アンジェラは果たして、フォンを殺さなかった。
蛇や龍の如く周囲の岩を斬り尽くした魔剣は、フォンの服を僅かに裂いただけだった。洞穴を悉く破壊し、明確な殺意を伴った攻撃の結果にしては、あまりにも優しさに満ち、迷いを孕んでいた。
手を伸ばすまでもなく、アンジェラはフォンの眼前に立ち尽くしていた。金属線で繋げられた刃は動かず、ただただ女騎士の手のもとでぶら下がるのみ。
「……なんでなのかしらね……」
ゆっくりと顔を上げたアンジェラの目に映ったのは、フォンではなかった。
「貴方がベンに似てるなんて、偶然にしたって、出来過ぎてるじゃない……!」
彼の顔に重なるベンの面影だけが、彼女の殺意と憎しみを遮った。
自分の手で弟を殺める結末を前にして、アンジェラは涙を抑えきれなかった。
ぼろぼろと零れる涙を、彼女は止められなかった。フォンが死んだ弟に瓜二つだなどと、到底認めたくなかったし、できるなら今この瞬間だけは思い出したくなかった。
「どうして、どうしてよ、ベン……貴方が、どうして止めるのよ……!」
しかし、ベンは止めた。
図らずとも、彼はアンジェラに問いかけた。ただそれだけが、冷徹な復讐に身を染めた女騎士を引き留め、刃を鈍らせたのだ。
ただ、目的の為なら手段を択ばないはずの彼女が、唯一剣を振るえなかったのは、フォンと愛する弟が生き写しの容姿だったからだけだろうか。
「……僕がベンに似てなくても、剣を止めてくれたはずだ」
そうではないと、アンジェラの本質を見抜いていたフォンは言った。
「アンジー、怒りの根幹は優しさだ。憎しみのもとにあるのは愛情だ。それが転じた時に人は衝動に駆られる……けど、貴女はそうはならなかった。復讐に身をやつしていても、身を任せまではしなかった」
「……知ったような、事を……」
「知ってるよ。僕は二日間で、アンジーが優しい人だって知った。そうじゃないなら、冒険者達に被害者が出ないよう提案しなかった。今こうして僕を殺さなかった。僕は……」
「…………」
「……僕は、アンジーを信じてた」
信じていると言われ、アンジェラは肩から完全に力を抜いたようだった。
できるなら、フォンは彼女に手を触れて、悲しみを分かち合いたかった。しかし、そんな資格を自分は持ち合わせていないとも理解していたし、行き場を失った怒りがまだそこにあるのも悟っていた。
ただ彼に言えるのは、過去に何が起きたか、何をしたかだけだった。
「言い訳のつもりじゃないけど、二年前に僕が里を滅ぼしたのは、忍者から世界を守る為だ。彼らの膨らんだ闇を、誰かが――」
実際問題、フォンが忍者の里を滅ぼしたのは紛れもない事実だ。
里にいた忍者を全て殺した。里に残っていた忍者の資料を全て焼き払い、里の痕跡そのものを完全に消失させた。残っているとすればカレンの先代が持ち逃げした巻物や、カゲトラの遺産くらいで、その程度は忍者の存在を立証の確立には使えない。
そしてフォンは決して、自分の邪悪さを正当化するつもりはなかった。
永劫の闇として誹謗されようとも、忍者が成し遂げようとした絶対的な邪悪を止めるには、忍者を皆殺し、自分がラスト・ニンジャとして歴史を終えるしかなかったのだ。
同時に、世界を救った英雄であると賞賛されようとも、フォンは何百という人間をこれまで殺してきた、世間的な評価で言うなれば絶対的な邪悪だ。彼の自白は、己の中に潜んでいる罪を吐露する意味合いも兼ねているともいえるだろう。
そのつもりでフォンは、自分がいつ里を滅したのかを伝えた。
「――二年前? それは、確かなの?」
だが、アンジェラはまるで違うところに目を付けた。
事実ではなく、彼女は年月が真実であるかを聞いた。
