不運からの最強男


 しばらくして、ドミニクの呼吸は安定し、顔色も戻っていた。
 俺はようやく息を吐く。
 それでも、握った手を離す気にはなれず、しばらく動けなかった。
 そのとき、扉が叩きつけられるように開いた。

「兄さん!」

 エリアンだった。
 息を切らし、血相を変えて部屋に飛び込んでくる。
 視線がベッドへ向かい、俺とドミニクを見た瞬間、言葉を失った。
 レオポルトが制止しようとしたが、間に合わない。
 俺はゆっくりと立ち上がり、エリアンを見据えた。
 胸の奥で、鈍い怒りが軋む。

「なぜ、こんなことになったんだ」

 一歩、彼に近づく。
 視線を逸らさず、低く問いかけた。

「限界までMP回復薬を飲ませてまで……誰がドミニクに魔力石を作らせた」

 エリアンは言葉を詰まらせ、視線を揺らす。

「……俺じゃない。俺は、ただ……兄さんが俺に指図してきたから……父上に少し話しただけだ。判断したのは父上だ」

 エリアンの揺れていた視線が、ふと定まった。
 眉がわずかに上がり、こちらをまっすぐに捉える。
 さっきまでの戸惑いが消え、妙な確信がその目に宿った。
 呼吸が落ち着き、声の調子が変わる。

「当然のことだ。兄さんには魔属性がない。跡取りの俺に意見するなんて、筋違いだ」
「その通りだ。他家のことに口を出すなど、無用だ」

 低く、よく通る声が部屋に響いた。
 振り返ると、扉の前にラフェルト伯爵が立っていた。

「父上!」

 エリアンが安堵したように声を上げる。
 伯爵はうなずき、俺に一瞥をくれたあと、レオポルトを見て目を細めた。
 その視線だけで、空気が硬く張り詰める。

「アーベル侯爵家の子息であるあなたが、ベルク伯爵家のような連中と交わるから、他家に迷惑をかけることになる。交友は慎重に選ぶべきです」
「父上、申し訳ございません」

 ドミニクはベッドの上で身を縮めるように頭を下げた。

「役立たずのお前にしては、上出来だ」

 伯爵の目は冷たく、息子を気遣う色は一片もない。

「随分と元気そうだな。ならば、これまで以上に魔力石を作らせても問題あるまい」
「なっ……」

 レオポルトが前に踏み出しかける。

「レオポルト」

 ドミニクが首を横に振った。
 その小さな動きに、確かな拒絶があった。
 レオポルトは動きを止め、重苦しい沈黙が部屋を満たす。
 俺はドミニクを見てから、伯爵に向き直った。

「ラフェルト伯爵家では、命を削ってまで魔力石を作ることが認められているのですか」
「命を削るとは、大袈裟な言い方です」

 伯爵は肩をすくめる。
 だが、その目には感情らしきものは微塵もなかった。

「家の当主が命じ、家の者が従う。それが我々の秩序です」
「その秩序を、ぜひ説明いただきたい」

 聞き慣れた声が聞こえ、そちらに視線を移す。
 扉の前に、伯爵家の執事を従えたアル兄さんが立っていた。
 姿勢は揺るがず、視線は伯爵をまっすぐに捉えている。

「アル兄さん!」
「あなたは?」

 いぶしげな態度で尋ねる伯爵に、アル兄さんは一礼し、礼節を崩さず答えた。

「お取込み中、失礼いたします。私は、第一騎士団副団長アルベルト・フォン・アーベルです。王太子ユリウス様の命により、本日、ラフェルト伯爵家を訪問しております」
「そのような連絡は……」

