時はエリーアスが、アーベル家の拠点に入る前に遡る──。
「私が知りえたダニエラ・マイヤーの情報は以上だよ。影からの情報と違いはあるかな」
「違いと言えばいいのか。影の情報は、主に常人だった時の彼女の性格と行動が多いのですが……」
ヴィリバルトとテオバルトは、互いの情報を共有していた。
テオバルトは報告を続けながら、困惑した顔を浮かべ、その目には疑問や混乱が見える。
「情報では、いささか思い込みが激しい女性であったようです。自分は貴族だと周囲に伝えていたようですね。母親をはじめとした商家の者が、何度も注意をしたようですが、幼少期の経験が記憶に残り、そのまま今に至ったようです」
「へぇ、面白いね」
その情報は、ヴィリバルトの興味を湧かせたようで、彼の赤い目が輝いた。
その様子を横目で確認したテオバルトは、『また叔父様の悪い癖がでている』と、呆気にとられる。
「最近は、孤児院での慈善活動にも力を入れるようになり、安心したようですが、その動機が、将来の妃になるためで、『白馬の王子様が迎えに来る』と言っていたそうです」
「はははっ。その白馬の王子様は、マティアス殿下なんて……そうなのかい?」
ヴィリバルトは笑いながら冗談めかした様子で発言するも、テオバルトの微妙な表情を見て、驚き目を見開いた。
「王太子のお披露目の馬車を見ていた彼女が、『やっと出会えた。私の王子様』と口にしたと、複数の使用人から証言をえています」
テオバルトが、真面目な顔でその事実を告げた。
何とも言えない空気がふたりに漂う中、ヴィリバルトが話題を変える。
「ディアーナ様を襲った理由に結びつかないね。妹になる人だよ。んー。ビーガー侯爵との接点は?」
「ありません。しかし、彼女が慈善活動をしていた孤児院が、トビアス殿下の命令で潰されています。その時に接点を持った可能性はあります」
「それはちょっと、結びつけには苦しいね。彼らは特権階級の意識が高い。平民の彼女が近づくのも嫌がるはずだよ」
ヴィリバルトの意見に賛同するように、テオバルトが大きくうなずく。
「何か見落としがないかもう一度、洗ってみます。しかし、彼女は有能ではあったようです。短期間で護衛騎士としての能力を身につけています」
「そこだよね。自分が妃になると自覚があったのなら、彼女が指示を受け入れる立場、彼女が口走ったあの方は、かなりの身分の者となる。王族、もしくはそれに準ずる者だ」
「裏魔道具の件も含めると、そうなりますね……。叔父様、何かありましたか?」
突然、ヴィリバルトは怪訝な表情を浮かべる。
しかし、その直後に彼の口角が上がり、笑みがこぼれたことに気づいたテオバルトが声をかける。
「これは、想像を超えてきたね。エスタニア国王の寝室で、強力な闇魔法が使用されたようだ」
「謀反ですか」
その異常な状況に、テオバルトの顔は険しく引き締まり、厳しい表情に変わる。
その一方で、ヴィリバルトは落ち着いた態度で、余裕を見せながら、それを否定した。
「いや、ちがうだろうね。エスタニア国王は、まだ生きている。このまま処置しなければ、もって数日だね」
テオバルトは、ヴィリバルトに向かって「どうしますか」と問いかけ、彼の判断を仰いだ。
「我々が関与しても、遅かれ早かれ、国王は死す。エリーアス殿下には連絡を入れたのだろう」
「はい。特製の『魔手紙』で、至急の連絡を入れています」
「なら、彼らが来てから動いても遅くはないね。テオ、国王の話しを詰めよう」
ヴィリバルトの判断にテオバルトは従い、国王の情報を話しはじめる。
「国王の容体が悪化し、表舞台から姿を消したのは約半年前です。持病があったわけではなく、突然体調を崩したそうです」
「帝国の接触時期を考えても、仕組まれたと考えるべきだね。王族に効く毒でも手に入れたのだろう。まあ、身内の犯行だろうね」
ヴィリバルトは、何もなかったように平然とした表情でそう述べた。テオバルトはそれに対して答えることなく、話しを続ける。
「国王の状態から盛られた毒は、徐々に体を衰弱させ強い痛みを伴う毒と考えられます。王族に効く毒であれば、よほどの聖魔術師でしか癒すことはできません。私怨と考えるにしても、相当な恨みを持っているように思えます」
「そうだろうね。エスタニア王国は、何より国王の権限が強い国だ。不平不満を持っている臣下は多いだろう」
ヴィリバルトの言葉に同意するようにテオバルトは一度うなずくと、影からの情報を伝えた。
「国王と王妃たちの関係を調べました。まず、シャルロッテ王妃は、デビュタントの日に王に見初められ、求婚されています。ブルーム公爵が、その場で断りましたが、国王の執着は相当なものだったようです。ブルーム公爵家を巻き込んだ大騒動となり、領民にまで被害が及んだことを知った王妃が、渋々嫁いだとの話しです。当時の正妃には相思相愛の婚約者がおり、その者は王家により粛清されています。王妃は、自分と同い年の娘の母親となり、親と同年代の男に嫁ぐことに抵抗もあったことでしょう」
