どちらでもなく、二人が足を止めた。
フォンはちらりと、アンジェラの目を見た。
「……復讐を?」
今度はアンジェラが頷いた。
「少しでも生きている可能性があるのなら、私は殺す為に追い続けるわ。一度決めた道は、役割を果たすまで終われない。フォン、貴方の気持ちには感謝してるけど、これが答えよ」
フォンにはもう、彼女を止める手立てはなかった。
覚悟を決めて、地の果てまで往き、復讐を成し遂げる。アンジェラが抱いているのが半端な感情ではないと知ったフォンは、こう言うほかなかった。
「――幸せな終わりは、きっと来ないよ」
応援はしない。背中を支えもしない。フォンはその先に待つ破滅を予見していた。
アンジェラにとっては、そんな彼の優しさがありがたかった。
「分かってるわ。幸せなんて、もう捨てているもの」
当たり前のように言い放った自分を見る視線に、ふと、アンジェラが気づいた。
最も近いところから感じ取られた目。やはり彼女を憂いに満ちた目付きで見つめているのは、フォンだった。
「……そんなことを、言わないでほしい」
彼の瞳は、冷酷な忍者だとは思えないほど、悲しみに溢れていた。
「アンジー、僕は……僕は忍者だ。悲しみの感情を切り捨てるよう、喜びを永遠に得ないよう教え込まれてきた。道具となることにのみ誉れを抱き、殺人と破壊、滅びに疑いを持たないように生きるように躾けられてきた。だから、僕は自分自身の喜びを望まない」
「…………」
「けど、他の誰かには――僕が知っている人にはせめて、幸せになってほしいんだ。僕の全てを捧げてでも誰かに幸福になってほしい。それが、僕の忍者としての道なんだ」
彼は、アンジェラにとってどこまでも甘ったれで、非現実的な話をする間抜けだった。
こんな甘い人間がどうして忍者になれたのか、正直なところ不思議で仕方なかった。任務の途中で死んでしまうか、そもそも忍者になる為の試験があるとすれば、どこかで落第していただろう。だいたい、忍者どころか、騎士になれるかすら怪しいものだ。
だが、だとしても、フォンは優しさと平穏を愛した。
自分ではなく、誰かのために忍ばず、愛と平和を守る守護者としての道を選んだ。
こんな憂いを帯びた瞳に至るまでに、何人の人を殺してきたのか。ここまで人を思いやる気持ちに至るまでに、幾つもの幸せを奪ってきたのか。
これはつまり、贖罪なのだ。生きる限り永遠に続く償いなのだ。
復讐と違って終わりのない罪の連鎖が、どれほど苦しいか、どれほど虚しいか。アンジェラは心臓を締め付けるほどに理解できたし、復讐の旅路以上に過酷であるとも悟っていた。
「……本当に、本当にお馬鹿さんね」
だからこそ、アンジェラは彼を見つめた。
ベンの面影と遺志を宿しただけではない。こんなにも気高いのに、優しすぎる大馬鹿者。
だからこそ、アンジェラは彼を愛さずにはいられなかった。
「アンジー、もしも僕の言葉を分かってくれるなら、僕は――」
フォンの説得は、遮られた。
彼の開いた唇を閉じるかの如く、淡くあてがわれた、アンジェラの唇によって。
時間が止まった。
フォンも、フォンの周りも、何もかも。唯一動いているのは、目を大きく見開いたフォンとは対照的に、静かに瞳を閉じて彼の体の感触を味わっているアンジェラだけだった。
触れた唇だけでなく、フォンの顔にしなだれかかる橙色の髪が、温かく感じられた。空を掻くだけの彼の手を、アンジェラの細く長い指が絡めとった。鎧越しに、音すら調節できるはずの、彼の心臓の鼓動のビートが伝わってしまいそうだった。
何分、何時間、何日にも思えた。
アンジェラは静かに、彼から唇を離した。頬を赤らめて立ち尽くす彼に、彼女は言った。
「これはお礼よ、フォン。私を助けてくれたお礼」
「……ぼ、ぼく、は、何も?」
「いいえ、助けてくれたわ。怒りに呑み込まれそうだった私の心を引き留めてくれた。復讐を続けると言った私の身を案じてくれた。貴方だけよ、私を恐れずにそう言ってくれたのは」
「え、あ、えっと……」
狼狽えながら声を発するフォンの姿を、アンジェラは楽しそうに細目で見つめる。
「私はまだ、復讐を続けるわ。けど、フォン、貴方の言葉はちゃんと覚えておくわね」
「ど、どうも、どうも」
「ふふっ、忍者なのにハニートラップへの対策はしてなかったのかしら? 今したことは仲間に話しちゃ駄目よ? あのうるさいお姉さんが、私を殺しに追いかけてきそうだし」
「あ、はい、うん」
「いい子ね。フォン、貴方がもし困ったなら、いつでも私を呼んでちょうだい。力になるわ」
「ありがと、うん」
「また会いましょ。今度は二人っきりで……じゃあね」
周囲が騒めく。フォンの頭から、湯気が昇り立つ。
そんな彼の様子をどこまでも愛おしそうに見つめ、にこにこと笑いながら、アンジェラは騒々しい街の大通りを歩いて行った。
フォンは結局、仲間が後からやって来るまで、一歩も動けなかった。
事情と理由は、終ぞ話さなかった。
フォンとアンジェラ、忍者と騎士。
何一つ混じり合わない運命を示すかのように、一本道はずっと続いていた。
