「どうしたの? 余裕がなくなるには、早すぎじゃない?」
ぎりりと睨むだけの二人を、リヴォルはけらけらと嘲笑する。
「動けないならそのままでいてね。あの邪魔な騎士じゃなくてお兄ちゃんをおびき寄せるには、三つほど死体が必要だから、ね?」
どうやらリヴォルは、今朝の犯行現場に書いてあった通り、アンジェラではなくフォンだけを連れていきたいようだ。昨日の戦いでやや不利であると踏んだのか、他の目的があるのかは不明だが、そんな横暴を許すわけにはいかない。
「……死体になってやるつもりなど、毛頭ないでござる……!」
「サーシャも……まだまだここから……ッ!」
まだやれると、戦いはこれからだと、サーシャはメイスを握った。
カレンの頭の中に浮かんでいたのは、鞄の中から再び薬草を取り出すか、ポケットに忍ばせてある爆薬を爆発させて少しでもダメージを与える戦術。サーシャの脳裏に過るのは、人形ではなく本体を狙って潰す戦術。
どちらも同時に発生させれば、リヴォルに肉薄できる可能性もあっただろう。
ただ、二人は知らなかった。忍者が戦闘狂ではないと。わざわざ二人がもう一度連携攻撃を繰り出すほどの余裕を与えてやるほど有情でもないと。
「そうでござるよ、戦いは始まったばかり……」
今度こそ敵に一泡吹かせてやろうとカレンが睨んだ時、もうそこには誰もいなかった。
代わりに、自分の右隣に、四つの足が並んでいた。黒と白の衣服の裾が視界の端を通り過ぎた時、顔を向けるのを本能的に躊躇ったカレンの顔中から、汗が噴き出した。
己の隣に誰がいたか。何をしでかしたか。全てを悟った時には、遅かった。
「――お、ごっ」
己を奮い立たせようとしたサーシャの体に、一対の刃が突き刺さっていた。
メイスを手から零し、彼女は血を吐いた。肩や腕に込められた力が抜けていった。
カレンにはまるで、フォンの攻撃を見たような錯覚に陥った。風が通り過ぎるのが当たり前であるかのように、死を齎す。躊躇いどころかそうあって当然だと言わんばかりに、簡単にサーシャの腹を串刺しにする姿が、見ずとも脳裏に浮かんだ。
滝のように流れる汗が、手に握り締めた薬草を濡らした。枯草は使えなくなったが、それよりももっと大きな畏怖が、完全にカレンの体を支配していた。
「大丈夫だよ、そこの女と一緒で、殺してないから。死ぬのはずっと後だよ」
レヴォルとリヴォルは、間違いなく自分よりも強い。比べ物にならないほど、強い。
刃を抜かれたサーシャが斃れた姿をようやく見ると、死んでいないというのは確かなようだった。とはいえ、痙攣して目を見開いた姿は、文字通り死んでいないだけだ。
心臓を貫けば殺せるのに、どうして殺さなかったのか。といっても、リヴォルにも情があるなどカレンは微塵も思っていないし、彼女の考えも凡そ読めている。
「ちゃんと持って帰って、きっちり潰してからお兄ちゃんに見せないと。じゃないと、お兄ちゃんは本気を出してくれない。里にいた時のお兄ちゃんに戻ってくれないもん」
人形をカタカタと動かすリヴォルは、他の被害者同様に、三人を拷問し殺すつもりだ。
フォンを元に戻すという意味は分からないが、何かしらの目的の為だけに、クロエもサーシャも生かされている。血は未だに流れて、しかも双方まともに動けないが、リヴォルに目的がある限りは生かされるようである。
とはいえ、逃がされる道理もない。たった一人、立ち上がる気力すら足から抜けてしまったカレンを放っておくほど、裂けた口で嗤うリヴォルは甘くない。血で濡れた刃はくるりと切っ先を変えて、既に彼女に狙いを定めている。
「あれ、反撃しないの? 反抗しないの? そっちがそのつもりなら……えいっ!」
リヴォルの鋭い蹴りが、カレンの顔に直撃した。
「ぶ、ぐおッ!?」
予期しない打撃に仰け反ったカレンだが、リヴォルの追撃はやまない。誰も来ないのをいいことに、カレンが倒れるのを許さず、蹴りと拳の連撃を叩き込む。
