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 湖畔の近くで、野営の準備を始める。
 やはり二十一階層の階段には、たどり着けなかった。明日のことも考え、今日は早めに切り上げた。

 今日の晩餐は、ドロップ品である大量の牛肉を使った焼き肉だ。焼き肉文化は、この世界にないため、肉を串に刺した串焼きですけどね。
 男騎士が火の番をして、肉を焼いている。女騎士の姿が見当たらない。またサボりか……。
 男騎士のカミルは、初印象は最悪だったが、血気盛んな普通の若者である。思考能力が単純で、ある意味その性格さえ理解すれば、とても扱いやすい人物だ。
 女騎士のダニエラにいいように使われているようだ。その女騎士は、未だによくわからない。あまり接触をしていないのも大きいが、仲間うちでも、距離があるようだ。

「ジークベルト様、こちらの皮むきもお願いします」
「うん」

 エマの指示に、俺の手が動く。俺とエマは、スープとサラダを担当している。ほぼエマが調理しているが、助手として野菜などを切って、お手伝いをしていた。
 そこへ王女が現れた。手には大事そうにマントを持っている。

「あのっ、ジークベルト様、失礼いたします」
「ディアーナ王女様、どうされました?」
「敬称は結構です。ディアとお呼びください」

 いや。それはまずいでしょ。
 一国の王女を呼び捨てとかありえないからね。
 あと数日だが共に行動するので、わだかまりなく過ごしたい。
 王女とエマは良い子だ。仲良くはなりたいが、その申し出は、遠慮させて下さい。後々問題が起きそうです。
 じっと静かに、俺をみている王女に、ほんの少し心が揺らぐ。とっ、とりあえず王女を抜いてみますか。それだけでもだいぶ親しみがでるしね。

「ディアーナ様」
「ディアです」
「……ディア様」
「ディアです」

 王女の笑顔が恐いです。隣のエマが苦笑いをしている。もしかして名前呼ぶまで、このままとか……。ふとマリー姉様を思い出し、若干頬がひきつる。
 前世の知識が、あまり女性を怒らせることは、得策ではないと、警報を鳴らしていたので、気づかれないよう小さく溜息を吐き、王女に答える。

「ディア、どうしたの?」
「はい! ジークベルト様にお借りしたこのマントですが、とても貴重なものではございませんか?」

 俺が、愛称で名を呼び、フランクに話しかけると、王女の耳と尻尾がピンと立ち、ものすごく喜んだ。
 俺の対応は、正解だったようだ。

「マントは、ヴィリー叔父さんから貰ったものだよ。快適な温度を保つ魔法が施されているから、貴重と言えば貴重なのかな」
「それだけではありませんよね。わたくし、これだけ歩いたのは、人生で初めてです。ですが、疲れもなく足の痛みもありません!」
「そうだった! 『聖水』と『守り』も施されているんだ。忘れていたよ」
「やはりそうなのですね。このような貴重なもの。ジークベルト様は、お疲れではございませんか?」
「ん? ぼくは大丈夫だよ。ディアの疲れがなくてよかったよ」

 何気なくでた言葉が、王女の心をさらに掴んだようで「お優しい」と、マントを握る手に力が入っている。また耳と尻尾が、若干揺れていて、頬が少し赤くなっていた。

「エマは、疲れてない?」
「私ですか⁈」
「うん。ディアが、人生初となるぐらい歩いたってことは、エマもそうだろう?」
「あっ、はい。足が痛くはありますが、大丈夫です」
「『聖水』どう痛みはとれた?」
「えっ⁈ はい! さきほどまでの痛みが、うそみたいにありません!」
「気づけなくて、ごめんね」

 エマにむけて、優しく微笑む。
 そうだった。すっかり忘れていた。当たり前のように行動していたが、彼女たちには、とても過酷だっただろう。なんせ七十キロほどの距離を移動したのだ。泣きごとも言わず、休憩もせず、歩き続けたのだ。
 俺は、叔父が毎回戦闘後に回復魔法をかけてくれていたので、疲れとは無縁だった。戦闘に夢中になりすぎて、まったく気づかなかった。反省だ。
 エマが「あわわっ」と、言葉にならない声を上げ、少し赤くした頬を両手で押さえていた。

「無意識って、こわいよね」
「ヴィリー叔父さん! 何のことです?」
「いやうん。ジークはそのままでいいよ」
「?」

 突然現れた叔父は、俺の頭をポンポンと叩く。
 伯爵と一緒に周辺の警戒にあたっていたはずだが、この付近は安全と判断できたってことかな。

「私は何をすればいいかな?」
「アーベル様にお手伝いして頂くなんて、とんでもないです」
「ジークは手伝っているけど?」
「ジークベルト様は……‼︎ そうだった。ジークベルト様は侯爵家のご子息! 当たり前のようにさっと、手伝ってくださるから忘れていたわ。どっ、どうしよう。私ったら、野菜を切ってもらっているわ。優しいから、ついついお願いしてしまったわ。不敬罪になるかしら? あっ! 気軽にお話をしてくれるから雑談までして……。愚痴も言ったような気がするーー‼︎ あぁーー、どうしよう‼︎」

 エマはプチパニック状態となり、心の声が外に漏れている。ほんと面白い子だよね。
 気兼ねさだけなら、我が家の侍女たちといい勝負だ。

「ヴィリー叔父さん、そのボールの中にあるソースを混ぜて、かなり力がいるんだ」
「お安い御用!」

 俺の指示で、叔父がボールに手を出す。
 それを見ていた王女もソワソワと動き、俺に近づいてくる。

「私もなにかお手伝いいたします」
「ディアは、野菜を切るのを手伝って」
「はい!」
「愛称で、呼ぶほど仲良くなったのかい」
「アーベル様も、どうぞ、ディアとお呼びください」
「嬉しい申し出なんだけど、私の立場では、色々と問題があるんだよ。ディアーナ様で、許して頂けますか?」
「はい!」

 茶目っ気たっぷりにウィンクまでして、叔父、上手く逃げましたね。
 俺にも大人の返しができたらなぁ。経験値の差がここででてしまいました。