ギルベルトが、屋敷に帰宅すると、執事のハンスが普段通り出迎える。

「旦那様、お帰りなさいませ」
「かわりないか」
「はい。本日はヴィリバルト様が執務室でお待ちです」
「そうか」

 外衣をハンスに渡し、汚れを軽く落とす。
 塵一つない廊下を歩きながら、確か今日はジークベルトの講師の日だったなと、ヴィリバルトがいる状況を確認する。
 となれば、あれの報告だろう。さて、吉と出るか凶と出るか……。
 執務室の扉を開けると、ソファの上で、優雅にお茶を飲むヴィリバルトが待っていた。

「おかえり、兄さん」
「あぁ今帰った。ヴィリバルト、待たせたか」

 簡単に挨拶をし、ギルベルトは、ヴィリバルトの前に座る。
 ヴィリバルトは、カップを置くと両手を上げ、矢継ぎ早に話し出す。

「いいえ、先ほどまでジークたちと食事をした後、談話室で雑談をしていましたからね。ジークは博識ですね。あの広い知識はどこで学んだのかが気になります。発想も面白いし、一度頭を覗いてみたいなー。マリーはあと数年すれば、聖魔術師としてデビューができるね。そうなる前に婚約をしてくれればいいけど、私が言える立場でもないしね。そうそうテオはいい感じになりましたね。第五騎士団へ推薦しておくよ」

 ヴィリバルトが、めずらしく上機嫌だ。
 なにかいいことでもあったのか……。いや、この機嫌の感じは、暇潰しの対象を見つけたのだろう。
 今回はいつまでもつやら……。ターゲットに、ご愁傷様と心の中で呟く。
 話に付き合うかと、ギルベルトが口を開く。

「ジークベルトの知識には、侍女たちも驚かされるようだ。最近では甘味のプリンだな」
「プリンだね。今日食べたよ。あれは絶品だね。特にカラメルソースの苦味がいいね!」
「そうだろう。ハンスが侯爵家の隠れレシピとすると言っていたな」
「さすがハンス! 私もそれがいいと思うよ。ジークは他にも料理の知識があるようだね」
「そのようだ。料理図鑑を見て落胆していたと報告を受けている。その後、ラピスは手に入らないのかと執拗に聞いたそうだ」
「ラピス?」
「あぁ、東の一部の国で、穀物の一種として栽培されている。我が国では、流通していないがな」
「入手してみましょうか」
「いや手配はしてある。ただ入手するにも時間が掛かるようだ」
「どんな料理か気にはなるね」
「そうだな。他にも料理に関しては、アイデアがあるようだ。どこで知識をえたのか」

 ギルベルトの顔は、言葉と裏腹にゆるみっぱなしだ。
 じつはギルベルト、甘味が大好物なのだ。
 ハクが屋敷に来る前、アーベル家にプリン激震が走った日は忘れもしない。
 ジークベルトよ、甘味の革命はお前に任せた。父はできるだけお前の要望に応えると決めた日だ。
 当主の燃えるような決断をジークベルトは知らない。

「マリアンネの婚約は、本人に任せている。アーベル家は自由恋愛だからな」
「えぇ、それをいいことに、私は身を固めていませんしね」
「そうだ。マリアンネよりお前だ。お前の婚約話が後を絶たない。いい年だ、お前が対応しろ」
「そこは結婚しろでしょ、兄さん」
「するのか? しないだろ。独身を通すならそれでいい。だが婚約話はお前が処理しろ」

 ギルベルトはそう言って立ち上がると、机の引き出しを開け、その中から数十枚の紙の束を出す。
 そしてそれを持つと、ヴィリバルトの前に置き、ソファへ戻る。

「これはまた……」
「今月は少ないほうだ。毎月毎月届くのだ。アーベル家は自由恋愛だと知れ渡っているからな。身分が関係ない分、数が多過ぎる」
「わかりました。策を考えましょう」
「そうしてくれ」

 ヴィリバルトは、数十枚の束を空間魔法で収納する。
 この話はもう終わりだ。あとはヴィリバルトが、上手くするだろう。
 もっと早く伝えるべきだったと、ギルベルトは後悔した。
 弟の婚約話は、後を絶たない。
 身内贔屓とはいえ、優良物件であることには、否定できない。
 物腰の柔らかさ、洗練された動き、魔法の実力も折り紙つき、端整な顔立ち。
 まあ、性格に多少難はあるが、これほどの者が、独身なのだ。
 本人には伝えていないが、中々面倒な婚約話もあり、骨を折った日々が記憶に新しい。
 それが今日で終えた。
 よし。グッと心の中でガッツポーズをして平然を装いながら、次の話題に移る。

「テオは、やはり第五騎士団か」
「はい。素質は十分あります」
「あとは本人の意志次第だがな」
「テオは受け入れますよ」

 ヴィリバルトは、力強く頷く。
 一片の迷いもない答えに、テオバルトの評価が非常に高いことがわかる。
 最近、手合わせをしていなかったな。ふむ、次の休みに合わせてみるか。
 ジークベルトの剣の修練も始めるのにいい時期でもある。
 ギルベルトの気分が上がったところで、ヴィリバルトの纏う雰囲気が変わる。
 本題に入るかと、ギルベルトは姿勢を正した。