「――いない?」
「ああ、バルバロッサならついさっき、朝食のサンドイッチを買いに行ったよ。散歩も兼ねて、この時間はいつも外に出ているんだ」
「爆発事件があったってのに、呑気な騎士だね……」
一室が吹き飛んだ宿から大分歩いたところに、自警団の集会所がある。
別段寝泊まりする場所ではなく、ボランティアとして活動する自警団が集まる施設なので、赤い屋根の下には椅子やテーブルが幾つか並べられているだけ。外には訓練用の広い芝生の庭があるが、使用する者はあまりいない。
そんなところに、フォン達は自警団の面々によって連れて来られ、奥のテーブルに座らされていた。当然、彼らを連れてきた男達が囲うようにして立っている。
といっても、単に連行されただけではない。事情聴取も兼ねて、彼らは王都騎士であるアンジェラに相談を持ち掛けに来たのだ。彼女が普段は集会所に滞在しているのは知っていたし、事情聴取の件がなくてもここに来るつもりだった。
彼女は忍者についても、こういったトラブルについても頼れる女性だ。王都ネリオスでも五本の指に入る実力者だし、フォン達とも交友関係にあると言える。相手が忍者である以上、半端に自警団や冒険者組合に声をかけるよりはずっと適役である。
ただ、まさか肝心のアンジェラがいないとは、フォンも思っていなかった。宿が爆破されたというのに朝食を優先するとは、随分とマイペースなものである。
「仕方ない、この手の事件は自警団の管轄だと、彼女は普段から言ってるから。自分が気になった事件にしか首を突っ込まないけど実力はあるから、困ったもので……」
「本音が漏れる気持ちも分かるよ。それで、いつ頃には帰ってくるの?」
「さあ、直ぐに帰って来る日もあれば、昼間まで戻ってこない日もある。この時間には帰ってくるとは保証しきれないし、我々としては、先に君達から話を聞きたいんだが」
自警団の男達がそう言うが、フォン達は顔を見合わせた。
「拙者達はもう、経緯を話したでござるよ。部屋に入ろうとしたら爆発したと」
「ああ、そうは聞いた。けど、納得できると思うか?」
カレンの後ろの男が、にらみを利かせたような声で威圧する。
「ドアを開けたら爆発しました、犯人に覚えはありません、と。あのな、普通は恨みでも買わなければ部屋を粉微塵にされないんだよ」
「サーシャも、こいつらも、恨み、買ってない」
「勇者パーティはどうだ? あいつらともめていただろう?」
「あの連中に、こんな大事を仕掛ける勇気はないよ。というか、そう思ってるならそいつらを呼んで来たら? あたし達を殺そうとしてないか、って」
「近頃はともかく、勇者パーティはまだまだギルディアで権威を持っている。いくら自警団とはいえ、証拠もないのにここまで引きずっては来られないんでな」
「あたし達になら、言えるってわけ? 面の皮が厚すぎない?」
未だに勇者の権力なるものが街に存在しているのに、一行は驚きを隠せなかった。
殺人未遂にデマの流布、聞くところによると方々にツケを溜めているし、気に入らない冒険者を決闘という名義で叩きのめしているらしい。そんな連中が根深く権力を持っているとすれば、やはり冒険者組合長のウォンディと深い仲だからだろう。
アンジェラのパートナーにクラーク達を推薦するくらいだし、癒着も専らの噂となっている。自警団としても手が出せないのは、ある意味仕方ないのかもしれない。
「……とにかく、君達には暫くここにいてもらう。重要参考人だからな」
「重要参考人? 被害者の間違いじゃないの?」
クロエの問いかけを無視する様子を見る辺り、彼らでは話にならなさそうだ。
「サーシャ、無視されるの、嫌い」
「落ち着いて、サーシャ」
思わず彼らに掴みかかろうとしたサーシャを、フォンが制した。
「アンジェラが帰ってくるまでの辛抱だ。今はここで――」
自分達の理解者が戻ってくるまで耐えるべきだと、フォンが言おうとした時だった。
「……おい、誰だ?」
フォン達を囲んでいる連中とは別の男の声が、集会所に響いた。
何があったのかと全員が声のした方を振り向くと、誰かに話しかけた男の視線は、集会の所の入口に向いていた。門から一直線に開けられ、陽の逆光が差し込んでいる。
そこに、誰かがいた。
いや、正確には誰かと誰か。上から下まで真っ黒なコートに身を包んだ二人が、陽の光を背中に浴びながら、ゆっくりと集会所に入ってきたのだ。
一言も話さず、足音すら立てず、俯いたまま歩いてくる。頭部をすっぽりと覆うフードのせいで、顔が黒く塗り潰されてしまったかのようである。
「なに、あれ?」
「なんだか嫌な予感がするでござるよ、師匠」
クロエとカレンが警戒する中、屋内にいる十人以上の自警団の団員達は、異様な雰囲気を醸し出す二人にわらわらと近寄ってゆく。いずれも手に武器を持ち、どう見ても怪しい不審者をしょっ引く気なのは明白である。
「誰だと聞いたんだ。怪しいな、フードを脱げ」
凄みの利いた声を聞き、手前にいた人物が、静かに被っていたフードを脱いだ。
その瞬間、集会所にいた全員が、我が目を疑った。
「……な、に?」
フードの中から現れたのは、フォンの顔だった。
彼も、彼の仲間ですらフォンだと認識できるくらい、その顔は完全にフォンだった。離れたところに座っている彼女達ですらそう認識したのだから、近くに立つ者からすれば、どうして彼が二人もいるのか、脳が理解を拒むだろう。
だから、彼らは息を呑み、指差しながら上ずった声で慄くしかなかった。
「お、お前――」
そんな面々に対して、コートを纏ったフォンは、にやりと笑った。フォンとは似ても似つかない、邪悪を腹の底に溜め込んだ笑顔を浮かべたのを見て、本物は咄嗟に叫んだ。
「皆、逃げろ!」
彼が声を張り上げ、仲間達の体を掴んでテーブルの下に引きずり込んだのは、笑顔の裏にとてつもない危険性を感じ取ったからだけではない。
近くの自警団よりも、一行を見張っていた者達よりも真っ先に、もう一人のフォンがコートをはだけて自身の体を露出させたのに気付いたからだ。そしてその中身が、人間のような肌色ではなく、まるで操り人形のような無機質な木々の構築物だとも。
大小様々な木材、鋼材、その他諸々を複雑に組み合わせて作られた、人間の紛い物。
入り組んだ体の奥に煌めくのは、白銀の刃。
「なんだ、これ、は――」
自警団の誰もが危険だと判断し、逃げようとした時には、遅かった。
偽物の体から弓矢のように放たれた無数の刃物が、集まった男達の体を貫いた。
「――ぎゃあああぁぁッ!?」
地獄が、あっという間に広がった。
フォンの偽物が縦横無尽に放った刃物は、人間の体を容易く貫通し、壁に突き刺さった。刃に触れた男達は相応に鍛えているようだったが、何の役にも立たないと言わんばかりに風穴を開けられ、最も近づいていた者は血を噴き出して絶命した。
彼らだけではない。遠くで状況を見つめていた者は顔面に刃物が刺さり、何が起きたのかと立ち上がった者は内臓がまろび出で、椅子に座って昼寝をしていた者は頬が裂けた。
つまり、ほんの僅かな間に、集会所は死体と血で埋め尽くされたのだ。
それは当然、フォン達を取り囲んでいた自警団の連中も例外ではなかった。体の内側からナイフを弾き飛ばすという凄まじい攻撃は、等しく彼らの体も切り刻み、肉塊へと変えてしまった。ずるりと胴体が揺れ、血肉の塊となって床に落ちた。
「ひ、ひぃ……!?」
「何が、何が起きたんだ……」
たちまち、呻き声以外の声は聞こえなくなった。残されたのは、入口に立つ二人。
