アルベルトは対戦相手を前に、昨日のヴィリバルトととの会話を思い出していた──。
「火魔法と炎魔法が、一時的に使用できなくなっているね」
「そうですか」
ヴィリバルトの診断に、アルベルトは気にした様子がない。
「それより、女性は無事でしたか」
「詳しく聞かないでいいのかい」
「叔父上が、あまり問題視していないようなので、後遺症もないと判断しましたが、なにかあるのでしょうか」
アルベルトは、さもありなんといった態度で、疑問を口にした。
その態度に、ヴィリバルトは苦笑いをこぼす。
「君は本当に子どもと女性に弱い」
「母上の教えでもありますから、自分より弱い者に手を差し伸べることは、上に立つ者として当たり前です」
胸を張って堂々と答えるアルベルトを、ヴィリバルトは、まるで眩しい者を見るように目を細めると、小さな溜息を吐いた。
「はぁ、義姉さんの教育の賜物だよ。彼女の体には異常がないよ。拘束はさせてもらったけどね」
「それは仕方ありません」
ヴィリバルトの処置に、アルベルトは大きくうなずく。そして、安堵したかのように、肩の力を抜いた。
アルベルトを襲った光は、精霊魔法と闇魔法が混在している『混合魔法』と呼ばれるもので、一般の魔術師で繰り出せる代物ではない。
他者の能力に干渉し、その能力を封印する力は、聖魔法、呪魔法といった上級魔法だ。
精霊を隷属していることから、術者は、相当な腕前の闇魔術師で、光の精霊が隷属されていると考えるのが妥当だ。
加害者の女性は、ただ単に駒として使われた被害者であり、そこに彼女の意思はなかったと思われる。
なぜなら、彼女の胸元付近には、奴隷紋が刻まれていたからだ。
痩せた体や、皮膚の状態から判断しても、日常的に暴力が振るわれていたことがわかる。
アルベルトが、回復薬を彼女に飲ませたのも、体の負担を考えての優しさからだ。
回復薬を体に摂取することで、魔法を起動させる。
敵はアルベルトが回復薬を彼女に飲ませることを想定した上で、計画を立てていた。
アルベルトの性格を熟知している。敵の情報収集力は、アルベルトたちが考えるより長けているようだ。
「アル、明日の試合はどうする」
「あまり得意ではありませんが、土魔法で距離を縮め、接近戦に持ち込みます」
「うん。それがいいね。遠隔戦だと相手の魔術師が優位に立つ。その前に討つことが望ましいね。長期戦に持ち込み、相手の魔力切れを狙うのも戦略的にはありだけど、今日の炎魔法で相手が短期戦を見越し、全力で攻撃してくる可能性もある。アル、気をつけるんだよ」
「はい」
***
手で血を拭いながら、『叔父上の予想が的中したな』と、アルベルトは思う。
序盤から怒涛の魔法攻撃を浴び、土魔法の『土壁』で防御していたアルベルトだが、とうとう対戦相手フランク・ノイラートの風魔法、『狂風』が防御壁を壊した。
アルベルトの頬から、うっすらと血が滲む。
フランク・ノイラート、帝国の属国ヴィンフォルクの代表選手で、予選から準々決勝まで危なげなく勝ち進んできた。
魔属性は風のみ。洗練された風魔法と技量、風魔法のスペシャリストと称していいだろう。
幾度かアルベルトが、接近を試みるも、ノイラートがそれを読み『飛行』で、空へ逃避する。
隙をついた攻撃も交わされ、ノイラートが、闘い慣れていることがわかる。
「アルベルト・フォン・アーベル! なぜ火魔法を使わない」
上空から、ノイラートの怒声が聞こえる。
その声に反応して、アルベルトが顔を上げると、いくつもの『疾風』が舞い降りアルベルトめがけて飛んでくる。
それを剣でいなしながら、次の攻撃へ備えるアルベルトの姿にノイラートは、さらに声を荒げた。
「火魔法を使えと言っている!」
彼は額に筋を浮かべながら、アルベルトを睨みつけた。
ノイラートが、怒るのも仕方がない。対戦相手が得意とする火魔法を出し惜しみしているのだ。
アルベルトが、ノイラートの立場なら、同じく憤慨するだろう。
「そうか、俺との試合は全力を出す気にはならないと」
火魔法を使う気配がないアルベルトに、ノイラートは落胆した様子を見せ、アルベルトを軽蔑する。
本来の実力を出せないアルベルトは、それを否定することができないため、沈黙する。
その後、ノイラートの風魔法をアルベルトが防ぐ、攻防戦が続き、闘いは平行線を辿る。
すでに一時間以上、試合時間が経過していた。
アルベルトもノイラートも、魔力が底をつきはじめ、接近戦に入るも、ノイラートの卓越した戦闘能力が全面にでた。
彼は槍の使い手でもあった。
剣を槍で抑える様子は、覇気迫るものがあり、ノイラートの実力を証していた。
アルベルトは、難敵を前に、思わず笑みがこぼれる。
「なにがおかしい!」
アルベルトの笑みに、ノイラートが反応する。
「家族以外の相手で、本気の剣を交えるとは……なんて楽しいんだ」
アルベルトはそう言うと、全身の力を抜く。
一見無防備に見える構えだが、どこを突いても隙がない。動けば確実に反撃にあうことが予想でき、ノイラートは動けなくなった。
大量の汗が、ノイラートの額から流れる。
それを拭うことも許されない緊迫した状況の中で「化け物め」と、ノイラートが苦し紛れに発した。
何度イメージしても、アルベルトの間合いに入れば、負ける。そのイメージを払拭できないノイラートは、自身の負けを悟るしかない。
しかし、ここで何もせず負けるのは、己の仁義に反する。
ノイラートは、アルベルトへ向け、渾身の一撃で、槍を突いた。
「見事だ」
ノイラートが、地面に倒れた。
「勝者、アルベルト・フォン・アーベル!」
競技場内に、勝者の名前があがる。
満身創痍の姿で立っているアルベルトは、拳を握りしめ勝利を掴んだことを喜んだ。
アルベルトの準決勝が終わった。
手に汗を握る熱戦を制したアル兄さんが、会場の出口付近でふらついた。
目ざとくそれに気づいた俺は、「アル兄さん!」と、声を上げる。
もうそれだけで、俺は居ても立っても居られなくなり、観客席から走りだした。
「ジークベルト様!」
「お主、どこへ行くのじゃ」
「えっ、え、え」
「ガウッ<ハクも>」
三人の戸惑う声をあとに、ハクを連れて選手控室に急ぐ。
アル兄さんが、火魔法を一時的に使えなくなったのを、俺はヴィリー叔父さんから聞いていた。
それは試合直前であったが、叔父が俺に話すタイミングはもっと早くてもよかったはずだ。
ヴィリー叔父さんは、意図して俺に話さなかった。
それは俺が、家族に俺の秘密を隠しているからだ。
きっと俺ならアル兄さんにかけられた魔法を解除できたはずだ。
俺はまた判断を間違えてしまった。
大切な人を失くすことを、後悔をしないと誓ったはずなのに。
「ガゥ?<大丈夫?>」
突然足を止めた俺に、ハクが寄り添うように俺を見上げる。
俺の頬を涙がとめどなく流れる。
感情が揺れ動いて、平常心を保つことができない。
「どうして俺はこんなにも弱いのだろう」
ぐっと口を噛みながら、俺はつぶやく。
すると「そんなことはないよ」と、慣れ親しんだ声が聞こえ、後ろから優しく抱きしめられた。
「ジークは優しすぎるんだよ。でもそれでいいんだよ」
