからである。
「ほらほら! さっきまでの! 威勢は! どうしたってんだ!」
殴り、蹴り、砕き、潰す。たちまち、サーシャの体は血と青痣で埋まってゆく。
観客の中からも心配する声が上がるが、アドレナリンが噴出する者達の方が多く、最早この広場は処刑場のようだ。苦痛で足が震え、左目が腫れ上がり、片腕が折れた様子のサーシャの惨めな様は、クラーク達を絶頂へと導く。
「いいぞ、サラ! そのまま滅茶苦茶に潰して、ブチ殺せッ!」
「ボコボコにしちゃえー! 私達に喧嘩を売ったのを後悔させてやれーっ!」
パトリスを除いた仲間達の声に後押しされ、サラの暴力は加速する。純粋な筋力と腕力での勝負は、一度劣勢になると逆転が難しい。相手が違法薬物で強化しているのであれば、理性や道徳心も喪失され、一層隙を突けない。
しかも、殺す気で戦っているのならば猶更だ。
「まずいよ、あのままじゃサーシャが、サーシャが死んじゃう!」
切羽詰まった顔でフォンを見つめるクロエに対し、遂にフォンはサーシャに降参を促すよう叫ぼうとした。いかに負けるとしても、仲間が死ぬよりはずっとましだ。
水と血に塗れたサーシャに降参するよう叫ぼうとした時、フォンは口を噤んだ。
「サーシャ……!」
胸倉を掴まれ、目が虚ろを見つめるサーシャは、彼らに向かって親指を上げていた。
どう見ても勝ち目のない、恐るべき蹂躙を受けているというのに、まだ彼女は諦めていなかった。その表情は、怒り狂うサラとは対照的に、何と笑っていた。
「……負け、ない……サーシャ……余裕……まだ、ここ、から……」
血をごぼごぼと吹き出しながら、掠れた声で呟くサーシャ。
「……ああ、そうかい。だったら、もうちょっといたぶってやりたかったけど――」
そんな彼女を見て、サラは嗜虐心よりも、確実な殺意が勝った。
ずるずると彼女を引きずり、処刑するべく中央へと戻ってゆく。そして彼女の胸倉ではなく足を掴むと、瞳を血走らせ、血管を浮き出させ、勢いよく彼女の体を振りかぶり――。
「ここでくたばっちまいなああぁッ!」
雑巾を地面に叩きつけるかの如く、サーシャを床に直撃させた。
彼女の体が跳ね、血が噴き出し、衣服全てを赤く染める。メイスで地面を打ち付けるよりも激しくひびが入り、肉体が意識とは裏腹に痙攣する。
空を仰ぐサーシャ。仲間達が叫び、敵が彼女を殺せと喚く。観客が怒鳴る。
死に瀕した彼女の隣に立ち、サラは自身の足裏を持ち上げ、顔を踏み砕こうとする。
「あたしの、勝ちだァ――ッ!」
間髪入れず、避ける間も与えず、サラは全精力を込めて、足を振り下ろした。
足裏が目の中に飛び込んでくるサーシャの脳裏を過るのは、一族の掟ではない。これからの未来でも、山盛りの料理でも、魔物への闘志でもない。
(――フォン、お前ら)
自分を信じてくれた、共に居てくれた――仲間の、姿だった。
みしみしと、体の内側で何かが砕ける音がした。
骨か、臓器か、はたまたそのどちらもか。激痛と鈍痛を織り交ぜたサラの強打は、サーシャの腹に深々とめり込み、体を容易く宙に浮かせた。
恐るべきカウンターと早すぎる試合展開を前に、誰もが目を見張る。クラーク達はさもこの事態を展開していたかのようにほくそ笑み、フォン達は無意識に汗を流す。
しかし、サラの反撃はこれだけでは終わらなかった。
「オラオラァ! この程度じゃ済ませねえぞ、っとォ!」
彼女はメイスをサーシャから引き剥がすと、足元に叩きつけ、無防備となった彼女目掛けて空いた方の手で再び殴りつけた。
