我が家は内示に俺の婚約を発表してから、平穏が保たれていた。
特にマリー姉様とディアーナは、実の姉妹のように仲がよくなった。
どのようにしてマリー姉様を手な……ゴホン、仲よくなったのかは不明だが、さすが王女、人の心を掴む手腕は素晴らしいと感心すると共に、『俺、尻に敷かれるの確定じゃない!?』と未来の自分を想像してげんなりした。
まだ俺は七歳だ。主導権を握る機会はあるはずと心を落ち着かせた。
婚約を発表したことで『誓約魔書』を破棄することになった。もちろんエマも一緒にだ。
本人たちはこのままでもいいと、破棄に消極的だったが、すでに身内である。ちょっとした手違いで誓約魔書が発動し、死ぬことになれば俺が後悔する。
特にエマは要注意である。ドジ侍女は健在で、あのアンナが頭をかかえていた。悪気があるわけではないため、怒るに怒れないんだよね。
朝食の後、ディアーナと今日の予定を確認し合う。
「今日の午前中に、ヴィリー叔父さんが来る予定だから、そのつもりでいて」
「はい。お手数をおかけします」
無表情で軽く頭を下げるディア。非常に残念なことに耳と尻尾を隠蔽しているので、感情を読み取ることは難しい。
この無表情も見慣れると、うん、悪くない。
「いや『誓約魔書』の破棄はそうそうにしたかったんだ。時間がかかってごめんね」
「いえ、ジークベルト様の大事なことですから、慎重になるのは当然のことです」
実は誓約魔書の破棄に叔父が渋ったのだ。
ディアーナやエマの破棄なら、すぐ了承が出ると思ったが、思惑がはずれ驚いたのは俺だった。
「婚約が確定した後、彼女たちの様子を見て判断しよう」と、叔父が俺に伝えてきたのだ。
「どうしてですか」との俺の問いに「彼女たちには、滞在中アーベル家の教育を受けてもらう。アーベル家の者としての心構えがあると判断できれば破棄するよ」と笑顔でかわされた。
これ以上の質問は受けつけられないとその場を後にしたが、アーベル家の心構えとはなにやらとの好奇心から、ヘルプ機能を発動させた。
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アーベル家に従事する者は、例外なく教育を受け、アーベル家に生涯の忠誠を誓う。
教育途中に逃亡する者、資格がないと判断される者は『忘却』の魔法で、アーベル家に関するすべての記憶を抹消される。
アーベル家に従事できる者は、国籍やステータスにかかわらず優秀であり、ほかに類を見ない。
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その事実に言い知れぬ恐怖を感じた。
たしかに……アンナの動きとか、ステータス以上の素早さで俺を確保したり、気配がない時もたまにあったんだよね。
気づいたらそこにいた──なんて日常で……。
考えれば、考えるだけこわいんですが。
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現在アーベル家の『至宝』はご主人様ですよ。
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恐怖におののく俺にヘルプ機能が、軽いノリでいらぬ情報を伝えた。
どういうことだ?