「テオ兄さん」
俺をいつも肯定してくれるテオ兄さん。その包容力が、嬉しい反面、俺を苦しめる。
俺の心の葛藤に気づいたテオ兄さんが、「ジークのタイミングでいいんだよ」と、優しく諭した。
その言葉に、俺は全身の力が抜ける。
あぁ、俺が何かを隠しているのは、家族も気づいているんだ。
今までの家族の態度が腑に落ちて、心の重荷が少し軽くなった。
「ピッー<主、スラきた。もう大丈夫>」
「ガウッ!<ハクも!>」
テオ兄さんの肩の上からスラが降りて、俺の頭の上で存在を主張し、ハクが尻尾を俺の足に絡ませる。
俺が泣き笑いながら、「ふふふ、そうだね。ありがとう」と、テオ兄さんの腕をぎゅっと掴んだ。
「スラは、ユリウス殿下の元を離れて大丈夫なの」
「ピッ<ヴィリバルトがそばにいる>」
「スラが急に騒ぎ出して、大変だったんだよ。叔父様がね、ジークが泣いているかもしれないって言ってね」
「ヴィリー叔父さんが……」
俺は頬がサッと赤くなるのを感じた。
叔父は、俺の思考と行動をよく理解している。
本当に敵わない人である。
「僕もつい本気で、『倍速』を使って追いついたんだ」
「えっ!?」
「まぁ、ほんのわずかな時間だし、ばれてないと思う」
テオ兄さんが、あっけらかんとした様子で、まるで何事もなかったかのように告げる。
競技場内で、魔法を施行するのは御法度で、正当な理由がなければ、相当重い罰が下される。
俺が少年に施した『癒し』のように、わからないように隠蔽しているのだろう。
俺は家族に愛さているなぁと、改めて実感する。彼らの優しさや支えがあるからこそ、今の自分がいるのだと感じた。
テオ兄さんと他愛無い話しをしている間に目的の選手控室に着いた。選手控室を覗くも、アル兄さんの姿はなく、テオ兄さんとともに救護室へ向かう。
「MP回復薬の所持を怠るなんて、アル兄さんにも少なからず動揺があったってことかな」
「テオ兄さんは、いつ知ったのですか」
「昨日の夜だね。アル兄さんが突然土魔法を教えてくれって、懇願されてね。夜遅くまで、土魔法の修練に付き合わされたよ。俺もニコライも」
「そうなんですね」
目に見えて落胆する俺を見て、テオ兄さんは優しい微笑みを浮かべる。
「アル兄さんは、自分の弱いところをジークに見せたくなかったんだよ。アル兄さんの土魔法はね、火魔法と比べて、まったくと言っても過言ではないぐらい駄目でね」
「そうなのですか」
「うん。ジークの方が上手だよ。たった一日でよく様になったものだよ。本当に」
テオ兄さんの言葉を遮るように、突然ハクとスラが声を上げた。
「ピッ!<アルベルト!>」
「ガウッ!<アルベルト!>」
視線を前に向けると、柱の影にアル兄さんの後ろ姿を見つけた。
俺が「アル兄さん!」とたまらず呼びかけると、アル兄さんは驚いたような表情で振り返り、その後嬉しそうに笑顔を見せる。
「ジークにテオも、どうしたんだ」
元気そうな姿のアル兄さんを見て、俺は安堵のあまり全身の力が抜けてしまう。
そんな俺の様子に気づいたテオ兄さんが、そっと俺の肩に手を置いた。
「はじめまして、皆さま」
アル兄さんの後ろから、柔らかくも凛とした声が聞こえた。
そこにいたのは、お忍び姿のユリアーナ殿下だった。
初めてユリアーナ殿下と対面した俺は、いいようもない嫌悪感に襲われた。
ユリアーナ殿下が近づいてくると、それに反応するように、ハクとスラが、ユリアーナ殿下に対して警戒心を強め、身構えるような態度を見せた。
「ガルゥ!<近づくな!>」
「ピッ!<危険!>」
彼女の無意識な『魅了』が、防衛本能を刺激したのだと思う。
ハクたちの反応に、アル兄さんが戸惑った表情で、「どうしたんだ、ハク、スラ」と近づくも、彼らが警戒を解く様子はない。
「嫌われてしまったのかしら」
ユリアーナ殿下は心配そうな表情で、不安げにつぶやく。その声には寂しさと残念さが混じっていた。
「申し訳ありません。人と関わることがあまりなく、初対面で動揺したのだと思います」
テオ兄さんが、ハクたちの行動をフォローした。
しかし、このままハクたちを近くに置くのは危険だと判断したのだろう。「ジーク、そろそろ行かないと次の試合に間に合わないよ」と、俺を急かした。
俺はテオ兄さんの言葉に従い、アル兄さんたちに別れを告げると、足早にその場を去った。
俺たちがアル兄さんたちから離れて、彼らの姿が見えなくなると、ハクとスラは警戒心を解いてリラックスした様子になる。
「魅了に反応したようだね」
「はい。とても気持ち悪い感じがしました」
「ガルゥ<気持ち悪い>」
「ピッ!<嫌!>」
「わかるんだね。ハクもスラも、とても敏感なようだね。これは困ったね」
テオ兄さんが、眉間に皺を寄せて困ったように唸った。
そのすぐそばで俺は、別の唸りを上げる。
【鑑定がレジストされました】
ユリアーナ殿下を鑑定した結果が、これだった。
この事実は、どういう意味を指しているのか。
俺は途方もない迷路に彷徨った感覚に陥る。問題は蓄積されていく一方だ。
アーベル家、エスタニア王国内某拠点に、赤い髪をしたふたりの人物が姿を現した。
ヴィリバルトとテオバルトだ。
彼らの雰囲気は普段の温かさや親しみやすさがなく、鋭い目つきと冷たい態度で周囲を圧倒するような印象を与えた。
影が、ふたりを一室へ案内する。
彼らが部屋に入ると、窓際にあるベッドの上に痩せこけた女性が静かに座っていた。
「気分はどうだい」
「……」
ヴィリバルトが女性に声をかけたが、彼女は無言のまま、何の反応も示さない。
「目覚めてから、この状態のようです」
テオバルトが、影からの情報を伝える。
「精神を完全に壊されているね。生きてはいるが、感情のない人形だね」
女性は、口を半開きにして、まっすぐと一点を見つめている。
しかし、彼女の目の焦点は合っていない。
「新薬の実験台になったようだね。初めから捨て駒だったか、とても残念だよ」
ヴィリバルトは女性に向かって、感情のこもらない冷たい目で見つめ、意味深な言葉を発した。
その言葉に、テオバルトが反応する。
「知り合いですか」
「少しね。アルの善意で体は回復したけど、心が壊れていてはね。存外、残酷なことをしたね」
ヴィリバルトの言葉の端々から、女性に対する嫌悪が感じられる。
テオバルトは、女性がヴィリバルトの逆鱗に触れたのだと想像した。
「叔父様、どうしますか」
テオバルトの問いかけの意味を正しく理解したヴィリバルトは、遠回しに言葉を繋ぎ、思案したかのように答える。
「彼女に話を聞くにもこの状態ではね。記憶を覗いても、肝心な部分は視れないだろうし……。エリーアス殿下に、彼女の処遇を決めてもらおう」
「エリーアス殿下にですか?」
ヴィリバルトの判断に、テオバルトが目を見開き驚いた。
「彼なら、適切な判断をするだろう」
「では、すぐに連絡をとります」
テオバルトは、ヴィリバルトの真意を汲み取る。
エリーアスが導くのに相応しい人物かを、アーベル家に牙を向くものかどうかを、試しているのだ。
「テオ、頼むよ。あと、アルには秘密にね」
「わかっています」
