今日も雨。この世界にも梅雨があるようだ。
 窓からはザァーザァーと、雨音が聞こえる。
 雨は嫌いではないけれど、連日になると、少し憂鬱な気分になる。
 六歳になり始まった父上指導の剣術の稽古も雨の日はない。
 もちろん、危険性が高くなるため、狩りや冒険は休みだ。
 屋敷内でゆっくりまったり過ごす……。
 書庫に籠り、読書を楽しむのも然り、急遽開催されるアンナの鬼マナー教室もあったりするのだが、今日は、自室にて砂と格闘していた。

「だめだ。均等に魔力が入っていない。失敗……」

 ゴロッと、濁った玉が机に転がる。
 ここ最近、時間が空けば、ガラス石作りに奮闘していた。
 以前マリー姉様に譲ってもらった『ガラス石』を解析したところ、材料は、魔力砂のみだった。
 魔力砂とは、魔力が濃い地域に発生する砂で、砂の成分に魔力が混ざり込んでいる。
 質の良い物は、高値で取引される素材である。
 特に『沈黙の森』の奥地にある魔力砂は、高級で魔力砂S+のランクである。
 素材にもランクがあり、SS、S、A、B、C、D、E、F の八段階で表し、同じAでも五段階あり、A--、A-、A、A+、A++ となる。
 その中でも、魔力砂S+は、ガラス石の材料に適している。手元にあるリンネ製のガラス石の材料も、魔力砂S+が使用されていた。

 ただハクと出会って以来、『沈黙の森』へは行っていない。
 なんとなくだが、今は行ってはいけない気がするのだ。
 俺は直感を信じるタイプだ。
 ハクにもそれを伝えると「行かないほうがいい」と、同意してくれた。
 俺と同じく、あまり良い感じがしないとのことだった。


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 精霊の森の深奥の砂も使えます。

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 精霊の森は、場所がわからないので、いいや。


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 場所検索は可能です。

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 関わりたくないので、調べる必要はないです。


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 非常に残念です。

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 ヘルプ機能との会話を思い出す。
 ことあるごとに、精霊の森を推すんだよね。
 ゴリゴリ推している様子から、ヘルプ機能は、精霊の森に行って欲しいのだと思う。
 ヘルプ機能には、大変お世話になっているので、希望を汲んであげたいのは山々だが、今抱え込むには大き過ぎる問題なのだ。
 だから当分の間、待ってください。

 ガラス石だが、その作製方法は、魔力砂に均等に魔力を注ぎ、透明な玉を形成していけば完成だ。
 透明度が高ければ高いほど、ガラス石の品質が高い。
 説明すると簡単なのだが、この均等が難しいのだ。

 ハクは、失敗したガラス石モドキを転がして遊んでいる。
 最近のハクのブームである。
 一生懸命石を転がして遊んでいる姿は、かわいくて萌える。
 うちの子、一歳になったけれど、かわいさの成長が止まることはなく、成長毎に倍増している。
 毛の艶も最高で、一度撫でると、病みつきになる。自慢もいいとこだ。
 遊んでいるハクの右前足には、キラキラと光る高級なアンクレットを着用していた。
 アーべル家の紋章が付いたアンクレットは、ハクが、この屋敷に来て、一ヶ月が過ぎたあたりに、父上から渡されたのだ。
 魔契約をしていない魔獣の赤子が、外出するには危険であり、しかも変異種であるため狙われやすい。
 そこでアーベル家の紋章を付けておけば、ペットであることが証明され、安全が確保できるとのことだった。
 父上の説明には納得したが、渡されたものに驚愕した。

「父上、これはすごく高い魔道具ではないですか」
「ヴィリバルトが用意したものだ」

 俺の問いかけに、父上は目を逸らしながら答える。
 父上らしくない挙動不審なしぐさに、その場で迷わず鑑定をする。


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 守護のアンクレット・ヴィリバルト製
 効果:常時攻撃を15%カット。瀕死状態を一回のみ回避
    体長を伸縮可能
 説明:アーベル侯爵家の紋章がついたミスリル製のアンクレット
   『伸縮』魔法で、装備者の体長を変更することが可能
   『守り』魔法と『報告』魔法を二重掛けし、瀕死状態を回避すると壊れ、予め指定した者に報告する
 指定:ヴィリバルト・フォン・アーベル
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 やはり。叔父お手製の魔道具でしたよ。
 しかも使用されている材料が、希少金属のミスリルです。
 瀕死を回避する魔道具とは、これは素晴らしい。
 ハクに危険が迫ると、叔父に連絡が入るようです。アフタフォロー完璧ですね。
 体長を伸縮するのも、ハクの成長を考えれば必要だった。
 さすがチート叔父。気が利く。

「ハク、おいで」
「ガゥッ?(呼んだ?)」
「父上から、ハクがアーベル家の一員だと示す物をくれたよ。着けていい?」
「ガゥ(いいよ)」

 ハクは素直に右足を出す。
 アンクレットは、大きな輪っかとなっているため、そのままハクの足に通す。
 サイズが少し大きいなと、思った瞬間、アンクレットが緑色に光る。
 光が消えると、右足首にフィットする大きさに変わっていた。
 おぉー、さすが叔父作製の魔道具である。

「痛くないかい」
「ガゥ(大丈夫)」
「父上、ありがとうございます」
「ガゥーー(ありがとう)」

 父上は、複雑そうな顔して頷いた。
 その態度から、叔父が作製した魔道具ではあるが、効果などの説明を受けていないようだった。
 効果を把握していない魔道具を俺に渡したことに躊躇っていたようである。
 叔父、変な所で信用がないんだなーと、思ったのは内緒だ。

