「――クロエ!」

 カレン達が叫ぶのを待っていたかの如く、クロエは塀から落ちた。武器の全てを手放した彼女にとって唯一幸いだったのは、レヴォルの刃がクロエの体を裂かず、腹に風穴を開けただけだったことだ。だから彼女は地面に叩きつけられても、五体満足のままでいられた。
 とはいえ、受けたのは忍者の一撃だ。斃れ込んだクロエの目は既に光が消え失せており、口から血を垂れ流していた。地面にはただどくどくと、腹から洩れる血が溜まってゆく。

「お前、クロエに、よくもッ!」

 リヴォル達が塀から降り、クロエにとどめを刺そうとするよりも先に、サーシャ達が駆け出した。勇者達など目に留めず、彼らの間をすり抜けて忍者へと襲い掛かる。

「あはは、急に怒り出しちゃってどうしたのーっ?」

 眼球が飛び出るのではないかと思うほど激高したサーシャのメイスによる殴打も、カレンの研ぎ澄まされた爪による斬撃も、どちらもレヴォルの体が簡単に受け止めてしまった。
 しかも、これといって苦労した様子でもない。明らかに質量差のあるメイスと鋭い爪を、裾から伸ばした二振りの刃が制してしまう。二人とも相当な力を込めているはずなのに、レヴォルの表情は当然崩れず、リヴォルはけらけらと笑う余裕まである。

「ちっ、このッ!」

 とうとう、サーシャ達の方がレヴォルに攻撃を弾かれてしまった。
 それでもカレンは器用に足を伸ばし、クロエの体に爪先を引っかけると、彼女と武器を思い切りこちらに引き寄せた。靴を履いていようと器用に人間を掴む技術は予想外だったのか、リヴォルは簡単にクロエを逃がしてしまった。
 距離を取った二人は不意に、クラーク達に背を向けていると思い出した。彼らのことだから背後から攻撃してくるものだと思い、振り向こうとしたが、既に勇者パーティは戦闘ではなく、逃亡しか頭になかったらしい。

「ちょうどいい機会だ、やっちまえ! 絶対に逃がすんじゃねえぞ!」

 クラークは捨て台詞を吐きながら、仲間と共にどたばたと走り去ってしまった。

「待つでござる、この卑怯者!」

そんな極悪人を追おうとしたカレンだったが、背を向けた相手の殺気を全身で感じ取り、再びリヴォルへと向き直った。くすくすと笑い、余裕綽々の態度を見せる彼女は、サーシャ一人で倒せる相手ではない。ましてや、自分達を逃がしもしない。

「……カレン、こいつ、強い」

 サーシャの声が少し上ずっているのが、何よりの証拠だ。

「師匠が危険だというほどの相手でござる、強いのは百も承知! しかしここでクロエを守らねば必ず殺される……やるしかないでござる!」
「サーシャ、同感。サーシャが攻める、お前、援護しろ」
「がってん!」

 二人が作戦会議をする一方で、リヴォルは人形を揺らしながら退屈そうにしている。

「作戦は決まった? 二人で私達と戦うの、お兄ちゃんも呼ばずに?」
「呼べばお主の思うつぼでござろう、ここで拙者達がお主を倒す!」

 言うが早いか、カレンは白い提げ鞄から枯れた薬草を取り出すと、爪で擦った。

「行くでござるよ、サーシャ! 忍法・火遁『鬼火の術』!」

 そうしてカレンが投げつけた枯草は、たちまち炎を伴い、火の玉となってリヴォルへと襲い掛かった。摩擦で簡単に発火する特殊な薬草を用いた『鬼火の術』は、火遁忍術を得意とするカレンの十八番だ。
 流石に炎は斬れないのか、レヴォルは黒いコートでさっと防ぐ。衣類に火が触れた途端、視界を遮るように炎が舞い上がったが、リヴォルに被害は及んでいないようだ。