当然とした態度を示したテオバルトに、ヴィリバルトが関心する。
「テオは、覚悟ができたようだね」
それに答えることは、テオバルトはしない。
アルベルトは表を、テオバルトは裏を引き継ぐ。生まれた時より決まっていたことに、不服はない。
アーベル家のために。いまは、ジークベルトのために。
テオバルトは無言のまま、先に部屋をあとにした。
部屋の中で女性とふたりになったヴィリバルトは、深い闇に包まれた瞳で、彼女をじっと見つめ続けた。
その視線は、彼女の心の奥底まで届いているかのようだ。
「ジークベルトなら、きっと君を助けるだろう。残念ながら私は慈悲深くなくてね」
ヴィリバルトの冷たく、無機質な声が部屋中に響き渡り、女性の名前を呼ぶ。
「人の欲は身を滅ぼす。自業自得だよ。ダニエラ・マイヤー。優しい夢の中で、生涯を終えるがいい」
ダニエラが、それに答えることはない。
「エリーアス殿下! テオバルト殿から、至急面会の連絡が入りました」
夕食を終え、就寝の用意を始めていた矢先、侍従のルートヴィヒことルイスが喜色した様子で寝室へ入室してきた。
その内容に表情を変えることなく、エリーアスは「そうか」と答えた。
主人の反応にルイスは、おやと眉を顰める。
エリーアスはお忍び用の服を用意するよう指示し、椅子に腰を掛けたまま目を閉じた。
エリーアスがテオバルトに協力を求めてから、かなりの時間が経過していた。
その間、彼からの接触はもちろん、連絡さえ一切なかった。テオバルトはエリーアスに、何の返事もしなかったのだ。
エリーアスは、『アーベル家に不要と判断され、見限られた』と、思っていた。
しかしここにきて、テオバルトから緊急の要請が届いた。
武道大会の決勝を明日へと控えた夜に、わざわざコンタクトを取ってきた意図をエリーアスは考える。
『本日の試合で、アーベル家の嫡男が、なぜか火魔法を使用しなかったが、そこに起因する何かがあるのだろうか』
『それとも、マティアスの王位継承権を脅かす何かが起きたのか』
『ただ単に私の協力の回答を伝えにきた。いまさら?』
『相手の思惑が見えない。これで立志に協力とは、誰も従わないだろう』
エリーアスは自分の思考力の低さ、情報力のなさに、自嘲気味な笑みが漏れた。
着け慣れた眼鏡が重く感じられ、そっと触れて元の位置に戻した。
『ここでぐたぐた考えても埒が明かない』
ルイスがお忍び用の服を寝室へ運んできたのを確認し、エリーアスは椅子から立ち上がった。
***
夜の闇が深まる中、彼らはテオバルトが指定した場所へと足を運んだ。
辺りは静まり返り、人影はまったく見当たらない。エリーアスとルイスは周囲を見回し、人の気配がないことを確認した。
「ルイス、指定場所に間違いはないんだね」
「あっ、はい。この『魔手紙』が指す方向へとの指示でした」
ルイスが手元の魔手紙をエリーアスへ渡した。
魔手紙を受け取ったエリーアスは、ひと目見てこの魔手紙が、普通の物とは違うことを感じとった。
アーベル家の底知れぬ力を見せつけられたようで、背筋が冷えるほど恐ろしい感覚を覚えた。
そこに突然、大きな魔力の波動を感じ、エリーアスたちは警戒する。
「ルイス、下がれ」
「殿下。私が盾になります」
ルイスの力強い声が、エリーアスに届くと同時に、赤い髪の青年が姿を現した。
その立ち姿に安堵とともに、長いため息が漏れた。
「驚かせてしまい、申し訳ございません」
テオバルトは、彼らが恐怖していたことに気づき、申し訳なさそうに目を伏せて謝罪した。
しかし時間も空けずに、エリーアスに対して申し出る。
「エリーアス殿下、申し訳ございませんが、我々の拠点へ来て頂きたく、目隠しをして頂けませんか」
「テオバルト殿、それは無理なお願いです。エリーアス殿下が護衛もつけず、城外へ出たことだけでも異例なのです。それを目隠しして連れていくなんて、もってのほかです!」
「それを重々承知の上で、お願いしています」
テオバルトはルイスの反論を異にせず、落ち着いた口調で話すと、ただエリーアスだけを見つめた。
その物言わぬ目が、エリーアスを試しているように思えた。
「必要なのですね」
「はい。傷一つ危害は加えないと誓います」
エリーアスの問いかけに、テオバルトは深くうなずいて、彼を安心させるように言葉をかける。
「わかりました」
「エリーアス殿下!」
ルイスの非難めいた声に、エリーアスは優しく微笑み、「ルイス、君はここで待っていなさい」と、指示する。
しかしルイスは、「いいえ、私も一緒に行きます」と、エリーアスの前で、臣下の礼をとった。
ふたりのやりとりを尻目に、テオバルトが「では、こちらを」と、魔道具と思われる布を渡すと、エリーアスが、躊躇なく眼鏡を外した。
暗闇の中でも、その変化に気づいたテオバルトが、胸に手をあて敬意を伝える。
「エリーアス殿下のご覚悟、しかと、テオバルト・フォン・アーベルが受け取りました」
テオバルトが突然敬意を表したことに、ルイスは驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべる。その様子を感じ取ったエリーアスは、優しく微笑みながら「置いていくよ。ルイス」と、声をかけ促した。
慌てて目に布を着けたルイスをテオバルトが確認すると、彼は柔らかな口調で、「それでは行きましょう」と伝えた。
そこからは早かった。
『移動石』を使って、アーベル家の拠点に到着すると、建物の中に入り、少し歩いてから、部屋に入ることができた。
テオバルトが合図を送ると、エリーアスたちは視界を遮る布を取り外した。
彼らの目の前にある窓側のベッドには、痩せた女性が静かに座っていた。
女性の顔に見覚えがないエリーアスは、隣にいるルイスに目配せをする。ルイスは眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと口を開いた。
「だいぶ痩せていますが、ダニエラですね。たしか、新しく加わったディアーナ殿下の護衛騎士のひとりだったと記憶しています」
ルイスの説明に、エリーアスは無言でうなずき、じっとダニエラを見つめる。
彼女は痩せ細っており、その体は細くて折れそうなほど弱々しい。ダニエラの姿は、鍛え上げられた筋肉質の護衛騎士とは程遠いものだった。
「彼女の本来の名は、ダニエラ・マイヤー。父親の不正で取り潰しとなった元男爵家のご令嬢で、現在は母親の正家で身を寄せている商家の娘です」
「なっ、ありえません。平民の娘が、ディアーナ殿下の護衛騎士となるなんて」
エリーアスたちが抱いていた疑問に対して、テオバルトは冷静に事実を語り始めた。話の途中で、ルイスが驚きの声を上げるも、テオバルトはそれには目もくれず、話し続ける。
「ダニエラは、ビーガー侯爵の推薦で護衛騎士となりました。その後すぐ、ディアーナ殿下たちと一緒に行方不明に」
「まさかっ」
「そのまさかです。ディアーナ殿下を襲ったのは彼女です。反乱の首謀者と接点があります」
テオバルトの断言に、エリーアスたちが驚きと衝撃で息をのむ様子が伝わる。