 アンクレットを渡された経緯を思い出していると、手元から砂がこぼれ落ちていく。
 集中力を切らしたため、本日六度目の『ガラス石』に失敗する。
 はぁーー。思わず大きなため息がでる。
 玉にも形成されず、ただの砂となった砂が机の上に広がる。
 ここ数ヶ月、これの繰り返しだ。
 今手元にあるのは、流通している魔力砂で、ランクA-である。
 んーー。難しい……。S+でないとダメなのか……。
 いや劣化版のガラス石は、Bの物が多いとの情報だ。やはり形成段階で、均等に魔力を注ぐことができていないのだ。
 まだまだ修練が足りない。魔力制御を中心に鍛え直そうと決める。
 同時進行で、魔道具作製は続け、経験値を積み、まずは品質関係なく魔道具を一個完成させるんだ。
 机に広がった砂を空間魔法で片づけて、一人遊びしていたハクに向き合う。

「ガルゥ?(今日は終わり?)」
「ううん。休憩。そのあと魔力制御の修練だよ。一緒にやるかい」
「ガルゥ!(やる!)」
「小腹空いたよね。侍女に何か持ってきて貰おう」
「ガルゥ!(すいた!)」

 侍女を呼ぶため『呼び鈴』に手をかけようとしたところ、廊下からバタバタとした足音が聞こえる。

「ガウッ?(なんだ?)」

 ハクは、警戒して低姿勢をとり、耳を忙しなく動かす。
 屋敷内で大きな足音が聞こえるのは、めずらしいのだ。
 足音が近づき、俺の部屋の前で止まると勢いよく扉が開く。
 そこには、絶世の美女がいた。
 八頭身の長身で手足が長く、豊満な胸だが腰は細い。
 白い肌に流れるように美しい緑色の髪がさらに美女を際立たせる。
 ぱっちり大きな緑色の目、筋の通った高い鼻、ぷっくりとした唇、顔はシミ一つなく陶器のような白さで、左右対称になっていた。
 息をのむ美しさに絶句する。

「みぃーつけた!」

 美女は俺を見ると素晴らしい速度で動き、ムギュとその豊満な胸に俺を抱く。
 豊満な圧迫感に、幸せだが……窒息で死ぬ。
 アワアワと、必死にその腕から逃れようとするが、美女のどこにそんな力があるのか、ビクともしない。

「やっと、やっと会えたわ!」

 歓喜の声が上から聞こえる。さらに強い力で抱きしめられた。
 あぁ俺、美女の胸で死ぬのか……。
 間抜けな死にかただな……と、意識が飛ぶ寸前、俺の危機を察して、ハクが助けに入る。

「ガウガゥ!(ジークベルトを離せ!)」
「なに? なんで聖獣がここにいるの?」
「ガルゥ?! ガッガルゥ!(なんで?! おっ、おれは魔獣だ!)」
「なにを言っているの? 白虎でしょ? 聖獣じゃない」
「ガルゥ!(魔獣だ!)」

 ハクの参戦で、美女の腕がゆるんだ隙に脱出する。
「あっ」と美女は声を漏らすが、素早くハクと一緒に後方へ下がる。
 酸欠で頭がフラフラするが、美女の言葉は聞き捨てならない。
 ハクが聖獣であることを見破っているのだ。
 俺と魔契約したことで、ハクは隠蔽Lv-が使えるのだ。
 隠蔽Lv-で誤魔化しが利かないだと……。
 この美女は一体何者なんだ。

「ステータスを隠蔽しているのね。知られたくないの? 内緒ってこと?」
「ガウ!(そうだ!)」
「じゃあ、秘密ね! ヴィリバルトにも秘密にしておくわ! うふふ、ヴィリバルトが知らないなんて……うふふふ」

 あれ? やけにあっさりと引き下がった。
 油断させて隙を狙って……いるようには全く見えない。
 美女は未だ「うふふふ」「ヴィリバルトが知らない秘密」「秘密なのよ」「うふふふふ」と、上機嫌に一人の世界に入っている。
 叔父の知合いのようだが、アーベル家の屋敷を自由に歩けるだけの人だ。

 ……まさか。

 俺が確信の言葉を口に出す前に、扉が開き、叔父が登場した。

「フラウ! やはりここでしたか」
「見つけるのが早いわ!」
「魔術団から気配が消えたら、心配するよ」
「心配してくれたの?」
「もちろん。フラウは私の大事な友だからね」
「ごめんなさい。でもヴィリバルトだって悪いのよ。約束したのに、いつまで経っても連れて来てくれないんだもん」
「それとこれとは話が別だよ」

 美女が反論しようと口を開きかけると、ポンッ! と美女から音がした。
 そこには、三十センチメートルほどの姿となった美女? 西洋人形のような人? が宙に浮いている。

