「エリーアス殿下! テオバルト殿から、至急面会の連絡が入りました」

 夕食を終え、就寝の用意を始めていた矢先、侍従のルートヴィヒことルイスが喜色した様子で寝室へ入室してきた。
 その内容に表情を変えることなく、エリーアスは「そうか」と答えた。
 主人の反応にルイスは、おやと眉を顰める。
 エリーアスはお忍び用の服を用意するよう指示し、椅子に腰を掛けたまま目を閉じた。

 エリーアスがテオバルトに協力を求めてから、かなりの時間が経過していた。
 その間、彼からの接触はもちろん、連絡さえ一切なかった。テオバルトはエリーアスに、何の返事もしなかったのだ。
 エリーアスは、『アーベル家に不要と判断され、見限られた』と、思っていた。
 しかしここにきて、テオバルトから緊急の要請が届いた。
 武道大会の決勝を明日へと控えた夜に、わざわざコンタクトを取ってきた意図をエリーアスは考える。

『本日の試合で、アーベル家の嫡男が、なぜか火魔法を使用しなかったが、そこに起因する何かがあるのだろうか』
『それとも、マティアスの王位継承権を脅かす何かが起きたのか』
『ただ単に私の協力の回答を伝えにきた。いまさら?』
『相手の思惑が見えない。これで立志に協力とは、誰も従わないだろう』

 エリーアスは自分の思考力の低さ、情報力のなさに、自嘲気味な笑みが漏れた。
 着け慣れた眼鏡が重く感じられ、そっと触れて元の位置に戻した。

『ここでぐたぐた考えても埒が明かない』

 ルイスがお忍び用の服を寝室へ運んできたのを確認し、エリーアスは椅子から立ち上がった。


 ***


 夜の闇が深まる中、彼らはテオバルトが指定した場所へと足を運んだ。
 辺りは静まり返り、人影はまったく見当たらない。エリーアスとルイスは周囲を見回し、人の気配がないことを確認した。

「ルイス、指定場所に間違いはないんだね」
「あっ、はい。この『魔手紙』が指す方向へとの指示でした」

 ルイスが手元の魔手紙をエリーアスへ渡した。
 魔手紙を受け取ったエリーアスは、ひと目見てこの魔手紙が、普通の物とは違うことを感じとった。
 アーベル家の底知れぬ力を見せつけられたようで、背筋が冷えるほど恐ろしい感覚を覚えた。
 そこに突然、大きな魔力の波動を感じ、エリーアスたちは警戒する。

「ルイス、下がれ」
「殿下。私が盾になります」

 ルイスの力強い声が、エリーアスに届くと同時に、赤い髪の青年が姿を現した。
 その立ち姿に安堵とともに、長いため息が漏れた。

「驚かせてしまい、申し訳ございません」

 テオバルトは、彼らが恐怖していたことに気づき、申し訳なさそうに目を伏せて謝罪した。
 しかし時間も空けずに、エリーアスに対して申し出る。

「エリーアス殿下、申し訳ございませんが、我々の拠点へ来て頂きたく、目隠しをして頂けませんか」
「テオバルト殿、それは無理なお願いです。エリーアス殿下が護衛もつけず、城外へ出たことだけでも異例なのです。それを目隠しして連れていくなんて、もってのほかです!」
「それを重々承知の上で、お願いしています」

 テオバルトはルイスの反論を異にせず、落ち着いた口調で話すと、ただエリーアスだけを見つめた。
 その物言わぬ目が、エリーアスを試しているように思えた。

「必要なのですね」
「はい。傷一つ危害は加えないと誓います」

 エリーアスの問いかけに、テオバルトは深くうなずいて、彼を安心させるように言葉をかける。

「わかりました」
「エリーアス殿下!」

 ルイスの非難めいた声に、エリーアスは優しく微笑み、「ルイス、君はここで待っていなさい」と、指示する。
 しかしルイスは、「いいえ、私も一緒に行きます」と、エリーアスの前で、臣下の礼をとった。
 ふたりのやりとりを尻目に、テオバルトが「では、こちらを」と、魔道具と思われる布を渡すと、エリーアスが、躊躇なく眼鏡を外した。
 暗闇の中でも、その変化に気づいたテオバルトが、胸に手をあて敬意を伝える。

「エリーアス殿下のご覚悟、しかと、テオバルト・フォン・アーベルが受け取りました」

 テオバルトが突然敬意を表したことに、ルイスは驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべる。その様子を感じ取ったエリーアスは、優しく微笑みながら「置いていくよ。ルイス」と、声をかけ促した。
 慌てて目に布を着けたルイスをテオバルトが確認すると、彼は柔らかな口調で、「それでは行きましょう」と伝えた。

 そこからは早かった。
『移動石』を使って、アーベル家の拠点に到着すると、建物の中に入り、少し歩いてから、部屋に入ることができた。
 テオバルトが合図を送ると、エリーアスたちは視界を遮る布を取り外した。
 彼らの目の前にある窓側のベッドには、痩せた女性が静かに座っていた。
 女性の顔に見覚えがないエリーアスは、隣にいるルイスに目配せをする。ルイスは眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと口を開いた。