「……無事かい、皆」
加えて、テーブルを倒して盾にし、身を縮こまらせていたフォン達だ。
死と痛みが蔓延する集会所で、彼らだけは無事だった。テーブルにも刃物は何本か刺さっているが、どれも仲間達に被害は与えていない。
「無事だけど、フォン、今のは!?」
尤も、無事であるからといって、困惑していないわけがない。
突如現れた敵。ばねの如く跳ね出された無数の刃物。貫かれ、斬られ、刺されて死んでいった自警団の面々。死者と負傷者を山ほど出してはいるが、これはあくまでついでのはず。
爆発に続いてこんな攻撃を受けたのだ。まず間違いなく、狙いはフォンだろう。
「仕込み武器だ……そして僕を、狙って来たんだ!」
言うが早いか、フォンはテーブルの影から飛び出した。
謎の二人組はというと、もう入口にはいなかった。まるでフォン達に警告しに来ただけであるかのように、しかも足音の一つも立てずにいなくなっていたのだ。そんな理由で人をここまで殺してのける相手を、フォンが放っておくはずがない。
「クロエ、サーシャ! 街の診療所に声をかけて、彼らの救護を頼む! カレンは他の集会所に行って、パトロール中の自警団を集めてきてくれ! 少しでも人手が必要だ!」
「師匠は、師匠はどうするでござるか!?」
「奴らを追う! あんな危険な敵を、これ以上野放しにしておけない!」
一気に駆け出したフォンは、三人の目から見ても熱くなっているようだった。自分の事柄については冷静でも、他者が傷つけられるのは許せないのは、彼の性分だ。
だとしても、フォンの単独行動を、クロエ達は見過ごせない。
「あたし達も行くよ! 敵が危険なら、フォンを一人でなんか行かせない!」
「駄目だ、僕の言う通りにしてくれ! 敵を追う数を増やしても意味がないんだ!」
「サーシャ、お前を一人には……」
「診療所に行くんだ! 行けッ!」
「フォン……!」
語気を強めてテーブルから出た仲間達を、同じくらいの声で怒鳴った彼はもう見ていなかった。三人が引き留めるよりも先に、フォンは入口から外に飛び出していた。
クロエの声や、サーシャの制止が聞こえてきても、フォンは足を止めなかったし、踵を返そうともしなかった。半ば強引に自分の命令を聞かせるのは気が引けたが、こうでもしなければ仲間達はフォンの身を案じるのを最優先にしてしまうだろう。
だから、彼は一人で敵を追うことにした。集会所で起きた惨劇を知らないからか、朝の街を歩く人々は呑気に鼻歌を歌っているし、露店で買い物に勤しんでいる。
ありきたりな格好の住民達しかいない、露店が犇めく通りで黒いコートに身を包んでいれば、嫌でも目に付く。敵の格好が幸いして、フォンは直ぐに、人混みに紛れようとする二人組の姿を見つけられた。
「――待て!」
声を上げてフォンが再び走り出すと、彼を待っていたかのように、二人は逃げ出す。
その速さは、並の人間ではない。忍者ではあるからこれくらいは当たり前だと予想していたが、街の人々の間を、雨のようにすり抜けてゆく。フォンも同様に人混みの中に入ってゆくが、自然と人にぶつかってしまう。
「おい、何やってんだ!」
「気を付けろ!」
がたいの良い男や主婦に言葉をぶつけられるが、フォンの目と耳には敵の動きしか入ってこない。もみくちゃにすらなりそうな彼を試すかの如く、二人組は叩く跳躍した。
「っ!?」
たった一跳びで、敵は近くの武具屋の屋根に飛び移り、総合案内所のある方角へと走り去ってしまった。ここまですればようやく、周囲の人々も疾走する影を指差す。
これが仮に挑発だとしても、逃す手はない。フォンも体をぐっと屈めると、一気に薬屋の青い屋根へと跳び乗った。下からは凄い奴だ、何が起きたのかと騒ぎ立てる声が聞こえてくるが、クロエ達以上に関心を持たず、フォンは敵を追いかける。
敵が屋根伝いにジャンプすれば、フォンも屋根と屋根の間を駆ける。
敵が煙突から他の煙突に飛び乗れば、フォンも同様に跳躍する。
大通りから自分を指差して叫ぶ群衆たちに見られているのも、忍者らしさも構わずに、ただひたすら二人組を捕らえようと走るフォンだったが、敵に変化が起きた。
冒険者の総合案内所に近づいてきたのを一瞥した黒いコートの二人は、どう見積もっても家屋五つ分は離れたところにある案内所の巨大な屋根を見据えた。
そして、さっきとは比べ物にならないくらいの跳躍力で、案内所へと飛翔した。
翼も使っていないのに飛翔と称したのは、まるで吸い込まれるように屋根へと飛躍し、ものの見事に着地してみせたからだ。平坦な煉瓦が積まれたそこは着地も難しくないようで、さして衝撃を受けず、すっと立ち上がってみせた。
二人組は軽くコートの汚れを掃うと、自分が元居た遠くの屋根を見る。フォンの姿は既になく、下で人々の騒々しい話し合いが聞こえるだけ。
さては諦めたか。フードの中の黒い顔を背け、二人は振り返った。
「――どこに行くつもりだ?」
果たして、諦めなどしない。
いつの間にか、彼は二人組と同じ案内所の屋根へと移動していた。
しかも音を立てず、敵に気配すら悟らせず、さも当然であるかのように。冷たい茶色の瞳はもう一人の自分を見つめ、邪悪として断定している。
そんな相手にフォンが言う言葉は、一つだ。
「悪いけど、容赦する気にはなれない。徹底的に尋問させてもらう」
フォンは、パーカーの裾からするりと取り出した苦無を握った。
フォンが確実に敵を捕らえようとしているのと同様に、敵もこれ以上逃げようとは思っていないようだった。代わりに、彼をここで消そうと考えてはいるらしい。
もう一人のフォンが羽織るコートの裾から、鋭い刃が伸びてきた。柄が見えない刃は、まるで騎士が使う剣のように、陽の光を浴びて輝いている。
それだけではない。右手で剣を握り、左手には黒い四つの刃が付いた鋼の板を三つ、指の間に挟んでいる。掌大の大きさしかないが触れた空気すら斬り裂きそうな鋭さを誇るその武器が『手裏剣』と呼ばれるのを、フォンは知っている。
やはり、予想は当たっていた。手裏剣を使うのならば、敵は高確率で忍者だ。
「……忍者だな、名を名乗れ」
無言でしか返さない敵に、フォンは畳みかけるように話し続ける。
「どうして僕を狙う? 僕を知っているのか、恨みでもあるのか――」
そこから先は、何も言えなかった。
べらべらと喋る彼を黙らせるかの如く、もう一人のフォンが左手を振りかぶり、手裏剣を投擲してきたからだ。
「――ッ!」
フォンは跳躍し、身を翻してかわした。服を僅かに掠める感触が肌にも伝わってきたが、そんな些末な問題は、着地した彼の眼前に迫る偽物によって掻き消された。
偽物が振るう刃は、山賊やただの冒険者が剣や鉈を振り回すのとわけが違う。どこに当たればいいという乱雑さはなく、確実に急所である喉を串刺しにしようとした。
速さと力強さを両立した一撃の切っ先を、フォンは苦無をぶつけてずらす。火花が散るよりも先に、もう一人のフォンはくるりと体を回転させ、今度は本物の腕を斬り飛ばすべく、突風よりも勢いよく刃を薙ぐ。
常人であれば上半身を裂かれる一撃だが、攻撃を予期していたかのようにフォンは苦無で防御する。刃は偽物の方が大きく、力もともすれば敵の方が強いが、技術で勝る本物は苦無をぶつけた地点から敵を全く動かさない。
フォンと無機質な偽物の顔が、じりじりと近づく。虚空を見つめるようなそれの目を見るのは無意味だと判断した彼は、攻撃を一人に任せてばかりのもう一人を観察する。
(指を、動かしている? 何かを操っているのか?)