「あぁーもぅ! あの姿、気に入っているのに!」
「魔力の無駄遣いだね」

 プクゥと頬を膨らませ、叔父の周囲を回り抗議している。
 やはりそうかと、確信をえるために、叔父に声をかけた。

「ヴィリー叔父さん」
「ジーク、迷惑をかけたね」
「この子って?」
「視えているのかい? 顕現していないはずなんだけどね」

 えっ? と、驚愕する俺を横目に、叔父の視線が動く。

「顕現していないわよ。ジークベルトは資格持ちだから視えるわよ」
「やはりそうなんだね」
「あのー」

 また二人の会話に戻りそうだったため、俺は途中で声をかける。
 それにフラウが答える。

「うふふ、わたしは風の精霊のフラウよ。稀有な人の子。ジークベルト貴方に会いたかったの」
「ぼくにですか」
「そうよ!」

 叔父のそばにいたフラウが、勢いよく俺に近づくと、弾丸トークしだした。

「もう他の子が貴方に会ったって自慢するから、悔しくて! ヴィリバルトの血縁者なのに一度も会ったことがないって言ったら、あの子鼻で笑ったのよ。わたしは、ヴィリバルトと契約しているから、貴方との契約は無理でしょ。なのにあの子が貴方と契約したいって言い出しているのよ。わたしがヴィリバルトのそばにいるのによ。ヴィリバルトが大事にしている子を守るのは、わたしの役目なのにぃーー」
「あの精霊様」
「フラウでいいわよ」
「フラウ様」
「フラウよ」

 頬につきそうなぐらいの至近距離まで近づき、腰に手をあて注意する姿は、とても愛くるしい。
 フラウの本来の姿なのだろ、腰まである緑色の髪と大きな緑色の目が、美女と同じだ。

「フラウ、精霊に会ったのはフラウが初めてです」
「あら? 貴方なら顕現しなくても視えるはずよ。現にわたしは視えてるでしょ」
「はい。フラウの姿はわかります」
「わたしだけ視えるの?」
「今まで精霊を視たことはありません」
「そうなの! そうなのね! あの子、視えてないなら契約なんてむりじゃない。なんだ心配して損をしたわ。うふふ」

 上機嫌に宙を舞い、部屋の中を「うふふ」と漂っていく。
 その姿に満足したのかなと、精霊は気まぐれ屋であることを思い出す。
 叔父が俺の肩に触れる。

「フラウを意識したから、視えてるんだと思うよ。普段は視えないはずだから安心していいよ」
「はい」
「迷惑をかけたね」
「いいえ」

 俺は首を横に振る。
 精霊を視たいとは、今は思っていないが、興味はある。
 たぶん、精霊に会いたいと思えば、俺は視えるのだろう。
 ただ俺は幼すぎる。自分さえ守れない男が、他を守るなんてことできない。
 守れる時期が来たら、会いに行こう。

 ふと叔父の噂が頭を過ぎる。
 まさか、精霊をそんなことに使うのかと疑惑の目を叔父に向ける。

「ん? ジークなにかな?」
「ここ最近、叔父さんに恋人ができたと侍女たちが噂をしていましたが」
「それわたしよ! 人間サイズに顕現して、ヴィリバルトとたくさん出掛けたわ」
「とても助かったよ」
「ヴィリバルトの役に立てたならいいわ!」

 嬉しそうに叔父を見つめるフラウを見て、ありなんだと吃驚した。
 叔父の常識に目を疑いながら、宙を舞う精霊に、異世界なんだなぁと改めて自覚した。




「ジークベルト、プリンが食べたいわ!」
「精霊って、食することができるの?」
「あら、食べる必要はないけれど、味覚はあるわよ」
「そうなんだ。食材で、口にしたらダメなものはないの? 例えば、肉とか?」
「ないわよ。どうして?」
「いや、偏った知識があってね。殺生したものは、口にできない……とか?」
「うふふ。ジークベルトは、面白いことを言うのね。だとすれば、何も口にできないわ。すべてのものに、生命(いのち)はあるもの」
「そうだよね……。ごめん、フラウ。変なことを聞いて」
「気にしてないわ! ジークベルトは、優しいわね。うふふ」
「プリンだったね。なら今日のおやつは、ポテトチップスも作ってもらおう!」


 あの突然の訪問から、フラウが、俺の部屋に入り浸っている。理由は、俺と仲良くなりたいらしい。俺のなにかが、フラウの興味を引いたようだ。精霊の気まぐれは、よくあることなので、あきるまで付き合うしかないようだ。

 叔父は精霊との契約を隠蔽している。
 理由は、言わずと知れた『精霊狩り』で、厄介ごとを避けるためでもある。
 この部屋でも、万が一に備えて、顕現はしていない。顕現せずとも、俺とハクには視えているので問題はないが、侍女たちには視えないので、最近では「ジークベルト様が、壁に向かって、ブツブツと独り言を……」との噂が流れ、侍女たちに心配されている。

 ねぇ、俺の評判!
 いままで、築き上げたものが……。
 そんなイタイ子を見る目で、みないで!
 はあーー。

 この屋敷で、フラウの存在を認識しているのは、父上、執事ハンスと侍女長アンナ、テオ兄さんだと、フラウが、教えてくれた。
 テオ兄さんは、フラウのうっかりで、存在を知ってしまったようだ。

「ギルベルトと久しぶりにお話がしたくて、テオバルトがいるのを忘れて、ついつい顕現しちゃったのよね。うふふ」

 フラウが、悪気もなく、あっさりと答えた。
 テオ兄さんって、かなりの確率で、大はずれを引くよね。俺の件といい、秘密を抱え込んでいる。うん。なんだかひどく同情してしまう。
 秘密の一部は、俺なんだけど……。
 テオ兄さん、ごめんね。ストレスで、倒れないでね。

 ついでに、俺の隠蔽が効かなかった理由もフラウは、教えてくれた。

「あら、知らないの? 精霊は『真実の眼』があるから隠蔽してもだめよ」
「真実の眼?」
「簡単に説明すると、そのものの本当の姿を視る眼よ。だからわたしには、隠蔽は効かないのよ! すごいでしょ!」

