『――おやすみ、ハク』

 ハクとの念話を切り、砂のベットに寝転ぶ。
 大きく伸びをして、目を閉じた。
 明日、ダンジョンボスのレッドソードキングを俺ひとりで討伐する。
 不安がないわけではない。それ以上にとても楽しみで仕方がない。考えただけでソワソワする。
 遠足前の子供のようだと頬が緩む。
 この数週間のダンジョン生活で、大きく成長した確信が、いまの自信に繋がっている。
 そろそろ身体を休めないと。
 独り寝の権利を得るために、ヴィリー叔父さんを説得した苦労が無駄になる。
 興奮状態の身体を整えるために、深く息を吐き、瞑想の準備に入ろうとすると、外から声がした。

「ジークベルト様、少しよろしいですか」
「その声は、ディア?」

 遠慮がちな声の主にあたりをつけ、砂の扉を開けると、マントを羽織ったディアーナ王女が立っていた。
 周囲に護衛や侍女のエマもいない。どうやら魔テントから抜け出してきたようだ。

「お疲れのところ申し訳ございません。明日は最下層、二人でお話がしたくて参りました」

 大きな金の瞳が、不安気に揺れまつ毛が影を作る。
 その様子から、緊張しているのが伺えた。

「エマたちには?」

 俺の問いかけに、王女は軽く首を振ると「二人でお話がしたくて」と、金の瞳がまっすぐ俺を見た。
 視線が絡み合う。
 ほんの数秒、先に視線を外した俺は、二人で話せる場所を『地図』を起動し探す。
 近くの砂山に見当をつけ、魔物が周辺にいないこと、半径一キロ以内に魔物が出現するとアラームが鳴る設定をした。
 叔父は俺たちの位置を把握できるので、少し離れた場所でも問題ないはずだ。
 子供とはいえ、密室に二人はまずい。
 敗者に言えた義理ではないが、王女の纏う雰囲気が、色気が、可愛さが、大人の女性なんです。
 額に冷や汗を掻きつつ、王女を誘う。

「近くの砂山に行こうか?」
「はい!」

 さきほどの雰囲気と一変した元気な返事に、心の中で苦笑いしつつ、王女に手を差し出す。
 戸惑うこともない小さな手が、俺の手に重なり、二つの影が砂山に向かって歩き出した。
 頭上には、二つの月『朱月』『蒼月』が、幻想的に揺れて見えた。



 ***



「よし着いた。ディア足元に気をつけて」
「はぃ……」

 頬が赤い王女を腕から降ろす。
 小さく返事をした王女は恥ずかしいのか目線を下げた。
 俺もつい勢いで、やってしまったのだが、そもそも王女が悪いと思う。
 普段被っているフードを今日は被っていなかった。
 王女が歩く度に、白い耳がピクピクと俺を誘うように至近距離で揺れるのだ。
 しかも、話の途中で黙ってしまった俺に「ジークベルト様?」と小首を傾げる仕草が小悪魔すぎた。
 俺の触りたい欲望が、我慢の限界を超え「失礼」と王女の肩と足に手を入れ抱き上げていた。
 所謂、お姫様抱っこだ。
 俺の行動に「えっえー!!」と、王女らしからぬ声を出して慌てている彼女の反応を無視して『倍速』を使用して、一気に砂山をかけ登った。
 いま考えれば、お姫様抱っこも耳モフモフと同じぐらいダメな行動だったが、もう手遅れだ。
 まだ動揺している王女を尻目に、『土塊』で、座るスペースを作製する。

「まぁ、これぐらいかな」

 そこそこの出来栄えに満足して、椅子に布を被せ、王女を椅子に招く。

「ジークベルト様は、やはりすごいお方ですね」

 椅子に腰をかけた王女が、椅子の感触を確かめながら感心した様子で話す。

「わたくしと同じ年なのに、魔法だけではなく、博識で礼儀や作法も完璧。何より気配りが素晴らしいです」
「博識かどうかは別として、礼儀や作法と気配りは、侍女のおかげだよ」
「侍女ですか?」

 意外な答えだったのか、王女が興味深そうな目を俺に向けた。

「うん。我が家の侍女長のアンナがスパルタで、物心がつくかつかない頃から叩き込まれたからね。自然と身についたんだ」
「そうなのですね」
「うん。感謝しているよ。だけど少しは手加減してほしいかな」

 俺が、おどけたように肩をすくめると、王女から「うふふ」と笑い声が聞こえる。
 うん。美少女の笑顔は癒されます。
 そこから緊張の糸がほぐれたようで、他愛無い会話が続き、お互いの家族の話にまで至った。

 エスタニア王国には、国王と正妃の他、側室が二名いる。
 王子が三名、王女が三名おり、ディアーナ王女は、正妃の第二子、六兄姉の末っ子で、王位継承権がある。
 王位継承権、第一は、正妃の第一子でディアーナ王女の兄である王太子の三男。
 次いで長男が第一側室の子で、次男が第二側室の子で三番となり、ディアーナ王女が四番目となるそうだ。
 正妃の子以外の女児には、王位継承権は与えられないため、三姉妹は争うことなく仲が良く、お茶会を開催しては、兄王子たちの悪口を言いあっているそうだ。
 だが、国王が病に倒れてから、継承争いが火種しているという。
 王太子が成人していないこともあり、兄弟間での衝突もあるそうだ。
 今回のダンジョン転移も、おそらくこれが関わっているのではないかと、肩を落とした。
 深刻な内容に言葉を詰まらしていると、王女の雰囲気が一変した。

「あらためて、エスタニア王国第三王女ディアーナ・フォン・エスタニアとして感謝いたします。わたくしたちだけでは、このダンジョンは踏破できませんでした。このご恩は一生忘れません。ディアーナ・フォン・エスタニアとして、ジークベルト様に何かあれば必ず尽力いたします。――捧げます。ジークベルト様、ありがとうございました」

 王女は立ち上がると、俺に深く頭を垂れ、洗練されたカーテシーをした。
 その美しさと品位に圧倒され、最後の感謝の前の言葉を正確に聞き取れなかった。
 なにを捧げるんだ?
 王女も意識してかその部分だけ、早口だったような……。
 思い出そうとして、はっと気づく。
 先に返事をしないと、マナー違反になる。
 スパルタ教育のアンナの怒った顔が横切り、考える暇もなく、王女の前に膝まつき手を取ってそれに答えた。

「ジークベルト・フォン・アーベル、ディアーナ・フォン・エスタニア様の感謝の言葉、御意に受け入れます」

 俺の言葉を受け、王女が顔を上げ、破顔する。
 その顔は、もう可愛いのなんのって。
 王女が勢いそのまま俺に抱きついた。俺は王女を支え、抱きしめ返す。

「ジークベルト様、わたくし嬉しいです」

 感極まった王女の声が聞こえ、さきほどの疑問を俺はすっかり忘れた。
 あとで、王女の言葉の意味を知ることになる。
 うん。事前の確認は大事です。