「コアンの下級ダンジョンで身柄を確保することはできず、行方を捜していました。そして一昨日、我が兄アルベルトへ接触し、精霊魔法と闇魔法を兄へ向けて使用しました。兄はその影響で、火魔法を一時的に使用できなくなっています」
「精霊魔法と闇魔法の混合魔法……」
エリーアスは、その話しを聞いて、事の重大さに気づき、体が震えるのをただ抑えることしかできなかった。彼の心は混乱し、恐怖に満ちていた。
なおもテオバルトの話は続く。
「少なくとも今回はダニエラの意思の上で、魔法を行使したのではありません。彼女の体には奴隷紋がありました。回復薬が起爆剤となり、魔法が解除されたと聞いています。これは仮定ですが、彼女の体を媒体に魔法が施されており、回復薬を体に摂取することで、精霊魔法と闇魔法を解除する仕組みだったのでしょう。後で詮索をされないよう、術後に彼女の体から奴隷紋が消えたのだと考えています」
エスタニア王国では、奴隷は合法だ。
ただし、奴隷紋を付けている奴隷は数が少ない。これは、奴隷紋が貴重な呪術師でしか付けられないからである。
奴隷紋の取り外しを容易にできる呪術師が、エスタニア王国内にいるなど、エリーアスは、聞いたことがない。
奴隷紋は、相手に隷属を強いることができる手段であり、所有権を主張できるものである。
元々奴隷ではないダニエラへ奴隷紋を施し、道具として使用し、詮索されないために、意図的に奴隷紋を消した。
ダニエラの背景には力のある首謀者がいて、彼女を不要と判断し切り捨てたことが、テオバルトの説明でわかった。
だとすれば、彼らがエリーアスに求めているのは、王族としての処断だ。
「アーベル家はダニエラの処遇の判断を私に一任するのですね」
「はい」
エリーアスの答えに、テオバルトは神妙な面持ちで静かにうなずく。
「ダニエラへの罰は、生きることですね」
「エリーアス殿下!」
テオバルトの話が事実だとすれば、ダニエラの行為は極刑が適切な判断である。それにも関わらず、エリーアスの判断は存命。
ルイスは、エリーアスの処断に対して異議を唱えるよう、批判的な声を上げ、主人の考えが変わることを願った。
「処刑することは簡単だ。すでに彼女は意思がないのはあきらか。私たちの会話に顔色一つ変えず、呆然と前を見ている。精神に何らかの負荷が加わっているのだろう。幽閉して生涯を終わらせるのが、常人であったダニエラへの罰となる」
「素晴らしい洞察力ですね。現在の彼女は、帝国で開発された新薬の実験台の結果、精神を壊されています」
パチパチと拍手を送りながら、テオバルトに似た赤い髪の端正な顔の男が、室内に入室してきた。
彼は優雅に歩みながらも、その表情はどこか冷たく、人を圧倒する覇気をまとっていた。まるで王者のような風格があった。
「赤の魔術師」
「初めてお目にかかります。エリーアス殿下」
「貴方がたは、私の味方となってくれますか」
突然のエリーアスの質問に、ヴィリバルトを取り巻く空気が少し和らいだ。しかし、彼はそれに答えることなく、自分の要件を伝える。
「きな臭い動きが、城内であります」
「トビアスがとうとう動きましたか」
「えぇ、残念ながら、国王の寝室は闇と化しました。エスタニア国王は、もって数日でしょう」
エリーアスは、淡々とした表情で、自分に与えられた情報を受け入れた。
その落ち着いた態度を見て、ヴィリバルトは「覚悟をしていた様子だ」とほのめかした。
「一週間前に、陛下の寝室で動きがあり、状況を見守っていました。今朝、急変との報告が入りました。いずれそうなるだろうと予測していました」
「なるほど。その病も、元から計画されていたものだったとしたら、貴方はどうしますか」
ヴィリバルトの衝撃的な発言に、エリーアスは動揺する。
彼はその先の真実を知り、その恐ろしさと悲しみに心が覆われる。自分の体が小刻みに震える中、彼はただ立ち尽くしていた。
しばらしくて、エリーアスは目を閉じて深呼吸し、自分自身を落ち着かせると、決意を固めた。
エスタニア王国、王太子の執務室。
そこには、王太子であるマティアスが、苛立った様子で、側近を問い詰めていた。
「どうして、私に報告がない」
「トビアス殿下から、武道大会開催中はいらぬ心配はさせないようにと、伝達が回っておりました」
側近の言い訳に、マティアスが怒りに任せて、『バンッ』という大きな音を立てて机を強く叩く。
「だからといって、陛下の容体が急変したとの報告がないとは、言い訳にもならない。私はこの国の王太子だぞ。療養中の陛下に代わり、国を治める者だ」
「申し訳ございません」
側近が頭を下げて謝罪する姿を見て、マティアスの胸が痛む。
自分が成人していないから、他の勢力に侮れるのだと理解していた。バルシュミーデ伯爵が反乱の責をとらされたのも、自分に力がないからだと責めていた。
成人まで、あと三年。短いようで長い。
マティアスは、内乱が避けられないと考え、そのための準備を密かに進めていた。
しかし、彼は国王の病気がこんなにも早く進行するとは予想していなかった。彼は自分の考えが甘かったことに気づき、唇を噛む。
「もういい。すぐに陛下と面会する」
「なりません。陛下の寝室は、何人も寄せ付けられません」
「何を言っているのだ」
マティアスは側近の言葉を聞いて、その内容が信じられず目を疑った。
国王の急変ではなく、国王の寝室で何かが起きたのだと、マティアスは瞬時に理解した。
マティアスは執務室の椅子から立ち上がり、足早に部屋を出ようとした。しかし、彼の側近たちは彼を引き留め、「殿下、行ってはなりません」と言った。
彼らの必死な形相に、ただ事ではない何かが起きたとわかる。
それでもマティアスは、王太子として国王の寝室に行き、その目で状況を見極めなければならない。
「道を空けろ。これは命令だ」
マティアスの威厳に満ちた声が部屋に響き渡る。
彼の姿勢は堂々としており、側近たちはそれに従うように、道を空けた。
「殿下、これ以上は近づいてはなりません」
国王の寝室を守る近衛騎士が、強い口調で静止を促した。
マティアスの前には、闇に包まれた国王の寝室があった。暗闇が視界を妨げ、中の様子を見ることもできない。
「これはいったい、どういうことだ」
マティアスの困惑に対して、現場を見分していた宮廷魔術師が説明する。
「陛下の寝室を中心に、全方位で闇魔法の『漆黒』が使用されています」
「『暗闇』の上位か。解くにはどれぐらい時間を要する」
「わかりません。現在、闇魔術師をくまなく捜している状況ですが、『漆黒』は闇魔術師でも、使用できるものが限られております」
宮廷魔術師の説明を聞いて、マティアスは、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ここで彼を問い詰めたところで、事は変わりない。そう自分に言い聞かせて、マティアスは心を落ち着かせる。
「陛下の容体が急変してから、どれぐらいの時間が経った」
「一週間前に侍従が陛下の異変に気づき、聖魔術師が寝所を訪ねたとあります。その後治療を続け、今朝、急変したとの記録です」
側近が記録を見ながら、マティアスに答える。