今度は体が浮くほど重い一撃ではなかったが、代わりにすかさず、素手にサーシャの腹から離れた握り拳を胸に叩き込む。右腕のパンチが命中すると、即座に左腕の殴打が直撃し、防御する猶予も与えないラッシュ攻撃へと変貌する。
十発、二十発、もっと多くの打撃がサーシャに吸い込まれる。衣服が早々にぼろぼろになり、口から体液と血を吐き出した彼女を見て口元を吊り上げるサラは、最後に強烈な回し蹴りを脇腹に打ち込み、噴水の方へと吹っ飛ばした。
「がああぁぁッ!?」
石造りの噴水を粉々に砕き、ずぶ濡れのサーシャが呻く。
「サーシャ!」
仲間の身を案じるカレンの声は、観客の大歓声で簡単に掻き消されてしまった。一方でクロエは、サーシャを心配する気持ちは同じだが、サラに起きている異常に注目していた。
「嘘でしょ、あいつ、あんなに強かったの!? サーシャのメイスを片手で止めるなんて!」
「違う、強かったんじゃない!」
観客の声に消えないように叫びながら、サラの変貌を目の当たりにするフォンが言った。
「強くなったんだ、今この瞬間から……!」
彼の目に飛び込んできたサラは、もういつもの彼女ではなかった。
もとより比較的筋肉質ではあったが、今のサラは筋肉が膨張し、肌の色もやや赤黒く変色している。しかも血管がぶくぶくと浮き出て、瞳は猛禽類の如くぎらついている。漏れ出る息は白く、短い髪は命を吹き込まれたかのように、踊るかのように揺れている。
少し足に力を入れただけで広場の床にひびが入るほど力が増しているその様は、明らかに異形と呼べる変貌ではあるが、当の本人のサラは奇怪な進化に歓喜している。
「はああぁ……サイコーだ、サイコーだよ、この力! 体の内側からエネルギーが湧きだしてくる、体力も、魔力も満ち満ちてくる! 『覚醒蝕薬』、効果は確かみたいだなァ!」
げらげらと笑いながらサーシャに近寄る彼女を指差し、カレンがフォンの裾を引っ張る。
「師匠、なんでござるか、あいつの姿は! どう見ても異常でござるよ!」
「分かってる。恐らくドーピングだろうけど、そんな域の話じゃない。瞳孔が開き、筋肉膨張、血管の肥大化……少なくとも十種類以上の薬物反応が出てる!」
ただの増強剤であれほどの効果が出ないのは、毒物や薬に精通したフォンは知っていた。そんな代物をいつ服用したのかも分かる――試合が始まった瞬間の、黒い丸薬だ。
「成程、さっきの丸薬か! しかも違法薬物でもなければ、あれだけの効果は出ないはず!」
「違法薬物ねぇ、ものによっては所持だけで投獄もあり得るわよ?」
興味深そうなアンジェラの呟きを聞くよりも早く、フォンは大声を張り上げた。
「ウォンディ組合長、サラがたった今呑んだ丸薬には違法薬物の可能性がある! 今直ぐ決闘を中止して、彼女達の身体検査を行って欲しい!」
フォンは真剣に、特設会場に向けて珍しいほど大声を出したが、肝心のウォンディはちらりとも彼を見なかった。声が聞こえてはいるようで、放送担当のスモモに何かをぼそぼそと耳打ちすると、代弁者のスモモが結論をアナウンスした。
『……えー、組合長は明確な証拠がないとしていますので、提案は却下されました!』
残酷な贔屓が言い渡されるのを待っていたように、サラがサーシャを蹴飛ばした。
最初から乗り気ですらない態度の組合長を見て、クロエもカレンも憤慨する。 ウォンディは最早、冒険者の味方ではない。クラーク達の味方だ。
「何だって!?」
「組合長、舐めたクチを!」
身を乗り出して怒りを叫ぶ二人と静かに組合長を見たサラは、メイスを持ったままわざとらしくサーシャの頭を掴み、三人の関心を力の入らない仲間に向けさせる。
