いつの間にか開いていた部屋の入口から、今度はサーシャとカレンが、フォン目掛けて突進してきたからだ。投げ捨てた籠の中には林檎や、衣服の替えが詰め込まれており、きっと彼の看病にしっかり貢献していたのだろう。
恐らくではあるが、彼女達もいつフォンが目を覚ますか、心配で仕方なかったに違いない。そんな折、彼が体を起こしているのだから、同じく感極まるのも無理はない。
二人の勢いは留まらず、フォンとクロエごとベッドの上でもみくちゃになってしまった。
四人とも怪我人で、特にフォンの傷はまだ完全に塞がっていないかもしれないのに、嬉しさはそんな些末な可能性を吹き飛ばしてしまった。弟子であるカレンはともかく、いつもな不愛想なサーシャまでもが目に涙を浮かべ、フォンにしがみつく。
「お前、目を覚ました! サーシャ、嬉しい、サーシャ、感激!」
「師匠、師匠! この二日間、不肖カレン、一瞬だけ……刹那だけ、師匠が目を覚まさないのではないかと疑ったでござる! こんな馬鹿な拙者を叱ってほしいでござる、師匠!」
フォンの体には痛みが奔っていたが、それよりもずっと、嬉しい気持ちが勝っていた。
こんなに愛されていたのなら、やはり掟を破るのは正しかった。これからは一層、生きる気持ちを強く持ちながら接して行こうと、彼は改めて心に誓った。
「怒らないよ、そんなことじゃ……二日間? 丸二日も、僕は眠ってたのか?」
だが、何よりも気になったのは、自分が二日間も目を開けなかった事実だ。顔を上げたカレンが何度も頷いている辺り、あの戦いから二日も経っているのは間違いない。
フォンは三人に抱き着かれながらも、どうにか聞いてみた。
「だったら、リヴォルはどうなった? 僕が寝ている間に襲撃は……」
彼の問いに答えたのは、三人ではなく、これまた扉の方からだった。
「ないわよ、一度もね。街も襲われてないし、相手もきっと、諦めたんじゃないかしら」
扉を静かに閉めて部屋に入ってきたのは、アンジェラだった。
「一度も、襲撃を……?」
リヴォルがまさか諦めるとは思っていなかったのか、フォンは目を丸くした。
自分の目的は何としてでも果たすはずの彼女が、どうして諦めるのか。有り得るとすれば彼女が経戦能力を失うほどの重傷を負うしか考えられず、フォンは死闘の結果を聞いていない。だから、この状態はまだ休戦中だと思っていた。
しかし、絶好の機会の最中で一度も襲ってこなかったのならば、諦めたと判断するのが普通だろう。三人にしがみ付かれながらも、フォンは胸を心の中で撫で下ろす。
そんな情報を教えてくれたアンジェラはというと、いつもの騎士甲冑を纏っていなかった。革のズボンとやや大きめの白いシャツを着た彼女は、フォンと同じくらい体に負傷の痕があり、手や足包帯で覆い隠されていた。
「ええ、一度も。私達が負傷していても襲ってこないなら、断念したと見るべきね……ほら、貴女達もいつまでも引っ付いてないで。彼の傷が開いたらどうするのよ」
それでもいつもの態度を崩さずに、アンジェラは三人を引き離しにかかった。クロエ達は抵抗しようとしたが、ずるずると岩の苔を剥がすようにどかされてしまった。
床に転がされた三人は恨めしそうにアンジェラを細めで見るが、フォンの身を案じるのも一理あると思ったのか、これ以上は彼にへばりつかなかった。代わりに各々は立ち上がるなり、ベッドに腰かけるなりして、フォンの近くに集まった。
「……それで、戦いはどうなったんだい?」
改めて現状を確かめようとしたフォンに、クロエが首を傾げて言った。
「どうなったって……フォンがリヴォルを撤退させたんだよ?」
「……僕が?」
「うん、あたしはフォンとリヴォルの決着がついた辺りで合流できたんだけど、物凄い数の苦無で敵に攻撃してた。カレン、確か持って帰ってきたよね?」
「勿論でござる。師匠、これが師匠の使っていた武器でござるよ」
カレンがベッドの下をごそごそと漁り、引っ張り出したのは、『百連苦無』に用いる大量の苦無が縛り付けられた黒い細縄。フォンは当然それを知っていて、リヴォルとの決戦で使う予定だったのだが、いざ禁術を使った記憶がないのだ。
というよりは、戦闘中の記憶がごっそりとなくなっている。リヴォルが仲間を殺すと挑発してから、頭に血が上り、そして気が付くとベッドの上に寝かされていた。だから、決着どころかリヴォルを退かせた手段すらも頭に残っていない。
「『百連苦無』……僕が奥の手で用意していた禁術だ。間違いなく、僕のものだ」
「ではやはり、師匠が敵を倒したのでござる!」