「ぐ、うが、あぎいぃッ!」
一発、二発では済まない。人形を動かすのと併せて、器用に暴力が振るわれてゆく。
暴漢や悪漢の単純な殴打ではない。正確な打突はカレンの体の自由を奪い、血を吐かせ、肉を腫れ上がらせながらも死を許さない。倒れ込めば、リヴォルが引いてくれた代わりに、今度は人形が踏みつけてくる。
「うぐ、あがあぁあ……!」
蹲るしか抵抗が許されていない。腹よりもずっと硬く、防御力の高いはずの背中に撃ち込まれる足は背骨に響き、少し力を加えればへし折ってしまうだろう。しかもまだ音を上げないと見るや、鋸を装備した方の足で踏みつけたのだ。
「がぎゃあああッ!?」
背中を引き裂き、絶叫を伴うストンピングを叩き込んでも鞄を守るように亀の如く耐えるカレン。彼女を蹴るのに飽きたのか、リヴォルはレヴォルを手元に寄せた。
「……ふう、もう抵抗できないかな? じゃあ、仲間と一緒に連れていこっか。勿論、抵抗できないように三人とも、手足を斬り落としてからね」
黴のように、リヴォルが近寄ってくる。カレンはぴくりともせず、動きもしない。
忍術を使うから忍者の端くれかとも思ったが、どうやらリヴォルの見込み違いのようだ。或いはフォンの弟子だろうか。もしもそうならば、彼女を惨たらしく吊るしてやれば、フォンはどれだけ怒ってくれるだろうか。
勇者パーティに依頼された暗殺など、あくまでついででしかない。リヴォルの真意は別にあり、彼女達への拷問こそが目的の為に必要なのだ。
だからこそ、時間をかけるのは終わりだ。刃で手足を削ぎ、連れ帰るだけだ。
「じゃあ、お兄ちゃんにお別れしようね。次に会う時は、死んでからだから――」
そう言ってレヴォルの刃を振り下ろそうとしたリヴォルだったが、手を止めた。
「――そうは、いく、かあぁ!」
突然亀の防御を解いたカレンが、鞄の中身をリヴォルに見せつけたからだ。
「忍法・火遁『大爆散花火』ぃッ!」
ただ見せつけただけではない。蹲っている、攻撃を受けている間にずっと何かしらの準備を施していたのか、白い鞄の中からとんでもない量の炎が飛び出してきた。
「ッ!?」
背中が真っ赤に染まるほどの攻撃を耐え続けてきた分、忍術の火力は凄まじかった。使いようによっては、集会所くらいは軽く燃やし尽くせる炎がどんどん鞄から発射されてゆく。リヴォルは咄嗟にレヴォルを退かせたので、焼け焦げすらしなかった。
しかし、カレンの目的が別にあると、リヴォルは直ぐに察した。
(成程、狼煙の代わりだね。これを見れば人は……少なくとも、お兄ちゃんは来るね)
そう。カレンは攻撃のつもりではなく、狼煙として花火を上げたのだ。
路地裏を埋め尽くすほどの轟音を齎す花火だ、仮に忍者でなくとも人は集まって来るだろう。もしもフォンやアンジェラが近くにいたならば、駆け寄ってこないはずがない。
フォンだけならば儲けものだが、アンジェラや関係のない人間まで来られると厄介極まりない。皆殺しにしてもいいが、手の内を晒すのは気が進まない。
何より、足音がもう近づいてきている。この速さで迫ってくるのは手練れとみていい。
「……死にかけの分際に一本取られるのは癪だけど、仕方ないか」
敵が自分を追う速度とフォンの仲間を担いで逃げる速度を計算すれば、追いつかれる可能性が高い。目的の為には、現状必要以上のリスクは犯せないのだ。
武器を仕舞った人形を手元に寄せると、リヴォルは塀を越え、音も立てずに消え去った。
一方、花火が完全に収まったのを感じながら、カレンはゆっくりと目を閉じかけていた。
彼女の心の中にあるのは安堵ではなく、後悔だった。本来守るべき相手に全てを託す行いは、弟子として恥ずべき行為であり、己の無力に他ならなかった。しかし、仲間を守る為にはこうするしかなかったのだ。
師匠にどう詫びようか。若しくは、会えないままに死ぬだろうか。
色々な思いを秘めたまま、仲間と共に、カレンの意識は途絶えていった。