後方で立っているばかりの何者かは、指を揺らすかのように動かしているだけだった。
ピアノを弱々しく演奏している時のような、か細い指の動かし方。暇を持て余しているかのようにも見えるが、相手が忍者であれば、あらゆる挙動に意味がある。漆黒の衣装を身に纏ったそれが何をしているのか。
再び動いた指の正体を探るよりも先に、偽物のフォンが刃を突き放った。
しかも今度は、手裏剣を持っていた方の左手にも同じ刃を握り締めている。苦無一本に一振りで敵わないのならば二振りの武器で切り刻んでやろうというのだ。
距離を取ったフォンだが、偽物は瞬時に間を詰めてくる。人間とは思えない動きで体を捻り、不可思議な姿勢を一本の手足だけで支えて猛攻を仕掛けてくる敵に対し、フォンはじりじりと後方へ圧されてゆく。
ここが好機とばかりに、一人は指の動きを強め、もう一人は大袈裟に刃を振るう。
だが、そうやって敵が優勢になったと判断するのを、フォンは待っていた。
「甘いッ!」
相手を殺そうとする瞬間にこそ、攻撃が最も大振りになるとフォンは知っていた。だからこそ、彼は自身の首を掻き斬ろうとした二振りの刃を屈んでかわし、がら空きになった敵の顎目掛けてアッパーを叩き込んだ。
一人の指の動きが止まり、もう一人がぐらつく。刃を握る力が弱まった隙を逃さず、フォンはすかさず腹に蹴りを一発、微かなひびが入った顔に苦無を握った拳を三発、直撃させる。
ようやく偽物は現状をどうにかしようと動き出すが、何もかもがもう遅い。
敵が刃を薙ぐよりも先に、フォンの渾身のパンチが、その顔面を抉り取った。
大気がみしり、と音を立てるかのような一撃は勢いよく振り抜かれ、肌を破壊し、偽物を吹き飛ばした。顔を屋根の瓦で削りながら転げ回ったそれは、もう一人の敵の足元まで殴り飛ばされ、ようやく止まった。
普通なら、顔の皮を根こそぎ剥がれたショックで死ぬだろう。少なくとも、フォンから見れば確実に顔の皮は一枚剥ぎ落された。
「……成程」
彼の推測は当たっていた。皮膚は確かに一枚、削がれた。
「僕の顔は、偽物か」
しかし、静かに立ち上がったそれの内側にはもう一枚、別の顔があった。
フォンとは似ても似つかない貌――女性の顔だった。剥がれた彼の顔がまだ三割ほど残っているので全貌は不明だが、目の大きさ、丸みを帯びた輪郭など、これまで男性の顔つきだったとは思えないほど、どう見ても同年代の少女の顔なのだ。
しかも、よく見れば体格まで変わりつつある。フォンと同様に細い男性的な体つきではなく、華奢な少女の肉付きへといつの間にか変貌を遂げていた。瞬く間にフォンではなくなったそれの変化の理由に、彼は気づいていた。
「君は人間じゃないな。ついでに言えば、生命ですらない。さしずめ、後ろのもう一人が操っている人形といったところだな」
武器を交えた感覚。殴った感覚。屋根を踏む音、その他諸々、十の要点。フォンの洞察力は、眼前の敵の片割れが人間でなく、人形の類だと結論付けた。
ぼろぼろと剥がれてゆく顔をじっと見つめるフォンは、話を続ける。
「ずっと動かない一人が、糸も使わずに、指先の動作で人形を動かす。さも人間の如く傀儡を動かす技術は大したものだが、その『禁術』を僕は知っている……種は明かされたんだ、正体を見せろ」
沈黙が流れる。八割ほど失われた偽物の肌が、真なる顔を晒しだす。
やがて、小さなため息と共に、フードで顔を隠した敵が口を開いた。
「――凄いね、『傀儡の術』を知ってるなんて。やっぱり、お兄ちゃんはカッコいいなあ」
お兄ちゃん。
兄を呼び、指し示す単語。ただのそれだけなのに、フォンは背筋が凍り付いた。
「でも、私達のこと、忘れちゃったのかな。寂しいな、私はずっと覚えてたのに」
可愛らしい、愛嬌に満ちた声の持ち主は、コートを脱ぎ捨てた。
人形もまた、完全にフォンの肌が剥がれた顔を上げた。
「……君は……!」
「思い出してくれたんだね、覚えててくれたんだね」
フォンは知っていた。全く同じ顔を持つ、まるで双子のような少女と人形を。
「久しぶり、お兄ちゃん。ずっと、ずっと、ずうっと、会いたかったよ」
白い髪をたなびかせ、肩に龍の刺青をぎらつかせ、人形を操る少女は微笑んだ。
歯と肉が見えるほど裂けた――頬まで裂けた、悪魔の口で。
フォンは、二重の意味で現実を信じられなかった。
「……レヴォル、君は僕が殺したはずだ! 忍者の里を滅ぼした時に!」
レヴォルと呼ばれた白髪の少女を、フォンは覚えている。なんせ、自分の手で殺したのだ。
痩せぎすの体型で、身長はカレンと同じくらい。純白のセミロングヘアはやや癖毛気味で、髪の端が丸みを帯びている。ぱっちり開いた淡い緑色の瞳、首筋に彫られた忍者文字の刺青と、肩の龍の刺青。同年代の同性と比べても相当可愛らしい顔つき。
いずれも、彼が知るレヴォルの特徴と合致している。だからこそ、有り得ない。
燃え盛る忍者の里と、彼女が死ぬ様を、フォンはまだ忘れられない。抵抗する余地すら与えなかった彼女の四肢を斬り落とし、喉を苦無で裂き、里諸共焼き払った。
他の忍者も同様の殺し方をしたが、レヴォルに関してはことさら入念に殺した。それくらい危険だと知っていたし、だからこそ優先的に始末したのだが、まさか生きていたとは。しかも、同じ顔の人形まで用意して、フォンに遭いに来るとは。
「他の忍者と一緒に、確実に殺した! どうしてここにいるんだ!」
いつになく焦った様子のフォンとは対照的に、人形を揺らしながら、少女は心底楽しそうに嗤っている。肩の露出した白いワンピースと灰色のサンダルだけを見れば薄幸の美少女に見えなくもないのに、抉れた頬の肉と露出した歯のせいで怪物めいて見える。
「うん、お兄ちゃんは殺したよ? 確かにあの時、忍者の里にいた忍者は皆、お兄ちゃんが殺した。仲間も、マスター・ニンジャも、レジェンダリー・ハンゾーも、みーんな」
「だったらどうして、レヴォルは……」
「それはね、お兄ちゃん。私はレヴォルじゃないからだよ」
フォンは生まれて初めて、我が耳を疑った。外見は間違いなく、フォンが知るレヴォル――共に忍者の里で過ごした同僚だ。その本人が否定するなら、彼女は何者か。
「……なら、お前は、いったい……!?」
呼吸すら忘れつつあるフォンに、彼女は一層口を引き攣らせて言った。
「私はね――リヴォル。レヴォルの双子の姉だよ」
リヴォル。その存在を、フォンは全く知らなかった。全く同じ格好と顔をしたレヴォルならば知っていたが、双子などとは聞かされたこともなかった。忍者の里にいても、レヴォルからそんな話を聞いた覚えもない。
自分の知らない巨大な闇が鎌首をもたげているような気がして、怖気は止まらなかった。
「レヴォルに姉がいるなんて、僕は知らない。里に隠れていた忍者も全員殺した」
「でも、私はここにいる。長い話になるけど、理由を聞きたい?」
「……手短に話せ」
「分かった。単刀直入に言うとね、私は里に来た時から、隔離されていたの」
忍者の里にやって来る幼子達は、いずれも捨て子か、どこかの村落から拉致されてくる。忍者として高い素質を持ち合わせている者が殆どで、同じ釜の飯を食って育つ。だから、一部の子供が離されているなど信じられない。
フォンもまた、連れられてきた一人だ。里で修行を受け、世に知られない恐るべき任務や、国を揺るがす暗殺を繰り返してきた。自分は里に信頼されていると思っていたし、知らない謎など存在しないと思っていたが、彼は思い上がっていたらしい。
自分の知らない謎が明かされていくうち、フォンの腹の内に、不安が生じてくる。
「隔離……?」
「私とレヴォルをスカウトしたマスター・ハンゾーは、有り難いことに、私の方に才能を見出したの。レジェンダリー・ニンジャによって里と違うところに引き離されて、忍者としての修行を受けたんだ……お兄ちゃんみたいな反逆者が出た時の為に」
レジェンダリー・ハンゾーならフォンも知っている。
唐草模様の着物、瞳以外を包帯で隠した顔の老人。忍者の里を統べる最も強い忍者であり、現在の三代目フォンに才能を見出した張本人でもある。彼が里を滅ぼす理由ともなった相手だ、フォンが忘れるはずがない。
フォンは彼の予想を超えて反逆したつもりだった。だが、あくまでつもり、のようだった。
「読まれていたのか、僕が里に反旗を翻すと?」
「さあ? ハンゾーは誰が忍者を壊滅させても再興できるように、私達を隠し玉として用意したの。そのハンゾーがどうなったかなんてのは、お兄ちゃんが良く知ってるでしょ?」
けらけらと笑うリヴォルの目は、嘘を言っていない。全てが事実だ。
