「なんだあぁッ!?」
「誰かが落ちてきたぞ!」

 たちまち、案内所は騒然となった。
 当然だ。いつものように依頼を受注し、食事をしているところに、突然屋根と人間が落ちてきたのだから。落下地点はしかも依頼の受付カウンターで、幸い受付嬢達がいないところに想定外の来客は落下したが、紙を張り出した木製のボードは粉砕された。
 受付嬢達は声にならない声を上げて施設の壁にへばりつき、歴戦の冒険者ですら驚愕を隠し切れない。大体の冒険者や案内所のスタッフは転んでしまっている。

「ぐ、うぅ……」

 そんな中、大量の瓦礫をどかして、フォンが起き上がった。
 落下時のダメージも含めて、強い痛みが体に残る。それでもどうにか起き上がったフォンだが、敵の方が先手を取っていた。

「――動かないで、お兄ちゃん。ここにいる人達の命が惜しいなら、ね」

 リヴォルとレヴォルの姉妹は、既に瓦礫の中から脱出していた。
 恐らく、落下した時点で即座に動ける体勢を整えていたのだろう。フォンが落とした武器を取るよりも早く動き出したレヴォルの右肘が僅かに開き、そこから紫色の煙がほんの少しだけ漏れ出しているのを見た彼は、しゃがんで苦無を掴もうとした手を止めた。
 煙草の煙のように、ちょっとずつ空気に舞う煙。それが何であるか、彼は知っている。

「……毒ガスか」

 周囲に聞こえないくらいの声でフォンが確かめると、歯を見せてリヴォルが笑った。

「そうだよ、バクカエンタケとサイキョウカブトを煎じた、私特製の毒。解毒剤を打ってる私には効かないけれど、普通の人間なら吸うだけで内臓が爛れて死んじゃうんだ。お兄ちゃんも忍者だから大丈夫だと思うけど……周りの人は、どうかなあ?」

 くすくすと笑うリヴォルは、こう言えばフォンが抵抗できなくなると察していた。
 フォンにとっては、周りが話している内容までは耳に入ってきていない様子なのが幸いだった。もしも声が聞こえるほど近くに人が来ていれば、今のパニック程度では済まなくなるだろう。我先にと狭い入口から逃げ出そうとするし、下手をすれば恐怖は外にも伝播する。
ならば、フォンの行動は固定される。苦無に触れず、手を挙げて無抵抗だと伝えるだけ。

「……攻撃はしない。毒ガスの流布を止めてくれ」
「這いつくばって、無抵抗を示して。これ以上ごねるなら、今ここで……」
「分かった、言う通りにする!」

 姉妹が苛立ったのを感じ取ったフォンは、頭を下げ、ゆっくりと手を地面につけた。寝転ぶようにはなれなかったが、土下座をするような姿勢になった彼を見て、リヴォルは嗤う。

「そうそう、それでいいんだよ。大人しく言うことを聞いてればいいの」

 床しか見えないフォンの耳に、レヴォルが近づく足音が聞こえる。他の人々の足踏みや騒ぎ声が小さくなってきた点から鑑みると、恐らく視線は自分達に集中している。
 加えて、人形の足音が寄ってくる。どうすればいいか、思考を必死に巡らせる。

「とりあえず、足の一本でも斬り落としておこっかな。必要なら腕も、残った足も」

 煙が止まる代わりに、埃塗れのコートから刃をせり出し、リヴォルの指輪と奇怪な指の動きによって操られたレヴォルが姉と共に迫る。彼女のスペックであれば、人一人の手足を切断するのに手間など必要ない。
 リヴォルは、勝利を確信した。大好きなフォンを連れ帰れると確信していた。

「観念してね、お兄ちゃん。それじゃあまずは、左足から――」

 だから、振り下ろそうとしたレヴォルの刃も、止められるはずがないと思った。
 フォンも、彼自身に止める術はなかった。
 ――レヴォルが動きを止め、大きく震えるまでは。

