不運からの最強男

 ドミニクとは、あの件を境に、少しずつ距離が縮まっていた。
 友人と呼ぶにはまだ早い。けれど、以前よりもずっと言葉を交わすようになっていた。
 そんな日々の中、ある午後のことだ。
 俺がひとりになった瞬間を狙ったかのように、ひとりの少年が近づいてきた。
 どこかで見た顔だ。一瞬、誰だったか思い出せずにいたが、すぐに気づく。
 ドミニクの弟、エリアン・ラフェルトだ。
 思い返せば、ここ数日、妙な視線を感じていた。
 あれは、彼だったのかもしれない。

《脅威ではないと判断したため、報告は控えていました》

 ヘルプ機能。そういう勝手な判断はしないでほしい。

《承知しました。では、現在ご主人様に視線を向けている人物をピックアップします》

 待って、それはやめて。

《現在、校内でご主人様に注目している人物は百二十七名。うち、好意的な視線が──》

 ストップ。ほんとにやめて。俺が悪かった。
 ヘルプ機能とのやりとりに気を取られていたせいで、エリアンの話はほとんど耳に入っていなかった。
 どうやら彼は、こちらの反応も待たずに、一方的に話を進めていたらしい。
 ただ、最後の一文だけは、はっきり聞こえた。

「──ですから、兄ドミニクよりも、ラフェルト伯爵家の跡継ぎである自分と親しくなるほうが、あなたのためになります」

 くだらない。返す価値すら感じなかった。
 俺は、無言で背を向ける。
 相手にするまでもない。そう判断するには十分すぎる一言だった。
 背後で、エリアンがなにか言いかけた気配があった。
 けれど、俺は振り返らなかった。

《よろしかったのですか。ああいった人物は、無視を契機に敵意を強める傾向があります》

 取捨選択をしただけだよ。
 ドミニクとはクラスメイトだが、エリアンとは今日が初対面。
 学年も違うし、接点なんてほとんどない。

《たしかに、ご主人様とエリアン・ラフェルトの間に直接的な接点はほとんどありません。ですが、ご主人様にしては、やや感情が先行した対応だったように見受けられます》

 俺だって、誰にでも優しいわけじゃないよ。
 今日は、ハクやスラがいなくてよかった。
 あのふたりがいたら、さすがに黙っていなかっただろう。

《ハクやスラは、悪意に対して敏感です。状況によっては、魔契約の主であるご主人様の責任が問われる可能性もあります》

 うん。だから、今日でよかったよ。

 次の登校日から、妙なことが続き始めた。
 俺たちがいつも座る席から、信じられないほどの悪臭が漂ってきたり、廊下を歩いていると、小石が頭上から落ちてきたりと、そんな子供じみた悪戯が、ぽつぽつと起きるようになっていた。
 俺自身に直接の被害はない。

「酸っぱい! なにこれ!?」

 食堂での昼食中、俺たちのすぐ後ろの席から、悲鳴に近い声が上がった。
 振り返ると、同じクラスの女子生徒が、皿を前に固まっている。
 鼻をつく酸味が、こちらまで漂ってきた。

「また……ですね」
「最近、こういう悪戯が多いですね」
「まあ、内容は子供じみていますし。誰かを狙っているというより、愉快犯なのかもしれません」

 セラは落ち着いた声で淡々と分析する。

「食事を粗末にする行為は、許されるものではないわ」

 ディアーナが眉をひそめる。

 ……これ、事の発端は俺だよね。

《はい。間違いなくご主人様です。私は忠告をしたはずです》

 ここまで執着されるとは思わなかったんだよ。
 被害というほどのものは、ほとんどないし。
 悪戯自体は幼稚なレベルだ。
 同じようなことばかりだし、そろそろ飽きるだろうと思って静かに様子を見ていた。
 でも、食べ物に手を出すのは、さすがにだめだ。

