冒険者案内所を騒がせた宣言から、十日が経った。
 勇者とフォン一行の決闘の話は、ギルディア中に広まった。
 十日後に開催が予定される決闘ではあるが、たちまち街中が活気に湧き、双方の集合場所周辺には既に露店の準備をする者までいた。決闘がいかに街でお祭り扱いされているかよく分かる現象で、人々もどこか浮かれている。
 酒場では、どちらが勝つかと賭け事が催され、決闘を見に行くので当日を休みにすると言いだす飲食店の店主までいる始末。冒険者の街は、今や決闘の街と化していた。
 そして夜、決闘を申し込んだ張本人であるフォン達は新しい宿の一室に集まっていた。

「――じゃあ、誰に誰をぶつけるかは、決まりかな?」
「そうだね……皆、もしも危険だと思ったら、降参を……」
「お前の言いたいこと、サーシャ、分かる。お前、命を大事にって言ってる」
「うむ、ですが師匠、負けを前提として動くなど師匠らしくないでござるよ。いつでも命を大事にして、尚且つ勝つ、これがフォン流でござる!」
「……うん、カレンの言う通りだ。ありがとう」

 部屋の中心に並べられた武器や防具、道具、忍具を囲むようにして、四人が座っている。四人というのは当然、クロエ、サーシャ、カレン、そしてフォンだ。
 各々の持ち物、決闘における作戦の再確認をしている最中、カレンがふと呟いた。

「……それにしても、十日というのは、あっという間にござるな」

 準備に使った時間は、文字通り矢の如く過ぎ去った。
 あらゆる武器を備え、ばれない程度に防具を買い込み、忍具と戦いを有利に進める道具をフォンに作ってもらった。彼の忍者としての技術を用いれば、如何に相手が勇者パーティと呼ばれるギルディアの支配者だろうと、怖れることはない。

「だけど、その間にかなり準備はできたね! これなら、クラーク達になんて負けない……」

 クロエは手を叩いて意気込んだが、彼女達の予想は甘いとばかりに、部屋の扉が開いて、言葉が入り込んできた。

「――その考えは甘いんじゃないかしら?」

 腕を組んで入口にもたれかかっているのは、ドレスのような騎士甲冑に身を包み、燃えるようなオレンジ色の髪を靡かせる王国最強の騎士、アンジェラだ。

「アンジー!」
「考えが甘いって、どういう意味?」

 一転して神妙な顔つきになったクロエに、アンジェラは話を続ける。

「フォンの友達のよしみで、警告しに来てあげたのよ。今まで卑劣な手段ばかりを使ってきた連中が、いくら決闘なんてフェアな環境だからって、真っ当に戦うと思う?」
「まさか、決闘だというのに、卑怯な真似をするでござるか!?」
「私ならそうするだろうなって、単なる予測よ。だけど、あいつらは相当切羽詰まってるわ。追い詰められた獣は何でもするし、何にでも手を出すわ……犯罪でもね」

 言われてみれば、そんなはずはないとは言い切れない。
 フォンを不当に追放し、一行を生き埋めにしようとして、あまつさえ暗殺者を雇ったのだ。外道にも劣るような連中が、卑怯な手段を使わないと考えるのは甘いだろう。
 だが、だとしても、フォン達が何をすべきかは決まっている。

「関係ない。サーシャ、全部叩き潰す、それだけ」

 サーシャが鼻を鳴らし、一同の想いを代弁してくれた。

「僕もサーシャに同意かな。彼らが何をしようとも、今度こそ倒す。それだけだよ」

 フォンやクロエ、カレンもにっと笑ったのを見て、アンジェラは杞憂だと笑い返した。

「ふーん、素直なのか、そうじゃないんだか。ま、貴方のそんなところも私のお気に入りなんだけどね、フォン」
「ははっ、ありがとう。でも、僕だって奥の手を持ってないわけじゃないよ」
「奥の手?」
「フォン、あたし達も聞いてないよ? 奥の手って、何を用意したの?」
「うん、できれば使いたくないけどね。クラークが暴走するようなら、彼のギルディアでの立場と信用、何もかもを立ち消えにする切札を、この十日間で持ってきたんだ。いや、正確に言うなら、連れてきたと言うべきかな」
「連れてきた? なれば切札とは、生き物にござるか?」
「うん、ある人物だよ。正体は皆にだけ教えるから、四人とも、耳を貸して……」

