「彼は、ドミニク・フォン・ラフェルト君です」
マリー姉様の膝の上で、ドミニクは静かに目を閉じていた。
呼吸は浅いが落ち着いていて、頬に戻ったわずかな血色は聖魔法の効果だろう。
俺が駆けつけたときには、姉様の介抱はすでに終わっていた。
光の残滓だけが、彼の髪先でかすかに揺れている。
「魔力切れを起こしていたわ。かなり無理をしたみたい」
姉様の声は静かで、どこか痛ましげだった。
添えられた手が、ドミニクの肩をそっとなでる。
「授業で、魔力石を生成したんです」
そう言いながら、俺はドミニクの顔を見つめた。
教室では、いつも落ち着いていて、礼儀正しくて、なんの問題もないように見えた。
俺も、そういう彼しか知らなかった。
でも、彼はずっとひそかに戦っていた。
「彼は、ラフェルト家で、魔力石を毎日作っているようです」
そう伝えると、姉様はそっと目を伏せた。
「そうなのね」
沈んだ声とともに、動いていた手が止まる。
俺も姉様も、しばらく言葉を失ったまま、膝の上のドミニクを見つめていた。
やがて、彼の胸がふっと上下する。
「……ん……」
掠れた音が唇から零れ、俺は思わず身を乗り出した。
姉様は手を添えたまま、なにも言わずに彼を見守っている。
まぶたがわずかに震え、ドミニクの瞳がゆっくりと開いた。
焦点を探すように、視線が揺れる。
「ここは……?」
「君は、魔力切れで倒れたんだよ」
まだ声に力がなく、細い息が混じっていた。
俺は呼吸を整えながら、少しだけ声を落とす。
「大丈夫。今は休んで」
ドミニクは俺を視界に捉えると、悲しげな表情で俺の名を呼んだ。
「……ジークベルト・フォン・アーベル。なぜ?」
その問いに、すぐには応えられなかった。
ドミニクとは、挨拶を交わす程度の関係だ。
それでも、目の前の彼が傷ついていることだけはわかる。
どれほどの痛みなのか、俺にはわからない。
けれど──今はただ、支えたいと思った。
「……君は、伯爵家に無理をさせられて、魔力石を作っているんじゃないか」
俺はまっすぐ彼を見つめた。
この言葉が、彼を助けるきっかけになってほしかった。
俺に、助けを求めてほしかった。
しかしドミニクは、マリー姉様の膝から体を起こすと、自嘲気味に口元を歪めた。
その表情が、すべてを語っていた。
俺は、間違えていた。
彼は、ただ命じられたから作っていたんじゃない。自分の意思で魔力石を作っていたのだ。
俺は言葉を失い、一瞬だけ目を伏せた。
ドミニクも、わずかに顔を背ける。
そのとき、マリー姉様が、膝に置いていた手をそっと上げ、俺の肩に触れた。
「ジーク、決めつけてはだめよ」
その声音は、叱るでもなく諭すでもなかった。
ただ、俺の思い込みを静かに正してくれた。
恥ずかしかった。
いたたまれなさと一緒に、羞恥がこみ上げてくる。
人の気持ちを、勝手に解釈して。自分の正義で、誰かを救えると決めつけて。
そんな浅はかさが、自分の言葉に乗っていたことを、今さら思い知る。
人として、やってはいけないことだった。
《間違いから生まれるものも、あります。……これも、きっと成長のひとつです》
ヘルプ機能が、そっと寄り添うように励ましてくれる。
その言葉にうなずく間もなく、ドミニクが顔を背けたまま低くつぶやいた。
「アーベル、君になにがわかるんだ」
声は小さく、怒っているわけでもない。
ただ、深いところで沈んでいるように聞こえた。
「君は、生まれつき魔属性を持っていて、俺はそれがないって理由で跡継ぎから外された。家でも、ずっと邪魔者だった。なにかできるようにならないと、意味を見つけないとって……。魔力石でようやく、自分の居場所ができたと思ったのに。結局、それさえも……俺、なんのためにここにいるんだ」
そこで、言葉が途切れた。
それは、彼自身も気づいていない悲鳴だった。
胸の奥にずっと溜めていた痛みが、誰にも言えなかった本当の気持ちが、ようやく言葉になったのだ。
でも俺は、どう受け止めればいいのか、わからなかった。
「あなたの魔力石で、日々をしのいできた人が、きっといるわ」
マリー姉様は、ドミニクの横顔を見つめたまま、そう言った。
ドミニクの肩が、わずかに揺れる。
「誰かの暮らしの支えになっていたものを、あなたは作っていたと思う。……そうじゃないかしら?」
焦らすでも、急かすでもない語尾で、そっと言葉を置く。
「届かなかった痛みを、私も知っている。伝えたくて、祈るように差し出した想いが、形にならずに消えていったことがある。……それでも、それが無意味だったとは、どうしても思えないの」
その言葉に、ドミニクは顔を上げた。
「あなたは聖魔術師じゃないか……! 俺の気持ちが、わかるはずがない!」
「そうね。……でも、届かないことの痛みは、わかるつもりよ」
マリー姉様……。
俺は、姉様がなにに届かなかったのかを、言葉にされなくてもわかっていた。
それは、ずっと前から、俺たち姉弟の中にある痛みだった。
「あなたは立派よ。だって、その魔力で、たくさんの人の生活を支えているんだもの」
その言葉は、まっすぐで、揺るがない強さがあった。
姉様は、ドミニクの生き方に確かな意味があると、真正面から伝えていた。
俺の胸には、それがはっきりと届いた。
ドミニクは、姉様の顔を見たまま、わずかに息を呑んだ。
唇が震え、肩が小さく揺れる。そしてそのまま、力が抜けるように膝をついた。
「……う、うわあああ……」
彼のそばには、ひとつの魔力石が転がっていた。
それは、誰かのために、ずっと力を注ぎ続けた証だった。