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ご主人様だからです。
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困惑する俺に、なんとも曖昧な返答をしてきた。
とっ、とりあえず、俺の『至宝』うんぬんについては後々考えることにする。
ヘルプ機能の情報から、叔父が誓約魔書の破棄を渋った理由を知り、その思考に過保護すぎると頭をかかえた。
また一方で叔父が、彼女たちに無理難題を叩きつけ、誓約魔書を破棄する気がないとも思った。
エマは、見習いだがディアーナの侍女である。主人への忠誠を尽くしているはずだ。
今さら変更できるのかと疑問が生じた。心が追いつかないだろうと思った。
そしてディアーナは、エスタニア王国の王女だ。王族は忠誠を誓ってもらう立場だ。
それなのに忠誠を誓わせるなんて無茶だと──そう思っていた。
しかし俺の心配をよそに、ディアーナとエマのふたりはすんなりアーベル家の教育を受け、忠誠を誓った。
そして今日『誓約魔書』が破棄される。
約束の時間から三十分以上経ち、『移動魔法』で現れた叔父は、少々疲れた顔をしている。
チート叔父の弱っている姿に、物珍しさから言葉を出せずにいた。
ダンジョン内でも一度も疲れた様子を見せなかったあの叔父が、少々とはいえ弱っているのだ。
「遅れてすまないね」と、言葉にも覇気がない。
そんな叔父を見かねた俺は意を決して、質問する。
「いえ、なにかあったのですか」
「あぁー。ルイーゼ姉様が昨日帰国されてね」
思ってもいなかった返事に、俺は瞬きをする。
「伯母様が帰国されたのですか。伯母婿のクルマン伯爵はたしかリストアに大使として派遣されていましたよね」
「私が伯爵の爵位を得るので、緊急帰国したんだよね。現在我が家に滞在中──ハハハ」
乾いた笑いをした叔父は遠い目をする。
そう叔父は、来週伯爵になる。我が国では数十年ぶりの新たな伯爵家に国中大騒ぎだ。
授与式には祖父母や伯母夫妻も含めアーベル家全員で参加し、王城で開かれるパーティーには、ディアーナを伴い、俺の婚約者としてお披露目することになった。
その授与式のために伯母は帰国したのだ。
ルイーゼ・フォン・クルマン、父上の姉で、俺の伯母にあたる人だ。
大恋愛の末、フェルディナント・フォン・クルマン伯爵に嫁いだ。伯母は我が国では初の女騎士であり、近衛騎士団に所属していた。父上も叔父も唯一頭が上がらない人物である。
俺は赤ん坊の頃に一度対面しているが、視界がボヤケていたため、姿絵でしか伯母を見たことがない。
その伯母が叔父の屋敷に滞在しているなら、ディアーナたちを連れて後で挨拶しに行こう。
ちなみにアーベル侯爵家の西隣にある古い屋敷が、現在の叔父の家である。
とある伯爵家の所有だったが、最近売りに出され、叔父が購入したのだ。
売りに出されたタイミングとか、いろいろと怪しすぎる点が多いが追及はしない。
伯爵の体面上、屋敷は必要だった。
管理が面倒であると叔父は嘆いていたが「敷地内の外装に文句は言わないよね」と言って、西側の伯爵家との間にあった壁をぶち抜き、侯爵家の敷地とつないだ。それにより両家を楽に行き来できるようにした。徒歩五分の距離だ。
広がった庭を見てハクがうれしそうに走り回っていた。叔父の計画では庭の中間地点に別邸を建てるとのことだ。
表面上は伯爵家と侯爵家の敷地は別となっていて独立貴族としての体面を取るが、内情はひとつの家として運用する。その中間地点に別邸を建てることで、伯爵家の負担を分散するのだろう。
叔父が遠い目をしながら「ディアーナ様とエマはどこかな」と確認する。
当初の予定よりもかなり遅れ、叔父が現れたのは昼過ぎ。ディアーナは午後にマリー姉様との茶会の予定があり、エマを伴いサロンに行っている。そのため、叔父の到着と同時に、俺は『報告』の魔法を使ってディアに知らせておいた。すでにディアーナからもその返事が届いていた。
「今、こちらに向かっています」
「ありがとう。本人たちがいないと『誓約魔書』は破棄できないからね」
叔父は二通の『誓約魔書』を机に出す。
誓約魔書から流れ出る魔力の多さに俺は驚愕する。ダンジョン内で取得した『魔力察知』で、その魔力容量を把握したのだ。
命をかける誓約書なだけある。
叔父の伯母への愚痴を聞き流しながら過ごしていると、ディアーナとエマが部屋に入ってきた。
彼女たちの到着がもう少し遅かったら、俺は拗ねていたかもしれない。一方的に愚痴を聞くのって、つらい。
ディアーナとエマはテーブルを挟んで叔父と俺の向かい側の席に並んで座った。
「今から『誓約魔書』を破棄する。ふたりとも目の前にある誓約魔書に手をかざして」
叔父の指示にふたりは息をのみながら『誓約魔書』に手をかざす。
それを見届けた叔父が破棄呪文を唱える。
「古来より受け継がれし誓約よ。ヴィリバルト・フォン・アーベルの魂のもとにおいて誓約を破棄する」
叔父が破棄呪文を唱え終わると同時に『誓約魔書』が輝きだし 、彼女たちそれぞれを包み込む。
光が彼女たちの中に消えると、机にあった『誓約魔書』は消えていた。