「やっと、解放された」
〈大丈夫、ジークベルト?〉
〈主、お疲れ〉

 ハクの毛に顔を埋め、スラの冷たい体を抱きしめながら、俺はベッドに体を落とした。
 応接間での怒涛の質問を適当にかわして、部屋に逃げてきた。

「あー、癒される」
《ご主人様、お疲れのところ、申し訳ございません。ヨハンに移動石を渡した人物が判明しました》
「さすがだね、ヘルプ機能!」
《いいえ、ご主人様。私の能力を考えれば遅すぎる調査結果です。不甲斐なく……》
「仕方ないよ。ヘルプ機能は未だに能力を抑えられているんだからね」
《優しいお言葉……、報告に戻ります。彼の名はマクシミリアン、自称革命家です》
「自称革命家?」
《はい。以前から大衆の前で演説を行っていましたが、ほとんどの人が彼を相手にしませんでした。しかし、ある日を境に彼の演説に賛同する人が増え、今では民衆を扇動する力を持っています》
「それは不可解だね、無属性の魔法か、なにか強力な魔道具を手に入れたのかもしれないね」
《ご主人様の推測通り、マクシミリアンはオリジナル魔法『扇動』を使えます。また、トビアスの配下の者と繋がりがあります》
「なるほど」
《彼は現在、王の死因に対して疑問を呈し、民衆を扇動しています》
「内乱の火種になるよね」
《そうなります》
《実はその賛同者の中に──》
「どうして彼が?」
《おそらく我々の協力者かと思われます》
「ヴィリー叔父さんかな?」
《推測となりますが、おそらく……》


 ***


 エスタニア王国の王都の外れに位置するスラム街。
 そこは『革命の光』の本拠地であった。

「マックス、これだけの同胞が集まった。エスタニアに新しい風を起こそう!」
「まだだ」

 マックスと呼ばれた男、マクシミリアンは病的なほど不健康な顔で否定した。

「我々にはまだ準備が足りない。あの方(・・・)の指示を待たなければならない」

 その言葉に、部屋の中の空気が一瞬で張り詰めた。
 誰もが『あの方』の存在を知っていたが、その名を口にすることはなかった。
 マクシミリアンは続ける。

「あの方が動き出す時が来たら、我々も一斉に行動を開始する。それまでは、各自の任務を遂行し、準備を整えておけ」

 部屋の中に静寂が訪れ、誰もがマクシミリアンの言葉の重みを感じ取っていた。
 彼の指示に従うことが、成功への唯一の道であることを理解していたのだ。
 マクシミリアンはひとりひとりの顔を見渡し、続けた。

「我々は一つの目的のために集まった。エスタニアに新しい風を起こすために。皆の力が必要だ。共に戦おう」

 その言葉に、部屋の中の者たちは一斉にうなずいた。彼らの目には決意の光が宿っていた。
 マクシミリアンはその様子を見て、微かに微笑んだ。

「では、各自の持ち場に戻れ。準備が整い次第、再び集まる」

 人々は静かに立ち上がり、それぞれの任務に向かって散っていった。マクシミリアンはひとり、部屋に残り、窓の外を見つめた。
 遠くに見えるエスタニア城を眺めながら、彼はつぶやいた。