《では、制裁いたしますか。私にお任せいただければ、完膚なきまでに叩き潰すことは可能です。もちろん、証拠は一切残しません》

 それは、やめようか。

《残念です。ご希望があれば、いつでも実行可能です》

 ヘルプ機能。絶対にしないからね。

《仕方ありません。ご主人様の判断を尊重します。なお、ドミニクが先ほどからこちらを見ています。おそらく、エリアンに関する要件だと予想されます》

 気づいていたんだろ、最初から。

《黙秘します》

 食事を終え、席を立とうとしたときだった。

「アーベル。少し、いいか」

 背後から、ドミニクの静かな声が響いた。
 ディアーナが一瞬だけ俺を見たが、なにも言わず歩き出す。
 セラとエマもそれに続いた。

「悪い。……人目のないところで、少し話せるか」

 俺は黙ってうなずき、ドミニクのあとを歩く。
 食堂を抜け、廊下を少し進んだ先、人の気配が途切れる場所で彼は足を止めた。
 ドミニクの声は、いつもより低い。

「弟が、授業で使う魔道具に細工すると言っていた。……気をつけてくれ」
「わかった。注意する」

 そう答えると、ドミニクは軽く頭を下げた。

「すまない。最近になって気づいた。エリアンがアーベルに嫌がらせをしていたことに」
「僕自身には被害がなかったからね」
「ああ、なぜか周りの生徒のほうが巻き込まれているみたいだ。それで把握するのが遅れた。すまない」
「でも、よく僕がターゲットだってわかったね」
「恥ずかしい話だが、家の中で弟が執拗にアーベルの名を出していた。教室でも君の周囲で騒ぎが何度かあったし。極めつけは昨日、授業で使う魔道具に細工をしたらしいと聞いた。そこで止められればよかったんだが……あの家で、俺に発言権はないから」
「ドミニク」

 目を伏せた彼の拳が、わずかに震えていた。
 悔しさが伝わってきて、思わず手を差し伸べたくなるが、ぐっと堪える。

「迷惑をかけて、本当に申し訳ない」


 ***


 教室に戻ると、床の一部が泥で濡れていた。
 机の脚や椅子にも泥が跳ねている。
 まるで小規模な土砂崩れでも起きたかのようだった。
 その光景を前に、ディアーナとセラが呆然と立ち尽くしていた。

「……なにがあったの?」

 俺が声をかけた瞬間、セラの制服の内側がわずかに動いた。
 スニが、なにかを察したようにぬるりと姿を現す。
 黄色い小さな体を揺らしながら、床に広がった泥へと近づいていく。

「ポッ〈おそうじ〉」

 スニが『吸収』を使うと、泥が音もなく消えていった。
 あっという間に、教室内の床は元通りだ。

「ポッ!〈主、スニ、がんばった!〉」

 ひと仕事終えたスニが俺に気づき、黄色い体をぷるんと揺らす。
 近づくと、その体が跳ねて胸元に飛び込んできた。
 スニを褒めながら、体をなでる。

「ご褒美に、スニの大好物の柚子胡椒風オーク肉をあげるね」
「ポッ!〈主、好き!〉」
「スニちゃん、よかったですね」

 セラが声をかけると、スニは満足げに制服の中へ戻っていった。

「他に被害はなかった?」
「はい。私たちが教室に着いた時には、誰もおらず、すでに一部が泥まみれでした」
「そうだったんだ。今日の授業は、土魔法を用いた造形の練習だったよね」
「はい」
「土属性を持たない生徒のために、学校側が用意した魔道具が誤作動を起こしたのかな」

 周囲にも聞こえるように言うと、ディアーナがうなずいた。

「その可能性はあるかと思います」

 ディアーナの言葉で、誤作動だったという印象は十分に広まったはずだ。

「さすがに、これはひどいな」

 俺は背後にいたドミニクにだけ聞こえるように声を落とす。

「アーベル、俺がエリアンと話す。任せてくれるか」
「わかった」

 あとは、元凶の魔道具をどうにかしないといけない。

「他の魔道具も誤作動を起こす可能性があるから、僕が鑑定で確認するよ」

 その提案に、クラスメイトたちがざわめき始めた。

「えっ、ジークベルト様って鑑定持ちなの?」
「もう、なんでもありじゃん」
「さすが、アーベル侯爵家の秘蔵っ子」

 そんな声を背に、俺はエリアンが細工した魔道具を回収し、鑑定眼で確認したあと、細工箇所を修正した。

《なぜ、エリアンが細工した証拠を隠蔽なさるのですか》

 そのほうが、ドミニクも動きやすいだろ。

《ご主人様は、本当に甘いですね》

 エリアンは、俺が土属性持ちだと知らなかったのかな。

《詰めが甘いのは、あちらも同じようです》

 そんな会話を続けながら、魔道具の鑑定を進めていた。
 気づけば、背後のドミニクは音もなく姿を消していた。

 ──それを最後に、ドミニクは学校に来なくなった。