「お兄ちゃんが里を滅ぼしてから、私達は隔離された第二の里を出たの。私は最初から決めてたよ。ハンゾーに従って、お兄ちゃんに会いに行くんだって……レヴォルは死んでたから、里に寄ったついでに使わせてもらったけど」
リヴォルとレヴォル。双子。同じ顔をした人形。フォンの仮説が、現実となる。
「……まさか、『傀儡の術』の生贄にしたのは……!?」
少女は、無機質な肌を持つ人形の口を動かし、笑わせた。
「大正解。お兄ちゃんが殺したレヴォルを、私が人形にしたの。禁術『傀儡の術』でね」
見た目を彼女に寄せたのではない。この人形そのものが、彼女の妹なのだ。
「『傀儡の術』については知ってる? 人間の死体を使って、五十の工程を経て特殊な加工を施すの。そうすれば見た目はそのまま、中身だけを別のものへと作り替えられるの。でも、そこまでならただの人形。体に無数の武器を仕込んだだけの人形に……」
「莫大な魔力が封じられた希少鉱物『魔宝玉』を、心臓と挿げ替える。それを内蔵された人形は、強固な肉体と再生能力を獲得する。お前の指に嵌められた指輪の動きを察知し、その操作によってのみ動く……人道から逸脱したからこそ、禁術に指定された忍術だ」
「流石はお兄ちゃん。詳細まで知ってるなんて凄いね!」
リヴォルに褒められても、フォンはちっとも嬉しくなかった。この純粋無垢な少女が自分の妹を兵器へと変貌させたと知った今、相手を人間と認識することすら難しかった。
体中に武器を仕込み、人間を遥かに超えた強固さと身長を変えられるほどの柔軟さを獲得した人形は、リヴォルが両手の指に嵌めた十個の白銀の指輪の動きに応じて――つまりは指の動きに合わせて、精密で俊敏な動作を可能とする。
人間を人形へと改造する非道性、人形を操るのに使う魔宝玉の入手の難しさ、指と連動した操縦法を会得する難易度の高さから、『傀儡の術』は忍者でさえ使うのを躊躇い、憚られる禁術に指定された。それをよもや、自身の妹で実行するとは。
「どうしてレヴォルなんだ、他にも死体はあったはずだ! レヴォルだって、体の殆どを焼き払った! 使い道はなかったはずだろう!?」
リヴォルの顔から、急に笑顔が消えた。
「……憎かったから」
「何だと?」
「私が隔離されてる間、妹は何度も私に会いに来て、外の世界について話してくれたんだ」
無表情の人形を、怨嗟を込めた目で睨んでいる。
「修行のこと、任務のこと、そしてお兄ちゃんのこと。お兄ちゃんがどんな人で、どんな忍者で、おまけに三代目フォンになるとも聞かされたの。私は任務と修行以外を何も知らないのに、自分だけが外で楽しみと享受してる。恋するくらい素敵な人を独占してる――」
フォンの謎が、一つだけ解けた。面識のない彼を兄と呼ぶ理由が。
「――だから、今はとても楽しいの。レヴォルの全てを奪い取るって、夢が叶ったんだ」
彼女は、フォンなど知らなかった。
レヴォルに成り代わり、全てを奪い取り、彼女が持つ恋慕を己のものとしただけだ。
「お兄ちゃんを独占するのが許せなかった。光の世界に一人でいるのも許せなかった。だからあの日、私はレヴォルを人形にして、あの子の人生を貰ったの」
人々の声が、遠く聞こえるように気がした。風の音も、同様に。
「レヴォルの感情も、願いも、思いも、今は全部私のもの。だから、お兄ちゃんを今日初めて見たとしても、私はずっとお兄ちゃんが好きだったんだよ。分かるかな、この気持ち?」
恐らく、リヴォルは半ば狂っていて、且つ自我がないのだと、フォンは思った。
恋慕の感情はレヴォルから奪い取り、人格は妹との会話で形成された。禁術を使えるほどの才能を持ちながら己が存在しないのだから、ハンゾーが重宝して秘匿するのも頷ける。忍者を道具とするなら、リヴォルほどの逸材は存在しない。
しかも今は、そこに邪悪さと悍ましさが混同しているのだ。
「ハンゾーは私達に、忍者の里を再び作り直してくれってずっと言ってたの。勿論、私は彼の遺志に従うし、やり遂げるつもりだよ。一応計画を立ててるんだけど、聞きたい?」
「聞きたくない。再興なんてさせるわけにはいかない」
「ううん、聞いてもらうね。里を再興するには人数が足りないし、まずはお兄ちゃんと私でたっくさん子供を作って、あの頃と同じくらいの忍者を養成すればいいんじゃないかなって思ってるの! 後のことは考えてないけど、お兄ちゃんも賛成してくれるよね!」
「……笑えない冗談だ。この話はもういい、僕が聞きたいことは別にある」
頬を赤らめて照れるリヴォルに対し、フォンの顔はどこまでも冷めていた。提案も、彼女の狂気も、フォンにとってはまるで有り難くない。かつてのフォンがどうあれ、今の彼は平和を愛し、仲間を守ることに全てを捧げている男だ。
そんな彼が気にするとすれば、リヴォルの人生計画ではなく、別の事柄である。
「ここに来るまでに、他の人を殺したのか?」
「うん、暗殺でお金を稼いでたからね。忍者だってお金がないと生きてけないよ」
「王都騎士の家族を殺したか? 犯罪者に依頼されて、一家を拷問して殺した記憶は?」
フォンの話す家族とは、つまりアンジェラの家族のことだ。
彼女が探す忍者は、肩に龍の刺青を彫った忍者だ。フォンはずっとリヴォルがその犯人だと思っていたし、もしも遭遇するなら真実を必ず聞くと決めていた。
今のリヴォルを見れば、拷問と暗殺など躊躇わずに行うと彼は確信していた。
「……やったよ? 確か、バルバロッサとかいう騎士の家族を殺してくれって。言い値の報酬額をやるから苦しめて殺せって言われたからそうしたけど、どうかしたの?」
やはり。リヴォルはアンジェラの家族を拷問して殺した、張本人だ。
この時点で、フォンはどうあってもリヴォルを逃がすわけにはいかなくなった。暗殺者を野放しにするのも、彼女を放置するのも危険すぎるからだ。
ただし、敵を逃がすつもりはないのは、フォンだけでなくリヴォルも同様である。
「とりあえず、余計な話はもうおしまい。お兄ちゃんが話を聞いてくれないなら、捕まえて隠れ家に連れて行くね。もしも抵抗するなら……」
「抵抗するなら?」
「両の手足をもいで、持って帰る」
リヴォルが指を軽く鳴らすと、ずっと黙っていたレヴォルが黒いコートを靡かせ、がちゃりと体を震わせた。両手に握っていた刃を仕舞い、代わりに袖から飛び出したのは、巨大な分銅が二つ付いた鎖。どうやら本当に、体中に無数の武器を格納しているようだ。
一方でフォンも、もう一度苦無を握り締める。全神経を集中し、レヴォルの一挙一動を見逃すものかと言わんばかりに、人間と見紛う無機質の人形を凝視する。
「どうする、お兄ちゃん? 私についてくるか、手足を失うか、選んでね」
「逆だ、僕がお前を捕える」
「分かった――それじゃ、芋虫にしてあげる」
フォンも激突の覚悟はしていたが、より殺意に満ちていたのはリヴォルの方だった。
彼が返答し終えるか否かの間に、ほんの少しの指の動きに合わせて、人形の妹が鎖を振るってきた。上半身を真逆に捻って勢いをつけるという、人間では不可能な動きで加速された鎖と分銅は、人間の肉くらいなら確実にミンチにする。
フォンは分銅を苦無で弾き飛ばしたが、振動は肩まで伝わってきた。隙をついてレヴォルはもう片方の鎖を叩きつけようと突撃してきたが、空いた方の手にもう一本の苦無を滑らせ、彼は別の鎖を弾く。
そうしてがら空きになった体目掛けて、人形は蹴りを叩き込もうとする。鎖の攻撃を防ぎ切り、彼はレヴォルの足裏を前腕で受け止めた。
「ぐッ……!」
びりびりと、衝撃が体を痺れさせる。『傀儡の術』で強化された人形は人間よりもずっと頑強になると聞いていたが、蹴りの威力はまるで鉄球をぶつけられたようだ。
それでも痛撃であると微塵も感じさせない無表情で、フォンはレヴォルに攻撃を繰り出す。リヴォルが彼を見ながら指を動かすと、レヴォルは彼の腕を踏み台にして飛び退き、またも鎖を鞭に見立てて連撃する。
目にも留まらぬ鉄の鎖による打撃は、瓦を砕くほどの破壊力も伴う。それを避け続けながら苦無による攻撃のチャンスを見出そうとするフォンも、最早人間離れしている。
しかも、レヴォルだけでは攻撃の手数が少ないと踏んだのか、今度はリヴォルまでもが攻撃に参加してくる。鎖の間を縫うように紛れ、拳の殴打を直撃させようと肉薄する彼女と距離を取りながらも、フォンは人形の暗器を蹴り払う。
傍から見ればとても思考と視界が追い付かない超速の攻防戦は、足元を爆砕してゆく。
(並の人間ならもう十回は死んでるのに、凄いね、お兄ちゃん!)
