不運からの最強男


 気づけば、もう四年生だ。
 この一年、本当に色々あったけど……なんとか進級できた。

 教室へ向かう途中、俺たちとは少し雰囲気の違う制服を着た集団が、こちらへ歩いてくるのが見えた。
 一年通っているけど、あんな格好は見たことがない。

「あれは?」

 俺がつぶやくと、隣のレオポルトがすぐに答えた。

「院生だな」
「院生?」
《魔術学校は六年制ですが、成績優秀者や一定の条件を満たすと、さらに二年、専門課程を受けることが可能です。アーベル侯爵家ではテオバルトが院に通っていました》

 テオ兄さんが?
 そういえば、十八歳まで魔術学校に通っていたんだっけ。

《ご主人様が六年前、事故に巻き込まれるかたちでダンジョンに転移された際、ハクと共に、周囲の牽制もかねて院へ通っていましたよ》

 あっ、そうだったんだ。
 テオ兄さんには、ずっと迷惑をかけてばかりだ。
 それにしても、懐かしいな。
 あのダンジョンで、ディアーナたちと出会ったんだよね。

《ご主人様、大きくなられて……》

 ヘルプ機能、お前の立ち位置なに?

「院生が集団でこっちにいるなんて、めずらしいな」

 レオポルトは彼らに視線を送りながら、ぽつりとつぶやいた。
 今は、レオポルトとふたりで動いている。
 魔術学校では三年生までが基礎中心の授業だが、四年生からは実践を含んだ専門課程に移行する。女子はその中で淑女教育が必修となっていて、ディアーナたちとは別行動だ。
 ふと、集団の中心に見覚えのある姿が目に入った。

「ジーク!」

 その声と同時に、マリー姉様が一歩前へ出てくる。
 周りの院生たちは、姉様の動きに合わせるように自然と道をあけた。
 そして、ためらいもなく俺を抱きしめてくる。

「マリー姉様、なぜここに?」
「やっと会えたわ!」
「マッ、マリー……っ、ごほん。マリアンネ嬢、ご機嫌麗しく……っ」

 レオポルトは真っ赤になりながら、慌てて挨拶を仕切り直した。

「あら、レオポルト様。いつもジークと仲良くしていただき、ありがとうございます」

 姉様はふわりと微笑み、指先まで完璧な所作で挨拶を返す。
 そのひとつひとつの動きだけで、場の空気がすっと整っていく。
 ……でも、さっき俺に思いきり抱きついてきた時点で、全部台無しじゃないかな。

「かっ、可憐だ」

 レオポルトには、そんなことはどうでもよかったらしい。
 その場の院生たちまで、マリー姉様の所作に見とれてぽかんとしている。
 誰も咎めるどころか、むしろうっとりして見守っている始末だ。
 ……なんなら、レオポルトの言葉にうなずいてる人までいる。

「なぜ、マリー姉様は魔術学校に?」
「うふふ。実はね、臨時講師として三カ月、指導をすることになったの」
「えっ?」
「前から打診はあったんだけど、ずっと断っていたのよ。でも、去年からジークが通い始めたでしょう? だから、今回は受けてみたの」
「大丈夫なんですか」

 そう言いながら、姉様の顔を見上げる。
 笑ってはいるけど、やっぱり心配だった。

「まあ、心配してくれるの。ありがとう、ジーク!」

 そう言って、マリー姉様がまた俺を抱きしめる。
 母上が亡くなったあと、姉様は屋敷の女主人として家政を取り仕切る一方で、希少な聖魔術師としても活動していた。
 ふと、マリー姉様が周囲を見回し、首をかしげる。

「ところで、ディアーナ様たちは? 今日はご一緒じゃないの?」
「今は淑女教育の時間で」
「ああ、あれね……。貴族の子女なら自然にこなせることだけど、平民の子たちにとっては大変なのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。私たちは幼いころから習慣の中で身につけてきたけれど、彼女たちにはそんな日常がなかったもの」
「そうなんですね。ところで、マリー姉様は今からどちらに?」
「今日の私の初講義は終わったから、ジークの学校での生活をひと目確認して、それから帰ろうと思っていたの」

 マリー姉様の愛が、やっぱりちょっと重い。
 それはさておき、さっきから生暖かい目でこちらを見ている、周囲の院生たちは一体なんなんだ?
 距離を保ちつつ、妙に耳をそばだてている感じもするし……視線に熱量があるのが怖い。

《マリアンネの親衛隊ってところでしょうか》

 ああ、なるほど。
 ヘルプ機能、今ちょっと上手いこと言ったと思ってるだろ?
 レオポルトの親衛隊にかけたんだな、それ。

《さすが、ご主人様。私のユーモアをご理解いただけて、なによりです》

 はいはい、もうわかったよ。それで?