ぎりりと睨むだけの二人を、リヴォルはけらけらと嘲笑する。
「動けないならそのままでいてね。あの邪魔な騎士じゃなくてお兄ちゃんをおびき寄せるには、三つほど死体が必要だから、ね?」
どうやらリヴォルは、今朝の犯行現場に書いてあった通り、アンジェラではなくフォンだけを連れていきたいようだ。昨日の戦いでやや不利であると踏んだのか、他の目的があるのかは不明だが、そんな横暴を許すわけにはいかない。
「……死体になってやるつもりなど、毛頭ないでござる……!」
「サーシャも……まだまだここから……ッ!」
まだやれると、戦いはこれからだと、サーシャはメイスを握った。
カレンの頭の中に浮かんでいたのは、鞄の中から再び薬草を取り出すか、ポケットに忍ばせてある爆薬を爆発させて少しでもダメージを与える戦術。サーシャの脳裏に過るのは、人形ではなく本体を狙って潰す戦術。
どちらも同時に発生させれば、リヴォルに肉薄できる可能性もあっただろう。
ただ、二人は知らなかった。忍者が戦闘狂ではないと。わざわざ二人がもう一度連携攻撃を繰り出すほどの余裕を与えてやるほど有情でもないと。
「そうでござるよ、戦いは始まったばかり……」
今度こそ敵に一泡吹かせてやろうとカレンが睨んだ時、もうそこには誰もいなかった。
代わりに、自分の右隣に、四つの足が並んでいた。黒と白の衣服の裾が視界の端を通り過ぎた時、顔を向けるのを本能的に躊躇ったカレンの顔中から、汗が噴き出した。
己の隣に誰がいたか。何をしでかしたか。全てを悟った時には、遅かった。
「――お、ごっ」
己を奮い立たせようとしたサーシャの体に、一対の刃が突き刺さっていた。
メイスを手から零し、彼女は血を吐いた。肩や腕に込められた力が抜けていった。
カレンにはまるで、フォンの攻撃を見たような錯覚に陥った。風が通り過ぎるのが当たり前であるかのように、死を齎す。躊躇いどころかそうあって当然だと言わんばかりに、簡単にサーシャの腹を串刺しにする姿が、見ずとも脳裏に浮かんだ。
滝のように流れる汗が、手に握り締めた薬草を濡らした。枯草は使えなくなったが、それよりももっと大きな畏怖が、完全にカレンの体を支配していた。
「大丈夫だよ、そこの女と一緒で、殺してないから。死ぬのはずっと後だよ」
レヴォルとリヴォルは、間違いなく自分よりも強い。比べ物にならないほど、強い。
刃を抜かれたサーシャが斃れた姿をようやく見ると、死んでいないというのは確かなようだった。とはいえ、痙攣して目を見開いた姿は、文字通り死んでいないだけだ。
心臓を貫けば殺せるのに、どうして殺さなかったのか。といっても、リヴォルにも情があるなどカレンは微塵も思っていないし、彼女の考えも凡そ読めている。
「ちゃんと持って帰って、きっちり潰してからお兄ちゃんに見せないと。じゃないと、お兄ちゃんは本気を出してくれない。里にいた時のお兄ちゃんに戻ってくれないもん」
人形をカタカタと動かすリヴォルは、他の被害者同様に、三人を拷問し殺すつもりだ。
フォンを元に戻すという意味は分からないが、何かしらの目的の為だけに、クロエもサーシャも生かされている。血は未だに流れて、しかも双方まともに動けないが、リヴォルに目的がある限りは生かされるようである。
とはいえ、逃がされる道理もない。たった一人、立ち上がる気力すら足から抜けてしまったカレンを放っておくほど、裂けた口で嗤うリヴォルは甘くない。血で濡れた刃はくるりと切っ先を変えて、既に彼女に狙いを定めている。
「あれ、反撃しないの? 反抗しないの? そっちがそのつもりなら……えいっ!」
リヴォルの鋭い蹴りが、カレンの顔に直撃した。
「ぶ、ぐおッ!?」
予期しない打撃に仰け反ったカレンだが、リヴォルの追撃はやまない。誰も来ないのをいいことに、カレンが倒れるのを許さず、蹴りと拳の連撃を叩き込む。
