腰の魔道具が、軽く揺れた。歩くたび、重心がわずかにずれる。
その違和感に、指先が勝手に動いた。
……違う。これは、ゼレムじゃない。
ゼレムの重さは、もう少し軽かった。
なのに、空気が張り詰めるような、妙なずっしり感だけは、いつもあった。
今、腰にあるのは、あくまでゼレムを呼び出すための媒体だ。
魔力循環に優れ、戦闘にも十分耐えうる。
叔父が、ゼレムの『我以外を使うな』っていうわがままに応えるために、過剰なくらい手を加えてくれた一品だ。
装飾には、高価な宝石が、無意味なほど散りばめられている。
けれど不思議といやらしさはない。
むしろ品があり、端正な印象すら与える。
叔父には似つかわしくないセンスの滲み方に、ゼレムの意思が反映されているような気配すらある。
おまけに、腰への負担を減らすために、重さまで細かく調整されたらしい。
なにその気配り。
優しさの方向、ちょっとズレてない?
──あの時。
いつものように、代わりの剣に手を伸ばそうとした瞬間だった。
空間が、ぐにゃりと歪み、疲れ切った顔の叔父が、ゼレムを伴って現れた。
「我以外の剣を手に取ることは、許さん」
ぴしゃりと告げたその声に、思わず手が止まった。
目の下に深い隈を浮かべた叔父が、見たことのない魔道具を差し出してくる。
「なかなか忠誠心が強いようだね」
皮肉と疲労が滲んだ笑みだった。
ごめんね、ヴィリー叔父さん。
そんな顔をさせるほど、ゼレムが無理を言ったなんて。
あれ? ゼレムって、こういうキャラだっけ。
ふとよぎった疑問は、言葉にはしなかった──。
「ジークベルト様、どうかされました?」
隣から届いたディアーナの声に、思考がふっと現実に引き戻される。
「まだ、ゼレムがいないことに慣れなくて」
俺が答えると、肩にいたスラがぴょんと跳ねて、ぷるんと体を張らせるように主張した。
「ピッ!〈主! スラが守る!〉」
ディアーナが、スラの声に目を細めて微笑む。
「うふふ、スラちゃん。心強いですね」
「ピッ!〈任せろ!〉」
セラが、俺の反対側からそっと顔を出し、スラの言葉を褒めるように笑った。
彼女はスニと一緒にいる時間が長いせいか、スラが言っていることもなんとなく理解できているようだった。
すると、セラの制服の中から、むくれたような声がもぞっと響く。
「ポッ!〈スニも守る!〉」
スラが肩の上で小さく跳ねた。
「ピッ?〈スニ、不機嫌?〉」
「ポッ〈不機嫌じゃない……〉」
「ピッ〈なら一緒に守ろう〉」
微笑ましいやりとりが続くなか、ディアーナがふと、思い出したように声を紡いだ。
「ジークベルト様、もうすぐお誕生日ですね」
その言葉に、セラが小さくうなずく。
「今年は、どんなお料理が出てくるのでしょうか」
「ピッ!〈肉!〉」
スラが肩の上で、ぴょんぴょん跳ねながら声を弾ませる。
「ガルッ!〈肉!〉」
その声に釣られるように、足元のハクが尻尾を揺らし、短く吠えた。
「ふふっ、なんだか楽しみにしていますね」
ディアーナが微笑み、セラも嬉しそうにうなずく。
「今年は、ラピスを使った料理をお願いしてあるんだ」
俺がそう返すと、スラがさらに跳ねる。
「ピッ!〈ラピス! スラも食べる!〉」
「ガルッ!〈ハクも!〉」
その空気のなかで、スラとハクがはしゃぐ声も遠くに響いていた。
のどかな時間のはず──だったんだけど。
……あれは?