(人形の硬さにリヴォルの洞察眼が合さって……攻撃を、いつまで防げるか……!)
どちらも互いが不利だと見ている。早々に決着を付けなければまずいとも思っている。
リヴォルは無意識の、フォンは自覚のある焦りが、攻撃と防御を焦らせる。苛烈な鎖の殴打が瓦を砕き、宙を舞うかかと落としがひびを入れる。
みしり、と足元が音を立てているのにも気づかないほど、双方の戦いは熱くなっている。
そうしているうち、回避をさせないと言わんばかりに、レヴォルの両腕が凄い速さで回転し始めた。一緒に高速で輪を描く分銅と鎖が、岩を掘削するかのように周囲を砕く。
「今度は避けさせないよ、お兄ちゃん! 手の骨を砕くから、覚悟してね!」
あんなものに触れれば、いかにフォンといえどもただでは済まない。
「ちぃ……!」
がりがりという音では比喩しきれないほどの轟音が、とうとう足音に溝を作った時。
「……あれ?」
不意に、フォンとリヴォル、レヴォルの体ががくりと落ち込んだ。
刹那の間に起きた事象だったので、三人とも気づけなかった。既に彼らの足元はほぼ破壊され尽くしていて、あと少しの衝撃で屋根に風穴があいてしまうと。レヴォルが高速回転させた鎖の攻撃は、その許容範囲を容易く超えてしまっていると。
崩れ往く音と瓦が潰れる感覚と共に、やっと双方は状況を把握した。
「うわああぁぁぁッ!?」
案内所の屋根――その一部が崩落し、フォン達は纏めて屋内に墜落してしまった。
瓦とそれを支える木材、人間と人形が落下し、とてつもない勢いで埃が巻き上がった。
「なんだあぁッ!?」
「誰かが落ちてきたぞ!」
たちまち、案内所は騒然となった。
当然だ。いつものように依頼を受注し、食事をしているところに、突然屋根と人間が落ちてきたのだから。落下地点はしかも依頼の受付カウンターで、幸い受付嬢達がいないところに想定外の来客は落下したが、紙を張り出した木製のボードは粉砕された。
受付嬢達は声にならない声を上げて施設の壁にへばりつき、歴戦の冒険者ですら驚愕を隠し切れない。大体の冒険者や案内所のスタッフは転んでしまっている。
「ぐ、うぅ……」
そんな中、大量の瓦礫をどかして、フォンが起き上がった。
落下時のダメージも含めて、強い痛みが体に残る。それでもどうにか起き上がったフォンだが、敵の方が先手を取っていた。
「――動かないで、お兄ちゃん。ここにいる人達の命が惜しいなら、ね」
リヴォルとレヴォルの姉妹は、既に瓦礫の中から脱出していた。
恐らく、落下した時点で即座に動ける体勢を整えていたのだろう。フォンが落とした武器を取るよりも早く動き出したレヴォルの右肘が僅かに開き、そこから紫色の煙がほんの少しだけ漏れ出しているのを見た彼は、しゃがんで苦無を掴もうとした手を止めた。
煙草の煙のように、ちょっとずつ空気に舞う煙。それが何であるか、彼は知っている。
「……毒ガスか」
周囲に聞こえないくらいの声でフォンが確かめると、歯を見せてリヴォルが笑った。
「そうだよ、バクカエンタケとサイキョウカブトを煎じた、私特製の毒。解毒剤を打ってる私には効かないけれど、普通の人間なら吸うだけで内臓が爛れて死んじゃうんだ。お兄ちゃんも忍者だから大丈夫だと思うけど……周りの人は、どうかなあ?」
くすくすと笑うリヴォルは、こう言えばフォンが抵抗できなくなると察していた。
フォンにとっては、周りが話している内容までは耳に入ってきていない様子なのが幸いだった。もしも声が聞こえるほど近くに人が来ていれば、今のパニック程度では済まなくなるだろう。我先にと狭い入口から逃げ出そうとするし、下手をすれば恐怖は外にも伝播する。
ならば、フォンの行動は固定される。苦無に触れず、手を挙げて無抵抗だと伝えるだけ。
「……攻撃はしない。毒ガスの流布を止めてくれ」
「這いつくばって、無抵抗を示して。これ以上ごねるなら、今ここで……」
「分かった、言う通りにする!」
姉妹が苛立ったのを感じ取ったフォンは、頭を下げ、ゆっくりと手を地面につけた。寝転ぶようにはなれなかったが、土下座をするような姿勢になった彼を見て、リヴォルは嗤う。
「そうそう、それでいいんだよ。大人しく言うことを聞いてればいいの」
床しか見えないフォンの耳に、レヴォルが近づく足音が聞こえる。他の人々の足踏みや騒ぎ声が小さくなってきた点から鑑みると、恐らく視線は自分達に集中している。
加えて、人形の足音が寄ってくる。どうすればいいか、思考を必死に巡らせる。
「とりあえず、足の一本でも斬り落としておこっかな。必要なら腕も、残った足も」
煙が止まる代わりに、埃塗れのコートから刃をせり出し、リヴォルの指輪と奇怪な指の動きによって操られたレヴォルが姉と共に迫る。彼女のスペックであれば、人一人の手足を切断するのに手間など必要ない。
リヴォルは、勝利を確信した。大好きなフォンを連れ帰れると確信していた。
「観念してね、お兄ちゃん。それじゃあまずは、左足から――」
だから、振り下ろそうとしたレヴォルの刃も、止められるはずがないと思った。
フォンも、彼自身に止める術はなかった。
――レヴォルが動きを止め、大きく震えるまでは。
「……え?」
リヴォルも、何が起きているのかを理解できず、足を止めた。変化など有り得ないはず。フォンの動きは止めたし、周りの有象無象に抵抗する力などない。そもそも、屋内で人の動きがあれば、忍者が見逃すはずがない。
そう。彼女の考えは当たっている。案内所の中では、誰も動いていない。
「――随分と追い詰められてるみたいね、フォン?」
案内所の空け開いた扉の奥から、長く伸びた蛇腹剣『ギミックブレイド』をレヴォルの腹に突き刺した女騎士――アンジェラを除いては。
「アンジー……!」
思わず顔を上げたフォンは、悠然と立つ彼女の顔を見て、顔を綻ばせた。
橙色の短髪のウルフカット、大人びた顔つき、騎士にしては珍しい薄手のドレスのような鎧。何より両手に備え付けられた盾と蛇腹剣の複合武器が、何よりの特徴だ。そんなアンジェラが悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、レヴォルの動きを剣で止めていた。
「貴女は、いったい……!?」
「さあ、私のことを聞くよりも、隣の子を心配した方がいいんじゃないかしらっ!」
手練れの忍者であるはずのリヴォルですら気配を察せなかった奇襲を繰り出したアンジェラは、振り向いた彼女を無視して、鞭を引く要領で蛇腹剣を引き寄せた。
あまりに強烈な牽引は、武器を仕込んで相当重いはずのレヴォルを宙に浮かせた。それだけでなく、まるで魚を一本釣りするかのように、レヴォルを案内所の外へと叩き出してしまったのだ。
「なんて怪力を……きゃあぁッ!?」
こんな好機を、フォンが逃すはずがない。
瞬時に跳ね起きた彼は、アンジェラに視線を向けたリヴォルを思い切り蹴り飛ばした。
体の全てをばねに見立てた強烈な一撃は、華奢な少女の体をくの字に曲げ、アンジェラのところまで吹っ飛んでしまった。当然、女騎士が彼女を受け止める道理などなく、リヴォルは妹と同じように陽の下へ引きずり出された。
とにかく、窮地は脱せた。安堵の気持ちを抑え、フォンはアンジェラに駆け寄る。
「助かったよ、アンジー。どうしてここに?」
敵から視線を逸らさないまま、アンジェラが答える。
「宿を吹っ飛ばして、自警団の集会所で大量殺人、挙句の果てには案内所の屋根を突き破ったんだから、王都騎士が介入しないはずがないでしょう? ま、そうでなくても貴方の危機には駆け付けるから、安心してちょうだい、フォン」
「ありがとう。けど、敵は普通じゃない。油断しないで」
「分かってる。剣を突き刺した感覚で気づいたわ、あの黒い服の子、人間じゃない」
「そうだ。簡単に話すと、あの白い服の子が、黒い服の人形を操ってる」
「人形? あれだけ精巧な人形を操るって――」