 フラウは、得意げな顔で、腰に手をあて、胸を張る。翠の髪が、サラサラとなびく。
 うん。かわいいだけです。

 精霊の秘密を少し教えてもらい、フラウに興味が湧く。他にも面白そうなスキルを所持していそうだ。精霊を鑑定する機会なんて、そうそうないし、鑑定眼、使ってみようかな。

「ジークベルト、だめよ! 鑑定なんてしたら絶交よ! 女の子のヒミツを覗き見るなんて、ジークベルトのエッチ!」
「えっ? どうして鑑定をしようとしたことがバレているの? えっ? 精霊って心が読めるの? それに精霊って性別があるの?」
「ヴィリバルトと同じ顔をしたもの! なにか企んでいそうなことぐらい察するわ! それに失礼よ! 精霊に性別はないけれど、わたしは女の子よ!」

 えっ? 性別がないのに、女の子なの?
 たしかに、豊満な肉体は、ありましたよ。実体験しているので、あの柔らかさは最高でした。俺も男だから、そりゃー嬉しかったですよ。
 えっ? でもあれって、作りものでしょ?
 作りものではない? フラウが、人間の女性だったら、あんな感じになる?
 えっ? それは、無理ゴリ押しじゃない?

 フラウの性別云々を思い出していると、この世界にないはずの食べ物の名前が、耳元に響く。

「ポテトチップス?」
「ガルゥ?(ポテトチップス?)」

 ハクとフラウが、仲良く小首を傾げている。
 うわぁー。かわいい! かわいすぎるっーー! これだけで、ご飯一杯はいける! 聖獣と精霊の最強タッグ! もうっ、かわいすぎだろ! やばすぎぃーー!

「それ、プリンより、美味しいの?」
「ガルゥ?(おいしいの?)」
「甘味ではないけど、お菓子だよ」
「甘くないお菓子? ならいらないわ!」
「ガゥ!(食べる!)」

 俺の簡単な説明に、きれいに意見が分かれました。
 ハクは、食べる。フラウは、甘くないならいらないと。
 んーー。でもフラウは、食べると思うな……。しかも、お気に入りとかになりそうな予感がする。
 不思議なもので、あるとつい口に入れてしまうし、手が止まらなくなるんだよなぁ。
 まずは、再現だな。

「では、料理長にお願いしにいきますか」
「「ガルゥ! はーい!」」
「ん? ハクとフラウはお留守番だよ」
「えっ、なんで?!」
「ガルゥ?!(なんで?!)」
「ヴィリー叔父さんとの約束は、この部屋だけって話だったでしょ。たぶんフラウ、部屋から出れば、ヴィリー叔父さんに強制回収されるよ。ハクは、料理長NGだったよね」
「そんな……」
「ガゥー(そうだった)」

 両手を頬にあて、口を開けたまま、固まるフラウと、頭を垂れて微動だにしないハクのあまりにも素直すぎる反応に、思わず、笑ってしまうのだった。



***




 調理場に入ると料理人たちが一斉に、俺に注目した。その中から、恰幅のよい中年の男性が、こちらへ近づいてくる。
 料理長だ。

「ジークベルト様、いかがないさいました?」
「忙しいところごめんね。おやつにプリンを食べたいんだけれど、三個用意できるかな?」
「もちろんです。侍女にお伝えいただければ、お持ち致しましたのに」
「うん。ありがとう。じつはプリン以外にも作って欲しいものがあって……」
「新しいレシピですか?!」

 俺の言葉に、料理長が食い気味に反応する。
 プリンのレシピを伝えた時「その他は、その他は、ないのですかーー!」と、なかなか離してもらえなかったのだ。一瞬の隙をついて、逃げていたのを忘れていた。
 やべぇーー。失言だったかも……。
 ちらっと、料理長を見る。その瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いている。後方の料理人たちも、同じ眼をしていて、新レシピに興味津々だ。

 あぁ、期待しているわーー。
 ただのポテトチップスなんだけど……。
 申し訳なさすぎるんですが……。

「たっ、たいしたものではないよ。期待は、しないでね」
「はい!」

 若干引き気味で、苦言をさすが、料理人たちからは、威勢のいい返事が、かえってくる。
 その食いつき振りに、頬が引きつる。
 料理人たちは、はやくレシピをくれと、訴えている。その姿は、飢えた野獣のようだ。
 単純なレシピすぎて、暴動なんて起こさないよね。それぐらいの勢いなのだ。
 あぁーー、もう!
 期待するなとは、言ったからね。苦情はきかないよ。

「芋を薄切りにして、オリーブオイルで揚げて欲しいんだ」
「オリーブオイルで、揚げる?」

 あぁーーーー! 揚げる文化がないんだった。
 不思議そうな顔している料理人たちに、手順を説明する前に鍋の確認だ。

「えっと……。まず鉄鍋を見せて」
「はい。少々お待ちください」

 料理長は、俺の言葉に素早く反応すると、料理人たちに指示を出す。

「おいっ鉄鍋だ。すぐ用意しろ」
「「「「はい!」」」」

 料理人たちは、調理置場から鉄鍋をかき集める。
 色んな形の鉄鍋が並べられ、揚げ物に適している鍋を選ぶ。
『魔コンロ』に鍋を置き、用意されたオリーブオイルをなみなみとつぐ。
 俺の行動を黙って見ている料理人たち。その静けさが逆にこわいんですが……。

「まずオリーブオイルを熱します。ある程度熱したら、水を一滴落とす。ジュッと音が鳴り、パチパチ弾けだせば、薄く切った芋を入れます。大体二分間揚げてください。揚げた芋は紙などでオリーブオイルを切って、その後、塩を少々かけてください」
「わかりました。やってみましょう。すぐ準備しろ」
「「「「はい!」」」」