《真面目に説明するなら、マリアンネは彼らにとって、理想の嫁候補です》

 嫁って、おい。

《アーベル侯爵家は王家に次ぐ権力と富を有し、彼女は教養、美貌、人望のすべてを兼ね備えています。しかも婚約者はいません。そしてアーベル家の方針は本人の意思を尊重しており、結婚に際しても、身分が障壁になることはありません》

 ああ、なるほどね。
 叔父や兄さんたちと、まったく同じパターンね。
 俺たちが廊下で話している間に、院生たちが群をなし、周囲を取り囲んでいた。
 集団の背後から、澄んだ声が響いた。

「通してください」

 ドミニクだった。
 彼の姿に気づいた院生のひとりが、嘲るように言い放つ。

「ラフェルト伯爵家の面汚しが、マリー様になんの用だ?」

 ドミニクは眉ひとつ動かさず、静かに言い返した。

「私は教室に向かっているだけです。道を塞いでいるのは、あなた方ですよ」

 その言葉に、院生の表情が歪む。

「なんだと! 魔属性も持っていないくせに、生意気なんだよ」

 周囲の空気が揺れた。
 一触即発。そんな雰囲気の中で、マリー姉様の凛とした声が場を貫いた。

「あなた。今の言葉は、聞き捨てなりません。立場や属性を理由に、他者を踏みつける振る舞いは慎むべきです。それに道を塞いでいたのは、こちらのほうでしょう?」

 柔らかくも、芯の通ったその言葉に、院生たちの空気が一瞬止まる。
 姉様はドミニクの方へ向き直り、静かに頭を下げた。

「道を塞いでしまって、申し訳ありません。どうぞ、お通りください」

 ドミニクは一瞬だけ姉様と視線を交わし、軽く会釈して歩き出す。

「他の皆様も、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」

 小さな声なのに、場にいた全員がぴたりと動きを止めた。
 マリー姉様は、ひとりひとりに視線を向けながら丁寧に頭を下げる。
 その仕草だけで、張りつめていた空気がふっと緩んでいく。
 ほんと、こういうところがすごい。
 さすが、マリー姉様だ。
 院生たちも空気を読み、自然と散っていった。

「ごめんね、ジーク。迷惑かけちゃって」

 マリー姉様は申し訳なさそうに声をかけながら、そっとこちらをうかがう。
 俺は首を横に振り、静かに姉様の手を握った。

「マリー姉様が悪いわけじゃありません」
「そうです! マリアンネ嬢は、なにひとつ悪くありません!」

 マリー姉様に見惚れて固まっていたレオポルトが、ようやく息を吸い直して叫んだ。

「レオポルト様、ありがとうございます」

 握っていた手に、姉様がそっと力を込める。
 それだけで、言葉よりも、ずっと強く伝わってくるものがあった。

「でも、私自身のことですから、しっかりしなくては。三カ月は、臨時講師として教鞭に立つのですもの」

 そう言って顔を上げた姉様の目は、完全に講師モードになっていた。
 その表情を見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。
 ……やっぱり、俺が守らなきゃ。
 ヘルプ機能。さっきドミニクを侮辱した相手の情報と、マリー姉様に危害を加えそうな人物をピックアップして。

《承知しました。ご主人様も、ずいぶん過保護ですね》

 当然だろ。俺の姉様だ。すごく、大切な人だから。
 姉様は、並の男じゃ敵わないくらい肝も座ってるし、腕も立つ。
 でも、案外抜けてるというか……危機管理だけは、ちょっと雑なんだよね。
 だからこそ、俺が先回りしておきたい。
 マリー姉様が、なにも心配せずに動けるように。

《ええ。では、ご主人様の信頼に応えるためにも、抜かりなくまいります》