「兄さんは、なんの魔属性でしたっけ?」
エリアンがそう言った瞬間、広場の喧しさがすっと薄れた。
弟とその取り巻きに囲まれたドミニクは、いつものベンチに座っている。
エリアンの笑みはふざけているようでいて、刺すところは外さない。
兄の反応なんて、沈黙か笑顔かの二択だと分かっている顔だ。
取り巻きたちも控えめに笑っていたが、これが冗談じゃないことくらい察していた。
それでも誰も口を挟まない。弟だからこそ許される問いだった。
ドミニクは、いつもの調子で笑って答えた。
「魔属性は、ないよ」
その笑みは場に向けたものだったが、冷えていたのは彼の内側だ。
魔属性を持たないという事実は変わらない。
それを口にするたび、胸の奥の冷えが少しずつ深くなる気がする。
教室ではなんの問題もなく振る舞える。
貴族としての礼節も、教養も、欠けてはいない。
正しく立ち、正しく振る舞う。
跡継ぎではなくとも、それが彼に許された唯一の居場所だった。
けれど──それだけでは足りないと、最近の彼は思いはじめていた。
その思いを、エリアンはまだ知らない。
取り巻きたちも、触れることはないだろう。
「自分で言って、虚しくないの?」
「……事実、だから」
「だよねぇ。兄さんはラフェルト伯爵家の面汚し。追放されずに済んでるのは、魔力石を作れる無駄に高い魔力のおかげってわけ」
エリアンは、軽い調子のまま刺すように言い放つ。
兄が黙っているのをいいことに、言葉だけが場を支配していく。
取り巻きたちは顔を見合わせ、小さく笑った。
誰かがうなずけば、別の誰かが口元を隠して笑う。
彼らにとって、ドミニクは笑いものにしてもいい相手だった。
「エリアン、魔力しかない兄さんに、そんなこと言うなって」
取り巻きのひとりが茶化すように言うと、周りがすぐに笑いを重ねる。
「俺だったら、耐えられないよ。属性なしで貴族とか、地獄じゃん」
「魔力だけで生きてるの、哀れすぎるよな」
「でも、事実じゃん。魔属性がないなんてさ、貴族としてありえない。こいつのせいで、ラフェルト伯爵家は、ずいぶん言われのない中傷を食らったもんだぜ」
「でもさ、エリアンが土属性を持って生まれたから」
「そう、俺のおかげで、だろ?」
エリアンの笑いが広がったあと、場が一瞬だけ静かになった。
空気がわずかに濁り、ドミニクの指先がベンチの上でゆっくりほどける。
そのときだった。
広場の奥から、軽やかに空気を裂く声が響いた。
「また君たちかい、暇人だね。そんなに暇なら、鏡に向かって反省会でも開いたらどう?」
朗らかで軽いけれど、芯を食った声だった。
親衛隊を引き連れたレオポルトが、いつの間にか姿を見せていた。
「レオ様、相変わらず素敵です!」
親衛隊のひとりが目を輝かせて叫び、他の子たちも、きゃっきゃと笑いながら続いた。
「……ちっ、行くぞ」
エリアンが舌打ちを漏らし、眉をひそめながらその場を離れた。
レオポルトの登場は、彼にとっていつも計算外だ。
それに続くように、取り巻きたちもベンチから離れていく。
わざとらしく視線をそらしながら、誰ひとりレオポルトに言い返さず、そして誰もドミニクを振り返らなかった。
残されたドミニクは、ゆっくりと立ち上がる。
一瞬だけレオポルトを見たが、口元に浮かんだのは笑みではない。
レオポルトは、その表情に言葉を挟まなかった。
視線だけが、静かにそこにあった。
ドミニクは、わずかに首を振った。
「余計なことはしなくていいよ」
低くつぶやくと、そのまま歩き出した。
「なにあれ?」
「レオ様が助けたのに、あれはないよね」
親衛隊の子たちが肩を寄せ合いながら、レオポルトの背中を見つめる。
空気がざわつきかけたところで、レオポルトが手をひらりと振って笑った。
「まあまあ、彼は照れてるだけさ。この俺に助けられたら、誰だってちょっと恥ずかしくなるもんでしょ?」
その言葉に、親衛隊のひとりが頬を赤らめて叫ぶ。
「私がレオ様に助けられたら……きゃーっ!」
他の子たちも顔を見合わせて笑い合う。
その笑い声の中で、ドミニクの背は、誰にも気づかれないまま遠ざかっていった。
◇◇◇
マリー姉様の臨時講師は、順調に進んでいるみたいだ。
会うたびに「楽しいわ」と笑っていて、その表情が本当に楽しそうだから、きっと嘘じゃない。
でも、今日は様子が違った。
「最近ね、院生が何人か、急に辞めちゃってね……」
「へえ、そうなんですか」
俺は、なにも知らない顔して、とぼけた調子でうなずいてみせた。
《ご主人様が、ギルベルトに告げ口をしたからですね》
うるさいよ、ヘルプ機能。
中庭のカフェテラスでお茶をしながら、マリー姉様と俺は、次の授業までの時間を過ごしていた。
レオポルトは、授業で必要なガラス石を自製するために、ひと足先に教室へ向かった。
たぶん、今朝の準備風景を見て、自分もやってみようと思ったんだろう。
それだけじゃなくて、俺たち姉弟の時間を邪魔しないように、気を回してくれたんだと思う。
あいつなりの配慮だった。
「ええ、そうなの。その中にね、よく話しかけてくれた子がいて……なにかあったのかと思って、心配で」
マリー姉様は目を伏せ、カップの縁にかかった指先をそっと滑らせた。
言葉の調子は変わらないのに、その仕草に、いつもより少しだけ思い詰めた気配があった。
「大丈夫じゃないですか。もしなにかあったのなら、他の院生たちの間で噂になっているはずですし」
俺はそう言いながら、マリー姉様の横顔をちらりと見た。
少しでも不安を和らげるつもりだったけれど、目を合わせることができず、すぐに視線を逸らす。
「そうかしら?」
「そうだよ」
辞めた院生たちの一部は、姉様の誘拐を企んでいた。
そんなやつらのことなんて、知る価値もない。どうなったかなんて、俺も詳しくは知らない。
《ご主人様、知りたいですか? アーベル家の影が、けちょんけちょんにしたときの詳細情報はありますが》
いいよ、ヘルプ機能。
自業自得とはいえ、それを聞いたら、マリー姉様の前で、どんな顔すればいいかわからなくなる。
《残念です》
そんなふうに考えていた矢先、テラスの外れから複数の足音が近づいてきた。
ディアーナたちが手を振りながら、まっすぐこちらへ向かってくる。
「お姉様……お茶の時間、まだ終わってないですよね?」
少し息を乱したセラが、そっと姉様の手を取った。
「うふふ、セラさん、もちろんよ」
マリー姉様は、ゆるやかに微笑む。
「マリアンネ様、ご機嫌麗しく」
ディアーナが完璧な所作で挨拶した。
「家族なんだから、堅苦しい挨拶はなしよ。ディアーナさんも座って。お茶をしましょう」
「はい」
二人は席につくなり、今日の淑女教育の話を弾むように始めた。
声も身振りもどこか嬉しそうで、マリー姉様に聞いてほしい気持ちが隠しきれていない。
マリー姉様は、そんな二人を優しく見つめながら、微笑みを絶やさず耳を傾けている。
俺の疎外感、ちょっと半端なくない。
湯気の向こうで、みんなの会話だけがなめらかに流れていった。
