カゲミツが現実を知って心を砕いた一方、別の道を使って必死に逃げるカゲチヨは、未だ真実を知らないまま、部下を率いて走っていた。
 ぜいぜいと肩で息をしながらも走るカゲチヨは、兄よりもずっと体力は低いようだ。父が忍者だとしても、彼女は忍者としての修行はしていないのだろう。

「カゲチヨ様、もうじき出口でございます! ですが、カゲミツ様は……」
「兄上ならば必ず出口で待っているわ、あんな小僧共にやられるなんてありえない! 私達二人で父上を蘇らせる悲願を達成するまで、どちらも死ねないのよ――」
「――はいはい、戯言はあの世でその父上に聞いてもらいなさい」

 彼女達はほぼ同時に、その足を止めた。
 なんとさっきまで洞窟にいたアンジェラが、自分達の少し前に立っているのだ。

「……さっきの女騎士……いつの間に……!」

 仮に追いかけられていたのだとしても、後ろからやって来るはずだ。なのに、自分の前に立っていて、しかも特に急いている調子すら見せないのは、一体どういうことか。
 ナイフを構える敵に対し、アンジェラはいつも通りのマイペースさで問いかけた。

「ばたばた走りながらぎゃーぎゃー騒いで、見つからないとか追われないって思うのは流石に間抜けよ。ところで貴女、忍者について知ってるのかしら?」

 アンジェラが忍者について聞く時はつまり、家族を殺した何者かについて問う時なのだが、カゲチヨや彼女の同胞が答えてやる義理はない。

「こ、答える必要はないわ! お前達、やってしまいなさい!」
「分かりました! 覚悟しろ、騎士めえびょッ」

 だったら、アンジェラもまた、彼女達に遠慮してやる必要がない。

「…………え?」

 命令し、攻撃を仕掛けようとした集団のうち、一人の首が飛んだ。
 カゲチヨ達と女騎士の間の距離は遠く、剣などはまず届かないはずなのに、フードを被った首が宙を舞って、彼女達の前でごろりと落ちた。
 何が起きたのか、どうやって攻撃したのか。その答えは、アンジェラの両腕にあった。
 彼女の腕に装備されていた奇怪な剣が伸び、地に垂れていた。
 菱形の小さな盾からせり出た剣は、十個に分割した刃部分が鋼線で繋がれ、鞭のようにしなだれていた。それらは敵の眼前でひとりでに動き、細く薄い一つの刃に合体した。
 カゲチヨは理解した。アンジェラは剣を握らない。鞭のように振るうのだ。

「悪いけど、取り巻きには興味がないのよ。とっとと終わらせましょっ!」

 全員が恐るべき事実を理解するのと、雑兵への関心を失ったアンジェラが再び、刃を離した剣で敵を斬るのはほぼ同時だった。

「何だ、なんだあの剣はんばッ」
「逃げられなばあぁ!?」

 まるで踊るように攻撃を繰り出すアンジェラ。暗闇の中でも煌めく刃は、それが光る度に敵の体を切り刻み、肉塊へと変貌させてゆく。
 どうにか避けようとする者もいるが、鞭の如くしなる剣を避ける手段など、この狭い洞穴では存在しない。ナイフでこんな武器を止められるはずもなく、防御も無意味となる。

「ど、ど、どうなってるのよ、あの女は何者なのよ!?」

 そんな中でも唯一無傷のカゲチヨの怒鳴り声を聞き、部下の一人がようやく気付いた。

「……あの髪色、奇怪な剣……まさか、カゲチヨ様! あの女は王都ネリオスの騎士です、しかも王に仕えるうぎぃいッ!?」

 気づくのと同時に、顔の半分を削ぎ取られて絶命したが。
 しかし、カゲチヨは仲間の遺言を確かに聞いていた。アンジェラがただの女騎士ではなく、王都でも五本の指に入る実力者であると。

