目覚めると、誰かに抱かれているようだった。
 視界がぼやけて、状況把握ができないが、人肌を感じる。
 真上から女性の声が聞こえた。

「リア様、元気な男の子ですよ」

 重心が急に不安定となり、暖かく心地よい優しさに包まれる。

「やっと会えたわね、私の坊や」

 頬を数回撫で、額に柔らかいものが落ちる。
 リアとは、今生の俺の母のようだ。その腕の中は、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐり、心地よい安堵感と満足感に浸る。
 一生ここにいたいと、願ってしまう。俺、幸せだ。もう転生とかどうでもいいや……。
 思考が停止し、うつらうつらし始め、しばらく幸せな世界の中をまどろむ。
 身体が宙に浮く感覚に、ハッと意識が浮上する。この幸せな世界から遠のいていく。
 いやだ! 思わず抗議の声を上げた。

「ぁ……ぁ……あぅ!」

 自分が発した声でない声に驚いて、眠気も吹っ飛んだ。
 赤ん坊のため、声帯が上手く使えない。言語スキルが、付与されていても、発声面の技術が備わっていないため、言葉が発生できないのだ。
 当たり前か……。俺、赤ん坊なんだ。記憶を持ったまま、まじで転生したよ。
 生死案内人の説明、実は半信半疑だった。あの場面で疑う余地はなかったけど、都合がよすぎたのだ。
 実際に経験すれば、無駄話せず、色々と詰めておけばとの後悔もあるが、どちらにしろ時間切れで、強制退場だった。
 心残りは、前世の家族に別れを伝えられなかったことだ。
 事故死だから、その機会はないけれど、生死案内人に、手紙などを託せたかもしれない。
 俺が、突然死んで迷惑をかけただろうな。感謝しかないが、名前が消えた影響か、家族との思い出も、気持ちも、だんだんと希薄になっている。
 おそらくこれは、転生したからだ。
 新しい人生に、前世の記憶はあるが、感情が伴わないのだ。もう記憶ではなく記録だ。自分を構成する性格や精神年齢は、そのままだ。不思議な感覚だけれど、違和感はない。俺であることには、変わりないのだ。

 さて、気持ちを切り替えて、現状を把握しよう。
 転生先が、成人男性なんて上手い話はなく、現状の俺は、生まれたての男児だ。
 うん? ちょっと待て?! うわぁー。……気づいてしまった。
 誰しも経験し、生きるためには必要なことだが、母乳やオムツの経験は、記憶から抹消できないものかと思う。
 はっははは……。そこだけ切り離すことは、難しいよね。
 まさか転生のアドバンテージが、最初に悩む要因になるとは、精神年齢が高い分、受け止めるのに時間が掛かりそうだ。

 現実を直視する間に、母リアとの対面は終了となったようで、一定リズムの振動に、どこかに運ばれていると感じた。
 視力が発達していないので、視界がぼんやりとしか見えない。
 この状態だと、何も情報が収集できないな。新生児の間は、行動に移せないか……。
 あっ、そうだ! 生死案内人から付与されたスキルを活用しよう。
 特典で貰ったスキルは、言語、成長促進、鑑定眼だ。
 言語は、自動的に使用されている。母と女性の会話を理解できているので、問題はないようだ。
 成長促進は、後々活躍するスキルだが、今望んでいるものではない。
 鑑定眼。これだ! 早速使って………。
 スキルの使用方法を聞いていないぞ!
 言語と成長促進は、自動スキルだ。鑑定眼は、どう考えても手動スキルだ。もし自動なら、そこら中を自動鑑定して、過剰な情報量で、俺がプチパニックを起こしているはずだ。手動となれば、普通はあれしかない。無理だとは思うが、お約束の方法を試してみる。

「ぁ……ぅぁ」

 ですよね。やはり言葉を発することはできない。
 だとすれば、心で念じるしか方法はないが、おそらく対象を認識して念じればいいと思う。
 都合が良いことに、俺は運ばれていて、視界いっぱいに、一人の女性を認識できる。
 この絶好の機会を逃すことはしない。視界いっぱいの女性を意識して、心の中で『鑑定眼』と念じた。
 突如、頭の中にステータスが表示された。


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 アンナ・テレマン 女 45才
 種族:人間
 職業:侍女長
 Lv:15
 HP:70/70
 MP:40/40
 魔力:35
 攻撃:38
 防御:53
 俊敏:58
 運:39
 魔属性:水