視線の端に、なにかが引っかかった。
複数の男子生徒に囲まれたドミニクの姿。その輪の空気が、妙に沈んで見えた。
笑っているようで、笑っていない顔。
どう見ても、よくない感じだ。
気づけば、足を踏み出しかけていた。
けれど、それよりも早く。朗らかで軽い、芯を食った声が空気を割った。
「一年が三年に指導だって? その構図、全然映えてないよ。まったく美しくないね……退場、かな」
レオポルトだった。
親衛隊の女子たちを引き連れて、どこからともなく現れた。
「レオ様、素敵です!」
親衛隊のひとりが目を輝かせて叫び、他の子たちも黄色い声援を飛ばしながら後に続く。
声援は次第に熱を帯び、レオポルトの名を呼ぶ声が次々と上がった。
「ちっ、行くぞ」
男子生徒のひとりが舌打ちを漏らし、眉をひそめてその場を離れた。
それに倣うように、囲んでいた生徒たちも、ぞろぞろと引いていく。
空気が入れ替わったように、場が静まり返った。
親衛隊も声をひそめる。
その沈黙に合わせるように、金の刺繍がふわりと揺れ、レオポルトがゆるやかに振り返る。
こちらに視線を向け、俺と目が合うと、口元に笑みが浮かべた。
「そこにいるのは、麗しのディアーナ様!」
誇らしげな声を張って、親衛隊を従えたレオポルトが堂々とこちらへ歩み寄ってくる。
金刺繍のマントを纏い、笑顔で場をさらう彼の姿を、もう半年も見続けてきた。
性格は、まあ……だいたい掴めてきた。
悪い奴じゃない。
教養もあるし、判断もできる。振る舞いも、案外きっちりしている。
見た目は派手だし、言葉も変わってるけど、ああいうのが、良い貴族の模範なんだろうな。
それも含めて彼らしいなって、最近は思う。
でも、ディアーナたちを追いかけているように見えて、実は俺に、なにか目的があるんじゃないかって、ふと感じる時がある。
ほら、今だってそうだ。
親衛隊の子たちが、ちらちらと俺を見てくる。
なにかを伝えようとしているような、そんな気配がある。
ディアーナたちも、レオポルトの相手をしながら、視線だけで、時々俺を確認している。
そんな妙な空気のなかで、レオポルトが思い出したふうに言った。
「そういえば、もうすぐ、ジークベルトの誕生日じゃないか?」
声の調子は朗らか。
でも、その間の取り方だけが、どこか芝居めいている。
「えっ、そうなんですか?」
親衛隊のひとりが、すぐさま乗ってくる。
「そっ、そうなんだよ。麗しのレディ」
「レオ様、そのお言葉、ちょっと雑じゃないですか?」
別の子が笑いながら、ひじでつつく。
「すまないね。美しい君たちの前じゃ、どうにも言葉が滑ってしまうようで」
「きゃーっ!」
「やっぱり素敵です!」
親衛隊が一斉に沸き立った。
……俺は、なにを見せられているんだ。
《三文芝居ですかね》
ヘルプ機能のツッコミが、聞こえた気がした。
沸き立つ空気のなか、ディアーナがそっと一言。
「誕生日の話題をなさるとは、意外に細やかですね」
親衛隊がざわめき、レオポルトは一瞬だけ黙った。
そして、芝居がかった笑顔を浮かべる。
「さすがディアーナ様ね」
親衛隊の何人かが、声を潜めてささやいた。
俺は混乱していた。
なんでディアーナが、わざわざレオポルトに助け舟をだしたんだろう。
その意味が、よくわからない。
でも、なんだ、この空気。
……俺だけ、場違いな気がしてきた。
「そうだ、ジークベルト。誕生会をするなら、俺が、出席してやってもいいぞ」
「いや、わる──」
俺の声を遮るように、レオポルトがすぐに続ける。
「かっ、勘違いするなよ! 俺はただ、お前の姉、マリアンネ様をひと目見にだな」
「ごめん。誕生日は、家族だけで過ごすって決まりで。成人になるまでは、そういうの、やってないんだ」
親衛隊のひとりが、あっちゃーと顔をしかめた。
他の子たちも、ちらりと視線を交わしてから、そっと目を逸らす。
空気が、すっと静まり返った。
レオポルトは一瞬だけ硬直し、それから、ぎこちなく笑みを作る。
あれ、俺なにかした?
