「テオ、お前調教師になったのか?」

 友人の戯けた声に、テオバルトは歩んでいた足を止める。
 ここは王都にある魔術学校だ。
 魔属性を所持している者は、必ず通うことが義務付けられており、もちろん身分は問わない。
 魔法の実用的な修練と研究を主としているが、魔法以外の雑学、教養、技術面でのスキル習得などの授業もあり、近年では魔属性のない者も通っている。主に商家や町の権力者の子息や息女だ。将来の人脈を培い強固するのが目的だ。
 貴族社会に唯一邪魔されることなく接触できる機会を易々と逃すはずもない。彼らはどのような地位であっても平民なのだ。
 今後の有力者と縁を繋ぐこと、魔術学校は、社交場の予行でもあるのだ。
 また国が優秀な人材を確保、把握するための場でもある。魔術学校で優秀な成績を収めたものは、国の機関への就職が約束される。
 平たく言えば、国が優秀な人材を囲うための職業斡旋所でもある。

 その魔術学校の廊下で、あのアーベル侯爵家の子息だが、なぜか存在感が薄い優秀なのに注目されないテオバルトが、人々の視線の中心にいる。
 静寂に包まれたその場で、慣れない注目に苦笑いしつつ、テオバルトは、横にピタリと寄り添うハクに目をやる。

 まぁ目立つよね……。

 ここ数日、ジークベルトが転移事件に巻き込まれてから、ハクがテオバルトのそばを離れようとしないのだ。
 今日は、週三日ある魔術学校の日だった。
 ジークベルトが、ハクをとても大切にしていることを屋敷全員が認識していた。
 下手に連れ出し、厄介な相手に目を付けられると困るため、丁寧に根気強くハクを説得したが、頑固としてテオバルトのそばを離れなかった。
 しかたない休むかと、半月ほどの休学を覚悟したところ、ギルベルトから「連れて行きなさい」との命令が下った。
 父様の思惑は、なんとなくわかるが、それを僕がするのか……と、不満が口に出なかっただけでも褒めて欲しいぐらいだ。

「末弟が飼っているんだ」
「末弟? あぁーあの噂の銀髪くんね」
「噂?」
「ガルゥ?(うわさ?)」

 テオバルトが疑問を口に出すと、隣のハクも声を出して瞬きしながら首を傾ける。
 その仕草にその場にいた全員の心を掴んだようだ。
 場の空気が変わるのをテオバルトは感じた。
 目的の一つが、こうも簡単に片付いた。
 ジークベルトを銀髪と呼んだ友人が、その可愛さに凝視していたが、ハッと気づき言葉を返す。

「まあまあ、それにしても綺麗な毛並みだなぁ。触っても?」
「ハクが許したらね」

 テオバルトの声と同時にハクが動く。友人の前に座り「ガル!(いいぞ!)」と元気よく返事をした。

「お許しが出たってことかな。おおーー、すっげーーなぁ!! 艶々だし触り心地最高! さっすが侯爵家! 手入れ抜群じゃん!」
「末弟がとても大事にしているからね」

 その声に周りで傍観していた人々が、次々と列を作る。
 まぁそうなるよね……。
 友人の後ろに長蛇の列ができていた。
 友人は後ろの列に気づくと、ばつの悪そうな顔してテオバルトへ軽く頭を下げ、すぐ後ろの人物へ譲る。
 列は途切れることなく、授業が始まる直前まで続いた。その中に講師が含まれていたことに、テオバルトはほくそ笑む。
 ハクは大人しく、嫌な表情一つせず、されるがままだった。こちらの思惑を理解しているかの動きにテオバルトは関心する。
 さすがジークベルトが相棒と呼ぶだけのことはある。高い知性がかいま見れる。この魔獣を手元に置き、従えている末弟のすごさを再認識すると共に輝かしい将来の影で多くの暗躍が纏わりつくだろうと、未確定の不安要素に心を痛める。
 未自覚のブラコンの気苦労は絶えないのだ。

 授業中もハクは邪魔することもなく、ただ静かにテオバルトのそばにいた。
 当初教室に入った際は級友たちが大騒ぎしたが、それを気にすることもなく淡々とテオバルトの後に続く。
 その光景に騒然とした級友が押し黙り、様子を静観する。講師も一瞬怯んだが、ハクを指摘することなく、授業は進んだ。
 魔術学校は許可さえあれば、魔獣と一緒に授業を受けられるのだ。
 まぁその許可を使って魔術学校に魔獣を連れてきた生徒はほぼいないため、噂を嗅ぎつけた他教室の生徒が、休憩の都度押しかけ、ハクの可愛さに心を捕まれていた。

 全ての授業が終わり、生徒たちのハクへの好奇心も一段落したため、屋敷に戻る馬車へ向かう。
 粗方の目的は、ほぼ達成したが、まだ安心ができない。教授と顔を合わせていないのだ。一抹の不安も残したくはない。やはり屋敷に戻る前に研究棟へ足を踏みいれるかと考えていると、前を歩いてくる人物を見て舌打ちした。よりにもよってウーリッヒ教授か。
 ウーリッヒ教授は、伯爵家の次男で、魔術学校での地位もそこそこ高い。ただ生物実験などの研究を好んでおり、残虐な実験から何度か注意喚起を受けているはずだ。
 研究室に籠っていることが多く、滅多に遭遇することはない。牽制するには、最適な相手ではあるが厄介だ。
 素直に引いてくれればいいが……。

「テオバルト殿、その魔獣の赤子は……なんと! ブラックキャットの変異種! これはなかなかお目にかかれるものではないですね……研究対象、いや素材として使えるな! テオバルト殿、是非とも譲って頂きたい!!」

 即座に鑑定する技量に、再び舌打ちしたくなるが、ここはグッと我慢する。
 テオバルトは、ハクの右足にあるアーベル家の家紋が付いたアンクレットをわざとらしく見た。

「ウーリッヒ教授、申し訳ありませんが、この赤子は、アーベル家が所有しているのですよ」
「むーー。では、ゲルト殿に掛け合って、譲って頂きましょう」

 ウーリッヒ教授は、少し考えた素振りを見せるが、妙案だと提案する。
 それにテオバルトは淡々と答えた。

「ゲルトには、この赤子の所有権限はありません。また叔父ヴィリバルトの庇護下にいますので、手を出すとウーリッヒ教授の研究に支障が出る可能性がありますよ」
「赤め、忌々しい! 私の研究の邪魔ばかりをして……」

 ウーリッヒ教授は、ブツブツと恨み辛みを呟いている。
 矛先を叔父へ変えたことには成功した。ハクに手を出すことは当分ないだろう。
 この件が、他の教授にも伝われば、ジークベルトがハクを連れて魔術学校へ通っても問題はなさそうだ。
 テオバルトの影に隠れ、ジッーと事の成行きを傍観していたハクの頭を一撫でし満足する。
 ただゲルトが、ウーリッヒ教授と親交があると判明し、少なからずショックを受けたが顔には出さず、テオバルトとは、そのままフェードアウトした。