 料理長の指示とともに、料理人たちが動き出す。
 あっという間に芋はスライスされ、揚げられていく。
 待つこと五分。

「ジークベルト様できました」

 皿の上には、ポテトチップスの山ができていた。
 それを一枚とり、口に運ぶ。
 パリッと、心地いい音が調理場に響く。

「ポテトチップスだ」
「これはポテトチップスという料理名なのですね」

 思わず呟いた言葉を料理長は見逃さない。
 もう名称、前世の名前でいいわ。
 気にしないでおこう。

「料理長も食べてください」
「はい。では」

 パリッパリと、いい音をさせる料理長。
 思わず喉が鳴る。もう少し頬張ればよかった。
 料理長は、食べ終わると眉間に皺を寄せ、味を確認している。
 プリンの時とは違い、不味そうな顔をしているな。
 口に合わなかったのかと、不安がよぎる。

「固くシンプルな味ですが、なんとも癖になりそうです。もう一枚と手に取ってしまいますね」
「これは、甘味ではないお菓子なんだ。甘くないお菓子があってもいいと思うんだ」
「ほぉー。甘くないお菓子ですか。なるほど、そのような考えは盲点でした」

 料理長の意見にほっとして、再びポテトチップスを頬張る。
 うん、絶妙な塩加減だ。
 そうなると、ポテトフライも作って欲しい。

「同じ材料で、芋を太く細長くすれば、また違う料理になるんだ」
「また違う料理ですか? では早速作ってみましょう」

 俺の言葉に料理長は、すぐさま動く。
 包丁を片手に、芋の太さを確認する。

「これぐらいの太さでしょうか」
「うん。先ほどより長く、芋がきつね色になるまで揚げてください。あとは一緒だよ」
「この料理名は?」
「ポテトフライです」

 慣れ親しんだ名称を口にした。
 そして、待つこと二十分。

「できました! ジークベルト様、試食をお願いします」

 できたてのポテトフライを口にする。
 熱いがホクホクで上手い!

「ポテトフライだーー!」
「私もいただいてよろしいでしょうか」
「もちろん!」
「これは! 先ほどとは、食感が違いますね。材料も同じで簡単な手順ですが、こうも違うとは、奥深い」
「今回は塩だったけれど、色んなソースを付けて食べるのもいいね」
「なるほど、これは軽食などの付け合せにいいですね」
「ぼくは、おやつとして食べたいな」
「わかりました。ご用意します」

 あぁ、もういいや。料理長に丸投げしよ。
 食べたかった物を食することで、今までの料理に対する欲求不満が見事に爆発した。

「揚げ物には、唐揚げや天ぷらといったものもあります」
「唐揚げや天ぷらとは、どんなものです?」
「詳しくは知らないんだけれど…………」

 俺のあるだけの知識を料理人たちに伝える。
 熱心に俺の話を聞き、メモを取りだす。その熱量に俺も感化され、次から次へと料理名を口に出す。
 あとは料理人たちに任せ、再現してもらうんだ。
 前世の知識が、ここで生かせている。妹のお菓子作りを手伝っていたのも役に立った。
 これだけ受け入れてくれるなら、遠慮せずに食改革をしよ。
 この世界の食は、まずくはないが、単調すぎる。
 料理長に説明しながら、いくつかの可能性を伝え、いつの間にか料理人たちも話の輪に入っていた。


 まだまだ料理話は尽きないが、話が一段落したところで、料理人の一人がプリンを持ってきた。
 あっ、忘れていた! ハクたちを待たせているんだった!
 料理人たちに挨拶をし、また来ることを伝え、調理場を急いで後にする。
 少し熱くなりすぎたかと反省するが、食事が充実するだろうとの満足感に胸が踊る。
 今日の夕食が楽しみだ! 唐揚げを試すと言っていたな。ワクワクする気持ちを抑え、足早に自室へ向かう。
 自室の扉の前で深呼吸をする。
 ハクたち、すごく怒っているだろうな。プリンで機嫌がなおるほど単純ではないよね。
 俺が悪いんだし、ここはあえて受け入れよう。
 覚悟を決めて扉を開けた瞬間、顔面と胸にダブルタックを受け「うわぁ」と、その場で沈み込む。

「遅い! 遅すぎるわ!」
「ガルゥ!(遅い!)」
「ごめんね。新レシピを教えていたら、話が広がってしまったんだ。気が付いたら時間が経っちゃって……」
「新レシピ? ポテトチップス?」
「他もね、たくさん教えたから、今日の夕食は豪華になると思うよ」
「他ってなに? 美味しいの?」
「ガルゥ?(おいしいの?)」
「とりあえず、ぼくの上から降りてくれるかな?」

 ハクたちは、怒りを忘れ、素直に俺の上から降りる。
 そして促すかのように、テーブルの前まで行くと、俺を無言で見つめる。
 はい。すぐにご所望の物を用意します。
 空間魔法から、プリン、ポテトチップス、ポテトフライを取り出し、机に置く。
 フラウは、プリンをパッと掴むと「うふふ」と笑いだした。

「これがプリン。ヴィリバルトが美味しいって、自慢していたものね。うふふ」

 ハクは、ポテトチップス、ポテトフライに興味津々だ。
 ちょこんとお座りしながら、俺の許可を待っている。
 うちの子、賢いんですよ。待てができるんです。
 その上、かわいいし、モフモフだし、かわいいし。
 俺が悶絶していると、ハクがたまらず伺いをたてた。