 戦闘スキル:体術Lv6
 魔法スキル:水魔法Lv3
 技能スキル:家事Lv7、料理Lv4、作法Lv6、執事Lv5
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 おぉー。成功した!
 ステータスは、ゲームの世界と同じ仕様だ。
 HPとMPはわかる。他の内容も大体理解できるな。スキルも知識内にあるものだ。
 よかった。理解できる範囲での鑑定結果に、心底安堵する。
 残念なことに、俺の知識は、某有名ゲームを簡単に攻略したぐらいしかないのだ。
 こんなことなら、前世の妹が、推薦していた転生もののラノベシリーズ、後回しにせず、読破すればよかった。後悔先に立たず。
 知識がないものは、どうしようもない。今できることをしよう。何事もポジティブにだ。
 せっかくアンナの情報があるのだ。そこから考えてみよう。
 アンナの年齢と経験を加味すれば、Lvとスキルの取得率は、一般的に高いか低いか、どちらなんだろう。
 まずこの世界の基準がいるな。
 手始めに、周囲の人の情報を取得して、統計をとることから始めよう。幸い記憶力は、人並み以上に良いので、困らないはずだ。
 前世の俺なら、手っ取り早く、本で知識を取得することを選択するが、読むことすら不可能だ。
 あっははは。行き詰まり感ハンパねぇーー。けれど、楽しみは多いぞ!

「アンナ!」

 前方からの甲高い声に反応して、アンナはその場で立ち止まる。
 パタパタとした足音が間近まで近づき止まると、アンナが、落ち着いた口調で窘めた。

「マリアンネ様、淑女はいかなる場所でも優雅に、廊下を走ってはなりません。上品にかつスマートに歩くのです」
「ごめんなさい。つい、ついね。アンナたちの姿を見つけたら、駆け出してしまったの。次からは気をつけるわ。だから、今回は大目に見て、お願いよ」
「日常生活が、所作にでることをお忘れなく」
「はい。わかったわ。普段から気をつけるわ。ねぇ、それよりも、私たちの弟を見せてちょうだい」
「まったく、仕方がありませんね」
「ありがとう。アンナ。大好きよ。うわぁ、この子が、私たちの弟なのね。うふふ、可愛い。お母様と同じ銀髪で紫瞳! お兄様たちが見たら溺愛するわね」
「はい。そうですね。リア様に大変似ておいでで、旦那様も大変お喜びでした」
「お母様は、ご無事?」
「はい。とても元気にされております」
「そう! それはよかったわ!」

 頭上での少女とアンナの会話に耳を澄まし、第三者からの外見報告に唖然とする。
 転生先が、中世ヨーロッパ風な世界観だと、生死案内人の説明にもあったので、外見も洋風だろうと、予想はしていた。その中でも銀髪で紫瞳は、珍しいのではないかと思う。
 なんとなくだが、母リアは、外見も内面も、ズバ抜けて美しい人だと思う。
 あの抱擁感の持ち主が、不細工だとは想像し難いし、俺の勘では、極上の美人のはずだ。
 父とは対面していないので、容姿の判断もつかないが、アンナの職業から、おそらく貴族ではないかと、判断できる。
 貴族のイメージで浮かぶのは、お金と権力と端整であることだ。ごく一部にあれはいるが、ほぼ美形のはずだ。
 今ある情報と、前世の知識から想像するに、俺の容姿は…………。
 あまり嬉しくないな。贅沢だと我儘だと罵ってくれてもいい。ブ男より、美男のほうがいいに決まっている。
 偏見があるかもしれないが、銀髪、紫瞳って、美少女なら許容範囲だが、男でその外見は痛い人に見える。
 俺の知識が偏っているのかな。いや、そんなことはないはずだ。
「ぁ……あぅっ」と、思わず声がでた。

「あら、どうしたのかしら?」
「マリアンネ様に、ご挨拶をされているのではないでしょうか」
「まぁ! うふふ、私があなたのお姉さんよ」

 的外れの二人の会話に抗議をしたい。
 おっ! 視界に影が二つ認識できる。
 俺が、声を出したことにより、少女マリアンネとの距離が、更に近づいたようだ。
 今なら鑑定眼が、成功する可能性が高い。
 少女の影を意識して『鑑定眼』と念じると、突然視界が暗転した。