「――ぎゃあああぁぁッ!?」

 地獄が、あっという間に広がった。
 フォンの偽物が縦横無尽に放った刃物は、人間の体を容易く貫通し、壁に突き刺さった。刃に触れた男達は相応に鍛えているようだったが、何の役にも立たないと言わんばかりに風穴を開けられ、最も近づいていた者は血を噴き出して絶命した。
 彼らだけではない。遠くで状況を見つめていた者は顔面に刃物が刺さり、何が起きたのかと立ち上がった者は内臓がまろび出で、椅子に座って昼寝をしていた者は頬が裂けた。
 つまり、ほんの僅かな間に、集会所は死体と血で埋め尽くされたのだ。
 それは当然、フォン達を取り囲んでいた自警団の連中も例外ではなかった。体の内側からナイフを弾き飛ばすという凄まじい攻撃は、等しく彼らの体も切り刻み、肉塊へと変えてしまった。ずるりと胴体が揺れ、血肉の塊となって床に落ちた。

「ひ、ひぃ……!?」
「何が、何が起きたんだ……」

 たちまち、呻き声以外の声は聞こえなくなった。残されたのは、入口に立つ二人。

「……無事かい、皆」

 加えて、テーブルを倒して盾にし、身を縮こまらせていたフォン達だ。
 死と痛みが蔓延する集会所で、彼らだけは無事だった。テーブルにも刃物は何本か刺さっているが、どれも仲間達に被害は与えていない。

「無事だけど、フォン、今のは!?」

 尤も、無事であるからといって、困惑していないわけがない。
 突如現れた敵。ばねの如く跳ね出された無数の刃物。貫かれ、斬られ、刺されて死んでいった自警団の面々。死者と負傷者を山ほど出してはいるが、これはあくまでついでのはず。
爆発に続いてこんな攻撃を受けたのだ。まず間違いなく、狙いはフォンだろう。

「仕込み武器だ……そして僕を、狙って来たんだ!」

 言うが早いか、フォンはテーブルの影から飛び出した。
 謎の二人組はというと、もう入口にはいなかった。まるでフォン達に警告しに来ただけであるかのように、しかも足音の一つも立てずにいなくなっていたのだ。そんな理由で人をここまで殺してのける相手を、フォンが放っておくはずがない。

「クロエ、サーシャ! 街の診療所に声をかけて、彼らの救護を頼む! カレンは他の集会所に行って、パトロール中の自警団を集めてきてくれ! 少しでも人手が必要だ!」
「師匠は、師匠はどうするでござるか!?」
「奴らを追う! あんな危険な敵を、これ以上野放しにしておけない!」

 一気に駆け出したフォンは、三人の目から見ても熱くなっているようだった。自分の事柄については冷静でも、他者が傷つけられるのは許せないのは、彼の性分だ。
 だとしても、フォンの単独行動を、クロエ達は見過ごせない。

「あたし達も行くよ! 敵が危険なら、フォンを一人でなんか行かせない!」
「駄目だ、僕の言う通りにしてくれ! 敵を追う数を増やしても意味がないんだ!」
「サーシャ、お前を一人には……」
「診療所に行くんだ! 行けッ!」
「フォン……!」

 語気を強めてテーブルから出た仲間達を、同じくらいの声で怒鳴った彼はもう見ていなかった。三人が引き留めるよりも先に、フォンは入口から外に飛び出していた。
 クロエの声や、サーシャの制止が聞こえてきても、フォンは足を止めなかったし、踵を返そうともしなかった。半ば強引に自分の命令を聞かせるのは気が引けたが、こうでもしなければ仲間達はフォンの身を案じるのを最優先にしてしまうだろう。
 だから、彼は一人で敵を追うことにした。集会所で起きた惨劇を知らないからか、朝の街を歩く人々は呑気に鼻歌を歌っているし、露店で買い物に勤しんでいる。
 ありきたりな格好の住民達しかいない、露店が犇めく通りで黒いコートに身を包んでいれば、嫌でも目に付く。敵の格好が幸いして、フォンは直ぐに、人混みに紛れようとする二人組の姿を見つけられた。

「――待て!」

 声を上げてフォンが再び走り出すと、彼を待っていたかのように、二人は逃げ出す。
 その速さは、並の人間ではない。忍者ではあるからこれくらいは当たり前だと予想していたが、街の人々の間を、雨のようにすり抜けてゆく。フォンも同様に人混みの中に入ってゆくが、自然と人にぶつかってしまう。

「おい、何やってんだ!」
「気を付けろ!」

 がたいの良い男や主婦に言葉をぶつけられるが、フォンの目と耳には敵の動きしか入ってこない。もみくちゃにすらなりそうな彼を試すかの如く、二人組は叩く跳躍した。

「っ!?」

 たった一跳びで、敵は近くの武具屋の屋根に飛び移り、総合案内所のある方角へと走り去ってしまった。ここまですればようやく、周囲の人々も疾走する影を指差す。
 これが仮に挑発だとしても、逃す手はない。フォンも体をぐっと屈めると、一気に薬屋の青い屋根へと跳び乗った。下からは凄い奴だ、何が起きたのかと騒ぎ立てる声が聞こえてくるが、クロエ達以上に関心を持たず、フォンは敵を追いかける。
 敵が屋根伝いにジャンプすれば、フォンも屋根と屋根の間を駆ける。
 敵が煙突から他の煙突に飛び乗れば、フォンも同様に跳躍する。
 大通りから自分を指差して叫ぶ群衆たちに見られているのも、忍者らしさも構わずに、ただひたすら二人組を捕らえようと走るフォンだったが、敵に変化が起きた。
 冒険者の総合案内所に近づいてきたのを一瞥した黒いコートの二人は、どう見積もっても家屋五つ分は離れたところにある案内所の巨大な屋根を見据えた。
 そして、さっきとは比べ物にならないくらいの跳躍力で、案内所へと飛翔した。
 翼も使っていないのに飛翔と称したのは、まるで吸い込まれるように屋根へと飛躍し、ものの見事に着地してみせたからだ。平坦な煉瓦が積まれたそこは着地も難しくないようで、さして衝撃を受けず、すっと立ち上がってみせた。
 二人組は軽くコートの汚れを掃うと、自分が元居た遠くの屋根を見る。フォンの姿は既になく、下で人々の騒々しい話し合いが聞こえるだけ。
 さては諦めたか。フードの中の黒い顔を背け、二人は振り返った。

「――どこに行くつもりだ?」

 果たして、諦めなどしない。
 いつの間にか、彼は二人組と同じ案内所の屋根へと移動していた。
 しかも音を立てず、敵に気配すら悟らせず、さも当然であるかのように。冷たい茶色の瞳はもう一人の自分を見つめ、邪悪として断定している。
 そんな相手にフォンが言う言葉は、一つだ。

「悪いけど、容赦する気にはなれない。徹底的に尋問させてもらう」

 フォンは、パーカーの裾からするりと取り出した苦無を握った。