「……王に、仕える? そんな、なんで?」

 この時点で既に黒づくめの連中は全員肉のオブジェとなっていたのに、カゲチヨが呆然としているのは判断ミスであった。敵など一切無視して逃げれば良かったのだ。

「自己紹介が遅れたわね。私はアンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ。ネリオス王都騎士団の国王直属部隊『王の剣』の一人――『双頭竜のアンジェラ』なんて呼ばれてるわ。聞いたことくらい、あるんじゃない?」
「……あ、あ……?」
「私の顔は知らなくても、この『ギミックブレイド』くらいは知ってるかもと思ったんだけど……私って、そんなに有名じゃないのかしら? 確かに他の面子と違って、私だけ魔法が使えないから地味ってのもあるけど、ねっ!」

 わざわざアンジェラの自己紹介を、呆然と突っ立って聞いているなどは論外だ。
 そんな悠長にしているカゲチヨを待っていたのは、騎士の蛇腹剣――ギミックブレイドによる目にも留まらぬ斬撃と、すっぱりと斬り落とされた両腕だった。
 一瞬だけ、彼女は呆然とした。腕が地に落ち、血飛沫を上げ、ようやく叫んだ。

「おんぎゃああああぁぁああああ!?」

 なくなった腕を狂ったように振り回し、激痛で顔を歪ませながら体中の体液を流し漏らすカゲチヨ。そんな彼女が蹲るのを見ながら、腕を振って刃を手元に手繰り寄せ、剣を仕舞いながら近寄ってくる。

「ま、私のことはどうでもいいわ。それよりも、カゲトラの娘が忍者に詳しくないはずがないわよね。だったら、十分に聞く価値はあるわ」

 アンジェラは俯くカゲチヨの顔面を蹴り上げてうつ伏せに倒すと、彼女の首を踏みつけた。辛うじて喋られるように、しかし自由が利かないように。
 女騎士と対面する姿勢にさせられた彼女は、腕を失った痛みも忘れて息を呑んだ。

「私ね、ある忍者を追っているの――肩に龍の刺青をした、女の忍者よ」

 彼女の瞳は、闇の中で爛々と輝いていた。
 明るい光ではない。憎悪の炎で燃え盛っているのだ。

「ひッ……!」

 死を眼前にしたカゲチヨに、頬まで裂けたように見える口で、アンジェラは聞いた。

「――ねえ、貴女、知らないかしら?」

 嘘を言えば殺される。だが、カゲチヨは忍者について無知と言ってもいい。
 忍者について知っているのは、カゲトラが遺した申し訳程度の巻物と、ちょっとばかり集められた基礎的な情報だけ。だから彼女は、正直に告げた。

「……わ、わだしは……ぢぢうえのはなじだげ、じが……じりばぜん、にんじゃのごど、ぜんぜん、じりばぜん……だがら、だがら……」
「ふーん。じゃあ、いいわ」
「えッ」

 カゲチヨはきっと、アンジェラの言葉の意味を最期まで理解しなかっただろう。

「――アンジー、駄目だ!」

 洞穴の奥から走ってきたフォンの制止の声すら届かぬ間に、アンジェラがカゲチヨの首を足で踏み折ったからだ。目を見開く彼の前で、赤黒いおかっぱ頭が奇怪な方向に曲がったのは、紛れもなく彼女の死を意味していた。
数多の亡骸、その真ん中に立つアンジェラ。困惑するフォンにゆっくりと顔を向けた彼女の目は、いつもの飄々とした調子でなく、フォンを敵として見る目をしていた。

「……フォン、貴方が追っていた忍者は、まだ生きてる?」
「彼は忍者じゃない、生きてるけどもう抵抗はしない」
「関係ないわ。次に彼に聞かないといけないのよ……家族を殺した忍者を知っているか、って。それとも、フォンが答えてくれるのかしら?」

 アンジェラは自分を試していると、フォンは悟った。

「私はね、肩に龍の刺青を彫っている忍者を探しているのよ。彼女について、教えて」