「まあひどい話しだね」
「はい。調べれば調べるほど、国王の非道で残虐な行為がでてきます」
そう言って、テオバルトが眉を顰める。
国民を蔑ろにし虐げ犠牲にして栄えた国。権力者が力を持つことの典型的な問題が、国王の動きからわかる。
「次に、エレオノーラ側妃は、国王に望まれて正妃となりましたが、子供が中々授からず、苦労したようです。婚姻して四年後に待望の第一子ルリアーナ王女のちのベンケン夫人を産み、その七年後に、ユリアーナ王女を産んでいます。二人目も王女だったため、王はアグネス側妃を娶りました。若く美しい側妃を王が寵愛したことに、彼女は怒り、まだ十代の側妃に対して、彼女は様々な権力を使い、陰湿な嫌がらせをしたようです。結果、一年先にトビアス殿下が生まれています。ただこの時期、彼女には不名誉な噂が流れています。ビーガー侯爵と恋仲ではないかとの噂です」
「どろどろの展開だね」
呆れた口調のヴィリバルトに対して、テオバルトは苦笑いを浮かべる。
「続けますね。トビアス殿下が王太子になり、彼女の地位は安泰でした。しかし、国王がシャルロッテ王妃を見初めた。彼女は国王から側妃になるか、離縁するかの選択を迫られました。彼女は屈辱だったと思います。上の娘と同じ年の令嬢に、王妃の座を奪われたのですからね。その後すぐに王妃は懐妊。マティアス殿下が生まれ、トビアス殿下は王太子から外されました。彼女は、国王よりも、王妃への恨みが強いと思われます」
「王妃は、災難としか言えないね」
テオバルトは静かに頷いた。影の情報によれば、王妃は何度も危険な目に遭い、命を狙われていることが明らかだった。
彼女は常に危険にさらされており、その命が脅かされていることが確実であった。
「アグネス側妃は、伯爵家の援助と引き換えに国のために嫁ぎました。待望の世継ぎをとの周囲の期待は相当なものだったようです。エレオノーラ側妃の度重なる妨害に心労した末、エリーアス殿下を産みました。その後は、エレオノーラ側妃を刺激しないよう、エリーアス殿下と慎ましく静かに王宮で暮らしていたようです。他に突出した話はありませんね」
テオバルトが報告を終えると、ヴィリバルトはゆっくりと目を閉じ、深く考え込んだ。彼は腕を組み、静かに座っていたが、心の中では様々な思考が渦巻いているようだ。
ふとテオバルトは、先ほど手紙を送ったエリーアスを思い浮かべた。
「エリーアス殿下も同じならどうしますか」
「そうなれば、捨て置きたいよね。まぁ、できないけどね」
その質問に、ヴィリバルトは嘲笑を浮かべながら冷たく言葉を吐き捨てる。
「手っ取り早いのは、本来の継承権一位のディアーナ様が女王となり、王配には適任の人材をあて、我々は手を引く。冗談だよ、冗談。テオ、顔が怖い怖い」
ヴィリバルトの発言にテオバルトが厳しい表情で「叔父様の冗談は、冗談に聞こえません」と、答える。
「しかしねぇ、この国の闇は深いね。潰れればいいのにさ」
「それでは無関係な国民が傷つきます。王家や貴族が国の領土を守り民が支える。その図式が壊れれば、多くの人々が路頭に迷うことになります」
テオバルトの反論に、ヴィリバルトは「いっそう、我々が取り込むかい」と含みを持った笑顔で伝えた。
「それはいい考えかもしれません。アーベル家がこの国の領土を守ることはできます」
「それこそ冗談だよ。真剣に考えないでよテオ。私は仕事がこれ以上増えるのは嫌だよ。それに勝手に領土を増やしたら、兄さんに怒られる」
ヴィリバルトは、自分が冗談で言った言葉に対して、テオバルトが真剣に反応したことに驚き、慌てた様子で否定した。
「父様は、おそらく渋々ながらもその提案を受け入れてくださるでしょう」
「テオは、わかってないな。一番怖いのは兄さんだよ」
ヴィリバルトの意外な発言に、テオバルトは驚いた表情を浮かべる。
ヴィリバルトはその反応を見て、笑顔で「あっ、そうだ。これ」と言って、『収納』から手紙を取り出し、テオバルトに手渡した。
テオバルトはアーベル家の印がついた手紙を受け取り、「これは、父様からの私信……」と言いながら、手紙を開き読み始める。
手紙を読み終えたテオバルトは、こめかみをピクピク動かしながら、「いつですか」とヴィリバルトに尋ねると、「影の許可をもらいに行った時かな」と答えた。
「叔父様、何度注意すればいいのですか! 情報連携は迅速にと何度も言っているじゃないですか!」
テオバルトは怒りに震える声で叫んだ。それに対して、ヴィリバルトは苦笑いしながら答える。
「まぁね、私も反省しているよ。ただ今回は、極秘任務の取りやめの連絡なんだから多めにみてよね」
「いったい何日経っていると思っているのですか」
テオバルトが問い詰めると、ヴィリバルトは深くうなずいた。
「はぁ、影に撤退を指示してきます」と言って、テオバルトは部屋を出た。
彼の背中からは怒りと諦めが伝わってきた。