滝からの落下自体は、フォン自身、修行で何度か体験していた。
 一度目は死にかけた。二度目は少し慣れ始め、三度目以降は落下してもそれほどの怪我を負わなくなっていた。だから、墜落自体に抵抗感はなかった。
 ただ、それは怪我のない状態で、且つ体の自由が利いていた時だ。今は違う。腹に鎖鎌が刺さり、しかも滝の内側にいるレヴォルが彼を引き寄せているのだ。当然、フォンも内部に連れ込まれ、猛烈な勢いの水流の直撃と、崖の切り立った岩に激突させられる。

「うぐ、う、うおおおぉぉッ!」

 真下に見えるリヴォルは、激突する箇所にレヴォルを挟んで落ちているので目立った衝撃を与えられていない。しかしフォンはというと、滝と岩の間に挟まれ、揺れる度に体をぶつけられる。いかに忍者といえども人間だ、ただでは済まない。
 衣服が破れるのは当然、肌が裂けて血が噴き出す。頬、腕、足、衝突する度に傷が増え、しかもリヴォルは一向に引っ張る力を弱めない。どこかに手をかけようとしても、レヴォルが引きずる力の方が強く、掌が削れ、手が剥がれるのを繰り返す。
 そうして何度も水に撃たれ、岩に叩きつけられ、ようやくフォンは滝壺へと落ちた。
 落ちた時もまた、体を巨大な鞭で打たれるような激痛が奔った。体中を引き裂く感覚に耐え、彼はどうにか水面へと上がろうと足掻くように泳ぐ。滝の水は絶えず落ち続け、回り込んで浮き上がらないと忍者といえども脱出できない。

「……ッ!」

 ところが、彼の動きは急に止まった。というより、足元から引き留められた。
 何が起きたのかと足元に目をやると、レヴォルの黒い足が、フォンの足首を掴んでいた。その奥ではリヴォルは歯を見せて笑っている。明らかに彼女も危険だというのに、一向に自分から浮上する様子はなく、寧ろ奥へ、奥へと潜ってゆく。
彼女はレヴォルを使って、底の見えない闇へと彼を道連れにするつもりなのだ。

「――――ッ!?」

フォンは必死に抵抗するが、苦無を落とした上、水中では呼吸を必要としない人形の方がよく動く。骨をへし折りかねないほどの力を込めて、レヴォルは首から放たれた鎖を引き、フォンをリヴォル諸共溺れさせようとしている。道連れなど、正気の沙汰ではない。
 鎌を引き抜くと、痛みで口が開く。フォンは水中での呼吸時間が常人の三倍以上保つが、負傷した状態ではやはりあてにならないし、そもそも多量の失血で気を失う方が先だ。

(こっちにおいで、お兄ちゃん)

 リヴォルが口を開き、フォンに語り掛ける。何としてでも自分のものにするという途轍もない執念が心臓に圧し掛かり、ぞっと背筋が凍り付く。
 このままでは、リヴォルの思い通りだ。フォンは気絶して連れ帰られる羽目になる。
 次第に、振り払おうとする足にすら力が入らなくなってくる。血が流れ過ぎたのか、体中から力が抜け、視界の周りの黒い水が赤く染まる。
 腹を抑えてどうにか力を込めようとするが、既に手遅れのようだ。リヴォルも彼の限界が近づいているのを察し、一気に仕留めるべく、レヴォルに足を潰すほど握らせようとした。
 だが、それよりも先に、ぴたりとフォンの動きと藻掻きが止まった。

「……!?」

 彼自身の力ではないはず。もしもレヴォルの引力に抵抗するだけのパワーがまだ残っていたならば、早々に発揮していたはずだ。そうしないということは、今こうしてレヴォルの手でどれほど動かそうとしても反応がないのは、外部的要因があるのだ。
 赤と黒の水が澱む中、目を凝らしてリヴォルがフォンを見ると、彼の腹部に蛇の如く連なった刃が巻き付けられていた。フォンを切り刻むどころか、包帯のように傷を隠しているそれらは、明らかに水面の上から滝壺に差し込まれている。
 この奇怪な武器の正体を知るリヴォルが慌ててフォンを引きずり込もうとするよりも早く、蛇腹の剣――ギミックブレイドが、フォンを勢いよく水上へと引きずり出した。

