最初の一カ月は「貴族の事情だろう」と誰もが思っていた。
魔術学校は週三日。家の都合での欠席は珍しくはない。
だが、二カ月目に入ってもドミニクは戻らなかった。
このままでは進級が危うい。
俺もディアーナたちも、ただ事ではないと感じ始めていた。
俺はラフェルト伯爵家を訪ねることにした。
お忍び用の馬車の中。向かいでレオポルトが足を組んでいる。
「レオポルト、君まで一緒に来る必要はないだろ?」
「泥まみれの教室、あいにく現場を見逃してしまってね」
「今日はその話じゃないよ」
「わかっているさ。ジークベルトがひとりでラフェルト伯爵家を訪ねるなんて、無謀なことを耳にしたからね」
「心配してくれるのは有難いけど。別に、ドミニクの様子を確認に行くだけだよ」
「ノンノン」
レオポルトが指を振る。
「ラフェルト伯爵家は由緒ある古い貴族だ。アポなしでは、門前払いされるのが関の山さ」
「何度か正式に申し入れはしたんだけど、返事はすべてエリアンからで、どうでもいい話ばっかりなんだよ」
「それで、強行突破ってわけか。まあ、俺がいれば問題ないさ」
「ドミニクのことも、心配なんだね」
レオポルトは答えなかったが、その沈黙がすべてを物語っていた。
***
ラフェルト伯爵家の門前。
門番が槍に手を添え、無表情で告げる。
「お約束のない方をお通しすることはできません」
「レオポルト」
俺が名を呼ぶと、彼は顎を上げた。
「同じ伯爵家じゃないか」
門番の目が鋭くなる。
「ラフェルト伯爵家とベルク伯爵家は、マンジェスタ王国の建国以来、長きにわたり確執があります。その事情を踏まえ、今回はお通しできません」
「それは先代までの話じゃないか」
レオポルトは半歩前へ身を移し、笑みを浮かべた。
「ベルク伯爵家の跡取りである俺、レオポルト・フォン・ベルクと、ドミニク・フォン・ラフェルトは友人さ」
「お通しできません」
門番の声は低く、槍の穂先がわずかに下がる。
レオポルトがさらに詰め寄ろうとしたのを、俺は手で制した。
「あの、ドミニクの様子だけでも、教えてくれませんか」
「あなたは?」
「僕は、ドミニクと同じクラスのジークベルト・フォン・アーベルです」
門番の目が揺れた。
「あのっ、アーベル侯爵家のご子息!」
俺の顔を見て、言葉を探すように口を開きかけては閉じる。
「本当に、アーベル侯爵家のご子息なのですか」
「はい、一応」
「おい、おまえ。失礼じゃないか? すぐに執事を呼べ」
「失礼しました」
門番は腰の小さな革袋から、家紋入りの通信具を取り出した。
指先で軽くひねると、内側に淡い光が灯る。
「執事殿、至急、門前へ」
声は光に呑まれ、魔道具の奥へと消えていった。
ほどなくして、慌てた様子の男が門の奥から駆け寄ってきた。
執事は立ち止まり、俺の顔をまじまじと見つめた。
一礼もなく、目を見開く。
「銀髪に紫の瞳! その色を持つのは、アーベル侯爵家の末のご子息ジークベルト・フォン・アーベル様だけ!」
なんか、頭の悪そうな執事が現れたよ。
《ご主人様、本当のことでも口に出してはいけません》
口に出してないよ。心の中でつぶやいただけだってば。
執事は迷うように眉を動かし、やがて言った。
「……本来なら、旦那様に伺うべきですが」
彼は小さく息を吐いた。
「アーベル侯爵家のご子息がご訪問となれば、無下にはできません。どうぞ、こちらへ」
こんなに簡単に通していいのかな。
もっと手順を踏むべきなんじゃないの?