奇妙な敵の存在に首を傾げているアンジェラだったが、不意に目を見開いた。
人だかりの中に叩き込まれた姉妹のうち、果物売りの露店から這い出たリヴォルの右肩に彫られた、龍の刺青を見てしまったのだ。
野次馬達をどかすのも、アンジェラと刺青の繋がりを忘れていたフォンが間に割って入るよりも先に、陽気さを消し飛ばした彼女は震える声で言った。
「――そこのお嬢さん、龍の刺青を彫っているのね」
「痛たた……おばさん、誰? この刺青がどうかした?」
首を鳴らしながらレヴォルを引きずり出したリヴォルは、それがどうかしたのかと言いたげな顔だ。アンジェラの怒りに満ちた表情とは、まるで逆の顔つきだ。
「おばさんじゃなくて、お姉さんよ。ところで貴女、暗殺業でもやってるのかしら?」
「よく分かったね、おばさん。それで、何が聞きたいの?」
勿体ぶるなと言いたげなリヴォルに、拳を握り締めながら、アンジェラは問う。
「――騎士の家族を殺したことはある? 女騎士の家族を?」
自身の家族を殺したのかと、氷のような憤怒を込めて聞いた。
フォンは、自身の集中力が目に見えて落ちていたのを悔やんだ。
屋根の上で刺青について聞いたのは、アンジェラの家族を殺した張本人であるかを確かめたかったからだ。フォンですら気にかけたのだから、当の本人が気にしないはずがない。
普段の彼であれば、努めてアンジェラに何も言わせなかったはずだ。
「それ、さっきお兄ちゃんも聞いたよ? 騎士の家族を殺したかって」
アンジェラがじろりとこちらを睨んだのに、目を合わさなくても気づけた。
「で、こう答えたの。殺したって。もっと詳しく言うと、暗殺業を続けてきて、そんな殺しを依頼されたのはその一件だけ。王都に住むバルバロッサって家族を――」
刹那、姉妹の足元の石畳が削り飛ばされた。
周囲の騒めきが、一瞬にして悲鳴へと変わった。蛇腹剣の一撃は単に地面を抉っただけでなく、明らかに人間を二、三人ほどミンチに変えられるほどの威力だったからだ。
攻撃に正確性がなく、破壊力に全てを意識させている。まさかと思い、フォンがアンジェラの顔を見ると、彼女は今まで一度だって見たことがないほど激情に顔を歪ませていた。
「……ようやく会えたわね、暗殺者。自己紹介しておくわ、私はアンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ。貴女が殺した家族の、生き残りよ」
軋む怒りと憎悪を堪えて口を開くアンジェラに対し、リヴォルは少しだけ思い出すような仕草をしてから、レヴォルをカタカタと動かして――にやりと口角を上げた。
「ああ、思い出したわ、あの家族ね! 最初は三人だけだと思ってたけど、子供の方が言ってたのよ! お姉ちゃん、助けて、助けてーって! それが貴女なのね!」
「よせ、それ以上言うな、リヴォル!」
「なるべく苦しませて殺せって言われたから子供は最後に殺すつもりだったのに、あんまりうるさいからイラっときちゃったの、よく覚えてるよ! だから眼球を――」
死の間際を饒舌に語るリヴォルだったが、口は無理矢理に閉ざされた。
「――その口で、ベンのことを語るなあァッ!」
弟の死を嘲笑われたアンジェラが、蛇腹剣でリヴォルへと斬りかかったからだ。
同時にリヴォルからも、笑顔が消え去った。これまで暗殺してきた人間とは違い、へらへらと笑ったまま相手ができるほど、敵は生易しくないと直感したのだ。
野次馬達の騒ぎ声は、今度こそ悲鳴に代わった。アンジェラの攻撃はどう見ても、辺りを巻き込んでも構わないようだったからだ。フォンもそれを察し、咄嗟に叫んだ。
「皆、離れろ! 巻き込まれるぞ!」
フォンの一言で、巣を潰された蟻のように人々が散り散りになった。露店の店主も、冒険者も、案内所の外から出てきたスタッフ達も逃げ出した。扉を閉め、家に逃げ込み、たちまちその場には姉妹とアンジェラ、フォンしかいなくなった。
良かった、とフォンは内心落ち着いた。なぜなら、既に復讐鬼と化したアンジェラは、建物や石畳、露店が吹き飛ぶのも構わずに攻撃を繰り出しているからだ。
「へえ、復讐ってわけ!? 家族を殺されたから、私に!?」
「そうよ! 貴女のような忍者に奪われた命全てに詫びながら死になさい!」
「忍者を知ってるんだ、調べ物が上手なんだね!」
片や軽口、片や狂気に片足を踏み込んだ激昂。言葉をぶつけあうのと同じくらいの勢いでアンジェラはとてつもない速度の斬撃を叩き込もうとするが、リヴォルの間に挟まったレヴォルが防ぐ。刃二本だけだが、連なる蛇のような剣の攻撃を全て弾いている。
「はあああぁぁッ!」
ここにきてようやく、フォンはアンジェラが『双頭竜のアンジェラ』と呼ばれている理由を理解した。彼女の振るう二振りの蛇腹剣の軌道は、まるで二又首の竜が首をもたげ、激情のままに目に見えるもの全てを撃砕しているように見えるのだ。
辺りの家屋は壁が砕け、道には隕石が落ちた痕跡のようなクレーターができてゆく。このまま戦いを続けていれば、案内所どころかギルディア全体に被害が出かねない。
誰も介入できない猛攻に見えたが、戦いを楽しんでいる様子のリヴォルからすればそうでもないようだ。レヴォルを操りながら敵を観察し、感情を増長させる。
「怒りに身を任せて、みっともない戦い方だね! 忍者はもっとスマートに、っと!」
忍者の常套手段――今回操るのは、怒の感情だ。
レヴォルとアンジェラがぶつかり合っている隙を突いて、リヴォルは彼女の脚に蹴りを入れた。決して強い威力ではないが、前のめりになった彼女の姿勢を崩すには十分だ。
「何を、ぐ、うぁッ!?」
がくりとつんのめったアンジェラの首目掛けて、レヴォルは刃を突き刺そうとした。
「これでお終い……おっと!」
しかし、フォンの苦無が寸でのところで刃を止めた。キレた彼女と違ってこちらは出し抜けないと思ったのか、三度ほど鍔迫り合ってから、姉妹は距離を取った。
体勢を整えたアンジェラとフォンが並び立ち、リヴォルを見据える。未だに復讐者の感情が爆発しているのを悟り、フォンは敵と味方を交互に見ながら、少しだけ足を先に出した。
「フォン、助けてくれたのには感謝するけど、手を出さないでちょうだい」
「手を出すつもりはない。でも、アンジーを殺させるつもりもない」
双方の顔を見ずに話し合う二人を前にして、リヴォルはため息をついた。
「へえ、お兄ちゃん、その人と仲がいいんだね。なんだか妬けちゃうなあ」
「お兄ちゃん?」
「後で話すよ、彼女とはそんな関係じゃないとだけ言っておく。そしてリヴォル、状況は不利だと分かっているはずだ。まだ戦闘を継続するか?」
「フォン、勝手なことを言わないで! ここで殺さないと、彼女だけは!」
「……そうだね、お兄ちゃんの言う通りだよ」
じとりと冷たい目を向けて怒鳴るアンジェラと、こちらから一瞬たりとも視線を逸らさないフォンを交互に見たリヴォルは、少し破損して汚れたレヴォルを手元に引き寄せた。
「ちょっとだけこっちの方が不利だね、これ以上戦うと良くないかも。今回は引き下がるけど、また会いに来るね……お兄ちゃんっ!」
言うが早いか、レヴォルの袖からころりと、丸い球が転がった。
「目を閉じろ、アンジー!」
フォン達が反射的に目を瞑ったのと同時に球が炸裂して、一帯を、目を潰すほど眩い光が覆った。フォンも使う忍法・雷遁『閃光玉』の目晦ましだ。
これを使う時は、忍者共通の理由がある。フォンとアンジェラが目を開いた時には、既にリヴォルもレヴォルも、影も形もいなくなっていた。つまり、二人が目を閉じている間に逃げ去ってしまったのだ。
ここまで派手な襲撃を仕掛けておきながら、撤退に躊躇いがなく、また諦めた様子も見せない。愉快犯とするには、やはりリヴォルは危険すぎる相手である。
「……逃げられたわね。それとも、貴方が逃がしたの、『お兄ちゃん』?」
