早朝から発生した残虐極まりない犯行の話は、瞬く間に街中に広まった。
 人々の間に生まれつつあった不安や恐れは、今や確実なものとして存在していた。
 昨日の宿の爆発と自警団集会所での虐殺、そして今回の放火。あまりにも脈絡がなく、且つ残酷な殺しは、街の住人達に自らを殺人ゲームの駒であると認識させるには十分だった。
 何の関係もない家屋群が焼き尽くされるという惨状は、誰が犠牲になるか先が見えないと印象付けるには過剰な表現だともいえる。事実、街に住む一部富裕層は早々にギルディアから王都ネリオスに一時避難を済ませてしまっていた。
 自警団の生き残った団員は犠牲者よりずっと多かったが、事件を完全に腫れものとしていた。下手に手を出して刃物で体中を貫かれたくないと誰もが思っていたし、中には退団届を出す者もいた。唯一の守護者が身を引くのだから、街の状況は完全に無法といっていい。
 ギルディア全体が、たった二日間で陰惨な空気に包まれた。

 それは、フォン達が朝から集まった冒険者の総合案内所も同様だった。
 いつもなら雑談に興じる冒険者が多くいる案内所だが、今日はがらんとしていた。屋根の修理がまだ完了しておらず、陽の光が真上から差し込んでいるのも理由だが、街にいるよりは依頼を受けて外に出た方が安全だと思った面々が、こぞって街の外に出たからだ。
 スタッフや受付嬢の人数も最小限で、声も聞こえてこない。普段は必ず案内所にいる組合長のウォンディの姿すらも見えない。テーブルを囲む冒険者はまばらで、フォン一行とアンジェラを除けば四組ほどしかいなかった。勇者パーティすらも、いつもの場所にいない。

「……師匠、大丈夫でござるか」

 だから、カレンがフォンの心を案じる声も、普段よりずっと屋内に響いた。

「……大丈夫だよ。ああ、大丈夫だ」

 クロエやサーシャ、アンジェラと同じように椅子に座り、無表情を作って答えるフォン。バンダナで口元を覆い隠したその顔は、明らかな怒りを宿していた。
 鎮火した現場を、フォン達も見に行っていた。そして地面に彫られた忍者文字のメッセージを解読し、彼は無関連の街を滅ぼそうとしているのがリヴォルだと悟ったのだ。
 焼け死んだ人を見た。大火傷を負って呻く人を見た。リヴォルの自己満足と、フォンを引きずり出す為だけに生きながら地獄を味わったのかと思うと、彼はこみ上げる怒りと後悔の念で、心臓が張り裂けそうだった。

「問題ないって顔色じゃないわよ、フォン」

 無関係の人間を殺されたという点で言えば、アンジェラも相応に怒っていた。ベンを含めた肉親を皆殺しにされた光景と、人々への暴虐が重なって見えるのだろうか。

「……アンジーも……」
「ええ、そうよ。私は怒ってる。貴方に言われるまでもなくね」

 フォンに指摘されるよりも先に、どっかりと腰かけるアンジェラは、自分の感情を吐露した。そうしなくても、悪い目つきや腕を組んで指を叩く仕草から、怒りを内包するどころか発露しているのは一目瞭然だ。

「いいえ、怒ってるなんてものじゃない。街の安全を脅かして、フォンの良心に働きかけようとする奴、復讐するべき相手じゃなくても切り刻んでやりたくなるわ」
「アンジェラ、お前、家族を殺された。辛い気持ちか」
「辛いというより、あの女を足から細切れにしてやりたい気分よ」

 街の雰囲気に呑まれたかのように、フォン達の顔も陰鬱だ。そうでなければアンジェラのように憤怒に満ちていて、いずれも穏やかとは言い難い。
 こんな状況に彼らを置いて、敵は恐るべき選択を迫ってきているのだ。

「忍者文字の脅迫が正しければ、一人で谷に来なければ毎日人を殺すと……」
「それに、待ち合わせ場所は南東の谷……街から進んだ先にあるのは、モルデン谷だね。魔物の多い渓谷で、人はあまり寄り付かない。そんな場所をわざわざ指定するくらいだから、多分罠を張って待ち構えてる……一人で行くのは危険すぎるよ、フォン」
「行かないと無関係の住民が、もっと酷いやり方で殺されるでござる。リヴォルを捕らえられれば手っ取り早いでござるが、何処にいるやら……」
「サーシャ、奴の匂い、追えない。あいつ、どこにいるか、分からない」

 黙りこくる三人の沈黙を裂いたのは、アンジェラだった。

「――私はあの女を探すわ。こんなところでじっとなんて、してられない」
「あてはあるの、アンジェラ?」

 すっくと席を立ち、フォン達に背中を向けるアンジェラに、クロエが問う。

「ないわ。けど、奴はこの街にまだいる。そんな気がするの」
「そんな気って、具体的な……」
「我慢も、こんなところでうだうだしてるのも、私の性に合わないのよ!」

 とうとう癇癪玉を破裂させたように怒鳴ったアンジェラは、そのままどかどかと案内所の外へと出て行ってしまった。相当大きな声で喚いたというのに、周りの冒険者は我関せずといった態度のままだった。
 追いかけようとして一度は立ち上がったクロエだったが、意味はないとも思ったのか、もう一度座り込んでしまった。武骨で不愛想なサーシャですら俯いているのだから、カレンの顔色といったら、まるでこの世の終末が来てしまったかのようだ。
 誰も、何も言わない。誰かが沈黙を破るまで、受付嬢が書類を整理する音だけが響く。
 幸い、小さなため息と共に、今回はフォンが口を開いてくれた。

「……皆、少しだけ一人にしてくれないかな」

 守られるべき者から、あえて一人になりたいという提案。
 普通ならば、到底呑めるはずがない。フォンがどれだけ孤独を望むとしても、彼に迫る魔の手を遮るべく共に居ようと決めた矢先に言われれば、納得するはずがない。

「……分かった。少しだけだよ」

 だが、今回は違った。最も彼を守りたいと願っているクロエが真っ先に席を立ったのだ。
 カレンとサーシャは目を見開いたが、同時にクロエの目配せにも気づいた。そして、二人も彼女に促されるようにして、静かに立ち上がった。

「フォン、通りを歩いてくるよ。気分が落ち着いたら、また呼んでね」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。サーシャ、カレン、行こっか」

 クロエに連れられ、二人は席を離れた。
 案内所の外へと繋がる扉を開けた三人の耳に、フォンがテーブルを拳で叩く音が聞こえたが、誰も振り向かなかった。無力さに食いしばる歯も、忍者としてあるまじき感情の発露も、誰も見ようとはしなかった。
 彼の虚しさと悲しみを塞ぐように、扉は閉められた。