「それに立ち会った者は」
マティアスの問いかけに、側近は一瞬目を逸らし、少しのためらいの後に口を開くと、「トビアス殿下です」と静かに答えた。
「そうか、兄上が立ち会ったか……」
そう言ったきり、マティアスは沈黙した。
彼の表情からは、明らかに動揺していることが伺えた。その様子を見て、側近が彼の気持ちを察して、優しく声をかけた。
「殿下、そろそろ戻りましょう。明日の武道大会の決勝に影響がでます」
「決勝は、延期する」
「それはなりません」
「なぜだ。主催国の国王の命の期限が迫ってる状況だ。各国はそれを受け入れるだろう」
側近は首を横に振り、真剣な表情で、「主催国である我々が、強行日程を提案し、各国に通達したのです」と、同意を求めるようにマティアスへ話し始める。
「多くの国が、この強行に対して我が国へ不信を募らせています。ここで延期となれば、さらに印象を悪くし、我が国の信用は地に落ちます。強いては、殿下の王太子としての地位が危ぶまれます」
側近の言葉に、マティアスは苦虫を嚙み潰したような表情をする。
彼は深く考え込み、やがて口を開いた。「では、どうすればいいのだ?」と不安気な声で問いかけるが、誰もそれに答えることはない。
彼の側近たちは、ばつが悪そうな様子でマティアスを見つめていた。その様子に耐えかねたマティアスは、声を荒げて叫んだ。
「兄上はすべてを知った上で、武道大会の日程を強く勧めたのだな。これは兄上のさく」
「殿下! これ以上の言動はお控えください。証拠がございません」
側近たちは慌てて、マティアスの言葉を遮った。彼らは必死な様子で、マティアスの怒りを鎮めようとする。
「証拠だと、現にいま目の前で、父上が……」
マティアスは肩を落とし、静かな口調でうな垂れる。
彼の十三歳の嘆きに、周囲の者たちはかける言葉が見つからず、ただ黙って立ち尽くしていた。
そこへ、エリーアスが颯爽と現れた。彼の変わりように周囲の人々が息をのむ。
エリーアスは従者しか連れておらず、その姿勢は決意に満ち溢れている。彼の目には強い意志が宿っており、その存在感は圧倒的だった。
「マティアス、君は武道大会へ行きなさい」
「エリーアス兄上。しかし……」
「もう手遅れだ。陛下の衰弱具合を考えれば、もって数日だろう」
エリーアスは、淡々とした表情で、陛下の衰弱具合が深刻であることを語る。
彼の声は静かで落ち着いており、彼が話す内容は事実に基づいていることがマティアスに伝わった。
マティアスは深い悲しみと絶望の中で、表情を歪める。その様子に気づいたエリーアスが、マティアスの肩をぐっと引き寄せ、優しく抱きしめた。
そして彼の耳元で、「ここは私が必ず守る。安心して武道大会へ行きなさい」と、諭した。
敵対勢力だと認識していたエリーアスの行動に、困惑するマティアスだが、彼の胸の中はおのずと安心ができた。
これまで、エリーアスとの接点はほとんどない。彼が無関心を貫いていたため、マティアスは彼に近づこうとはしなかったからだ。
しかし、今ならエリーアスを信頼することができる。マティアスは彼の腕の中でうなずいた。
それを確認したエリーアスは抱きしめていた腕の力を緩め、覚悟を決めた表情でマティアスを見る。
「すべてを終えたあと、必ず戻ってきなさい」
「はい。エリーアス兄上」
エリーアスの力強い言葉を受け、マティアスは泣きそうな顔を引き締めて答えた。
その表情を見て、エリーアスが優しく助言する。
「マティアス、笑うんだ。平然と笑って勝者の健闘を称えておいで」
「はい。エリーアス兄上」
マティアスの不自然な笑顔は、エリーアスの心を強く痛めた。
だけれど、それでいいのだと、エリーアスは思う。
王族として、国家の主として、これ以上他国に醜態を見せることはできない。これが、未来のエスタニア王国のためになると確信していた。
そしてエリーアスは誓う。
兄と敵対することを受け入れたうえで、弟を必ず守ると。
時はエリーアスが、アーベル家の拠点に入る前に遡る──。
「私が知りえたダニエラ・マイヤーの情報は以上だよ。影からの情報と違いはあるかな」
「違いと言えばいいのか。影の情報は、主に常人だった時の彼女の性格と行動が多いのですが……」
ヴィリバルトとテオバルトは、互いの情報を共有していた。
テオバルトは報告を続けながら、困惑した顔を浮かべ、その目には疑問や混乱が見える。
「情報では、いささか思い込みが激しい女性であったようです。自分は貴族だと周囲に伝えていたようですね。母親をはじめとした商家の者が、何度も注意をしたようですが、幼少期の経験が記憶に残り、そのまま今に至ったようです」
「へぇ、面白いね」
その情報は、ヴィリバルトの興味を湧かせたようで、彼の赤い目が輝いた。
その様子を横目で確認したテオバルトは、『また叔父様の悪い癖がでている』と、呆気にとられる。
「最近は、孤児院での慈善活動にも力を入れるようになり、安心したようですが、その動機が、将来の妃になるためで、『白馬の王子様が迎えに来る』と言っていたそうです」
「はははっ。その白馬の王子様は、マティアス殿下なんて……そうなのかい?」
ヴィリバルトは笑いながら冗談めかした様子で発言するも、テオバルトの微妙な表情を見て、驚き目を見開いた。
「王太子のお披露目の馬車を見ていた彼女が、『やっと出会えた。私の王子様』と口にしたと、複数の使用人から証言をえています」
テオバルトが、真面目な顔でその事実を告げた。
何とも言えない空気がふたりに漂う中、ヴィリバルトが話題を変える。
「ディアーナ様を襲った理由に結びつかないね。妹になる人だよ。んー。ビーガー侯爵との接点は?」
「ありません。しかし、彼女が慈善活動をしていた孤児院が、トビアス殿下の命令で潰されています。その時に接点を持った可能性はあります」
「それはちょっと、結びつけには苦しいね。彼らは特権階級の意識が高い。平民の彼女が近づくのも嫌がるはずだよ」
ヴィリバルトの意見に賛同するように、テオバルトが大きくうなずく。
「何か見落としがないかもう一度、洗ってみます。しかし、彼女は有能ではあったようです。短期間で護衛騎士としての能力を身につけています」
「そこだよね。自分が妃になると自覚があったのなら、彼女が指示を受け入れる立場、彼女が口走ったあの方は、かなりの身分の者となる。王族、もしくはそれに準ずる者だ」
「裏魔道具の件も含めると、そうなりますね……。叔父様、何かありましたか?」
突然、ヴィリバルトは怪訝な表情を浮かべる。
しかし、その直後に彼の口角が上がり、笑みがこぼれたことに気づいたテオバルトが声をかける。
「これは、想像を超えてきたね。エスタニア国王の寝室で、強力な闇魔法が使用されたようだ」
「謀反ですか」
その異常な状況に、テオバルトの顔は険しく引き締まり、厳しい表情に変わる。
その一方で、ヴィリバルトは落ち着いた態度で、余裕を見せながら、それを否定した。
「いや、ちがうだろうね。エスタニア国王は、まだ生きている。このまま処置しなければ、もって数日だね」