「ガルゥ?(食べていい?)」
「いいよ」

 美味しそうに食べるハクの姿に、頬がゆるみっぱなしだ。
 うん。俺の決断は間違っていなかった。
 これから、アーベル家だけでも食改革をしよう。
 俺の前世の知識をフル活用するのだ。
 あぁー楽しみだ。
 父上にお願いして、ラピスが手に入らないかお願いしてみよう。
 ラピスは、白米に似た穀物であることを確認している。
 やはり元日本人は、お米が欲しいのだ。
 想像しただけで、涎が口にわいてくる。

「ガルゥ!(おいしい!)」

 ハクの歓喜の声をきいて、さらに決意を固くする。
 こうして、アーベル家の食改革が始まったのだ。


「ヴィリー叔父さん、ここは、ダンジョンですよね?」
「うん、そうだね。おそらくコアンの下級ダンジョンじゃないかな? 私が王都付近で、入ったことがないダンジョンは、それぐらいしかないからね」
「ぼくは、なぜここにいるのでしょうか? フラウから魔法砂をもらうために、魔術団を訪れたはずなのですが……」
「いい質問だね。今、移動魔法の研究をしていて、『移動石』内にある移動魔法を取り出すところで、失敗したようなんだよ。ちょうどそのタミングで、ジークが訪問して、巻き込まれたと。んーー、新人に任せるには、早すぎたかな」

 叔父は腕を組み、首を傾ける。その様子を横目に、俺は小さく溜め息を吐いた。
 嫌な予感がしたんだよね……。


 ――三日前、俺は『ガラス石』の作成に、またしても失敗した。
 フラウが、俺たちの前に現れて四ヶ月、その間、一度もガラス石を作成できないでいた。
 魔力制御は、Lv5となり、魔力砂へ均等に魔力は、注げているはずだ。その証拠に濁った玉ではなく、透明な玉を形成できるようになっていた。
 手にした瞬間、粉々に割れるという致命的な状況ではある……そもそも才能がないとか、そのような落ちではないと、そう思いたい。

 粉々に割れた残骸を目にして「またダメだった」と、落胆する俺に、魔道具作りを興味深く見ていたフラウが「ジークベルトは、魔力が高すぎるから、魔法砂が、耐えられないのね。うふふ」と、さらっと有力情報を漏らした。

「いま俺の魔力が高すぎて、魔力砂が耐えられないと、そう聞こえたんだけど、聞き間違いだよね」
「あら、ほんとうのことよ!」
「聞き間違いではない?」

 フラウ曰く、魔力は均等に混ざっているが、材料の魔力砂A-では、俺の魔力に耐えられず、形成した瞬間に割れるそうだ。
 注ぐ魔力を抑えるか、魔力砂のランクを上げるしか、方法がないとのことだった。
 しかも俺は、魔道具作成スキルを取得していないので、注ぐ魔力を極端に抑えたところで『ガラス石』の作成に成功する確率は、ほぼないに等しいらしい。

 俺の数ヶ月間の努力……。泣いていいですか。
 俺のひどい落ち込み様に「魔力が高いことは、とてもいいことよ!」と、慌ててフラウが、フォローする。

「わかっている。恵まれているのは、わかっているんだよ。だけど、俺の数ヶ月間は、返ってこないんだよーー。うぅ、うわぁーん」

 俺を心配して、寄り添ってくれるハクのふわふわの毛に顔をうめ、泣く。現実逃避すること数十分。ハクの毛から顔を上げると、なぜか、フラウもハクの毛に顔をうめ、その柔らかさを堪能していた。
 俺の憩いの場所が! ライバルの登場に少しあせるが、ハクの飼い主は、俺だから大丈夫、俺は寛大なんだと、自分に言い聞かせる。

「…………。フラウ、そろそろハクの毛から離れて?」
「気持ちいいから、いやっ!」
「ガルッ!(俺は、大丈夫だぞ!)」

 我慢できず、フラウに離れるよう言うが、ハク本人が、了承してしまった。
 そこは俺の場所なのにぃー。

 はぁ……。ジタバタしても、状況は変わらないので、ガラス石作成の手段に思考を巡らせる。
 魔力砂A+以上となれば、そう簡単に市場に出回ってはいない。
 父上にお願いすれば、容易に手に入るが、それはしたくない。となれば、自力で確保だけど、入手場所が厄介だ。
 俺の移動魔法で行けて、魔力砂A+以上が確保できる場所はあそこしかない。だけど、あの場所には、まだ近づいてはいけないと、俺の直感が言っている。
 んーー。俺の情報網では、あと一つ確保できる場所を知っているけれど、嫌な予感しかないんだよなぁ。
 その場所に行けば、ヘルプ機能が泣いて喜んでくれるはずだが、でもなぁ…………。
 悩んでいると、ハクの毛から顔を上げたフラウが「精霊の森の魔法砂は、あるわよ! ジークベルトは、いつもおいしいものをくれるからあげるわ!」と、有難い申出をしてくれた。


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 せっかくのチャンスを!
 クソ精霊、余計なことを!