 言われるがまま道具を跨ぎ、三人はフォンの傍によって、耳を近づけた。アンジェラだけは関心がないのか、それとも知っているのか、耳を貸さなかった。
 彼は少しだけ躊躇った様子だったが、ここで話しておかなければ伝える機会がないとも思った。だからこそ、静かに息を吸い、仲間達にある真実を告げた。
 少しだけ長い話だったが、誰もが一言も口を挟まず、聞き続けた。

「…………嘘でしょ?」

 全てを聞き終え、顔を離したクロエ達の顔に浮かんでいるのは、驚愕どころではなかった。今まで自分達が常識だと思っていた全てが崩れ落ち、恐るべき邪悪な現実だけが勇者パーティに残るのだとも確信した。

「サーシャ、驚き。じゃあ、あのクラークは……」

 クロエやカレンはともかく、仏頂面のサーシャですら戸惑うほどの重大な秘密を伝えたフォンは、小さく頷いた。

「そうだ、彼には絶対にばれちゃいけない秘密がある。彼のパーティに所属していた時から気になっていたんだけど、調べてみて確信に至った。だけど、直ぐには言わないよ」

 優しい表情を浮かべるフォンは、敵への先制攻撃としてこれらを用いる気はなかった。どうしても使わなければならない抑止力として手にしているような、そんな態度である。

「彼らを絶対に止めなければならない時に、俺が使う。だから、明日は黙っていて欲しい」
「承知でござる! 師匠にお任せするでござるよ!」

 カレン達が同意したのを聞いて、アンジェラは彼女達なら問題ないと確信したようだ。

「私も明日は部外者だし、そこら辺をどうするかは、貴方達に一任するわ。死なない程度に、ほどほどに頑張りなさい」

 大きく欠伸をして部屋を出て行く彼女を見つめながら、フォンが言った。

「ありがとう、アンジー。それじゃ、明日も早いし、そろそろ寝よっか?」

 窓の外はすっかり暗い。普段ならコーヒーでも飲みながらもう少し起きているが、明日は自分達の命運を賭けた決闘の日だ。寝坊などしない為にも、早々に休むのも作戦だろう。

「だね、寝坊なんてしたら笑いものだよ。ちょっと早いけど、もう寝ちゃおう!」
「うむ! おやすみでござる、皆の衆、師匠!」
「サーシャも寝る。おやすみ」

 四人が円陣を組んだり、気合を入れ合ったりしないのは、いつも通りに力を出せると信じているからだ。明日を信じ、仲間を信じているからだ。
 だから、普通に挨拶をかわし、それぞれの部屋へと戻っていった。
 カレンが自室へ入り、サーシャが乱暴に扉を閉める音が聞こえる。
 フォンの部屋から出たクロエも、伸びをしながら自室のドアノブに手をかけたが、ふと捻る掌を止めた。奇妙な考えが、頭に浮かんで、彼女の行動を引き留めた。

(……あれ? フォン、『俺』って言った? いつもは『僕』なのに?)

 普段は僕と自らを呼ぶフォンが、俺、と言った。
 どれだけ怒りに満ちても、戦いに挑んでも、僕と言い続けた彼が俺と言った。どうしてだろうか、と思案するよりも先に、彼女は自分の方を疑った。

(疲れて聞き間違えたのかな……あたしもさっさとベッドに入って、明日に備えなきゃ)

 フォンに聞き直す前に一人で納得して、彼女はドアノブを回した。
 ぱたん、と閉まったドアの向こうからは、静かな生活音だけが聞こえてきたが、やがてそれすらも寝息に代わり、聞こえなくなった。