「こんな程度の炎じゃ、レヴォルのコートすら焼けないよ!」
「焼くのが目的ではないでござる、遮られて視界でどこまで防御できるでござるかな!?」

 カレンの言葉通り、彼女の攻撃は、あくまで攻撃ではない。
 黒いコートをはためかせて炎が取り払われて開かれたリヴォルの眼前には、鬼の形相でメイスを振りかぶるサーシャの姿があった。

「はあぁッ!」

 これこそがカレンの目的であり、作戦だ。大袈裟な火遁忍術で気を引き、サーシャの一撃で確実に頭を叩き潰す。シンプルだが確実で、レヴォルを長時間相手取るよりも安全だ。
 尤も、彼女達の作戦には、ある項目が考慮されていなかった。つまり、リヴォルがフォンにとってすら凶悪と言えるほどの実力者であり、レヴォルがアンジェラの猛攻を防ぎきるほどの性能を有していることである。

「そんなの、防ぐ前から見えてるよっ!」

 リヴォルが指を小刻みに動かすと、レヴォルが体を使ってメイスの盾になった。
 瞬間、サーシャは腕が痺れた。こちらがレヴォルを殴ったというのに、攻撃を叩き込んだ人形の右腕はひびの一つすら入らず、メイスの打撃が押し負けてしまったのだ。

「なっ、こいつ……!?」

 何が起きたのかとサーシャが理解するより早く、レヴォルの回し蹴りが、宙に浮いたままの彼女の腹に直撃した。

「うごぉっ!?」

 腹筋が浮き出るほど鍛え上げられたサーシャの体が曲がった。これでもかと大きく目を見開き、口から何とも知れない汁を噴き出し、彼女は後方に吹っ飛んだ。

「サーシャ、何が、わぁッ!?」

 奇襲の失敗に驚くカレンだったが、そんな余裕はない。
 今度は彼女の前にレヴォルがやって来ると、反撃の忍術を使わせる余裕すら与えず、拳を叩き込んだのだ。反射的にカレンは右手で人形の蹴りを防いだが、腕の骨がへし曲がってしまったかの如く、凄まじい激痛が奔る。
 しかも、レヴォルの攻撃はこれだけに留まらない。人形の爪先が開いたかと思うと、そこから円形の鋸が勢いよく回転しながら飛び出したのだ。
 人形が足を振り抜くと、鋸がカレンの腕を抉った。

「ぐがああぁッ!」

 皮をこそぎ落とされる痛みに悶絶するカレンを、リヴォルの右足が蹴り飛ばした。
今度こそ防御もできず、顔面に蹴りを受けた彼女はサーシャと同様に地べたに転がった。強烈な打撃で呼吸すら能わなかったサーシャだが、仲間の不利を見て、どうにか立ち上がる。

「はぁ、はぁ……たった、一撃で、この威力を……ぐぅ!?」

 それすら、リヴォルは許さなかった。
 レヴォルは姉の命令に従い、サーシャの肩を切り裂いた。よろめいた彼女の腕を潰すように、続けざまに裏拳を命中させ、起き上がろうとしたカレン諸共右足の蹴りでクロエの元へと転がり込まされる。
 三、四発の攻撃で、二人は体を重く感じるほどのダメージを負った。
 かたかたと鳴る人形の足音は、既に二人にとって、死に神のノックとなっていた。

「……並じゃないでござる、こやつ……!」

 クロエ以上に血が流れるのも構わず、双方が起こす。できるならクロエの止血をしてやりたいが、リヴォルから僅かでも目を逸らせば、ここに二つの死体が追加で積み重なる。
はっきり言って、敵の戦力は予想以上だ。リヴォルはどう見ても実力の半分も出していないのに、カレンとサーシャを圧倒している。二振りの刃と足の回転鋸だけでも二人を殺すには十分過ぎるのに、恐らくこの何倍もの武器を、人形は隠しているのだ。
ここにきてようやく――二人は忍者と自分達との力の差を、理解させられた。