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 いま、ヘルプ機能の罵倒が聞こえた気がした。
 空耳だよね。
 ヘルプ機能が罵倒……。ないないない。
 ハハハハッ……。

 幻聴は聞こえたが、三日後に魔術団へ行くことを約束した。残念ながら、ハクはお留守番だ。
 魔術団は、主に魔術研究をしているが、魔物や魔獣の研究もしているので、研究対象として目をつけられると厄介だと判断した。
 ハクは、白虎を『隠蔽』して、変異種のブラックキャットとしているが、実はブラックキャットも、王都付近では滅多にお目にかかれない貴重な魔獣なのだ。研究者からしたら、生唾ものだ。
 アーベル家の後ろ盾があっても用心にこしたことはない。ハクに説明すると、渋々ながらも承知してくれた。
 とはいえ俺自身も、研究対象として目をつけられる可能性が高いのだが、危険を冒しても行くしかないのだ。フラウに、魔力砂を持ってこさせることが、できないからだ。
 以前フラウに、顕現について質問した時、顕現していない時は、人の目には見えないが、フラウが手にしたものは、消えることなく、その状態で見えるらしい。例えば、フラウが、ティーカップで紅茶を飲むと、他の人からは、ティーカップが、宙に浮いて、紅茶が消えていくように見えるそうだ。
 想像してほしい。魔力砂が入ったビンが、宙に浮いて移動しているのだ。それを目撃した人は、どう思うだろう。
 変な噂がたち、もし精霊がいると勘づかれたら、大変な騒ぎになる。それだけは、避けたいのだ。
 叔父にお願いすることも考えたが、借りを作って、後々からまれると、面倒なので、リスクが一番低い俺が、魔術団に行くことにした。

 ***


 王城の両側に、魔術団と騎士団の棟がある。
 騎士団には、テオ兄さん同伴で何度か訪問したことがあるが、魔術団を訪問するのは、初めてである。
 しかも今回は、一人での外出だ。
 よくマリー姉様の許可が下りたなぁとも思うが、行き先が魔術団の叔父の部屋で、行き帰りが馬車での移動で、護衛も侍女も伴っている。この状況で許可が下りなければ、逆にマリー姉様を疑うレベルだ。

 そびえ立つ棟の高さに圧倒されつつも、まずは、主である叔父へ先に挨拶をしようと、第三魔術団の執務室を訪問すると研究施設に通された。
 そこは窓がない一本の暗い廊下で、等間隔で燭台が配置され、蝋燭の灯りが不気味に揺れている。

 施設内には、一部の魔術団員と特別な許可がある者しか入れず、護衛と侍女が、俺一人で行動することに抗議をした。ただ団員は淡々と「許可がなければ、物理的に入れません」「ご一緒されてもいいですが、強制排除されます」「安全性は、保証されています」と、数十分の押し問答が終わり、結果、渋々だが護衛も侍女も、執務室で待機となった。

 いやそれ以前にさ、研究施設に入れる許可が俺にあるのって、おかしくないかなぁ。誰も突っ込まないけど、俺まだ七歳だからね。まぁ叔父の血縁ってだけで、許可が下りてそうだけどね。
 団員は、俺に叔父の居場所を簡単に説明すると、職務に戻っていった。
 えっ? 案内してくれないのと、眼で訴えてみたけれど、通じなかったようだ。
 正直、すっげぇー怪しくて、一人でこの廊下を歩きたくなかった。
 叔父への挨拶は不要ではと、頭を過ぎるが、不義理は人としてだめだと、すぐにあきらめ廊下を見る。蝋燭の灯りが、俺の心をうつすかのように揺れていた。
 暗い廊下は長く、まっすぐに見えるが若干曲がっており、途中で上がったり下ったりしていた。
 慣れとはこわいもので、少し歩いただけで、先ほどの不安は消え、長く続く廊下に経費削減のためとはいえ、この演出はどうなんだろうと、歩きながら失礼なことを思っていた。
 五分ほど歩くと、団員の説明通り、大きな黒い重厚な扉が現れた。黒い扉にはノブがなく、事細かな曲線が描かれている。

「えっと……。扉の左側に青の石があるはず……。あった! この石に魔力を込めればいいんだよな」

 魔力を手に込め、青の石にそっと触れる。
 青い石が魔力に反応し光ると、扉に描かれている曲線が流れるように光っていき、扉全体を覆うと、重厚な扉がゆっくりと開いていく。
 大がかりな仕掛けに関心する。
 あとで聞いた話だが、あの重厚な扉は『移動門』といい、希少な古代魔道具なんだそうだ。
 現在の技術では作れないものらしい。移動先を指定できるが、登録できる移動先は四か所と少ない。
 ただ、重要施設を守るための侵入者対策には、役に立っており、予め登録している魔力以外は、牢屋へ直行らしい。許可のある俺はもちろん、アーベル家の魔力は全員登録済みだそうだ。

 扉の中へ進むと、廊下とは一変し、明るく開放感がある場所に出る。

「おぉー、怪しい施設から高級施設にランクアップ!」

 声が反響する。
 ドーム型の天井に、ステンドグラスが張り巡らされており、足元は白の大理石である。
 ステンドグラスからの光が、大理石に反射してキラキラしている。
 魔術団の棟内にこのような場所があるとは、予想できないものだ。

 さて目の前には、赤・青・緑・黄・黒の五つの扉がある。
 団員の説明だと青い扉に叔父がいるとのことだった。

 青の扉の前に立つと、なぜか嫌な予感がした。
 なんとなくだけど、いま扉を開けないほうがいいような気がする。
 んー……。悩んだあげく、ここまで来て挨拶しないなんてない。
 男は度胸だ!
 勢いよく青の扉を開けた瞬間、眩い光に包まれ「あっ! やっぱり……」と、瞬時に理解して、あきらめた。
「ジーク!」と、叔父が慌てて俺の腕を掴み、気がつくと二人でここにいた。