「……え?」

 リヴォルも、何が起きているのかを理解できず、足を止めた。変化など有り得ないはず。フォンの動きは止めたし、周りの有象無象に抵抗する力などない。そもそも、屋内で人の動きがあれば、忍者が見逃すはずがない。
 そう。彼女の考えは当たっている。案内所の中では、誰も動いていない。

「――随分と追い詰められてるみたいね、フォン?」

 案内所の空け開いた扉の奥から、長く伸びた蛇腹剣『ギミックブレイド』をレヴォルの腹に突き刺した女騎士――アンジェラを除いては。

「アンジー……!」

 思わず顔を上げたフォンは、悠然と立つ彼女の顔を見て、顔を綻ばせた。
 橙色の短髪のウルフカット、大人びた顔つき、騎士にしては珍しい薄手のドレスのような鎧。何より両手に備え付けられた盾と蛇腹剣の複合武器が、何よりの特徴だ。そんなアンジェラが悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、レヴォルの動きを剣で止めていた。

「貴女は、いったい……!?」
「さあ、私のことを聞くよりも、隣の子を心配した方がいいんじゃないかしらっ!」

 手練れの忍者であるはずのリヴォルですら気配を察せなかった奇襲を繰り出したアンジェラは、振り向いた彼女を無視して、鞭を引く要領で蛇腹剣を引き寄せた。
 あまりに強烈な牽引は、武器を仕込んで相当重いはずのレヴォルを宙に浮かせた。それだけでなく、まるで魚を一本釣りするかのように、レヴォルを案内所の外へと叩き出してしまったのだ。

「なんて怪力を……きゃあぁッ!?」

 こんな好機を、フォンが逃すはずがない。
 瞬時に跳ね起きた彼は、アンジェラに視線を向けたリヴォルを思い切り蹴り飛ばした。
 体の全てをばねに見立てた強烈な一撃は、華奢な少女の体をくの字に曲げ、アンジェラのところまで吹っ飛んでしまった。当然、女騎士が彼女を受け止める道理などなく、リヴォルは妹と同じように陽の下へ引きずり出された。
 とにかく、窮地は脱せた。安堵の気持ちを抑え、フォンはアンジェラに駆け寄る。

「助かったよ、アンジー。どうしてここに?」

 敵から視線を逸らさないまま、アンジェラが答える。

「宿を吹っ飛ばして、自警団の集会所で大量殺人、挙句の果てには案内所の屋根を突き破ったんだから、王都騎士が介入しないはずがないでしょう? ま、そうでなくても貴方の危機には駆け付けるから、安心してちょうだい、フォン」
「ありがとう。けど、敵は普通じゃない。油断しないで」
「分かってる。剣を突き刺した感覚で気づいたわ、あの黒い服の子、人間じゃない」
「そうだ。簡単に話すと、あの白い服の子が、黒い服の人形を操ってる」
「人形? あれだけ精巧な人形を操るって――」

 奇妙な敵の存在に首を傾げているアンジェラだったが、不意に目を見開いた。
 人だかりの中に叩き込まれた姉妹のうち、果物売りの露店から這い出たリヴォルの右肩に彫られた、龍の刺青を見てしまったのだ。
 野次馬達をどかすのも、アンジェラと刺青の繋がりを忘れていたフォンが間に割って入るよりも先に、陽気さを消し飛ばした彼女は震える声で言った。

「――そこのお嬢さん、龍の刺青を彫っているのね」
「痛たた……おばさん、誰? この刺青がどうかした?」

 首を鳴らしながらレヴォルを引きずり出したリヴォルは、それがどうかしたのかと言いたげな顔だ。アンジェラの怒りに満ちた表情とは、まるで逆の顔つきだ。

「おばさんじゃなくて、お姉さんよ。ところで貴女、暗殺業でもやってるのかしら?」
「よく分かったね、おばさん。それで、何が聞きたいの?」

 勿体ぶるなと言いたげなリヴォルに、拳を握り締めながら、アンジェラは問う。

「――騎士の家族を殺したことはある? 女騎士の家族を?」

 自身の家族を殺したのかと、氷のような憤怒を込めて聞いた。