俺たちが大広間を出た瞬間、ひとりの青年が駆け寄ってきた。
 護衛として同行していたニコライが一瞬警戒するも、すぐにその表情を和らげた。

「ルイス、どうしたんだ?」
「作戦Aです」
「了解! チビ、姫さん、行くぞ!」

 ルイスの告げた言葉にニコライは親指を立て、自信に満ちた笑顔を見せると、俺とディアーナを両脇に抱え、軽やかに走り出した。

「えっ?」
「きゃあっ」

 貴族たちの間を縫うように駆け抜ける俺たち。ディアーナは驚きと楽しさが入り混じった表情で、目を輝かせながら笑っていた。

「ニコライ殿、待ってください! 場所、わかっているんですか?」

 ルイスが慌てて後を追いかけてきたが、その声にはどこか困ったような楽しげな響きがあった。


 ***


 ルイスの案内で、ニコライに抱えられながら王宮の一室に入った。
 重厚な扉が音を立てて閉ざされると、外の喧騒が遠のき、部屋は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 壁には魔法陣が張り巡らされ、おびただしい魔力が充満している。一カ月前にマティアス王太子と面会した部屋に似ていた。

「ルイス、作戦Aじゃなかったのかよ。どうしてこんなことに……」
「私に言われても……」

 二コライは俺たちをしっかりと抱えたまま、ルイスと共に扉の前でこそこそと立ち止まった。
 周囲を確認すると、ヴィリー叔父さんをはじめ、アーベル家の面々が揃っていた。パルやエマ、そしてハクとスラもその場にいる。
 対面にはマティアス王太子とエリーアス殿下、そして見知らない女性がふたり立っていた。
 ひとりの女性が怒りを露わにし、マティアスに詰め寄っている。

「トビアス様が、不義の子どもなんてありえないことだわ!」
「お母様!?」

 ニコライの脇から、ディアーナの驚いた声が響いた。
 その声に反応した王妃が、マティアスに詰め寄るのを一瞬止め、うしろを振り返った。

「あら? ディアーナ!」

 王妃の表情が一瞬で柔らかくなり、彼女の目には喜びが浮かんでいる。

「うふふ、大きくなったわね! 私に成長した姿を見せてちょうだい!」

 王妃の優しい声が、部屋の緊張を少しだけ和らげた。

「あなた、ディアーナを下ろしなさい」

 王妃の命令に、ニコライが畏まりながらも、俺とディアーナをそっと下ろした。
 ディアーナは地面に足をつけると、すぐに王妃の元へ駆け寄り、その腕の中に飛び込んだ。

「まぁディアーナ、はしたないわよ」

 王妃はディアーナの行動を咎めつつも、その声は優しく慈愛に満ちていた。
 彼女はディアーナの顔を両手で包み込み、その成長を確かめるように見つめた。

「お母様、ご無事でなによりです」

 ディアーナの金の瞳には涙が浮かび、その声には安堵と喜びが混じっていた。

「あら、私の心配をしてくれるのね。なんて優しい子なの」

 王妃はディアーナの言葉にいたく感動している様子だった。
 しかし、俺の存在に気づくと、その表情は一瞬で厳しくなった。

「あなたが私のかわいいディアーナと婚約したジークベルト・フォン・アーベルね」

 親子の久々の再会に、微笑ましい姿を見て頬を緩めていた俺だったが、王妃の品定めをするかのような厳しい視線に気づいた瞬間、思わず背筋が伸びた。

「お母様! ジークベルト様にそのような不躾な視線は失礼です!」
「んっまぁ、ディアーナ! 言うようになったものね」

 ディアーナがすかさず抗議したことに、王妃は驚きつつも、少し誇らしげに微笑んだ。

「シャルロッテ様、本日の目的はディアーナ様を愛でることではございませんよ」

 王妃の隣にいる女性が冷静に指摘する。

「あら? 私としたことが、アグネス様、ありがとうございます」

 もうひとりの女性、アグネス側妃が王妃を咎めると、王妃は再びマティアスに視線を向け、厳しい口調で問い詰めた。

「マティアス、私の質問に答えなさい。なぜトビアス様の出生を否定せず、会議を打ち切ったのです」
「母上、それは何度も申し上げました。姉上が名をかけて宣言したのです。確たる証拠もなく否定すれば、姉上の名誉に傷がつきますし、王族全体の信頼も失われます。あの場では、それしか選択肢がありませんでした」