「おいおいおいおい、フォン! あたしとこいつの決闘を邪魔すんじゃねえよ! ほら、立ちやがれ、このメイスみたいにブチ壊してやるからよォ!」
言うが早いか、サラは何と素手で、手にしたメイスを握り砕いた。
長年苦楽を共にした武器の破壊に目を見開くサーシャだが、次に自分の身を案じる必要があった。抵抗する気力を一時的に失った彼女に、サラが暴力を加え始めたからだ。
拳打、殴打と称しなかったのは、膨れた筋肉から放たれる打撃に武闘家としてのセンスがなく、繊細さをかなぐり捨てた純粋な――文字通り、暴力でしかなかったからである。
「ほらほら! さっきまでの! 威勢は! どうしたってんだ!」
殴り、蹴り、砕き、潰す。たちまち、サーシャの体は血と青痣で埋まってゆく。
観客の中からも心配する声が上がるが、アドレナリンが噴出する者達の方が多く、最早この広場は処刑場のようだ。苦痛で足が震え、左目が腫れ上がり、片腕が折れた様子のサーシャの惨めな様は、クラーク達を絶頂へと導く。
「いいぞ、サラ! そのまま滅茶苦茶に潰して、ブチ殺せッ!」
「ボコボコにしちゃえー! 私達に喧嘩を売ったのを後悔させてやれーっ!」
パトリスを除いた仲間達の声に後押しされ、サラの暴力は加速する。純粋な筋力と腕力での勝負は、一度劣勢になると逆転が難しい。相手が違法薬物で強化しているのであれば、理性や道徳心も喪失され、一層隙を突けない。
しかも、殺す気で戦っているのならば猶更だ。
「まずいよ、あのままじゃサーシャが、サーシャが死んじゃう!」
切羽詰まった顔でフォンを見つめるクロエに対し、遂にフォンはサーシャに降参を促すよう叫ぼうとした。いかに負けるとしても、仲間が死ぬよりはずっとましだ。
水と血に塗れたサーシャに降参するよう叫ぼうとした時、フォンは口を噤んだ。
「サーシャ……!」
胸倉を掴まれ、目が虚ろを見つめるサーシャは、彼らに向かって親指を上げていた。
どう見ても勝ち目のない、恐るべき蹂躙を受けているというのに、まだ彼女は諦めていなかった。その表情は、怒り狂うサラとは対照的に、何と笑っていた。
「……負け、ない……サーシャ……余裕……まだ、ここ、から……」
血をごぼごぼと吹き出しながら、掠れた声で呟くサーシャ。
「……ああ、そうかい。だったら、もうちょっといたぶってやりたかったけど――」
そんな彼女を見て、サラは嗜虐心よりも、確実な殺意が勝った。
ずるずると彼女を引きずり、処刑するべく中央へと戻ってゆく。そして彼女の胸倉ではなく足を掴むと、瞳を血走らせ、血管を浮き出させ、勢いよく彼女の体を振りかぶり――。
「ここでくたばっちまいなああぁッ!」
雑巾を地面に叩きつけるかの如く、サーシャを床に直撃させた。
彼女の体が跳ね、血が噴き出し、衣服全てを赤く染める。メイスで地面を打ち付けるよりも激しくひびが入り、肉体が意識とは裏腹に痙攣する。
空を仰ぐサーシャ。仲間達が叫び、敵が彼女を殺せと喚く。観客が怒鳴る。
死に瀕した彼女の隣に立ち、サラは自身の足裏を持ち上げ、顔を踏み砕こうとする。
「あたしの、勝ちだァ――ッ!」
間髪入れず、避ける間も与えず、サラは全精力を込めて、足を振り下ろした。
足裏が目の中に飛び込んでくるサーシャの脳裏を過るのは、一族の掟ではない。これからの未来でも、山盛りの料理でも、魔物への闘志でもない。
(――フォン、お前ら)
自分を信じてくれた、共に居てくれた――仲間の、姿だった。