フォンはちらりと、アンジェラの目を見た。
「……復讐を?」
今度はアンジェラが頷いた。
「少しでも生きている可能性があるのなら、私は殺す為に追い続けるわ。一度決めた道は、役割を果たすまで終われない。フォン、貴方の気持ちには感謝してるけど、これが答えよ」
フォンにはもう、彼女を止める手立てはなかった。
覚悟を決めて、地の果てまで往き、復讐を成し遂げる。アンジェラが抱いているのが半端な感情ではないと知ったフォンは、こう言うほかなかった。
「――幸せな終わりは、きっと来ないよ」
応援はしない。背中を支えもしない。フォンはその先に待つ破滅を予見していた。
アンジェラにとっては、そんな彼の優しさがありがたかった。
「分かってるわ。幸せなんて、もう捨てているもの」
当たり前のように言い放った自分を見る視線に、ふと、アンジェラが気づいた。
最も近いところから感じ取られた目。やはり彼女を憂いに満ちた目付きで見つめているのは、フォンだった。
「……そんなことを、言わないでほしい」
彼の瞳は、冷酷な忍者だとは思えないほど、悲しみに溢れていた。
「アンジー、僕は……僕は忍者だ。悲しみの感情を切り捨てるよう、喜びを永遠に得ないよう教え込まれてきた。道具となることにのみ誉れを抱き、殺人と破壊、滅びに疑いを持たないように生きるように躾けられてきた。だから、僕は自分自身の喜びを望まない」
「…………」
「けど、他の誰かには――僕が知っている人にはせめて、幸せになってほしいんだ。僕の全てを捧げてでも誰かに幸福になってほしい。それが、僕の忍者としての道なんだ」
彼は、アンジェラにとってどこまでも甘ったれで、非現実的な話をする間抜けだった。
こんな甘い人間がどうして忍者になれたのか、正直なところ不思議で仕方なかった。任務の途中で死んでしまうか、そもそも忍者になる為の試験があるとすれば、どこかで落第していただろう。だいたい、忍者どころか、騎士になれるかすら怪しいものだ。
だが、だとしても、フォンは優しさと平穏を愛した。
自分ではなく、誰かのために忍ばず、愛と平和を守る守護者としての道を選んだ。
こんな憂いを帯びた瞳に至るまでに、何人の人を殺してきたのか。ここまで人を思いやる気持ちに至るまでに、幾つもの幸せを奪ってきたのか。
これはつまり、贖罪なのだ。生きる限り永遠に続く償いなのだ。
復讐と違って終わりのない罪の連鎖が、どれほど苦しいか、どれほど虚しいか。アンジェラは心臓を締め付けるほどに理解できたし、復讐の旅路以上に過酷であるとも悟っていた。
「……本当に、本当にお馬鹿さんね」
だからこそ、アンジェラは彼を見つめた。
ベンの面影と遺志を宿しただけではない。こんなにも気高いのに、優しすぎる大馬鹿者。
だからこそ、アンジェラは彼を愛さずにはいられなかった。
「アンジー、もしも僕の言葉を分かってくれるなら、僕は――」
フォンの説得は、遮られた。
彼の開いた唇を閉じるかの如く、淡くあてがわれた、アンジェラの唇によって。
時間が止まった。
フォンも、フォンの周りも、何もかも。唯一動いているのは、目を大きく見開いたフォンとは対照的に、静かに瞳を閉じて彼の体の感触を味わっているアンジェラだけだった。
触れた唇だけでなく、フォンの顔にしなだれかかる橙色の髪が、温かく感じられた。空を掻くだけの彼の手を、アンジェラの細く長い指が絡めとった。鎧越しに、音すら調節できるはずの、彼の心臓の鼓動のビートが伝わってしまいそうだった。
何分、何時間、何日にも思えた。
アンジェラは静かに、彼から唇を離した。頬を赤らめて立ち尽くす彼に、彼女は言った。
「これはお礼よ、フォン。私を助けてくれたお礼」
「……ぼ、ぼく、は、何も?」
「いいえ、助けてくれたわ。怒りに呑み込まれそうだった私の心を引き留めてくれた。復讐を続けると言った私の身を案じてくれた。貴方だけよ、私を恐れずにそう言ってくれたのは」
「え、あ、えっと……」
狼狽えながら声を発するフォンの姿を、アンジェラは楽しそうに細目で見つめる。
「私はまだ、復讐を続けるわ。けど、フォン、貴方の言葉はちゃんと覚えておくわね」
「ど、どうも、どうも」
「ふふっ、忍者なのにハニートラップへの対策はしてなかったのかしら? 今したことは仲間に話しちゃ駄目よ? あのうるさいお姉さんが、私を殺しに追いかけてきそうだし」
「あ、はい、うん」
「いい子ね。フォン、貴方がもし困ったなら、いつでも私を呼んでちょうだい。力になるわ」
「ありがと、うん」
「また会いましょ。今度は二人っきりで……じゃあね」
周囲が騒めく。フォンの頭から、湯気が昇り立つ。
そんな彼の様子をどこまでも愛おしそうに見つめ、にこにこと笑いながら、アンジェラは騒々しい街の大通りを歩いて行った。
フォンは結局、仲間が後からやって来るまで、一歩も動けなかった。
事情と理由は、終ぞ話さなかった。
フォンとアンジェラ、忍者と騎士。
何一つ混じり合わない運命を示すかのように、一本道はずっと続いていた。