 王都から西にあるコアン。
 別名『職人の町』『ホワイトタウン』と、呼ばれるこの町は、古くから下級ダンジョンがあり、初級から中級クラスの冒険者たちが、活動拠点としている。また王都からも近く、ダンジョン産の物資が多く流通し、老舗も多く、西の交易拠点としても有名である。
 町の特徴として、建物が、白のレンガ一色で統一されている。そして、亜人が多く住んでいる町でもある。


 巻き込まれ事故で、コアンの下級ダンジョンに、移動した俺たちだが、叔父の様子から、どうも雲行きが怪しいようだ。

「うーん。ダンジョン内に移動するとは……。予め設定されている座標が、暴走程度で狂うのか? そもそも大前提が、間違っているとしたら……。『移動石』の指定場所が、コアンの下級ダンジョンであれば、辻褄は合うが、誰が、何のために、これを用意した……」

 先ほどから、叔父がぶつくさと、ひとり言を話している。考えごとは、口にだすタイプのようだ。
 しばらく様子をみていたが、どうもらちがあかないので、俺が叔父に声をかけた。

「『移動石』の指定場所は、コアンだったのですか?」
「いいや、王都だよ」
「だいぶ座標が、ズレましたね」
「そうだね。魔法が暴走しただけでは、片づけられない事象だね」
「えっ? 魔法って、暴走するんですか⁈」
「もちろん。制御不能となって大暴走したあげく、暴走死亡なんてこともあるから、日々の修練は大事なんだよ、ジーク」
「暴走死亡……。そうならないよう日々、精進します」

 俺の素直な返事に、叔父は頬笑み、頭をポンとさわる。その仕草は、父上と似ている。年が離れていても、やはり兄弟だ。

「さて残念なことに、ダンジョン内では、なぜか移動魔法が使えない。今回の件は、特例のため、カウントはしないで欲しい」
「はい」
「いい返事だね。その移動魔法の代わりが、階層スポットと、呼ばれるものだ。これは各階に設置されているが、いくつか条件がある。まず、移動できるのが、ダンジョン内の階層で、一度でも訪れた階層しか移動できない。例えば、パーティ内の誰かが、十階層まで踏破していたら、その人物と一緒に移動さえすれば、未踏破でも、十階層に移動することはできる。ただし移動の際、その人物に触れていることが、必須なんだよ」
「なるほど」
「私は、コアンの下級ダンジョンは、初めてなのだけれど、ジークもそうだよね?」
「はい。初めてダンジョンに入りました」
「そうだろうね。移動した場所が、下級ダンジョンで助かったね。これが上級だと少々厄介だった。いま私たちがいる階層は十七階。コアンの下級ダンジョンの最下層は確か……。二十五階だったはず。んー…。ダンジョンボスを倒したほうが早いかな?」
「ボスを倒すんですか⁉︎」
「ここのボスは、レッドソードキングだ。ジークでも十分倒せるよ」
「Bランクの魔物ですけど……」

 はい。叔父スパルタです。
 レッドソードキングとは、鎧と剣の魔物だ。
 デュラハンとよく間違えられるが、レッドソードキングは、首があり、体長四メートルの巨体だ。特徴として、兜の中心に赤い石が付いている。この赤い石は、宝石のルビーです。
 お金になる魔物だが、ランクが高くB、Bランクの冒険者パーティで、なんとか倒せる魔物だ。
 それを俺一人だなんて、無理ですからね! チート叔父と一緒にしないでください!

「ジーク、お客さんが来たようだよ。実戦授業をしよう」
「えっ⁈ はい。わかりました」

 前方に、オークが三匹現れる。
 オークは、見た目はイノシシで、耳の横から角が生えている。低ランクの魔物で、俺でも余裕で倒せる。

『灯火』

 精度が上がった『灯火』は、三本の火矢で、オークの眉間に命中し瞬殺する。瞬殺したオークが光ると、その場にオークの肉とオークの角が、ドロップされていた。地上と違い、ダンジョン内で魔物や魔獣を倒した場合、素材がドロップされる仕様なのだ。本の知識で知ってはいたが、初めての光景に興奮する。

 すげぇーー! リアルゲームだよ!
 やっべぇーー、興奮する! テンション上がる!

「オーク三匹じゃ敵にもならないね。うんうん。素晴らしい! 教えがいがあるね! ジークは、火魔法をよく使用するね。他の攻撃魔法は、使えないのかい?」
「いえ、最初に使った攻撃魔法が、火魔法で、熟練度も高いので、つい使ってしまうんです」
「なるほど。では、今日は風魔法の修練をしよう! ジークは『微風』は使えるね?」
「はい! 使えます!」
「では、その上の『疾風』を使おう。ジークの魔力値なら使えるはずだよ。まずは私がお手本をみせるからね」

 先ほどまでの静寂が嘘のように、次々と魔物が、出現する。目の前に、赤色のオークの変異種とオーク四匹が現れた。
 叔父が『疾風』と発すると、瞬く間に風が起こり、赤い角と肉がドロップされていた。

「えっ⁉︎」

 一瞬過ぎて、開いた口が塞がらない。
 魔法の発動は、確認できたけど、オークへの攻撃が、確認できなかった。早業過ぎて、参考にならないよ!
 さきほどまでの興奮はどこやら、チート叔父の魔法に冷静さを取り戻す。足下に転がるドロップ品をみる。
 一歩間違えれば、俺が、あぁなるんだよね……。ハッハハ……。
 ダンジョン内で人が死ぬと光はしないが、放置すると一時間ほどで吸収され、装備品だけが残るのだ。
 うん。俺、まだ死にたくはないから、慎重に行動しよう。
 チート叔父から、早速学ぶのだった。