 執事が、真っ青な顔で手紙を差し出す。
 伯爵は目を通し、わずかに眉を動かした。

「失礼した。どうやら行き違いがあったようです」
「問題ありません」

 伯爵が一拍置いて言う。

「それでは、場所を変えましょうか」
「いえ。この場でお話をさせていただきます」

 アル兄さんは穏やかな口調で告げた。
 伯爵の目が細まり、警戒の色が浮かぶ。

「ここで?」
「はい。ユリウス殿下は、近頃出回っている良質な魔力石について調査を進めておられます。その大半がラフェルト伯爵家から流通していることが判明し、経路の確認が必要となりました。ただ、ご子息にまで無理を強いていたとは……少々、想定外でした」
「これは……」
「さきほど、弟に秩序のお話をされていましたよね。詳しくお聞きしたいと思いまして」

 ふたりの間に、目に見えぬ火花が散ったように感じられた。

「ユリウス殿下が非人道的な行為を好まれないのは、ご存知でしょう」

 伯爵は顎を引き、応じた。

「承知しました。内々のことではありますが、殿下に嫌疑を抱かれては本意ではありません。……エリアン、説明しなさい」

 伯爵の視線を受け、エリアンは緊張を隠せぬまま口を開いた。
 初めはエリアンの独壇場だった。
 だが、俺とレオポルトが指摘を重ねるうちに、少しずつ状況が整理されていく。
 詳細が明らかになるにつれ、なぜドミニクがエリアンを咎めたのか、その理由が浮かび上がった。
 すべてを聞き終えた伯爵は、沈黙したまま顔色を失っていた。

「なるほど。ラフェルト伯爵家は、アーベル侯爵家に敵意があると」
「そんなことはありません」

 伯爵は即座に否定する。
 しかし、アル兄さんは語調を崩さず、冷静に追い打ちをかけた。

「ですが、現にジークベルトに向けて執拗な嫌がらせがあった。それを止めようとしたドミニク殿に対し、ラフェルト伯爵家は罰を与えた。そう見えますが」
「それは……」
「まさか、一方だけの意見を聞いて判断したわけではないでしょう」

 伯爵は言葉を失った。
 エリアンの報告だけを鵜呑みにし、秩序を口にした手前、反論の余地はない。
 ドミニクを追い込んだ事実が、なにより雄弁だった。
 アル兄さんは淡々と告げる。

「この件は、アーベル侯爵家当主の耳に入れさせていただきます」
「お待ちください」

 伯爵が制するように声を発した。

「今回の件は、我らラフェルト伯爵家の落ち度です」
「それで、どうなさるのですか」
「エリアンの跡継ぎとしての自覚の欠如が招いた結果です。ラフェルト伯爵家として、然るべき対応を取らせていただきます」
「父上!?」

 エリアンが声を上げるが、伯爵は一瞥もくれず言い放つ。

「エリアン、黙りなさい」
「跡継ぎとして再教育なさる、ということですか」
「はい。ですので、この件については、侯爵にはお話を通さないでいただければと」

 アル兄さんは、わざとらしく眉をひそめた。

「それは、無理な話です」
「なっ……」

 伯爵の顔が引きつる。
 アル兄さんはその反応を見て、口角をわずかに動かした。

「それなら、条件を提示させていただきます。エリアン殿の再教育はアーベル家が推薦した者が行う。そして、ドミニク殿にはアーベル家が後見人をつける。これが条件です」
「えっ?」

 伯爵は理解が追いつかず、間の抜けた声を漏らした。
 家の中で立場が曖昧だったドミニクにとって、この提案は、彼の将来に対する庇護と保証を意味していた。

「父には話を通さなければなりませんが、ラフェルト伯爵家に敵意はなかったと説明いたしましょう。ただし、この条件を受け入れていただくことが前提です」
「ドミニクは、魔属性を持っていませんが……」
「ええ、存じております」

 伯爵はわずかに息を吐いた。

「……承知しました。アーベル家のご判断に従わせていただきます」

 そのまま伯爵はなにも言わずに部屋を後にした。
 アル兄さんもそれに続く。

「アル兄さん」

 俺が声をかけると、アル兄さんは足を止め、肩越しにこちらを振り返った。
 そして、親指を小さく立ててみせると、なにも言わずに伯爵のあとを追っていった。