テオバルトは、ヴィリバルトに向かって「どうしますか」と問いかけ、彼の判断を仰いだ。
「我々が関与しても、遅かれ早かれ、国王は死す。エリーアス殿下には連絡を入れたのだろう」
「はい。特製の『魔手紙』で、至急の連絡を入れています」
「なら、彼らが来てから動いても遅くはないね。テオ、国王の話しを詰めよう」
ヴィリバルトの判断にテオバルトは従い、国王の情報を話しはじめる。
「国王の容体が悪化し、表舞台から姿を消したのは約半年前です。持病があったわけではなく、突然体調を崩したそうです」
「帝国の接触時期を考えても、仕組まれたと考えるべきだね。王族に効く毒でも手に入れたのだろう。まあ、身内の犯行だろうね」
ヴィリバルトは、何もなかったように平然とした表情でそう述べた。テオバルトはそれに対して答えることなく、話しを続ける。
「国王の状態から盛られた毒は、徐々に体を衰弱させ強い痛みを伴う毒と考えられます。王族に効く毒であれば、よほどの聖魔術師でしか癒すことはできません。私怨と考えるにしても、相当な恨みを持っているように思えます」
「そうだろうね。エスタニア王国は、何より国王の権限が強い国だ。不平不満を持っている臣下は多いだろう」
ヴィリバルトの言葉に同意するようにテオバルトは一度うなずくと、影からの情報を伝えた。
「国王と王妃たちの関係を調べました。まず、シャルロッテ王妃は、デビュタントの日に王に見初められ、求婚されています。ブルーム公爵が、その場で断りましたが、国王の執着は相当なものだったようです。ブルーム公爵家を巻き込んだ大騒動となり、領民にまで被害が及んだことを知った王妃が、渋々嫁いだとの話しです。当時の正妃には相思相愛の婚約者がおり、その者は王家により粛清されています。王妃は、自分と同い年の娘の母親となり、親と同年代の男に嫁ぐことに抵抗もあったことでしょう」
「まあひどい話しだね」
「はい。調べれば調べるほど、国王の非道で残虐な行為がでてきます」
そう言って、テオバルトが眉を顰める。
国民を蔑ろにし虐げ犠牲にして栄えた国。権力者が力を持つことの典型的な問題が、国王の動きからわかる。
「次に、エレオノーラ側妃は、国王に望まれて正妃となりましたが、子供が中々授からず、苦労したようです。婚姻して四年後に待望の第一子ルリアーナ王女のちのベンケン夫人を産み、その七年後に、ユリアーナ王女を産んでいます。二人目も王女だったため、王はアグネス側妃を娶りました。若く美しい側妃を王が寵愛したことに、彼女は怒り、まだ十代の側妃に対して、彼女は様々な権力を使い、陰湿な嫌がらせをしたようです。結果、一年先にトビアス殿下が生まれています。ただこの時期、彼女には不名誉な噂が流れています。ビーガー侯爵と恋仲ではないかとの噂です」
「どろどろの展開だね」
呆れた口調のヴィリバルトに対して、テオバルトは苦笑いを浮かべる。
「続けますね。トビアス殿下が王太子になり、彼女の地位は安泰でした。しかし、国王がシャルロッテ王妃を見初めた。彼女は国王から側妃になるか、離縁するかの選択を迫られました。彼女は屈辱だったと思います。上の娘と同じ年の令嬢に、王妃の座を奪われたのですからね。その後すぐに王妃は懐妊。マティアス殿下が生まれ、トビアス殿下は王太子から外されました。彼女は、国王よりも、王妃への恨みが強いと思われます」
「王妃は、災難としか言えないね」
テオバルトは静かに頷いた。影の情報によれば、王妃は何度も危険な目に遭い、命を狙われていることが明らかだった。
彼女は常に危険にさらされており、その命が脅かされていることが確実であった。
「アグネス側妃は、伯爵家の援助と引き換えに国のために嫁ぎました。待望の世継ぎをとの周囲の期待は相当なものだったようです。エレオノーラ側妃の度重なる妨害に心労した末、エリーアス殿下を産みました。その後は、エレオノーラ側妃を刺激しないよう、エリーアス殿下と慎ましく静かに王宮で暮らしていたようです。他に突出した話はありませんね」
テオバルトが報告を終えると、ヴィリバルトはゆっくりと目を閉じ、深く考え込んだ。彼は腕を組み、静かに座っていたが、心の中では様々な思考が渦巻いているようだ。
ふとテオバルトは、先ほど手紙を送ったエリーアスを思い浮かべた。
「エリーアス殿下も同じならどうしますか」
「そうなれば、捨て置きたいよね。まぁ、できないけどね」
その質問に、ヴィリバルトは嘲笑を浮かべながら冷たく言葉を吐き捨てる。
「手っ取り早いのは、本来の継承権一位のディアーナ様が女王となり、王配には適任の人材をあて、我々は手を引く。冗談だよ、冗談。テオ、顔が怖い怖い」
ヴィリバルトの発言にテオバルトが厳しい表情で「叔父様の冗談は、冗談に聞こえません」と、答える。
「しかしねぇ、この国の闇は深いね。潰れればいいのにさ」
「それでは無関係な国民が傷つきます。王家や貴族が国の領土を守り民が支える。その図式が壊れれば、多くの人々が路頭に迷うことになります」
テオバルトの反論に、ヴィリバルトは「いっそう、我々が取り込むかい」と含みを持った笑顔で伝えた。
「それはいい考えかもしれません。アーベル家がこの国の領土を守ることはできます」
「それこそ冗談だよ。真剣に考えないでよテオ。私は仕事がこれ以上増えるのは嫌だよ。それに勝手に領土を増やしたら、兄さんに怒られる」
ヴィリバルトは、自分が冗談で言った言葉に対して、テオバルトが真剣に反応したことに驚き、慌てた様子で否定した。
「父様は、おそらく渋々ながらもその提案を受け入れてくださるでしょう」
「テオは、わかってないな。一番怖いのは兄さんだよ」
ヴィリバルトの意外な発言に、テオバルトは驚いた表情を浮かべる。
ヴィリバルトはその反応を見て、笑顔で「あっ、そうだ。これ」と言って、『収納』から手紙を取り出し、テオバルトに手渡した。
テオバルトはアーベル家の印がついた手紙を受け取り、「これは、父様からの私信……」と言いながら、手紙を開き読み始める。
手紙を読み終えたテオバルトは、こめかみをピクピク動かしながら、「いつですか」とヴィリバルトに尋ねると、「影の許可をもらいに行った時かな」と答えた。
「叔父様、何度注意すればいいのですか! 情報連携は迅速にと何度も言っているじゃないですか!」
テオバルトは怒りに震える声で叫んだ。それに対して、ヴィリバルトは苦笑いしながら答える。
「まぁね、私も反省しているよ。ただ今回は、極秘任務の取りやめの連絡なんだから多めにみてよね」
「いったい何日経っていると思っているのですか」
テオバルトが問い詰めると、ヴィリバルトは深くうなずいた。
「はぁ、影に撤退を指示してきます」と言って、テオバルトは部屋を出た。
彼の背中からは怒りと諦めが伝わってきた。
夜明け前、伯爵家の豪華な客室のベッドの上で、寝間着姿のままの俺とヴィリー叔父さんは対面していた。
叔父の突然の訪問に、俺は驚きと不安で胸が高鳴った。一緒に寝ていたハクは驚いて慌ててベッドから飛び降りたが、叔父だとわかると静かに横になり、再び眠りについた。