彼女が剣を仕舞わないまま問うと、フォンは確実だと念を押すように答えた。
「間違いない、僕は二年前に里を焼き滅ぼした。どうかしたのか?」
疑惑と疑念、一言では説明できない感情を秘め、アンジェラは言った。
「……私の家族が殺されたのは、一年前よ」
フォンは、驚愕と共に自分の肩の力が抜けていくのを感じた。
「……何だって?」
「一年前よ、間違いないわ。つまり、貴方が殺した忍者に、私は家族を殺されたの?」
確かに全員を殺した。
心臓を貫き、燃やし、殺した。殺したという言葉では表現できないほど入念に、絶対に生き返る――若しくは生きていたなどというトラブルがないように、四肢を斬り落としたほどだ。
なのに、アンジェラは家族を殺されたのは一年前だと言う。しかも彼女が家族を殺されたのは、フォンの記憶では間違いなく始末した忍者だ。しっかりと、丁寧に丹念に殺した忍者が、アンジェラを恨む者に依頼されて家族を拷問にかけ、抹殺したのだ。
だとすれば全てに矛盾が生じる。
二年前に殺されたはずの忍者が、アンジェラの家族を殺したことになる。
「フォン、真実を聞かせて」
「……全て、真実だ。僕が忍者の里を滅ぼしたのは紛れもない事実だ」
「私も真実よ。家族は忍者に殺されたわ」
全てが真実である。どちらも真実である。
なのに、どちらも異常である。
「……何が、起きてるんだ……?」
フォンは、呆然と呟いた。
失われた復讐相手。
滅したはずの忍者。空白の一年と、謎。
死した者が蘇ったのか。カゲミツ達が求めた力が、術が存在したのか。
真相は今の彼らには到底追い求められず、理解もできないだろう。まるで自分達の方が世界の理に追いついていないかのように、洞穴の中だけが時間の中から置き去りにされたかのように思えた。
フォンもアンジェラも、どちらも声を出せなかった。
遠くからクロエが自分を呼ぶ声が聞こえてきても、互いに足が動かなかった。
蛇や龍の如く周囲の岩を斬り尽くした魔剣は、フォンの服を僅かに裂いただけだった。洞穴を悉く破壊し、明確な殺意を伴った攻撃の結果にしては、あまりにも優しさに満ち、迷いを孕んでいた。
手を伸ばすまでもなく、アンジェラはフォンの眼前に立ち尽くしていた。金属線で繋げられた刃は動かず、ただただ女騎士の手のもとでぶら下がるのみ。
「……なんでなのかしらね……」
ゆっくりと顔を上げたアンジェラの目に映ったのは、フォンではなかった。
「貴方がベンに似てるなんて、偶然にしたって、出来過ぎてるじゃない……!」
彼の顔に重なるベンの面影だけが、彼女の殺意と憎しみを遮った。
自分の手で弟を殺める結末を前にして、アンジェラは涙を抑えきれなかった。
ぼろぼろと零れる涙を、彼女は止められなかった。フォンが死んだ弟に瓜二つだなどと、到底認めたくなかったし、できるなら今この瞬間だけは思い出したくなかった。
「どうして、どうしてよ、ベン……貴方が、どうして止めるのよ……!」
しかし、ベンは止めた。
図らずとも、彼はアンジェラに問いかけた。ただそれだけが、冷徹な復讐に身を染めた女騎士を引き留め、刃を鈍らせたのだ。
ただ、目的の為なら手段を択ばないはずの彼女が、唯一剣を振るえなかったのは、フォンと愛する弟が生き写しの容姿だったからだけだろうか。
「……僕がベンに似てなくても、剣を止めてくれたはずだ」
そうではないと、アンジェラの本質を見抜いていたフォンは言った。
「アンジー、怒りの根幹は優しさだ。憎しみのもとにあるのは愛情だ。それが転じた時に人は衝動に駆られる……けど、貴女はそうはならなかった。復讐に身をやつしていても、身を任せまではしなかった」
「……知ったような、事を……」