「うお、うわあああッ!?」

 この状況に最も驚いていたのは、水中から無事脱出できたフォンだった。
 フォンが飛び出せば、彼の足を握っているレヴォルも、彼女を自分の傍から離すわけにはいかないリヴォルもついてくる。まるで大魚の一本釣りのような光景を眺めていると、剣が持ち主の元へと手繰り寄せられた。
 好機を逃さず、フォンはレヴォルの首に蹴りを叩き込む。水の中以外では彼に利があるようで、首なしの人形はたちまちフォンの足から手を離し、姉同様に地面に激突した。
 一方でフォンはというと、全身の痛みを堪えながらもどうにか無事に着地できた。

「げほ、ごほ……」

ぜいぜいと肩で息をする彼の体から刃が離れ、後方から走ってくる主人のもとに戻ってゆく。フォンは、自分を助けてくれた誰かの正体を、水中にいた頃から知っていた。

「……助かったよ……アンジー……」

 蛇腹剣、ギミックブレイドを振るいながらフォンに駆け寄ってきたのは、アンジェラだ。
 レヴォルに攻撃されてからずっと顔色がやや良くないが、刃でフォンを捕まえ、敵ごと引きずり出すほどの腕力は残っているらしい。薄手の鎧は針で貫かれた以外は大きな損傷もなく、一行では最も負傷の蓄積値が低いと言えるだろう。
 そんな彼女が加勢として滝の下まで来てくれたのは、フォンにはかなり有難い。

「随分とやられちゃったわね。動けそうにないなら、休んでてもいいのよ?」

 鼻で笑うアンジェラに微笑み返しながら、フォンはどうにか立ち上がる。

「……アンジーこそ……顔色が、悪いようだけど……?」
「あいつに針を刺されてから、なんだが調子が良くないのよ。血でも出過ぎたのかしらね?」
「調子が……それは、まさか……」

 フォンが何かを言おうとするより前に、リヴォルがようやく戦いの準備を終えた。
 首のないレヴォルに刃物と鎖鎌を持たせ、めをぎょろつかせて姉が吼える。

「お兄ちゃんと私の邪魔をしないでって昨日も言ったでしょ、このババア!」

 婆と呼ばれ、アンジェラの額に血管が浮かんだ。歳はまだ二十二だが、十九のクロエですら苛立つ禁句だ。リヴォルを憎むアンジェラが聞けば、猶更怒るだろう。

「……ここでケリをつけてやるわ、ガキが」
「ケリをつけるのはいいけど、アンジー、クロエ達はどこに?」
「三人とも、さっきの戦いで傷が少し開いたみたいよ。滝の上で体を休めてから下りてくるように伝えて、私だけがこっちに来たの。どうする、五人揃うまであいつを放っておく?」

 アンジェラの問いに、びしょ濡れのフォンは首を横に振った。

「……いいや、僕とアンジーで倒す。とどめは任せるよ」
「分かってきたじゃない、行くわよ、フォン!」
「ああ、言った通りケリをつけよう、アンジー」

 すう、と瞳のハイライトを消して拳を構えるフォンと、蛇腹剣の刃を垂らすアンジェラ。
 二人のコンビネーションに、白い髪を濡らしたリヴォルは天を仰いで激昂する。

「だから――お兄ちゃんから離れろって言ってるでしょうがああぁッ!?」

 首なし人形ですら絶叫しているのかと見紛うほどの雄叫びを上げながら、姉妹は物凄い勢いで二人に突進してきた。
 今度こそ因縁を、過去の憎悪を斬り払うべく、忍者と女騎士は迎え撃った。