俺も安堵したが、同時に何故こんな時間に叔父が訪れたのか不安になり、色々な考えが頭をよぎった。
「ジークにお願いがあるんだよ」
「何でしょうか?」
不安そうな俺を察してか、ヴィリー叔父さんは優しく微笑みながら言う。
叔父の目には心配と期待が混ざっていた。
「闇魔法の『漆黒』を打ち消す、『光輝』をこのガラス石に入れてほしいんだ」
叔父の手元には、高ランクのガラス石があった。それは一目でわかるほどだった。
しかし、俺はそれを横目で見つめながら、悩ましげに眉を下げた。俺があまりいい反応を示さないのを見て、叔父は言葉を続ける。
「私は属性を所持していないから、使用できないんだよ」
叔父の言葉に、「いつまでにですか?」と俺が尋ねると、叔父は「至急かな」と答え、すがるような目で俺を見つめた。その態度から、緊急を要する事態が生じていることが明らかだった。
叔父が所望する『光輝』は、光魔法の中でも最上級の魔法であり、聖魔法でも使用可能なものだ。
しかし、現時点では俺にはそれを使用する能力がなかった。
「光魔法や聖魔法は、修練をあまり積んでいません。それに『光輝』の使用経験もありません。『光輝』を使用できたとしても、ガラス石に魔法を上手く入れるかどうか不安です。数日の時間があれば対応できると思いますが」
俺の回答に対して、ヴィリー叔父さんはとても困った顔をして腕を組んだ。
それは、数日も時間がないということを意味していた。
「うーん。ガラス石に魔法を入れる補助はできると思うけど、魔法はさすがにね」
「一日、時間をください」
俺の申し出に、ヴィリー叔父さんは目を見張ると微笑みながら、「わかった。頼んだよ」と言い、俺の頭を優しくなでた。
俺はその期待に応えるように、「はい」と返事をした。
叔父が『移動魔法』で部屋から消えたのを確認して、俺はヘルプ機能を呼んだ。
「ヘルプ機能、補助を頼んだよ」
《はい。ご主人様。準備はできております。駄犬をここへ呼び出しました》
シルビアを連れて行くのかと、意外な人選に俺が内心驚いていると、ヘルプ機能から補足が入った。
《癪ですが、駄犬は光と聖の属性を所持しており、枷がなければ、相当な使い手です。駄犬に魔法の修練を監督させ、アドバイスを受ければ比較的早く、魔法を習得できると思われます》
俺が「そうなんだね」と、相槌を打ちながらベッドを降りて身支度を始める。
《あまり褒めたくはありませんが、駄犬はあれでも神獣であり、魔術や戦闘には長けているのです》
「なるほど」
《ご主人様の魔法の習得が難しい場合、駄犬に魔力を貸し出し、ご主人様の代わりに『光輝』を使用させ、ガラス石に込めれば良いかと思います。ただ、相当な負担が、ご主人様に加わりますので、これは最後の手段と考えてください》
「了解。最終手段でも、気持ちが楽になったよ」
ヘルプ機能の説明を聞いて、俺は少しだけ肩の荷が下りた。
正直なところ、ヴィリー叔父さんに『一日、時間をください』との申し出はしたが、一日でそれらを習得する自信はなかった。
けれど、叔父の俺への期待を裏切ることはできなかったのだ。
<ジークベルト。お出かけ?>
ベッドで寝ていたハクが、まだ眠そうに瞼を開けたり閉じたりしながら、俺の方に向き直り、尋ねた。
ハクの声はまだ眠気に満ちていて、言葉がぼんやりとしていた。
「うん。光魔法と聖魔法の修練をしにね」
<わかった。ハクも行く>
「お留守番していてもいいんだよ」
<ハクは、ジークベルトと一緒>
そう言って、ベッドから降りたハクは体を大きく振り、眠気を振り払う。
そこへシルビアが眠そうに目をこすりながら、少し掠れた小さな声で「呼んだかえ」と言いながら、ゆっくりと部屋に入ってきた。
シルビアの銀の髪は乱れており、急いで来たのがわかった。
ヘルプ機能から大まかな説明を受けたシルビアは、徐々に眠気を振り払い、普段の調子に戻っていた。
「むぅ。決勝戦は見れないのぉ」
「ごめんね。シルビア」
「仕方ないのじゃ。お主こそ兄の雄姿を見れんでよいのかえ」
「うん。決勝戦の相手は、準決勝のフランク・ノイラートより、総合力も落ちるし、実戦や技術から考えても、今のアル兄さんが余裕で勝つよ」
俺の言葉に対して、シルビアは『お主、『鑑定眼』を使ったな』と鋭く突っ込んだ。
俺は苦笑いしながら、「準決勝の試合中にちょっとね。相手の背景が気になったんだよ」と答えた。
シルビアは案外聡く、俺の態度から「的は外れたのかえ」と遠慮がちに言う。
それに対して、俺は再び苦笑いを浮かべた。
「むぅ。じゃっとすると、アルベルトの準決勝が、実質的に決勝戦だったことになるえ」
「そうなるね」
《ご主人様。お話を遮って申し訳ありませんが、時間がありません。すぐに指定した場所へ転移してください》
「あぁ、ごめんね。ヘルプ機能。じゃ、ふたりとも行くよ」
伯爵家の客室から、二人と一匹の姿が消えた。
『閃光』
辺り一面に、強い光がきらめく。
「お主、なかなか筋が良いのじゃ。この調子で『光輝』もすぐに取得じゃ」
「少し休憩」
<目がチカチカする>
「ハク、大丈夫かい? 『聖水』」
「お主、そこは『癒し』を使わんかえ。光や聖の熟練度が上がらんのじゃ」
「あっ、そうだった」
アン・フェンガーの迷宮に籠って、数時間経っている。
シルビアは俺の魔法を指導して、ハクは、近づいてくる魔物の討伐をお願いしている。
「間に合うかな」
「弱気じゃな。ヴィリバルトに一日時間を貰ったのじゃろ」
俺が不安そうにつぶやくと、シルビアはすぐに反応して、励ましてくれる。
「うん。そうなんだけどね」
「なら、まだ昼にもなっておらん。このまま修練を積めば『光輝』は使えるのじゃ。まぁ安定はせん。けど、及第点じゃ」
シルビアの言葉に、俺は「うん」とうなずいて返事をした。俺の煮え切らない態度を見て、シルビアは「何が引っ掛かるのかえ」と心配そうに尋ねてくる。
俺は考え込みながら、「アル兄さんに使用された精霊魔法だよ」と答えた。シルビアは首を傾げて、「それのう」と納得した様子で言った。
シルビアの反応から、この話をもう少し広げてみることにする。もしかしたら、何か新しい発見があるかもしれない。
「精霊が関与しているよね」
「そうじゃな。おそらく上位の精霊が関与しておる」
「なんで、上位の精霊ってわかるの?」
シルビアは俺が尋ねた疑問に対して、少し難しい顔をしながら口を開いた。
「むぅ。お主は、精霊の種族が六つあるのは知ってるかえ」
「うん。火・水・風・土・闇・光、だよね」
「そうじゃ。その中でも上位と呼ばれる精霊たちがおる。その者たちには特性があり、魔法を付与できるのじゃ。『精霊の加護』というものじゃ」
俺はその説明に対して、「精霊の加護」とつぶやきながら、胸元のリボンに手を伸ばした。それを見てシルビアは大きくうなずく。
「そうじゃ、このリボンにかけられた『結界』も、水精霊の特性じゃ」
「魔道具みたいなものだよね」
「まぁ、にてはおるが、精霊の加護は物だけではなく人にもできる」
「魔契約とは違うの?」