「知ってるよ。僕は二日間で、アンジーが優しい人だって知った。そうじゃないなら、冒険者達に被害者が出ないよう提案しなかった。今こうして僕を殺さなかった。僕は……」
「…………」
「……僕は、アンジーを信じてた」
信じていると言われ、アンジェラは肩から完全に力を抜いたようだった。
できるなら、フォンは彼女に手を触れて、悲しみを分かち合いたかった。しかし、そんな資格を自分は持ち合わせていないとも理解していたし、行き場を失った怒りがまだそこにあるのも悟っていた。
ただ彼に言えるのは、過去に何が起きたか、何をしたかだけだった。
「言い訳のつもりじゃないけど、二年前に僕が里を滅ぼしたのは、忍者から世界を守る為だ。彼らの膨らんだ闇を、誰かが――」
実際問題、フォンが忍者の里を滅ぼしたのは紛れもない事実だ。
里にいた忍者を全て殺した。里に残っていた忍者の資料を全て焼き払い、里の痕跡そのものを完全に消失させた。残っているとすればカレンの先代が持ち逃げした巻物や、カゲトラの遺産くらいで、その程度は忍者の存在を立証の確立には使えない。
そしてフォンは決して、自分の邪悪さを正当化するつもりはなかった。
永劫の闇として誹謗されようとも、忍者が成し遂げようとした絶対的な邪悪を止めるには、忍者を皆殺し、自分がラスト・ニンジャとして歴史を終えるしかなかったのだ。
同時に、世界を救った英雄であると賞賛されようとも、フォンは何百という人間をこれまで殺してきた、世間的な評価で言うなれば絶対的な邪悪だ。彼の自白は、己の中に潜んでいる罪を吐露する意味合いも兼ねているともいえるだろう。
そのつもりでフォンは、自分がいつ里を滅したのかを伝えた。
「――二年前? それは、確かなの?」
だが、アンジェラはまるで違うところに目を付けた。
事実ではなく、彼女は年月が真実であるかを聞いた。
彼女が剣を仕舞わないまま問うと、フォンは確実だと念を押すように答えた。
「間違いない、僕は二年前に里を焼き滅ぼした。どうかしたのか?」
疑惑と疑念、一言では説明できない感情を秘め、アンジェラは言った。
「……私の家族が殺されたのは、一年前よ」
フォンは、驚愕と共に自分の肩の力が抜けていくのを感じた。
「……何だって?」
「一年前よ、間違いないわ。つまり、貴方が殺した忍者に、私は家族を殺されたの?」
確かに全員を殺した。
心臓を貫き、燃やし、殺した。殺したという言葉では表現できないほど入念に、絶対に生き返る――若しくは生きていたなどというトラブルがないように、四肢を斬り落としたほどだ。
なのに、アンジェラは家族を殺されたのは一年前だと言う。しかも彼女が家族を殺されたのは、フォンの記憶では間違いなく始末した忍者だ。しっかりと、丁寧に丹念に殺した忍者が、アンジェラを恨む者に依頼されて家族を拷問にかけ、抹殺したのだ。
だとすれば全てに矛盾が生じる。
二年前に殺されたはずの忍者が、アンジェラの家族を殺したことになる。
「フォン、真実を聞かせて」
「……全て、真実だ。僕が忍者の里を滅ぼしたのは紛れもない事実だ」
「私も真実よ。家族は忍者に殺されたわ」
全てが真実である。どちらも真実である。
なのに、どちらも異常である。
「……何が、起きてるんだ……?」
フォンは、呆然と呟いた。
失われた復讐相手。
滅したはずの忍者。空白の一年と、謎。
死した者が蘇ったのか。カゲミツ達が求めた力が、術が存在したのか。
真相は今の彼らには到底追い求められず、理解もできないだろう。まるで自分達の方が世界の理に追いついていないかのように、洞穴の中だけが時間の中から置き去りにされたかのように思えた。
フォンもアンジェラも、どちらも声を出せなかった。
遠くからクロエが自分を呼ぶ声が聞こえてきても、互いに足が動かなかった。