 マティアスは冷静に答えていたが、その声には微かな苛立ちが感じられた。

「あの女狐!」

 王妃は怒りと苛立ちを抑えきれず、顔を真っ赤にし、声を震わせながら叫んだ。

「シャルロッテ様、どうか落ち着いてください」

 側妃が冷静に諭すと、王妃は我に返り、深いため息をついた。

「私ったら、本当に情けないわ。すぐにかっとなってしまうなんて。もう、あなたたち全員、あの女狐の手のひらの上で踊らされているのがわからないの?」

 王妃の態度とその内容が意外だったのか、マティアスはひどく驚いた様子で問いかけた。

「女狐とは、姉上のことを言っていますか?」
「そうよ、なにか問題でもあるかしら?」

 王妃が冷たい視線を向け、マティアスに答えた。
 王妃たちの会話が途切れると、部屋の隅で交わされる叔父たちの会話が耳に入ってきた。

「テオ、事前の報告とだいぶ違うようだが?」
「影に強く抗議を入れます」とテオ兄さんが低い声で答えていた。
「そこっ! 私の悪口は許さないわよ」

 王妃の鋭い指摘に、叔父は一瞬驚いたが、すぐに紳士的な態度を取り、微笑んだ。

「シャルロッテ王妃は、なにかご存じのようですね」

 叔父の声には、どこか挑戦的な響きがあった。

「あら、あなた、いい男ね」

 王妃は叔父の挑戦的な態度と溢れんばかりの色気に、一瞬心を奪われたようだったが、すぐに我に返った。
 アグネス側妃がすかさず注意する。

「シャルロッテ様」
「あら? 私ったら子供たちの前ではしたないわ」

 王妃は恥ずかしそうに頬に手をあてた。
 その姿を見て『本当にディアーナの母上なのか?』と、俺は強く疑問が沸いた。
 ディアーナは王族である自身の立場を理解して、最近まで感情をあまり表に出さなかったが、王妃は感情豊かで、その起伏が激しい。
 彼女たちが親子だとは思えなかった。
 しばらくすると、王妃の顔付きが変わり、纏う雰囲気に威厳が漂い始めた。
 彼女は再びその場の中心に立ち、全員の視線を集めた。

「エレオノーラ様が陛下を裏切るはずがありません。あの方の献身、いいえ、狂愛と称した方が適切かしら、あの方が陛下に向けた愛と執着は異常なほどでした」

 王妃の言葉にアグネス側妃が同意するようにうなずいた。

「私たちはそばで見ていたからわかります。今は幼き子のようだけどね」
「幼き子?」

 叔父は眉をひそめ、疑問の表情を浮かべた。

「あら、そのようなわざとらしい反応をしなくても、もう調べはついているのでしょう、ヴィリバルト・フォン・アーベル伯爵」

 王妃は冷ややかな笑みを浮かべ、叔父を見つめた。
 叔父は余裕のある微笑みを返しながら、「いえ、詳しくはまだ調査中です」と答える。

「あら? 天下の赤の魔術師をも欺けるの? あの女狐は」

 王妃は軽く肩をすくめ、皮肉を込めた口調で言った。

「ユリアーナ殿下には、この部屋のように高度な魔術が施されているようです」

 叔父は一瞬目を細め、慎重に言葉を選んだ。

「まぁ、なんて贅沢なのかしら」

 王妃は軽く笑いながら、部屋の装飾を見渡した。
 その視線の先がアグネス側妃に移ると、彼女は静かに口を開いた。

「エレオノーラ様は陛下が病に伏せられる直前に、突如として退行されたのです。今ではお人形遊びが日課です」

 アグネス側妃が、王妃の情報を補足するように付け足した。

「母上は、トビアス兄上が主張する金の瞳が王位継承者であるとの主張をどう思われますか?」

 マティアスが王妃に尋ねると、王妃は目を伏せ、少し考えた素振りを見せたあと、真顔となった。

「金の瞳は王家にとって吉凶なの」
「私どもにそれを教えてくれませんか」

 叔父の問いかけに、王妃が静かにうなずいた。

「少しだけ、昔の話をしましょう──」