「あたしもそう思うよ。あたしが声をかけたせいで手がぶれたみたいなんだけど、フォンが最後の一撃を叩き込むところだけは見てたから。フォンは明らかに圧倒してたよ」
「そもそも、この面子で忍者に太刀打ちできるのは貴方くらいなものじゃないかしら?」
確かにそうだ。クロエやサーシャ、カレンではリヴォルには対抗し得る戦力とはならない。望みがあるとすればアンジェラだが、彼女は先にやられてしまっていた。
だとすれば、やったのはやはりフォンなのだが、ここまで話を聞いたフォンがどうにか思い出せたのは、うすぼんやりとした光景だけだ。まるで、自分ではない他の誰かが、自分の体を使って戦ったようにしか脳内で再現できないのだ。
「……ごめん、あまり覚えてない。アンジーがやられて、リヴォルと戦っていた時からの記憶がないんだ。その苦無を使った禁術も知ってるけど、発動した覚えがまるでないよ」
アンジェラも含め、仲間達は顔を見合わせ、もう一度フォンを見た。
「記憶喪失ってこと? それくらい集中してたとか?」
「だとしてもおかしいわね。私を仕留めかねないくらいの人形と忍者を相手にして圧倒するなんて、フォン、今まで実力を隠して手を抜いていたわけじゃないでしょう?」
「手を抜けるような相手じゃないよ、リヴォル達は……ただ、なんだか懐かしいんだ」
「懐かしい?」
話をしている最中で、フォンは胸に去来する懐古感を隠し切れなかった。
「昔、どこかで会った気がする。僕の代わりにリヴォルと戦ったその人に、多分」
「……何の話をしてるの?」
「師匠、誰でござるか? あの忍者と戦っていたのは、師匠でござるよ?」
クロエ達がおかしな様子で見つめているのに気付いて、フォンは慌てて取り繕った。
「いや、何でもない。ただの独り言だよ」
彼がはぐらかしながらはにかむと、三人はまたもや首を傾げたが、深く追求はしなかった。
きっと、これ以上聞いてもフォン自身も理解できていないし、自分達が突撃した上に、思考で体力を浪費させるのも良くないだろう。
互いに頷き合ったクロエ達は、話をずらすことにした。
「ところで、フォン、リヴォルの件だけど、まだ完全には解決してないみたいだよ」
「……というと?」
クロエの話題に興味を示し、体を寄せるフォンに続きを話すのは、カレンだ。
「リヴォルの奴、どうやら己の意志だけで拙者達を狙ったわけではないようでござる。どこかの誰かに、拙者達全員の暗殺を依頼されたようでござるな」
フォンの瞳が、誰かを想起して細くなった。
恐らくではあるが、彼女達もいつフォンが目を覚ますか、心配で仕方なかったに違いない。そんな折、彼が体を起こしているのだから、同じく感極まるのも無理はない。
二人の勢いは留まらず、フォンとクロエごとベッドの上でもみくちゃになってしまった。
四人とも怪我人で、特にフォンの傷はまだ完全に塞がっていないかもしれないのに、嬉しさはそんな些末な可能性を吹き飛ばしてしまった。弟子であるカレンはともかく、いつもな不愛想なサーシャまでもが目に涙を浮かべ、フォンにしがみつく。
「お前、目を覚ました! サーシャ、嬉しい、サーシャ、感激!」
「師匠、師匠! この二日間、不肖カレン、一瞬だけ……刹那だけ、師匠が目を覚まさないのではないかと疑ったでござる! こんな馬鹿な拙者を叱ってほしいでござる、師匠!」
フォンの体には痛みが奔っていたが、それよりもずっと、嬉しい気持ちが勝っていた。
こんなに愛されていたのなら、やはり掟を破るのは正しかった。これからは一層、生きる気持ちを強く持ちながら接して行こうと、彼は改めて心に誓った。
「怒らないよ、そんなことじゃ……二日間? 丸二日も、僕は眠ってたのか?」
だが、何よりも気になったのは、自分が二日間も目を開けなかった事実だ。顔を上げたカレンが何度も頷いている辺り、あの戦いから二日も経っているのは間違いない。
フォンは三人に抱き着かれながらも、どうにか聞いてみた。
「だったら、リヴォルはどうなった? 僕が寝ている間に襲撃は……」
彼の問いに答えたのは、三人ではなく、これまた扉の方からだった。
「ないわよ、一度もね。街も襲われてないし、相手もきっと、諦めたんじゃないかしら」
扉を静かに閉めて部屋に入ってきたのは、アンジェラだった。
「一度も、襲撃を……?」
リヴォルがまさか諦めるとは思っていなかったのか、フォンは目を丸くした。
自分の目的は何としてでも果たすはずの彼女が、どうして諦めるのか。有り得るとすれば彼女が経戦能力を失うほどの重傷を負うしか考えられず、フォンは死闘の結果を聞いていない。だから、この状態はまだ休戦中だと思っていた。