「ぐ、うが、あぎいぃッ!」
一発、二発では済まない。人形を動かすのと併せて、器用に暴力が振るわれてゆく。
暴漢や悪漢の単純な殴打ではない。正確な打突はカレンの体の自由を奪い、血を吐かせ、肉を腫れ上がらせながらも死を許さない。倒れ込めば、リヴォルが引いてくれた代わりに、今度は人形が踏みつけてくる。
「うぐ、あがあぁあ……!」
蹲るしか抵抗が許されていない。腹よりもずっと硬く、防御力の高いはずの背中に撃ち込まれる足は背骨に響き、少し力を加えればへし折ってしまうだろう。しかもまだ音を上げないと見るや、鋸を装備した方の足で踏みつけたのだ。
「がぎゃあああッ!?」
背中を引き裂き、絶叫を伴うストンピングを叩き込んでも鞄を守るように亀の如く耐えるカレン。彼女を蹴るのに飽きたのか、リヴォルはレヴォルを手元に寄せた。
「……ふう、もう抵抗できないかな? じゃあ、仲間と一緒に連れていこっか。勿論、抵抗できないように三人とも、手足を斬り落としてからね」
黴のように、リヴォルが近寄ってくる。カレンはぴくりともせず、動きもしない。
忍術を使うから忍者の端くれかとも思ったが、どうやらリヴォルの見込み違いのようだ。或いはフォンの弟子だろうか。もしもそうならば、彼女を惨たらしく吊るしてやれば、フォンはどれだけ怒ってくれるだろうか。
勇者パーティに依頼された暗殺など、あくまでついででしかない。リヴォルの真意は別にあり、彼女達への拷問こそが目的の為に必要なのだ。
だからこそ、時間をかけるのは終わりだ。刃で手足を削ぎ、連れ帰るだけだ。
「じゃあ、お兄ちゃんにお別れしようね。次に会う時は、死んでからだから――」
そう言ってレヴォルの刃を振り下ろそうとしたリヴォルだったが、手を止めた。
「――そうは、いく、かあぁ!」
突然亀の防御を解いたカレンが、鞄の中身をリヴォルに見せつけたからだ。
「忍法・火遁『大爆散花火』ぃッ!」
ただ見せつけただけではない。蹲っている、攻撃を受けている間にずっと何かしらの準備を施していたのか、白い鞄の中からとんでもない量の炎が飛び出してきた。
「ッ!?」
背中が真っ赤に染まるほどの攻撃を耐え続けてきた分、忍術の火力は凄まじかった。使いようによっては、集会所くらいは軽く燃やし尽くせる炎がどんどん鞄から発射されてゆく。リヴォルは咄嗟にレヴォルを退かせたので、焼け焦げすらしなかった。
しかし、カレンの目的が別にあると、リヴォルは直ぐに察した。
(成程、狼煙の代わりだね。これを見れば人は……少なくとも、お兄ちゃんは来るね)
そう。カレンは攻撃のつもりではなく、狼煙として花火を上げたのだ。
路地裏を埋め尽くすほどの轟音を齎す花火だ、仮に忍者でなくとも人は集まって来るだろう。もしもフォンやアンジェラが近くにいたならば、駆け寄ってこないはずがない。
フォンだけならば儲けものだが、アンジェラや関係のない人間まで来られると厄介極まりない。皆殺しにしてもいいが、手の内を晒すのは気が進まない。
何より、足音がもう近づいてきている。この速さで迫ってくるのは手練れとみていい。
「……死にかけの分際に一本取られるのは癪だけど、仕方ないか」
敵が自分を追う速度とフォンの仲間を担いで逃げる速度を計算すれば、追いつかれる可能性が高い。目的の為には、現状必要以上のリスクは犯せないのだ。
武器を仕舞った人形を手元に寄せると、リヴォルは塀を越え、音も立てずに消え去った。
一方、花火が完全に収まったのを感じながら、カレンはゆっくりと目を閉じかけていた。
彼女の心の中にあるのは安堵ではなく、後悔だった。本来守るべき相手に全てを託す行いは、弟子として恥ずべき行為であり、己の無力に他ならなかった。しかし、仲間を守る為にはこうするしかなかったのだ。
師匠にどう詫びようか。若しくは、会えないままに死ぬだろうか。
色々な思いを秘めたまま、仲間と共に、カレンの意識は途絶えていった。