なんか空気が、ちょっと変だ。
「ガウッ〈派手な人、肉、食べたかったのか〉」
足元にいたハクが、ふいに声を上げる。
首をちょこんと傾けて、前足で床をぽふっと叩いた。
あざとい。だけど、かわいい。
何歳になっても、ハクはかわいい。
親衛隊も同じだったようで、「かわいい」「触りたい」と小さく声が弾ける。
沈んでいた空気が、ハクの一声でふわりと持ち直した。
ディアーナは、そっと笑みだけで応える。
俺は、ハクの頭をそっとなでながら、小さく息を吐いた。
「なんだか、助かった気がする」
その言葉は、誰にも拾われないまま、場は静かにお開きとなった。
その違和感に、指先が勝手に動いた。
……違う。これは、ゼレムじゃない。
ゼレムの重さは、もう少し軽かった。
なのに、空気が張り詰めるような、妙なずっしり感だけは、いつもあった。
今、腰にあるのは、あくまでゼレムを呼び出すための媒体だ。
魔力循環に優れ、戦闘にも十分耐えうる。
叔父が、ゼレムの『我以外を使うな』っていうわがままに応えるために、過剰なくらい手を加えてくれた一品だ。
装飾には、高価な宝石が、無意味なほど散りばめられている。
けれど不思議といやらしさはない。
むしろ品があり、端正な印象すら与える。
叔父には似つかわしくないセンスの滲み方に、ゼレムの意思が反映されているような気配すらある。
おまけに、腰への負担を減らすために、重さまで細かく調整されたらしい。
なにその気配り。
優しさの方向、ちょっとズレてない?
──あの時。
いつものように、代わりの剣に手を伸ばそうとした瞬間だった。
空間が、ぐにゃりと歪み、疲れ切った顔の叔父が、ゼレムを伴って現れた。
「我以外の剣を手に取ることは、許さん」
ぴしゃりと告げたその声に、思わず手が止まった。
目の下に深い隈を浮かべた叔父が、見たことのない魔道具を差し出してくる。
「なかなか忠誠心が強いようだね」
皮肉と疲労が滲んだ笑みだった。
ごめんね、ヴィリー叔父さん。
そんな顔をさせるほど、ゼレムが無理を言ったなんて。
あれ? ゼレムって、こういうキャラだっけ。
ふとよぎった疑問は、言葉にはしなかった──。
「ジークベルト様、どうかされました?」
隣から届いたディアーナの声に、思考がふっと現実に引き戻される。
「まだ、ゼレムがいないことに慣れなくて」
俺が答えると、肩にいたスラがぴょんと跳ねて、ぷるんと体を張らせるように主張した。
「ピッ!〈主! スラが守る!〉」
ディアーナが、スラの声に目を細めて微笑む。
「うふふ、スラちゃん。心強いですね」
「ピッ!〈任せろ!〉」
セラが、俺の反対側からそっと顔を出し、スラの言葉を褒めるように笑った。
彼女はスニと一緒にいる時間が長いせいか、スラが言っていることもなんとなく理解できているようだった。
すると、セラの制服の中から、むくれたような声がもぞっと響く。
「ポッ!〈スニも守る!〉」
スラが肩の上で小さく跳ねた。
「ピッ?〈スニ、不機嫌?〉」
「ポッ〈不機嫌じゃない……〉」
「ピッ〈なら一緒に守ろう〉」
微笑ましいやりとりが続くなか、ディアーナがふと、思い出したように声を紡いだ。
「ジークベルト様、もうすぐお誕生日ですね」
その言葉に、セラが小さくうなずく。
「今年は、どんなお料理が出てくるのでしょうか」
「ピッ!〈肉!〉」
スラが肩の上で、ぴょんぴょん跳ねながら声を弾ませる。
「ガルッ!〈肉!〉」
その声に釣られるように、足元のハクが尻尾を揺らし、短く吠えた。
「ふふっ、なんだか楽しみにしていますね」
ディアーナが微笑み、セラも嬉しそうにうなずく。
「今年は、ラピスを使った料理をお願いしてあるんだ」
俺がそう返すと、スラがさらに跳ねる。
「ピッ!〈ラピス! スラも食べる!〉」
「ガルッ!〈ハクも!〉」
その空気のなかで、スラとハクがはしゃぐ声も遠くに響いていた。
のどかな時間のはず──だったんだけど。
……あれは?
