手に汗を握る熱戦を制したアル兄さんが、会場の出口付近でふらついた。
目ざとくそれに気づいた俺は、「アル兄さん!」と、声を上げる。
もうそれだけで、俺は居ても立っても居られなくなり、観客席から走りだした。
「ジークベルト様!」
「お主、どこへ行くのじゃ」
「えっ、え、え」
「ガウッ<ハクも>」
三人の戸惑う声をあとに、ハクを連れて選手控室に急ぐ。
アル兄さんが、火魔法を一時的に使えなくなったのを、俺はヴィリー叔父さんから聞いていた。
それは試合直前であったが、叔父が俺に話すタイミングはもっと早くてもよかったはずだ。
ヴィリー叔父さんは、意図して俺に話さなかった。
それは俺が、家族に俺の秘密を隠しているからだ。
きっと俺ならアル兄さんにかけられた魔法を解除できたはずだ。
俺はまた判断を間違えてしまった。
大切な人を失くすことを、後悔をしないと誓ったはずなのに。
「ガゥ?<大丈夫?>」
突然足を止めた俺に、ハクが寄り添うように俺を見上げる。
俺の頬を涙がとめどなく流れる。
感情が揺れ動いて、平常心を保つことができない。
「どうして俺はこんなにも弱いのだろう」
ぐっと口を噛みながら、俺はつぶやく。
すると「そんなことはないよ」と、慣れ親しんだ声が聞こえ、後ろから優しく抱きしめられた。
「ジークは優しすぎるんだよ。でもそれでいいんだよ」
「テオ兄さん」
俺をいつも肯定してくれるテオ兄さん。その包容力が、嬉しい反面、俺を苦しめる。
俺の心の葛藤に気づいたテオ兄さんが、「ジークのタイミングでいいんだよ」と、優しく諭した。
その言葉に、俺は全身の力が抜ける。
あぁ、俺が何かを隠しているのは、家族も気づいているんだ。
今までの家族の態度が腑に落ちて、心の重荷が少し軽くなった。
「ピッー<主、スラきた。もう大丈夫>」
「ガウッ!<ハクも!>」
テオ兄さんの肩の上からスラが降りて、俺の頭の上で存在を主張し、ハクが尻尾を俺の足に絡ませる。
俺が泣き笑いながら、「ふふふ、そうだね。ありがとう」と、テオ兄さんの腕をぎゅっと掴んだ。
「スラは、ユリウス殿下の元を離れて大丈夫なの」
「ピッ<ヴィリバルトがそばにいる>」
「スラが急に騒ぎ出して、大変だったんだよ。叔父様がね、ジークが泣いているかもしれないって言ってね」
「ヴィリー叔父さんが……」
俺は頬がサッと赤くなるのを感じた。
叔父は、俺の思考と行動をよく理解している。
本当に敵わない人である。
「僕もつい本気で、『倍速』を使って追いついたんだ」
「えっ!?」
「まぁ、ほんのわずかな時間だし、ばれてないと思う」
テオ兄さんが、あっけらかんとした様子で、まるで何事もなかったかのように告げる。
競技場内で、魔法を施行するのは御法度で、正当な理由がなければ、相当重い罰が下される。
俺が少年に施した『癒し』のように、わからないように隠蔽しているのだろう。
俺は家族に愛さているなぁと、改めて実感する。彼らの優しさや支えがあるからこそ、今の自分がいるのだと感じた。
テオ兄さんと他愛無い話しをしている間に目的の選手控室に着いた。選手控室を覗くも、アル兄さんの姿はなく、テオ兄さんとともに救護室へ向かう。
「MP回復薬の所持を怠るなんて、アル兄さんにも少なからず動揺があったってことかな」
「テオ兄さんは、いつ知ったのですか」
「昨日の夜だね。アル兄さんが突然土魔法を教えてくれって、懇願されてね。夜遅くまで、土魔法の修練に付き合わされたよ。俺もニコライも」
「そうなんですね」
目に見えて落胆する俺を見て、テオ兄さんは優しい微笑みを浮かべる。
「アル兄さんは、自分の弱いところをジークに見せたくなかったんだよ。アル兄さんの土魔法はね、火魔法と比べて、まったくと言っても過言ではないぐらい駄目でね」
「そうなのですか」
「うん。ジークの方が上手だよ。たった一日でよく様になったものだよ。本当に」
テオ兄さんの言葉を遮るように、突然ハクとスラが声を上げた。
「ピッ!<アルベルト!>」
「ガウッ!<アルベルト!>」
視線を前に向けると、柱の影にアル兄さんの後ろ姿を見つけた。
俺が「アル兄さん!」とたまらず呼びかけると、アル兄さんは驚いたような表情で振り返り、その後嬉しそうに笑顔を見せる。
「ジークにテオも、どうしたんだ」
元気そうな姿のアル兄さんを見て、俺は安堵のあまり全身の力が抜けてしまう。
そんな俺の様子に気づいたテオ兄さんが、そっと俺の肩に手を置いた。
「はじめまして、皆さま」
アル兄さんの後ろから、柔らかくも凛とした声が聞こえた。
そこにいたのは、お忍び姿のユリアーナ殿下だった。
初めてユリアーナ殿下と対面した俺は、いいようもない嫌悪感に襲われた。
ユリアーナ殿下が近づいてくると、それに反応するように、ハクとスラが、ユリアーナ殿下に対して警戒心を強め、身構えるような態度を見せた。
「ガルゥ!<近づくな!>」
「ピッ!<危険!>」
彼女の無意識な『魅了』が、防衛本能を刺激したのだと思う。
ハクたちの反応に、アル兄さんが戸惑った表情で、「どうしたんだ、ハク、スラ」と近づくも、彼らが警戒を解く様子はない。
「嫌われてしまったのかしら」
ユリアーナ殿下は心配そうな表情で、不安げにつぶやく。その声には寂しさと残念さが混じっていた。
「申し訳ありません。人と関わることがあまりなく、初対面で動揺したのだと思います」
テオ兄さんが、ハクたちの行動をフォローした。
しかし、このままハクたちを近くに置くのは危険だと判断したのだろう。「ジーク、そろそろ行かないと次の試合に間に合わないよ」と、俺を急かした。
俺はテオ兄さんの言葉に従い、アル兄さんたちに別れを告げると、足早にその場を去った。
俺たちがアル兄さんたちから離れて、彼らの姿が見えなくなると、ハクとスラは警戒心を解いてリラックスした様子になる。
「魅了に反応したようだね」
「はい。とても気持ち悪い感じがしました」
「ガルゥ<気持ち悪い>」
「ピッ!<嫌!>」
「わかるんだね。ハクもスラも、とても敏感なようだね。これは困ったね」
テオ兄さんが、眉間に皺を寄せて困ったように唸った。
そのすぐそばで俺は、別の唸りを上げる。
【鑑定がレジストされました】
ユリアーナ殿下を鑑定した結果が、これだった。
この事実は、どういう意味を指しているのか。
俺は途方もない迷路に彷徨った感覚に陥る。問題は蓄積されていく一方だ。