地下牢の重い鉄扉が鈍く軋みをあげて開かれた。
 淡い光が差し込む中、冷たい空気が刺すように肌に触れた。湿った石の壁には苔が生い茂り、異様なにおいが漂っていた。
 ここは、王城の地下深くに隠された秘密の場所だった。

 静寂を破るのは、規則的に響く足音。
 ユリアーナはその音に反応し、重い瞼をゆっくりと開けた。彼女の細い腕には、力を封じ込める魔封じの腕輪がしっかりと巻かれている。
 足音は徐々に近づき、地下牢の前で止まった。薄闇の中、彼女の瞳に訪問者の影が映る。
 扉が再び軋みを立てて開かれ、一筋の光が差し込んだ。光の中に現れた人物の顔を見て、ユリアーナは妖艶な笑みを浮かべた。

「あら、エリーアスが次の王になるのかしら?」
「姉上」

 エリーアスは言葉を失ったかのように動きを止めた。
 彼の目には冷たい光が宿り、ユリアーナを見つめる視線には軽蔑と失望があった。

「なぜこのような過ちを犯したのですか?」
「なぜですって、あなたにはわからないわ」

 ユリアーナはエリーアスを鋭く睨みつけ、その瞳に一瞬の怒りが閃いた。
 すぐに視線を外し、唇に冷ややかな笑みを浮かべた。そして、静かに語り始めた。

「私は生まれながらにして王だった。それを陛下が踏みにじった。女だから、たったそれだけの理由で私に王位継承権を与えなかった」

 地下牢の薄暗い光の中で、ユリアーナの淡々とした声だけが響き渡る。
 その声が、湿った石の壁に反響して冷たさをいっそう際立たせた。

「エリーアス、王妃に代々引き継がれる伝承を聞いたことはある?」

 エリーアスが無言でうなずいた。
 それを確認してユリアーナは続けた。

「お母様から聞いたのよ。金の瞳を持つ者が正統な王であると。陛下は昔、その伝承が現実になることを恐れ、金の瞳を持つ者を見境なく消したと」
「それはっ」

 エリーアスが思わず声をあげ、顔をしかめた。
 その反応にユリアーナは鼻で笑い、口角をわずかに上げた。

「私も同じことをしただけよ。正統な王である私が玉座に就くには、こうするしか道がなかった」
「だとしても、あなたは多くの民の命を犠牲にしすぎた」

 エリーアスの声は震え、拳は無意識に固く握りしめられていた。

「なにをそんなに憤っているの? たかが民の命でしょ」

 ユリアーナは冷ややかな目でエリーアスを見下しながら言った。
 その無情な言葉は、エリーアスの心に突き刺さり、彼の苦悩と怒りをさらに煽り立てた。

「父王に毒を盛ったのもあなたですね?」
「ええ、そうよ。王族にも効く特製の毒を、帝国に提供してもらったの」

 ユリアーナは無関心な表情で肩をすくめた。

「なんて残酷なことをしたのです。ほかにもやり方があったでしょう。あなたは父王の亡骸を確認していないから、どれだけ悲惨な最期であったかを知らないのです」
「当然よ。長い間苦しみを与え続けて、もがき苦しむような劇薬をお願いしたからね」

 ユリアーナは冷酷な笑みを浮かべ、エリーアスの反応を楽しむようにじっと見つめた。

「そんなに王座が欲しかったのですか?」
「ええ、もちろん」

 ユリアーナは微笑みながら、まるで当然のことのように答えた。

「トビアス兄上を長年洗脳したのも玉座のためですか?」
「そうね、半分正解よ」

 ユリアーナはいったん言葉を切り、エリーアスの反応を観察してから続けた。

「私が闇属性を所持していたことをエリーアスは知らなかったでしょ?」
「ええ、この内乱で初めて知りました」
「お母様がこの事実を公表せず、陛下にも伝えなかった。私は強く言い聞かされていた。『闇使いであることを決して公にしてはならない』と。でも子供だから試したくなるでしょ?」

 ユリアーナは唇の端を上げ、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
 彼女の目には冷たく光る喜びが宿り、その笑顔には無邪気さと邪悪さが共存していた。

「まさかっ」

 エリーアスはその言葉に衝撃を受け、信じられないという表情でユリアーナを見つめた。

「試したくなったのよ。当時王太子だったトビアスに闇魔法を使用したの。そしたら簡単に落ちたの」

 エリーアスの脳裏には、王太子時代のトビアスの姿が鮮明によみがえった。
 彼は粗暴な性格でありながらも、努力を惜しまない人物であった。訓練場で汗を流し、何度も失敗しては立ち上がるその姿が印象的だった。しかし、ある日を境に彼の粗暴な面だけが顕著になり始めた。周囲の人々は、彼の王太子としての資質に疑念を持つようになり、父王もまたトビアスの態度に深い懸念を抱くようになっていった。
 エリーアスは全てのピースが一瞬にして繋がり、ユリアーナの言葉が意味するところを理解した。
 彼は兄の運命を冷静に受け止めた。

「それで、トビアスはどうなったの?」

 ユリアーナの問いかけに、エリーアスは毅然とした態度で答えた。

「兄上は先刻、王族として毒杯を交わしました」

 その言葉が地下牢の冷たい空気に響き渡り、エリーアスの心にはかつてないほどの決意と責任感が広がっていた。

「あなた実の兄を殺したの?」
「やはり知っていたのですね」

 エリーアスはユリアーナを鋭く睨みつけ、軽蔑の色を隠そうともしなかった。

「私も殺すのね? 金の瞳を持つ正統な王である私を」

 ユリアーナは妖艶に微笑み、エリーアスの眼鏡の奥に光る緑の瞳をじっと見つめた。

「あなたの理論でいえば、ディアーナも金の瞳を持っています。その資格があるはずです。現に彼女には王位継承権があります」
「やめてちょうだい。半亜人の小娘と私が同じはずがないわ」

 ユリアーナは肩をすくめ、手を軽く振ってエリーアスの言葉を一蹴した。

「あなたはなにも知らないから、そう言えるのです」
「先祖返りの話かしら? それとも神獣の加護のこと? それこそ戯言よ」

 ユリアーナは苛立った様子でエリーアスに近づき、その動きで腕輪の鎖が微かに鳴った。

「あなたは目の前でディアーナの力を見たはずだ」
「そうね、アーベル家の坊やに協力してもらった力のことね」
「あなたは、かわいそうな人だ」

 エリーアスは深いため息をつき、冷ややかな目でユリアーナを見つめた。そして、静かに手を伸ばし、慎重に眼鏡をはずした。
 ゆっくりとユリアーナに顔を向け、その素顔をさらけ出した。

「エリーアス! あなた!」

 ユリアーナの表情が驚きと困惑に変わり、彼女の目はエリーアスの瞳に釘付けになった。
 言葉を失った彼女の唇は震え、力なく開いた。

「嘘よ、嘘と言って!」

 ユリアーナは狼狽しながら後退し、足がふらつき、その場に崩れ落ちた。
 絶望に打ちひしがれた顔で床に手をつき、視線はエリーアスから離れなかった。
 エリーアスは冷めた目で彼女を見据え、もう一度深いため息をついた。

「明日、あなたの公開処刑が行われます。あなたは後世に希代の悪女として語り継がれるでしょう。さようなら、ユリアーナ姉上」

 エリーアスは冷徹な声で告げると、静かに眼鏡をかけなおした。
 彼は冷たく一瞥をくれてから、その場を無言で立ち去った。
 地下牢の重い扉が再び軋む音を立てて閉じられ、エリーアスの足音が徐々に遠ざかり、やがて完全に消えた。