まあ、アポなしの俺たちにとっては都合がいいけど。
《ご主人様、それを便宜と呼ぶのです》
皮肉のつもりだったんだけど。
《承知しております》
ヘルプ機能と軽い愚痴を交わしながら、俺たちは門をくぐった。
***
執事に案内されたのは、屋敷の奥ではなく、裏手の廊下だった。
装飾は少なく、床板が軋む。
角を二度曲がり、古びた木扉の前で執事が立ち止まった。
「こちらです」
執事はノックもせず、ためらいなく扉を押し開けた。
軋む音とともに、古びた埃の匂いが漏れ出す。
レオポルトが眉をひそめる。
「……伯爵家の部屋とは思えないな」
開かれた部屋は質素で、薄暗かった。天井は低く、窓も小さい。
壁紙は色褪せ、家具は擦り切れ、長年の使用に耐えた痕跡を残している。
そのベッドの上に、ドミニクの姿があった。
「ドミニク!」
俺は思わず駆け寄り、顔をのぞき込んだ。
顔は青白く、頬はこけ、唇に血の気がない。まるで別人のようだった。
瞳は閉じたまま、呼吸は浅く、返事はない。
俺は声を落とし、もう一度名前を呼んだ。
「ドミニク」
沈黙が続き、呼吸の音さえ遠く感じた。
そのとき、まぶたがかすかに震えた。
「……アーベル、か?」
「うん。僕だよ」
背後でレオポルトが押し殺した息を吐く。
「これが、伯爵家の子息の部屋か?」
執事は答えず、視線を逸らした。
レオポルトが一歩踏み出す。
「どういう扱いをしてるんだ。答えろ」
「私どもは、旦那様のご意向に従っております。ラフェルト家の内情に、他家の方が口を挟まれる筋合いはございません」
執事の正論に、レオポルトは言葉を飲み込み、唇を噛んだ。
「ベルクもいるのか」
ドミニクの瞳が揺れたが、その目はどこも見ていなかった。
それでも、レオポルトの声に反応したようだった。
そのとき、ヘルプ機能が状況を伝えてきた。
《ドミニク・フォン・ラフェルトは、二カ月以上にわたり魔力枯渇状態が継続しています。視力低下、ならびに身体機能の著しい減退が確認されます》
俺は、息を詰めた。
「まさか、魔力石を限界まで作り続けているのか」
ドミニクは無言のまま、視線を落とし、やがて瞼を閉じた。
沈黙が、答えよりも重く肯定していた。
《ご主人様。それだけではなく、MP回復薬を限界まで摂取させている形跡があります。副作用の蓄積が懸念されます》
「すぐに治療を行う」
「お待ちください。旦那様の許可なく、治療は認められません」
執事が声を荒げかけたその瞬間、俺は振り返らずに言った。
「レオポルト」
レオポルトが片手を掲げる。
水の気配が、空気の底を震わせる。
『守り』
ひと息の間に、ベッドの周囲に水の膜が立ち上がる。
強固な守りの盾が出来上がった。
執事は、動けずに立ち尽くしていた。
《ご主人様。ドミニクの状態に対し、最適な魔法は『再生』です。光魔法と聖魔法の系統がありますが、より高い効果が期待できるのは、上級魔法である聖魔法の『再生』です。体力・精神・魔力の同時回復が可能です》
俺は、ドミニクの手を取った。冷たい。
「アーベル、いいんだ」
「よくないよ。見過ごすことはできない。それに、マリー姉様から預かった『再生石』があるんだ」
俺は魔法袋に手を差し入れ、ひとつのガラス石を取り出した。
守りの盾の外にいるレオポルトや執事には、俺の声だけが届く。
手元のガラス石は、誰にも見えない。
視力が低下しているドミニクには、それで十分だった。
『再生』
淡い光がドミニクを包む。
冷たかったドミニクの手に、ほんのりと温もりが戻る。
指がわずかに動き、呼吸が深くなる。喉が小さく震えた。
枯れていた魔力がゆっくりと灯り、瞳に微かな光が戻った。
眉間のこわばりがほどけ、重くまとわりついていた薬の副作用も、沈んでいくようだった。
「ドミニク、どう?」
「嘘みたいに、体が楽だ……息をするのも軽い。また、マリアンネ嬢に借りができてしまった」
「マリアンネ嬢に借りだって。なっ、なぜ、君とマリアンネ嬢に接点があるんだ」
レオポルトが、ベッドに駆け寄ると、身を乗り出すようにドミニクに詰め寄った。
「レオポルト、落ち着け」
俺が強めに言うと、レオポルトははっとして振り返った。
「……すまない。つい」
守りの盾はすでに消えていた。
執事の姿もなく、おそらく報告に走ったのだろう。