「だいぶ痩せていますが、ダニエラですね。たしか、新しく加わったディアーナ殿下の護衛騎士のひとりだったと記憶しています」

 ルイスの説明に、エリーアスは無言でうなずき、じっとダニエラを見つめる。
 彼女は痩せ細っており、その体は細くて折れそうなほど弱々しい。ダニエラの姿は、鍛え上げられた筋肉質の護衛騎士とは程遠いものだった。

「彼女の本来の名は、ダニエラ・マイヤー。父親の不正で取り潰しとなった元男爵家のご令嬢で、現在は母親の正家で身を寄せている商家の娘です」
「なっ、ありえません。平民の娘が、ディアーナ殿下の護衛騎士となるなんて」

 エリーアスたちが抱いていた疑問に対して、テオバルトは冷静に事実を語り始めた。話の途中で、ルイスが驚きの声を上げるも、テオバルトはそれには目もくれず、話し続ける。

「ダニエラは、ビーガー侯爵の推薦で護衛騎士となりました。その後すぐ、ディアーナ殿下たちと一緒に行方不明に」
「まさかっ」
「そのまさかです。ディアーナ殿下を襲ったのは彼女です。反乱の首謀者と接点があります」

 テオバルトの断言に、エリーアスたちが驚きと衝撃で息をのむ様子が伝わる。

「コアンの下級ダンジョンで身柄を確保することはできず、行方を捜していました。そして一昨日、我が兄アルベルトへ接触し、精霊魔法と闇魔法を兄へ向けて使用しました。兄はその影響で、火魔法を一時的に使用できなくなっています」
「精霊魔法と闇魔法の混合魔法……」

 エリーアスは、その話しを聞いて、事の重大さに気づき、体が震えるのをただ抑えることしかできなかった。彼の心は混乱し、恐怖に満ちていた。
 なおもテオバルトの話は続く。

「少なくとも今回は(・・・)ダニエラの意思の上で、魔法を行使したのではありません。彼女の体には奴隷紋がありました。回復薬が起爆剤となり、魔法が解除されたと聞いています。これは仮定ですが、彼女の体を媒体に魔法が施されており、回復薬を体に摂取することで、精霊魔法と闇魔法を解除する仕組みだったのでしょう。後で詮索をされないよう、術後に彼女の体から奴隷紋が消えたのだと考えています」

 エスタニア王国では、奴隷は合法だ。
 ただし、奴隷紋を付けている奴隷は数が少ない。これは、奴隷紋が貴重な呪術師でしか付けられないからである。
 奴隷紋の取り外しを容易にできる呪術師が、エスタニア王国内にいるなど、エリーアスは、聞いたことがない。
 奴隷紋は、相手に隷属を強いることができる手段であり、所有権を主張できるものである。
 元々奴隷ではないダニエラへ奴隷紋を施し、道具として使用し、詮索されないために、意図的に奴隷紋を消した。
 ダニエラの背景には力のある首謀者がいて、彼女を不要と判断し切り捨てたことが、テオバルトの説明でわかった。
 だとすれば、彼らがエリーアスに求めているのは、王族としての処断だ。

「アーベル家はダニエラの処遇の判断を私に一任するのですね」
「はい」

 エリーアスの答えに、テオバルトは神妙な面持ちで静かにうなずく。

「ダニエラへの罰は、生きることですね」
「エリーアス殿下!」

 テオバルトの話が事実だとすれば、ダニエラの行為は極刑が適切な判断である。それにも関わらず、エリーアスの判断は存命。
 ルイスは、エリーアスの処断に対して異議を唱えるよう、批判的な声を上げ、主人の考えが変わることを願った。

「処刑することは簡単だ。すでに彼女は意思がないのはあきらか。私たちの会話に顔色一つ変えず、呆然と前を見ている。精神に何らかの負荷が加わっているのだろう。幽閉して生涯を終わらせるのが、常人であったダニエラへの罰となる」
「素晴らしい洞察力ですね。現在の彼女は、帝国で開発された新薬の実験台の結果、精神を壊されています」

 パチパチと拍手を送りながら、テオバルトに似た赤い髪の端正な顔の男が、室内に入室してきた。
 彼は優雅に歩みながらも、その表情はどこか冷たく、人を圧倒する覇気をまとっていた。まるで王者のような風格があった。

「赤の魔術師」
「初めてお目にかかります。エリーアス殿下」
「貴方がたは、私の味方となってくれますか」

 突然のエリーアスの質問に、ヴィリバルトを取り巻く空気が少し和らいだ。しかし、彼はそれに答えることなく、自分の要件を伝える。

「きな臭い動きが、城内であります」
「トビアスがとうとう動きましたか」
「えぇ、残念ながら、国王の寝室は闇と化しました。エスタニア国王は、もって数日でしょう」

 エリーアスは、淡々とした表情で、自分に与えられた情報を受け入れた。
 その落ち着いた態度を見て、ヴィリバルトは「覚悟をしていた様子だ」とほのめかした。

「一週間前に、陛下の寝室で動きがあり、状況を見守っていました。今朝、急変との報告が入りました。いずれそうなるだろうと予測していました」
「なるほど。その病も、元から計画されていたものだったとしたら、貴方はどうしますか」

 ヴィリバルトの衝撃的な発言に、エリーアスは動揺する。
 彼はその先の真実を知り、その恐ろしさと悲しみに心が覆われる。自分の体が小刻みに震える中、彼はただ立ち尽くしていた。
 しばらしくて、エリーアスは目を閉じて深呼吸し、自分自身を落ち着かせると、決意を固めた。