しかし、絶好の機会の最中で一度も襲ってこなかったのならば、諦めたと判断するのが普通だろう。三人にしがみ付かれながらも、フォンは胸を心の中で撫で下ろす。
そんな情報を教えてくれたアンジェラはというと、いつもの騎士甲冑を纏っていなかった。革のズボンとやや大きめの白いシャツを着た彼女は、フォンと同じくらい体に負傷の痕があり、手や足包帯で覆い隠されていた。
「ええ、一度も。私達が負傷していても襲ってこないなら、断念したと見るべきね……ほら、貴女達もいつまでも引っ付いてないで。彼の傷が開いたらどうするのよ」
それでもいつもの態度を崩さずに、アンジェラは三人を引き離しにかかった。クロエ達は抵抗しようとしたが、ずるずると岩の苔を剥がすようにどかされてしまった。
床に転がされた三人は恨めしそうにアンジェラを細めで見るが、フォンの身を案じるのも一理あると思ったのか、これ以上は彼にへばりつかなかった。代わりに各々は立ち上がるなり、ベッドに腰かけるなりして、フォンの近くに集まった。
「……それで、戦いはどうなったんだい?」
改めて現状を確かめようとしたフォンに、クロエが首を傾げて言った。
「どうなったって……フォンがリヴォルを撤退させたんだよ?」
「……僕が?」
「うん、あたしはフォンとリヴォルの決着がついた辺りで合流できたんだけど、物凄い数の苦無で敵に攻撃してた。カレン、確か持って帰ってきたよね?」
「勿論でござる。師匠、これが師匠の使っていた武器でござるよ」
カレンがベッドの下をごそごそと漁り、引っ張り出したのは、『百連苦無』に用いる大量の苦無が縛り付けられた黒い細縄。フォンは当然それを知っていて、リヴォルとの決戦で使う予定だったのだが、いざ禁術を使った記憶がないのだ。
というよりは、戦闘中の記憶がごっそりとなくなっている。リヴォルが仲間を殺すと挑発してから、頭に血が上り、そして気が付くとベッドの上に寝かされていた。だから、決着どころかリヴォルを退かせた手段すらも頭に残っていない。
「『百連苦無』……僕が奥の手で用意していた禁術だ。間違いなく、僕のものだ」
「ではやはり、師匠が敵を倒したのでござる!」
「あたしもそう思うよ。あたしが声をかけたせいで手がぶれたみたいなんだけど、フォンが最後の一撃を叩き込むところだけは見てたから。フォンは明らかに圧倒してたよ」
「そもそも、この面子で忍者に太刀打ちできるのは貴方くらいなものじゃないかしら?」
確かにそうだ。クロエやサーシャ、カレンではリヴォルには対抗し得る戦力とはならない。望みがあるとすればアンジェラだが、彼女は先にやられてしまっていた。
だとすれば、やったのはやはりフォンなのだが、ここまで話を聞いたフォンがどうにか思い出せたのは、うすぼんやりとした光景だけだ。まるで、自分ではない他の誰かが、自分の体を使って戦ったようにしか脳内で再現できないのだ。
「……ごめん、あまり覚えてない。アンジーがやられて、リヴォルと戦っていた時からの記憶がないんだ。その苦無を使った禁術も知ってるけど、発動した覚えがまるでないよ」
アンジェラも含め、仲間達は顔を見合わせ、もう一度フォンを見た。
「記憶喪失ってこと? それくらい集中してたとか?」
「だとしてもおかしいわね。私を仕留めかねないくらいの人形と忍者を相手にして圧倒するなんて、フォン、今まで実力を隠して手を抜いていたわけじゃないでしょう?」
「手を抜けるような相手じゃないよ、リヴォル達は……ただ、なんだか懐かしいんだ」
「懐かしい?」
話をしている最中で、フォンは胸に去来する懐古感を隠し切れなかった。
「昔、どこかで会った気がする。僕の代わりにリヴォルと戦ったその人に、多分」
「……何の話をしてるの?」
「師匠、誰でござるか? あの忍者と戦っていたのは、師匠でござるよ?」
クロエ達がおかしな様子で見つめているのに気付いて、フォンは慌てて取り繕った。
「いや、何でもない。ただの独り言だよ」
彼がはぐらかしながらはにかむと、三人はまたもや首を傾げたが、深く追求はしなかった。
きっと、これ以上聞いてもフォン自身も理解できていないし、自分達が突撃した上に、思考で体力を浪費させるのも良くないだろう。
互いに頷き合ったクロエ達は、話をずらすことにした。
「ところで、フォン、リヴォルの件だけど、まだ完全には解決してないみたいだよ」
「……というと?」
クロエの話題に興味を示し、体を寄せるフォンに続きを話すのは、カレンだ。
「リヴォルの奴、どうやら己の意志だけで拙者達を狙ったわけではないようでござる。どこかの誰かに、拙者達全員の暗殺を依頼されたようでござるな」
フォンの瞳が、誰かを想起して細くなった。