視線の端に、なにかが引っかかった。
複数の男子生徒に囲まれたドミニクの姿。その輪の空気が、妙に沈んで見えた。
笑っているようで、笑っていない顔。
どう見ても、よくない感じだ。
気づけば、足を踏み出しかけていた。
けれど、それよりも早く。朗らかで軽い、芯を食った声が空気を割った。
「一年が三年に指導だって? その構図、全然映えてないよ。まったく美しくないね……退場、かな」
レオポルトだった。
親衛隊の女子たちを引き連れて、どこからともなく現れた。
「レオ様、素敵です!」
親衛隊のひとりが目を輝かせて叫び、他の子たちも黄色い声援を飛ばしながら後に続く。
声援は次第に熱を帯び、レオポルトの名を呼ぶ声が次々と上がった。
「ちっ、行くぞ」
男子生徒のひとりが舌打ちを漏らし、眉をひそめてその場を離れた。
それに倣うように、囲んでいた生徒たちも、ぞろぞろと引いていく。
空気が入れ替わったように、場が静まり返った。
親衛隊も声をひそめる。
その沈黙に合わせるように、金の刺繍がふわりと揺れ、レオポルトがゆるやかに振り返る。
こちらに視線を向け、俺と目が合うと、口元に笑みが浮かべた。
「そこにいるのは、麗しのディアーナ様!」
誇らしげな声を張って、親衛隊を従えたレオポルトが堂々とこちらへ歩み寄ってくる。
金刺繍のマントを纏い、笑顔で場をさらう彼の姿を、もう半年も見続けてきた。
性格は、まあ……だいたい掴めてきた。
悪い奴じゃない。
教養もあるし、判断もできる。振る舞いも、案外きっちりしている。
見た目は派手だし、言葉も変わってるけど、ああいうのが、良い貴族の模範なんだろうな。
それも含めて彼らしいなって、最近は思う。
でも、ディアーナたちを追いかけているように見えて、実は俺に、なにか目的があるんじゃないかって、ふと感じる時がある。
ほら、今だってそうだ。
親衛隊の子たちが、ちらちらと俺を見てくる。
なにかを伝えようとしているような、そんな気配がある。
ディアーナたちも、レオポルトの相手をしながら、視線だけで、時々俺を確認している。
そんな妙な空気のなかで、レオポルトが思い出したふうに言った。
「そういえば、もうすぐ、ジークベルトの誕生日じゃないか?」
声の調子は朗らか。
でも、その間の取り方だけが、どこか芝居めいている。
「えっ、そうなんですか?」
親衛隊のひとりが、すぐさま乗ってくる。
「そっ、そうなんだよ。麗しのレディ」
「レオ様、そのお言葉、ちょっと雑じゃないですか?」
別の子が笑いながら、ひじでつつく。
「すまないね。美しい君たちの前じゃ、どうにも言葉が滑ってしまうようで」
「きゃーっ!」
「やっぱり素敵です!」
親衛隊が一斉に沸き立った。
……俺は、なにを見せられているんだ。
《三文芝居ですかね》
ヘルプ機能のツッコミが、聞こえた気がした。
沸き立つ空気のなか、ディアーナがそっと一言。
「誕生日の話題をなさるとは、意外に細やかですね」
親衛隊がざわめき、レオポルトは一瞬だけ黙った。
そして、芝居がかった笑顔を浮かべる。
「さすがディアーナ様ね」
親衛隊の何人かが、声を潜めてささやいた。
俺は混乱していた。
なんでディアーナが、わざわざレオポルトに助け舟をだしたんだろう。
その意味が、よくわからない。
でも、なんだ、この空気。
……俺だけ、場違いな気がしてきた。
「そうだ、ジークベルト。誕生会をするなら、俺が、出席してやってもいいぞ」
「いや、わる──」
俺の声を遮るように、レオポルトがすぐに続ける。
「かっ、勘違いするなよ! 俺はただ、お前の姉、マリアンネ様をひと目見にだな」
「ごめん。誕生日は、家族だけで過ごすって決まりで。成人になるまでは、そういうの、やってないんだ」
親衛隊のひとりが、あっちゃーと顔をしかめた。
他の子たちも、ちらりと視線を交わしてから、そっと目を逸らす。
空気が、すっと静まり返った。
レオポルトは一瞬だけ硬直し、それから、ぎこちなく笑みを作る。
あれ、俺なにかした?
なんか空気が、ちょっと変だ。
「ガウッ〈派手な人、肉、食べたかったのか〉」
足元にいたハクが、ふいに声を上げる。
首をちょこんと傾けて、前足で床をぽふっと叩いた。
あざとい。だけど、かわいい。
何歳になっても、ハクはかわいい。
親衛隊も同じだったようで、「かわいい」「触りたい」と小さく声が弾ける。
沈んでいた空気が、ハクの一声でふわりと持ち直した。
ディアーナは、そっと笑みだけで応える。
俺は、ハクの頭をそっとなでながら、小さく息を吐いた。
「なんだか、助かった気がする」
その言葉は、誰にも拾われないまま、場は静かにお開きとなった。
