ヴィリバルトは自室のバルコニーに佇み、朱と蒼、二つの月が並ぶ夜空を仰いでいた。
 風はなく、星々は澄んだ空に沈黙の光を灯している。
 そこへ、フラウが飛んできた。
 彼の近くにふわりと舞い降りると、視線を伏せ、唇をかすかに震わせる。
 黒い剣ゼレムの性格は、彼女の大嫌いなあいつ(・・・)とは、あまりにもかけ離れていた。
 その違和感に、フラウは戸惑い、混乱した声で言葉をこぼす。

「なんで、こんなに違うの。……ゼレムって、ほんとにあいつなの……?」

 ヴィリバルトは黙って耳を傾けたまま、夜空から目を離さず、わずかに口角を上げた。
 その微笑みには、遠い記憶への諦念と、言葉にできぬ複雑さが滲んでいた。
 彼はゼレムから聞いた神界の情報を、静かに回想し始める──。

 神界。
 それは、この世界の上位に在る、神族の秩序が支配する領域。
 人の理では測れぬ法則が流れ、神族たちはその中で生まれ、競い、世界を創造する。
 この神界もまた、誕生から五千年以上が経過していた。
 いまだ王は存在せず、秩序の頂点は空白のまま。
 過去の実績を見れば、消滅の兆しがいつ訪れても、なんら不思議ではない。
 王が誕生しなければ神界そのものが消滅する──そんな原理すら、神族たちは確かめようもなかった。
 なにをもって王の誕生とするのか。
 その定義も証も曖昧なまま、彼らは理の輪郭を探り続けていた。
 王の誕生は、五千年に一度あるかないか。
 神界の寿命は千年から一万年とされるが、ばらつきは大きく、それは神族が創造する世界の数に左右されるという。
 神族は、自らの手で世界を創造しなければ王候補になれず、その確率は一%にも満たない。
 多くが諦める中、世界の創造に成功した神族が、少なからずいた。
 彼らは王候補と呼ばれ、それぞれが己の世界を発展させていった。
 その中に、一際異彩を放つ存在がいた。
 筆頭と称されたその神族は、王争いに疲れ、己が創りしこの世界へと身を隠した。
 だが、その時から、この世界は標的となった。
 筆頭の座を奪わんとする王候補たちは、彼の世界の崩壊を目論んだ。
 神族による世界への干渉は、本来、厳しく禁じられている。
 しかし、創造主の力が弱まれば、世界の均衡は揺らぐ。
 その隙をついて、さまざまな手段で静かに崩れを誘う者が現れる。
 争いは表には出ない。
 けれど、この世界は確かに、神々の覇権争いの余波の中にある。

 ヴィリバルトは、ふと目を開けた。
 ゼレムの語りの中で、ひとつだけ、彼の記憶に深く残った言葉がある。

 神界には、例外なくひとつ、誰も立ち入ることを許されない禁域が存在する。
 崩壊した神界と神族の記憶が、そこに封じられているという。

 ヴィリバルトは再び夜空を仰いだ。
 朱と蒼、二つの月が、夜空をゆるやかに巡っていた。
 星々は、なにも知らぬふりで、ただ瞬いていた。