「うむ。精霊と魔契約すれば、精霊魔法が使えるようになる。その力は契約精霊とその者の資質により変化するのじゃ。しかし、精霊の加護はそれに依存せず、精霊本来の力が付与されるのじゃ」
俺は「なるほど」と、相槌を打つ。
「とはいえ、精霊の加護は、特性魔法に縛られるがのう」
「どういう意味?」
「簡単に言えば、その精霊の一番得意な魔法を一つだけ加護できるのじゃ」
「ねぇ、それって」
俺の言葉を理解したシルビアは、うなずきながら言った。
「うむ。『魅了』が光精霊の加護ではないかと妾は思うとる」
「ユリアーナ殿下が、光精霊と契約している可能性があるってことだよね」
「うむ。おそらくヴィリバルトは、その線を洗っておったんじゃないかえ」
「だとしたら、ヴィリー叔父さんから何らかの連絡は入るはず……。だけど、ヴィリー叔父さんは隷属を疑っていた」
俺が険しい表情で言葉を選んでいると、シルビアは身を乗り出して話し始めた。彼女の声は力強く、言葉は明確だった。
「そこなのじゃ。ヴィリバルトは疑ってはおるが、確証がないゆえ、断言はできない。しかし、ユリアーナが光精霊と契約しておるのなら、お主の『鑑定』をレジストできたのも、納得ができるのじゃ」
「だけど、ヘルプ機能の調査では……」
《ご主人様、私の機能は半減されております。駄犬の言う可能性は大いにあります》
「駄犬と呼ぶなっ!」
シルビアとヘルプ機能の激しい言い争いが始まった。
俺はそれを横目に見ながら、シルビアとの会話の内容と過去の出来事を思い出し、深く考え込む。
エスタニア国王の寝室で、『漆黒』が使用され、『光輝』が必要となった。この事件の主犯は、武道大会爆破計画を阻止されたトビアス一派の犯行で間違いないようだ。
状況的にザムカイトから提供された魔道具を使用した可能性が高い。
だけど、ザムカイトが行方をくらました後、アル兄さんが襲われている。敵側には、ザムカイト以外の腕利きの闇魔術師がいることが確定しており、今後の対策が必要だ。
また、ガラス石に『光輝』を入れる理由は、俺自身の能力を世間から隠すことと、他国の人間が安易に国王の寝室に侵入することを防ぐためだ。
おそらく後者が本来の理由であり、ヴィリー叔父さんの周辺に王家の関係者がいる。その関係者がユリアーナ殿下だと俺は考えていたが、シルビアから聞いた話しでは、叔父はユリアーナ殿下を警戒している。
そもそも王位継承権を巡る争いが激化し、一連の事件が発生している。王族の中に首謀者がいる。
わからないのが、なぜ今なのかだ。国の威信をかけた武道大会で、各国の代表がいる中でなぜ行動に移さなければならないのか。
誰だ。誰がこの状況で優位に立つ。
<大丈夫?>
ハクの呼びかけで、俺は我に返った。
ハクが不安そうに俺を見つめていたので、俺はハクの頭をなでて「大丈夫だよ」と微笑みながら安心させた。
そうだ。俺が焦っても仕方がないことなのだ。
今は俺ができることを着実にこなすだけ。『光輝』をものにして、ガラス石に入れることに集中しなければ。
俺は立ち上がると静かに瞑想し、魔力循環を高める。必ず『光輝』を取得する。固い決意がそこにあった。
美しく輝く光が、国王の寝室に降り注ぎ、周囲の者たちは息をのんだ。
まるで幻想的な輝きに包まれたかのようだった。
エリーアスの手元には、その役目を終えたガラス石が残されていた。
「近づくな」
光が収まると同時に、国王の寝室に近づく近衛騎士たちを、エリーアスは厳格な声で呼び止めた
「私が、国王の容体を確認する。何人たりとも寝室に入ることは許さん」
「しかし、エリーアス殿下の御身に何かあれば」
エリーアスは臣下の声を遮るように、威信に満ちた声で言った。
「心配することはない。私が国王の容体を確認し、必要な措置を講じる。私とルイスには、精霊の加護が付いたこのリボンがある」
エリーアスが胸元の金色のリボンを指すと、国王の寝室前で待機していた臣下たちから、「なんと!」と言った感嘆の声が上がった。
精霊の加護は非常に稀なものであり、それを所有することは非常に特別なことである。
エリーアスとルイスがそのような加護を受けていることは、彼らが非常に強い力を持っていることを示していた。
「マティアスは、競技場に入ったか」
「はい。つつがなく」
宰相である男性が冷静な声で、周囲の騒々しい状況をよそにエリーアスの問いかけに答えた。
「トビアス兄上も競技場か」
「はい。トビアス殿下は、ユリアーナ殿下を伴って会場入りしております」
「そうか。宰相、あとは頼んだ」
エリーアスの言葉に、宰相は静かに頭を下げ、深々と臣下の礼をとりました。そして、彼は威厳を持ってエリーアスの前に道を開けた。
エリーアスはそれを横目に見ながら、「ルイス行くよ」と、従者のルイスに声をかけた。彼の背後をルイスが続き、ふたりは国王の寝室へ足を踏み入れた。
国王の寝室は静寂に包まれ、重厚な雰囲気が漂っていた。壁には高価な絵画が飾られ、床には柔らかい絨毯が敷かれており、その雰囲気にそぐわない禍々しい魔道具が、ベッドの横の棚に置かれていた。その魔道具は黒く光る石でできており、古い呪文のような文字が刻まれていた。
「エリーアス殿下」
「ルイス、危険だからさわってはいけないよ。ヴィリバルト殿の話によると、一時的に止まっているだけだそうだ。持ち出すには、この白い布をかけて、布が黒くなるのを待つしかない」
無防備に魔道具に近づこうとするルイスに、エリーアスが強く言い聞かせるように注意した。それに対して、ルイスは「はい」と神妙な顔で返事をする。
エリーアスは白い布を慎重に魔道具にかけ、ほっとして息を吐いた。彼の顔から緊張が解け、安堵の表情が浮かんだ。ルイスからも安堵のため息が漏れていた。彼もまた、エリーアスと同様に緊張が解けた様子だった。
「父上、エリーアスが参りました」
エリーアスは、寝台の上で皮と骨だけの痛ましい姿となり、苦しみに顔を歪める国王に声をかけた。
彼の声には、少しの同情と軽蔑が込められており、国王への憐れみと嫌悪が混じり合っていた。国王は、その声に反応することもなく、ただ苦しみ続けていた。
すると、突然、国王の体から細く白い光が現れた。その光はエリーアスを貫ぬき弾けるように消えた。
「エリーアス殿下!」
ルイスがエリーアスに駆け寄ると、彼は絶望に顔を染め、驚きと恐怖で身を震わせると膝をついた。
そして寝台の上にいる国王に向けて、軽蔑の視線を向ける。彼の口からは、冷たく鋭い声が漏れた。
「何ということだ。これが『王家の真実』だと」
肩を振るわせ怒りを抑えるエリーアスの姿を前にルイスは声をかけることができない。彼はただ、エリーアスの横で立ち尽くし、彼の苦しみを見守っていた。すると、エリーアスは突然立ち上がり、寝台の上にいる国王に向かって歩み寄った。彼の口からは、激しい怒りがこみ上げるような声が漏れた。
「父上、あなたの勝手な判断により、エスタニア王国は、白狼の加護を失うでしょう」
国王は、その言葉に反応することもなく、ただ苦しみ続けていた。
エリーアスは、拳を強く握り、怒りを抑えることができずにいた。彼の目からは、憤りの涙がこぼれ落ちる。
ルイスは、彼の背後で深く臣下の礼をとった。