ついでに言うならば、隣のアンジェラも、今は危険な相手だ。復讐するべき相手と密接な関係があったフォンを、今の彼女は怪しんでいる。
「アンジー、また来ると彼女は言っていた。僕が逃がすなら、そんなことは言わせない」
「さっき殺しておけば、もう一度会う必要もなかったわ。フォン、説明して」
ようやく、フォンはアンジェラと目を合わせた。
「その前に、自警団の集会所に行く。仲間と一緒に怪我人の治療を手伝って、状況を把握してから、それから全てを話す……僕の知っている限りであれば、なんでも話すよ」
「……約束よ、フォン」
フォンは頷いた。
戦争が起きた後のような惨害の中に立つ二人だけの世界に、人々が再び集まってきた。
「ふう……あたし達にできる手伝いは、これが限界ってとこかな」
「負傷者の搬送と治療、集会所の清掃に死体の運び出し。街の人達総出で、診療所の救護員に炊き出しまでしたんだから、十分でしょう?」
結局、死闘の現場から移動したフォンとアンジェラ、仲間達が落ち着いて集会所のテーブルを囲めたのは、日も暮れかかってからだった。
酷い有様だった自警団の集会所は、パトロールに出ていた他の団員や街の協力者、専門業者達によって血や肉を洗い流された。怪我をするだけに留まった男達は街にある五つの診療所が総出で救護に励み、どうにか死人が増える事態だけは回避されたらしい。
当然、フォンも怪我の手当てを施された。擦り傷や切り傷は多かったが、額にガーゼを貼って軟膏を塗っただけでに留まり、彼はたちまち作業へと戻ってしまった。
食事をとる間もないまま、一行はひたすらボランティア活動に精を出した。そうしてようやく、フォン達五人はどこかに行く気力もないまま、ここで食事をとることにしたのだ。
「くたくたでござる……昨日の疲れもまだ取れてないでござるのに……」
「サーシャ、力仕事、得意」
目の前に並べられた夕飯のサンドイッチに手を付けないカレンやクロエとは真逆で、疲れを誤魔化すように夕飯を頬張るサーシャに、フォンは微笑む。
「本当に助かったよ、皆。特にサーシャ、壊れた家具の殆どは君が外に出してくれたんだってね。街の人達がありがたがってたよ」
「あんなの、軽い。サーシャ、力持ち」
「はいはい、力持ちで良かったわね。で、フォン、本題に入っていいかしら」
朗らかなやり取りを遮るように、荒立った調子のアンジェラが言った。
「……僕を襲った、あの忍者についてだね」
「他に何があるというの? 約束通り、知ってることはすべて話してもらうわ」
彼女も救護活動をしていたが、終始気にしていたのは襲撃者の詳細だけだと、仕事をしながらでも全員が分かっていた。だから、夕飯よりも情報を優先するのも納得できた。
ようやく手を付けようとしたサンドイッチを置き、フォンはクロエ達を見回した。アンジェラのように忍者について詳しくもない彼女達をどかそうかとも思ったが、じっと自分を見つめる三人の目が事実を知りたがっていると感じた彼は、静かに口を開いた。
「……彼女の名前はリヴォル。僕が知っていた時には、レヴォルだった……忍者だ」
「リヴォル? レヴォル? どっちなの?」
「僕が知っているのはレヴォル、彼女はリヴォルだ。僕も今日まで知らなかったけど、彼女は双子なんだ。尤も、妹の方は僕が殺して、リヴォルが人形へと作り替えてしまった」
「人形?」
「人間の死体に特殊な加工を施して、武器を内蔵した人形に作り替える『傀儡の術』。人間を越えた強度と機動性を持つ人形を操る禁術だ」
「……話を聞いた限りだと、そいつ、自分の妹を人形にしたの?」
「そうだ、僕が殺した妹を作り替えた。僕を兄のように慕うのは、彼女の人生を自分のものとして乗っ取ったからだ」
「妹、殺した? 姉、知らない? サーシャ、意味不明」
フォンですら現状を把握しきれていないのだから、サーシャが頭を捻るのも当然だろう。
「……一つでも多くの手がかりが欲しいわ。最初から話して、フォン」
ボランティアで集まった住人達の声が遠く聞こえる。カレンのどこか彼を慰めるような目と、アンジェラの厳しい視線の二つが、フォンに突き刺さる。過去を語るのに抵抗があるらしいフォンだったが、観念してぽつりと語り出した。
「……最初に会ったのは、忍者の里に彼女が拉致されてきた時だ」
当時のフォンは無機質そのものだったが、それでもレヴォルについては覚えていた。
「レジェンダリー・ニンジャであるドラゴン・ハンゾーが、とある村落からレヴォルを攫ってきた。見込みがあるといって、僕達と共に修行をさせたのが始まりだ」
「攫ってきたって、子供を忍者にする為にでござるか!?」
「忍者の素質がある者や弟子になる子供は捨て子か、拉致されるのが殆どだ。邪魔をするなら村や町を滅ぼしてでも連れてくる……それくらい、忍者の里は維持が難しかったんだ。過酷な修行と苛烈な任務で人が死に、常に人員は足りなかった」
「そんな里を繁栄させる期待の星ってのが、あの龍の刺青の忍者ってわけね。でもフォンは彼女が双子だとは知らなかった、と」
「ああ……僕が彼女から聞いた限りだと、姉は里とは別のところに隔離され、そこでハンゾーから独自の訓練を受けさせられていたみたいだ。双子は忌み子とされている地域が多いし、殺されかけたのを助けられたのかもしれない。ハンゾーへの忠誠心も高いようだった」
「忍者の里の長だけの秘密、ってとこかしらね」
「リヴォルの存在を知っているのは彼と、妹のレヴォルだけ……僕も、全く気付けなかった」
「だから、里を滅ぼした時にも見逃してしまったの?」
「それこそが、ハンゾーの狙いだった。里が滅びても、彼女が里を再興できるように……だとしても、僕は僕の知っている限りで里を潰すしかなかった」
アンジェラの問いは、やはり答えをフォンに言わせるだけのものだった。
「レヴォルの殺害は、忍者の里を滅ぼす際の最優先事項だった。ハンゾーが連れてきただけあって、多くの忍術に精通し、禁術の会得にも手を伸ばしかけるくらい強くなっていたんだ」
「里の壊滅……フォンが、忍者の里を滅ぼしたの?」
彼は頷いた。彼の罪を話したのはアンジェラだけで、クロエ達には隠していた。
「必要だったんだ。彼らは恐ろしい計画を立て、世界に楔を打ち込もうとした。止められるのは僕だけだった……はず、だ」
今でも思い出せるのは、燃え盛る里の成れの果てと、死屍累々の肉の山。無数の武器を手に取り、地に落とし、仲間だったものを全て殺し尽くした己の、天に向かい吼える姿。
足元に転がっていたのは、レジェンダリー・ニンジャの生首。四肢を斬り落とされたレヴォルの亡骸。それを確かめた時には、間違いなく忍者の恐るべき野望を食い止めたと――安堵こそしなかったが、指名を成し遂げたと思った。
ただ、アンジェラは彼の口ぶりに違和感を覚えたようだった。
「……だった? フォン、何を隠しているの?」
全てを言及しかねないアンジェラは誤魔化せない。フォンは、戸惑いながら言った。
「――思い出せないんだ。僕が止めた忍者の計画を……記憶の、一部を」
「えっ?」
クロエが目を点にするのも当然だった。アンジェラも、仲間達も同様だった。
ここまで物事を説明していたのに、急に知らない、覚えていないと言い出すのだ。いくらフォンを信頼しているクロエ達であっても、とても信用できない発言である。アンジェラは特に、彼の発言に対して苛立ったようだ。
「フォン、冗談はやめて。何かを隠しているんでしょう、言い辛い何かを」
「本当だ。里を出てからずっと、僕の記憶は靄がかかってるみたいなんだ。修行の記憶、殺した記憶はあるのに、あの日だけが結果以外の全てを欠落してる。まるで――」
今まで彼は言わなかったのではない。言えなかったのだ。
周囲の冷たい、心配するような目に突き刺さっても、こう伝えるほかなかった。
「――まるで、誰かが僕の記憶を封じ込めているみたいに」
