「ジーク、頑張るのよ」

 マリアンネは、MP枯渇寸前だった。
 このままでは意識が途切れる。
 もう少し、もう少しなのだ。お願いもって……。
 最後となるだろう回復魔法を使用する直前、一際強い回復魔法が、ジークベルトの身体を包む。
 土色だった顔に変化が現れ徐々にだが赤みが戻る。

「マリー、よく頑張ったね」
「ヴィリー叔父様……」
「もう大丈夫だからね」

 ヴィリバルトは優しくマリアンネの手に触れ、『聖水』と再び回復魔法を施す。
 マリアンネは、安堵からその場に崩れ落ちた。
 助かったんだわ。ジークベルトはもう大丈夫。
 自然と涙が溢れてくる。淑女が人前で泣くなどはしたない。だけど止まらない。
 スーッと流れる涙をすくい上げた指先の主は、酷く冷たい表情をして、ジークベルトの顔、首、胸、腕、足と、身体の各箇所を丁寧に確認する。
 その動きに迷いはなく、最小限の負担ですむよう、気遣われている。
 ジークベルトがとても大事なのだとわかる。
 そして――心火を燃やしていた。
 その様子を、回復魔法をかけていた侍女たちやテオバルトも見ていた。
 誰も口を開かないが、気持ちは全員一致していた。
 一歳の母親を亡くした子供への仕打ちに、身勝手極まりない犯人への激しい怒りが沸き起こり、次はないと守る決意をする。
 ジークベルトの呼吸が戻り、身体には異常がないことを確認したところで、ヴィリバルトはジークベルトを抱き上げた。

「兄さん、ジークは私が引き取ります」
「あぁ、頼む」
「マリー、君も一緒にきなさい。立てるかな」
「はい。ヴィリー叔父様、一人で立てます」

 MP枯渇寸前の身体は、意志とは別に油断すればフラフラと倒れてしまうほど、精神をすり減らしていた。
 だが、マリアンネは、アーベル家の娘である。
 そこらの淑女とは鍛え方が違うのだ。気合いで立ち上がり、ヴィリバルトの後ろに続く。

 部屋を出る際、マリアンネはゲルトに視線を向けた。
 憎悪にみちた目が、叔父の腕にいるジークベルトを静かに捉えていた。
 ああーと、絶望に近い声が出そうになるが、ぐっと堪える。今、取り乱すことは許されない。
 もう修復が不可能なのだ。ゲルトにどのような言葉を告げても、その憎悪が消えることはない。
 なぜそうなったのかは、わからない。

 母リアの死にジークベルトが、関係するなどありえない。
 そもそもお母様は、ジークベルトが誕生する以前より体調を崩されていた。
『長くはない』何度この絶望の言葉を聞いただろう。医者も匙を投げた状態だったのだ。
 その中で、ジークベルトの誕生は奇跡だった。
 お母様の体調も以前より格段に良くなり、この奇跡に誰もがジークベルトに感謝した。
 ここ数年、ほぼ面会謝絶だったお母様が、私たちのために時間を割いてくれ、多くの思い出を残してくれた。
「これもジークベルトのおかげね」と、お母様自身が、奇跡はジークベルトが起こしたと、確信に近い何かを感じているようだった。
 末弟が皆から愛され、とても大事にされる理由の一端はこれなのだ。
 奇跡の確証などどこにもない。
 だけど、私たちはこの奇跡をジークベルトがもたらしたものだと思っている。それが永遠に続かないこともわかっていた。

 それなのに……。
 見当違いな憎悪を抱き、抵抗する間もなく不意打ちで殺そうとした。
 なんて身勝手な行動だろう。
 ゲルトの心情を理解することは、到底できない。
 兄弟間で憎しみ合うなんて悲しすぎる。
 だけど、ジークベルトを守ると、お母様に誓ったのだ。
 マリアンネは、意を決して声に出す。

「お父様、今後ジークにはゲルトを近づけないでください」
「姉上!」
「ゲルト、私にはジークをこれほどまでに憎む理由がわからないわ。お母様の死にジークベルトは関係していない。それだけは断言できる」
「みんな騙されているんだ!」
「やれやれ、誰に仄めかされたのか。これは調べる必要があるね」

 普段と変わらない口調だが、赤瞳は静かに怒気を帯びており、ギルベルトへ目を向けた。
 事の顛末があまりにもお粗末だ。誰がこの茶番をたくらんだのか。
 それ相応の覚悟があってアーベル家に牙を向けたのだ。
 黒い影が見え隠れする。私を怒らせたことを後悔すればいい。
 地獄の果てまで追いつめてやる。
 ギルベルトは、弟の言葉には出さない思いをくみ取り、俺も同じ気持ちだと、無言で頷いた。

「ゲルト。どのような理由があれ、貴方がしたことは、殺人未遂よ。私はジークの味方よ。今後、ジークを傷つけることがあれば、私は貴方を許さない」
「姉上! どうして、誰もわかってくれない!」

 ゲルトは絶望に顔を歪める。
 だが、その場の誰もがゲルトの主張にがえんじなかった。

「マリー、さぁ行こう」

 ヴィリバルトに促され、マリアンネはその場を後にした。