「必ずや、新しい時代を築き、俺を馬鹿にしていたやつらを見返してやる」

 その時、部屋の隅で影が動いた。
 マクシミリアンの復讐心に満ちた表情を密かに見ていた人物がいたのだ。
 影は静かにその場を離れた。


 ***


 数日後の革命の光本拠地。

「お前、伯爵家の次男なんだってな」
「それをどこで」

 左目から右頬に傷がある男が、金髪の青年剣士に声をかけた。

「おいおい怖い顔をするなよ。俺たちは同じ志を持った仲間だろ? それともなにかあるのか?」

 傷の男が鋭い目つきで青年に問いかける。

「ここの連中は、過去のことを詮索しないと聞いた」
「まぁな、お天道様に顔向けできねぇやつが多いけどなぁ。しかし、お貴族様であったのなら話はちげぇよ」

 傷の男は言葉を終えると、突然青年に向かって刃物を振りかざした。
 青年は驚き、反射的に身を引いてその攻撃をかわす。

「なにをする!」

 傷の男はニタニタと厭らしい笑みを浮かべ、青年を挑発するように言った。

「ちょっと面かせや。抵抗するとお綺麗な顔に傷がつくぜ」

 青年は一瞬、反抗しようとしたが、刃物の鋭い光を見て思いとどまった。彼は仕方なく傷の男に従うことにした。

「そうそう、大人しくついてこいよ」

 傷の男に連れられ、青年は薄暗い廊下を進んでいった。
 重厚な扉の前に立ち止まると、傷の男は鍵を取り出し、静かに扉を開けた。
「入れ」と傷の男が命じると、青年は恐る恐る部屋の中に足を踏み入れた。
 部屋の中には、薄暗い明かりの中で三人の人物が待ち構えていた。
 そのうちのひとりが、青年に向かって威厳に満ちた声で話しかけた。

「久しぶりだな、カミル・フォン・シラー」
「トビアス殿下!」

 カミルと呼ばれた青年は目を見開き、驚きの表情を浮かべる。
 まさかここでトビアスに会うとは思ってもみなかったのだ。

「ほぉ、新鮮な反応だな」
「なぜ殿下が、このような場所にっ……」
「言葉を慎め、ディアーナの元護衛騎士、近衛騎士カミル・フォン・シラー」

 トビアスが厳しい声でいさめた。
 その瞬間、傷の男が素早く動き、カミルの腹部に一撃を加えた。
 カミルは「ぐっ」と苦痛の声を漏らし、膝をつく。
 トビアスは冷ややかな目でカミルを見つめ、隣にいるビーカーに声をかけた。

「近衛騎士も元になるのか? ビーカー?」
「まだそのような情報は入っておりません。しかし、シラー家は、マティアス殿下の派閥。その子息が『革命の光』に賛同していたとなれば、問題となるでしょう」
「だそうだが?」
「かまわない。シラー家がどうなろうと、俺は俺の意志でここにいる!」

 トビアスの挑発にカミルは拳を握りしめ、声を震わせながら言った。

「ほぉ、面白い!」

 トビアスはカミルの反応を見て、目を細め、口元に薄い笑みを浮かべた。
 その笑みには、カミルの感情を弄ぶような冷たい光があった。

「殿下、たしかシラー家の嫡男は優秀な人物だと噂されていますが、弟は」
「兄さんは関係ない!」

 カミルはビーカーの言葉を遮るように叫び、目を逸らした。
 その反応に「なるほどな」とトビアスがつぶやいた。彼にはカミルが兄に対する劣等感と嫉妬が見て取れた。
 トビアスはその様子を楽しむかのように、さらにカミルを追い詰めるような視線を送りながら、彼のうしろで待機していた傷の男の名を呼んだ。

「グレンツ」

 傷の男ことグレンツは淡々と状況を説明する。

「この男の帰国後、見張っておりましたが、怪しい動きはなく、我々と行動を共にするのは問題ないかと」
「殺し屋のお前の証言は信用できるな」
「トビアス殿下、彼の処遇はどうされます?」
「ビーカー、俺は復讐心がある者は嫌いではない。命拾いしたな、カミル・フォン・シラー、俺に忠誠を誓え!」

 トビアスがカミルに命じた。その声には王族の権威が宿り、部屋全体に緊張が走った。
 カミルは冷や汗をかきながらも、決意を固めた表情を浮かべていた。
 そんな様子のカミルをトビアスは冷ややかな目で見つめ、まるで彼の運命を決める瞬間を楽しんでいるかのようだった。

「我が剣と命をもって、トビアス殿下に忠誠を誓います」

 カミルは一瞬ためらったが、すぐに膝をつき、頭を垂れた。

「悪くない。お前は俺の手足となれ、そして俺が王となる姿をそばで見せてやろう」

 トビアスは満足げに頷き、冷ややかに微笑んだ。