忍者の里を破壊した記憶の中に、今でも残り続けている。フォンの話はすべて真実であり、黒いインクで塗り潰されたような動機と過去の一部、忘れたのではなく最初から存在しないかのような空虚が、ずっと彼に留まり続けていた。
どうでもいいと思い込もうとしていた何かが、蛇の如く忍び寄ってきていたのだ。
「では、時折師匠が見せる冷徹な顔は……?」
「かつて忍者として活動していた時の意識を取り戻す場合もある。けどあれは、単にトランス状態になっただけで、過去とは繋がりのない行動だ」
「だったら……記憶の一部がなくなってるって、信じていいんだね、フォン?」
到底信じられないだろうとは思っていたが、フォンはまた、頷くしかなかった。
「生きるのに支障はきたさなかった、だからずっと話していなかった。でも、僕には僕も知らない記憶がある……思い出せないけど、あるのは確かなんだ」
クロエ達にそう説明しながら、今度は全く納得していないアンジェラに彼が告げる。
「アンジー、リヴォルは妹の人生と人格を乗っ取り、僕を狙っている。絶対に諦めないし、連れ去るか殺すまで僕を追い続ける。僕から君に言えるのはこれだけだ」
沈黙が流れた。
アンジェラは、フォンの言葉をどこまで信じるべきか、迷っているようだった。クロエやサーシャ、カレンとは違い、女騎士はフォンが復讐の邪魔をしているのではないかと、心のどこかでそんな疑心を隠し切れなかった。
じっと彼の瞳を見つめ、アンジェラは心の底を掬い取ろうとした。フォンもまた彼女を見つめ返し、記憶はリヴォルを倒す為に必要な情報ではないと目で伝えた。
ほんの少しだけの沈黙だったはずなのに、フォンとアンジェラの間には、互いの心臓の裏側までも見透かそうとするような長い時間に感じられた。やがて、これ見よがしに大袈裟なため息をついて、アンジェラの方が折れた。
「……『傀儡の術』について、教えてちょうだい。それで今回は、納得してあげるわ」
この返答が、アンジェラにできる最大の譲歩であった。
忍者についての全てを知るのが家族の復讐を果たす近道になると考えていたし、フォンがもしも自分に明け透けでないのなら、なるべく情報を引き出したかった。
しかし、フォンの顔を見ていると、どうにもこれ以上言及する気にはなれなかった。ベンの面影がそうさせたのだろうが、フォンとしてはそれでもありがたかった。
「……ありがとう。それじゃあ、リヴォルの術と対策について話すよ」
彼が少しだけテーブルの中央に顔を寄せると、一同は夕飯も忘れて集中した。
「まず、前提としてレヴォル……妹の方は人形だ。だから致命傷を与えても動くし、武器を持っていないように見えても体に仕込んである。動きを止めるには体のどこかに埋め込まれた核を破壊するか、操っているリヴォルを殺すしかない」
殺す。人を殺さないフォンが放つ死の意味の重みを感じ取り、一層空気は重くなる。
「刃物に鎖付分銅、毒ガス、恐らく他にも大量の武器を内蔵してる。しかも姉のリヴォルも忍者として最高レベルの身体能力を持っているから、二対一じゃ確実に不利だ」
「……なら、人数で上回ればいい」
「サーシャの言う通りだ。常に人数で上回る状態を作り、リヴォルとレヴォルを正面に見据えた状態で戦う。そしてどちらかを破壊するのが、攻略法としては最善だと思う」
「でも、敵は双子なんでしょ? 同じ格好をしてたらどちらが姉か分からないよ」
「よく見れば分かる。人形の方は肌に生気がなくて、目も虚ろだ」
「それに、隠し武器を使って攻撃を仕掛けてくるのは必ず人形の方よ。不意打ちさえ許さなければ、攪乱されることはないと思うわ」
「つまり、師匠を守るように、常に一緒に行動していれば問題ないでござるな!」
勢いよく立ち上がったカレンの宣言に、四人は思わず吹き出しかけた。
「何でござるか? 拙者は変なことを言ったつもりはないでござるが……」
小馬鹿にされたのかと思ったカレンが口を尖らせるが、フォン達は笑ったのは真逆の意味だ。彼女の純粋な意志に場を和まされ、勇気も貰えたのだ。
「いいや、嬉しいんだ、守ると言ってもらえたのが。頼りにしてるよ、カレン」
「……そういうことなら、拙者に任せるでござるよ! 師匠には指一本触れさせないでござる、クロエもサーシャも同じ気持ちでござる!」
カレンに同調するように、クロエはサムズアップして、サーシャは小さく頷いた。二人とも――サーシャはよく見ないと分からないが――フォンに笑顔を向けた。
「そうね、まずは彼を守りましょう。それが街にこれ以上被害を及ぼさないことにもつながるはずよ。狙われているなら猶更だし、彼をターゲットに絞っているなら、一緒にいる方がこちらも都合がいいわ」
アンジェラもまた、復讐の為でもあるが、フォンを守る方向性を認めたようだ。
「ああ、僕達で街を守ろう。案内所や集会所のような被害は出させない」
「自分が危ないって時に、街の心配なんて……ま、そこがフォンの良さなんだけどね。安心して、あたし達もギルディアに被害が出ないように目を見張らせておくから」
目的は多々あれど、これでひとまず、今後の方針は決まった。フォンと共に行動し、必ずこちらに来るリヴォル達姉妹を迎え撃ち、彼と街を守り抜くのだ。
「とりあえず、今日は宿に戻ろうか。皆も疲れただろうしね」
フォンの提案に応えるかのように、サーシャはまたサンドイッチを頬張り始める。
「その前に、サーシャ、夕飯、食う」
彼女に触発され、一同にも食欲が戻ってくる。他愛のない話をする気力も湧いてくる。
「あたしも食べとこっと。折角出してもらったし、昼から何も食べてないし!」
「食べて寝て、気力回復! 忍者にとって大事でござる!」
「忍者じゃなくても大事よ、体力回復はね。というか、部屋が爆発してから、新しい宿は取れたの? そんな不審な面子に部屋を貸してくれるところなんてないと思うけど?」
「そこは心配無用だよ。自分で言うのも何だけど、あたしは結構宿屋周りに顔が通ってるから、街の西側にある『鳥狩り亭』って宿で部屋は取っておいたよ」
「うん、楽しみだね。今度は吹き飛ばされないように、対策を練っておかないと……」
夕暮れが夜になり、死闘などなかったかのように会話は続く。
人の死の上に成り立つのだから決して弾んではいないが、それでも無言が続くよりはずっとましで、戦いに備えようという気持ちにもなれる。
これ以上被害を出さない為にも、今日は休み、英気を養い、明日戦う準備をする。
冒険者のみならず、忍者も女騎士も同じ気持ちだった。しかし、サンドイッチをすっかり平らげて、敵を警戒しながら宿に戻り、新しい宿で眠るまで気を緩めたつもりはなかった。
――だから、あくまで警戒している気になっただけなどと、考えもしなかった。
◇◇◇◇◇◇
その日の夜、ギルディアの街は恐怖に震えた。
南東の住宅街に並び建つ家が、軒並み燃やされたのだ。
ただ燃えただけではない。まるで雷を何度も落とされたかのように爆炎が広がり、地獄絵図の如く辺り一帯を炎が舐め回した。
逃げ惑う人々。
逃げ遅れた女性や子供。
終の棲家を失い叫ぶ老人。
この世の終わりは一晩経ってようやく終息したが、死者や負傷者多数。延焼範囲も広く、短期間では到底修復できないほどの惨状が、ギルディアの一部に誕生した。
人為的な犯行だという証拠はあった。ここまで凄絶な放火をする者からのメッセージは、果たして燃え盛る家屋の炎に照らされ、地面を削るようにして大きく彫られていた。
普通の人には読めない、苦無で刻まれた棒状の文字の意味は、こうだ。
『仲間を連れず、一人で街から南東に出た先にある谷に来い』
『来なければ街を滅ぼす――フォンへ』
訂正しておくと、この行為は数の不利を埋めるわけでも、力を誇示するわけでもない。
リヴォルは、ただ楽しんでいるのだ。最愛の彼がどこまで自分に怒りを宿し、本性を露にし、人形との戦いに臨めるのかを。
残虐な行いや人々の悲鳴も、ゲームを盛り上げる要素に過ぎなかった。